不動産鑑定評価の今日的課題 ~ Vol.5
2024.06.13
VOL.05 不動産鑑定評価の今日的課題
不動産鑑定評価はこれまで公的評価が大半で民間需要は少なく、とにかく依頼者の意向(多くの場合役所)に従っている限り特に問題はなかった。
ところが、時代が変わり、鑑定評価書が開示されるようになった他、第三者の利害に大きく関係する評価書が多くなった為、依頼者の意向に従ってばかりいられなくなったのである。
つまり、見ず知らずの第三者から鑑定評価の当・不当を訴えられる可能性があるため、客観性を高めることが要請される。
しかし、前述したように数学的解析ができるだけのデータはなく、時間も費用もないのが現実である。
取引事例比較法をできるだけ客観的に使おうとしても、現状では不可能に近い。
もともと取引事例比較法はそのプロセスの全てが仮説の塊である。
つまり、データが真実であると仮定し、時点修正率が年間○○%と仮定し、地域格差の要因は○○と仮定し、格差率○○%と仮定し、個別的要因は○○と仮定し、その増減価率を○○%と仮定したら○○円ということである。
したがって、これからの評価書には採用した事例については真実性の検証はしていないと断り、要因・補正率は評価者の経験に基づく仮説で証明はないということを記載することが必要ではないかと考えている。
私が一番あなたは二番と非難しても、決着はつかない。
いずれにしても、客観性を高めるためには外部研究機関との協力関係が大事である。
また、同時に試験内容も現実に即した形にするべきではないかと考える。
これらの課題に対応するため、
①試験科目には数学・統計学の他、建築・土木・測量、更には市場分析等を加える。
②事例収集・事例の選択・時点修正・価格形成要因との相関、格差率について数学的技法を研究し
方法論の検討と数理解析の限界についても把握し、誤解を招かないよう社会に周知する。
③不動産鑑定士個人の能力差を縮小するため、評価に必要なツール(評価ソフト等)を開発し、
会員に提供する。
④各種の情報のデータベースを構築し、会員に共同利用させる。
そのためには無駄な委員会や理事会は減らす。
⑤実務教育のメニューを充実させる。
昨今の研修会は、研修料金を稼ぐためにやっているとしか思えない。
テキストをダラダラ読むだけのお祭型のバカ高い研修は止めて欲しい。
もっとも、参加することに意義があるのなら別だが。
必要なのは訴訟鑑定や証人尋問訓練、或いは建築・土木・測量等の現場体験等、机上の空論に
ならないよう、地に足の着いた息の長い研修プログラムを用意することである。
⑥評価分野が極端に広がったため、アメリカのように分野別に資格を区分する。
若しくは分野別の研修を行ない、何らかの内部資格を与えるようにする。
現状では、個人・零細と大手との業務量・業務内容・資本装備・資格者の人数等に極端な格差が
見られる。
資格を取ればどんなものでも評価できると考えるのは無理と思われる。
分野別の実務研修を強化し、一定の評価には研修終了を条件とする等、制度上の手当をすること
である。
但し、目的はあくまでも的確に評価するためのサポートであるから、試験を課して排除するという
ことではなく、高度の評価技術の修得を効率良く行なうための努力をすることが必要である。
そのためには、大学との提携も必要と考える。
監督官庁の顔色をうかがい、何人研修させたかを競うのではなく、真に会員のために社会にとって
必要な技術・能力を磨くための場を作って欲しいものである。
協会は会員の管理・規制・負担のつけ回しには積極的であり、あたかも役所のような行動をしてい
るが、これでは真の専門家集団とは言えまい。
単なる業者団体の集まりであるのなら情報交換の場とし、余計なことはしないことである。
その方が会員にとって負担は少ない。
⑦業務サポートセンター創設の検討をする。
今の協会を見ると農協を思い出す。
農協は個人の集団で構成され、相互扶助を旨としていたが、市場開放を機に生産法人化が進み、
個人零細と大規模生産法人とが分離してしまった。
個人農家は大規模生産法人と同様の設備投資は出来ないし、相互扶助の精神も衰退したため
年々格差は拡大し、それが大量の離農につながっている。
鑑定業界も農業と同じで、個人・零細と大手法人の格差は年々拡大している。
その行き着く先は農業と同じで、将来的には業界再編の大波がやってきて個人・零細の会員の
廃業・脱退が増加するものと思われる。
そうすると、協会そのものが成り立たなくなる。
協会役員に将来の戦略・哲学があるのかはサッパリ解らない。
しかし、このままでは協会自体が整理・縮小される日は近いものと考えざるを得ない。
業者団体として生き残るのならそれも良かろうと思うが、資格者集団としての性格を大事にするの
なら、個人・零細が困らないようにする手立てを考えることが必要である。
自己責任として突き放すのなら、協会は不要である。
数でいえば圧倒的に個人・零細が多いのである。
個人・零細が大手と互してやっていくためには業務のサポートが必要である。
ソフトの共同開発・ライブラリの設置・共同購入・事業承継(我が業界も高齢化で他人事ではない)
・地域大学との連携等、検討すべき点は多いと考える。
不動産鑑定評価はこれまで公的評価が大半で民間需要は少なく、とにかく依頼者の意向(多くの場合役所)に従っている限り特に問題はなかった。
ところが、時代が変わり、鑑定評価書が開示されるようになった他、第三者の利害に大きく関係する評価書が多くなった為、依頼者の意向に従ってばかりいられなくなったのである。
つまり、見ず知らずの第三者から鑑定評価の当・不当を訴えられる可能性があるため、客観性を高めることが要請される。
しかし、前述したように数学的解析ができるだけのデータはなく、時間も費用もないのが現実である。
取引事例比較法をできるだけ客観的に使おうとしても、現状では不可能に近い。
もともと取引事例比較法はそのプロセスの全てが仮説の塊である。
つまり、データが真実であると仮定し、時点修正率が年間○○%と仮定し、地域格差の要因は○○と仮定し、格差率○○%と仮定し、個別的要因は○○と仮定し、その増減価率を○○%と仮定したら○○円ということである。
したがって、これからの評価書には採用した事例については真実性の検証はしていないと断り、要因・補正率は評価者の経験に基づく仮説で証明はないということを記載することが必要ではないかと考えている。
私が一番あなたは二番と非難しても、決着はつかない。
いずれにしても、客観性を高めるためには外部研究機関との協力関係が大事である。
また、同時に試験内容も現実に即した形にするべきではないかと考える。
これらの課題に対応するため、
①試験科目には数学・統計学の他、建築・土木・測量、更には市場分析等を加える。
②事例収集・事例の選択・時点修正・価格形成要因との相関、格差率について数学的技法を研究し
方法論の検討と数理解析の限界についても把握し、誤解を招かないよう社会に周知する。
③不動産鑑定士個人の能力差を縮小するため、評価に必要なツール(評価ソフト等)を開発し、
会員に提供する。
④各種の情報のデータベースを構築し、会員に共同利用させる。
そのためには無駄な委員会や理事会は減らす。
⑤実務教育のメニューを充実させる。
昨今の研修会は、研修料金を稼ぐためにやっているとしか思えない。
テキストをダラダラ読むだけのお祭型のバカ高い研修は止めて欲しい。
もっとも、参加することに意義があるのなら別だが。
必要なのは訴訟鑑定や証人尋問訓練、或いは建築・土木・測量等の現場体験等、机上の空論に
ならないよう、地に足の着いた息の長い研修プログラムを用意することである。
⑥評価分野が極端に広がったため、アメリカのように分野別に資格を区分する。
若しくは分野別の研修を行ない、何らかの内部資格を与えるようにする。
現状では、個人・零細と大手との業務量・業務内容・資本装備・資格者の人数等に極端な格差が
見られる。
資格を取ればどんなものでも評価できると考えるのは無理と思われる。
分野別の実務研修を強化し、一定の評価には研修終了を条件とする等、制度上の手当をすること
である。
但し、目的はあくまでも的確に評価するためのサポートであるから、試験を課して排除するという
ことではなく、高度の評価技術の修得を効率良く行なうための努力をすることが必要である。
そのためには、大学との提携も必要と考える。
監督官庁の顔色をうかがい、何人研修させたかを競うのではなく、真に会員のために社会にとって
必要な技術・能力を磨くための場を作って欲しいものである。
協会は会員の管理・規制・負担のつけ回しには積極的であり、あたかも役所のような行動をしてい
るが、これでは真の専門家集団とは言えまい。
単なる業者団体の集まりであるのなら情報交換の場とし、余計なことはしないことである。
その方が会員にとって負担は少ない。
⑦業務サポートセンター創設の検討をする。
今の協会を見ると農協を思い出す。
農協は個人の集団で構成され、相互扶助を旨としていたが、市場開放を機に生産法人化が進み、
個人零細と大規模生産法人とが分離してしまった。
個人農家は大規模生産法人と同様の設備投資は出来ないし、相互扶助の精神も衰退したため
年々格差は拡大し、それが大量の離農につながっている。
鑑定業界も農業と同じで、個人・零細と大手法人の格差は年々拡大している。
その行き着く先は農業と同じで、将来的には業界再編の大波がやってきて個人・零細の会員の
廃業・脱退が増加するものと思われる。
そうすると、協会そのものが成り立たなくなる。
協会役員に将来の戦略・哲学があるのかはサッパリ解らない。
しかし、このままでは協会自体が整理・縮小される日は近いものと考えざるを得ない。
業者団体として生き残るのならそれも良かろうと思うが、資格者集団としての性格を大事にするの
なら、個人・零細が困らないようにする手立てを考えることが必要である。
自己責任として突き放すのなら、協会は不要である。
数でいえば圧倒的に個人・零細が多いのである。
個人・零細が大手と互してやっていくためには業務のサポートが必要である。
ソフトの共同開発・ライブラリの設置・共同購入・事業承継(我が業界も高齢化で他人事ではない)
・地域大学との連携等、検討すべき点は多いと考える。
不動産鑑定評価の今日的課題 ~ Vol.4
2024.06.06
VOL.04 取引事例比較法に内在する技術的課題
取引事例比較法の適用に当っては、大まかに言えば次のプロセスを経ている。
1:事例収集
2:取引事例の選択
3:手法の適用
4:比準価格の決定
鑑定評価制度が始まった当初の事例収集は、まさしく足で稼いでナンボの世界であったから、情報収集能力・技術は必須であった。
つまり、取材技術・能力が試されたのである。
取材を通して、実際の取引の実情を肌で感じることができたのである。
情報の真贋を見極める能力は正に技術といっても過言ではない。
アンケートでは、本当の姿は解らない。
当事者の目を見て、取引の状況を聞き、自分なりの意見をぶつけながら判断の妥当性を確認していくという作業は、貴重なものである。
私も修行時代は1日に50~80軒位の自宅や会社を訪ね、取材したものである。
当初は、何と泥臭い仕事であろうと思ったものだ。
しかし、この貴重な体験のお陰で人との付き合い方や取材技術・能力が身に付いたことは否定できない。
実際の不動産取引の現場は、テキストや試験問題のようにキレイなものではない。
しかし、今は新スキームによる事例を机上でただ整理しているだけで、そこから現場の生の声は読み取れない。
人間、楽をすれば確実に技術・能力は低下するし身にもつかない。
取引データが全て真実で、取引当事者が鑑定評価基準に沿って取引してくれれば良いが、現実はそうではない。
大半の取引当事者は一般人であり、不動産の知識もなければ経済の知識もないのである。
また、大金が動くため、取引金額を誤魔化すことも多い。
アンケートで、いくら取引に事情はありませんと記載していても、それが真実かどうかは解らないのである。
『不動産鑑定士を殺すにゃ刃物はいらぬ、嘘の事例が3つあればいい』とは言いたくはないが、可能性は否定できない。
特に田舎では、1年に数件の取引しかないのである。
取引当事者の取材なくしてデータの信頼性を確認することはできない。
取引データが大量にあれば、確率計算によって真実の姿に近づくことが可能ではあると思うが、データ不足の現状の状態では、道は遠い。
次に、取引事例の選択は、本来事例の真実性が確認できなければ選択できないはずである。
しかし、現実的には取引の真実性を確認することなく事例を選択している。
つまり、集まった事例は全て真実であるとの仮説のもとに、評価者の都合の良いデータを選択して計算しているだけである。
都合の悪いデータしか入手できない時は、データを手に入れることになる。
要因比較が完全ならば、比準された試算値は取引のバラツキに比例してバラツクはずであるが、あまりにもバラツキが大きすぎると比準価格を決められないことになる。
もっともらしく見せるためには、都合の良いデータを揃えるか、さもなくばデータに手を入れる、つまり事情補正を加えることになる。
我々は、今のところデータを客観的(数学的)に取捨選択する技術を持っていない。
個人的には、修行時代からずっと疑問に思ってきたことであるが、未だにその方法はなく、鑑定評価の信頼性に疑念を抱かせる温床となっている。
価格形成要因の比較のプロセスについても同様である。
価格形成要因と格差率との相関関係は証明されていない。
評価者は思い思いの格差率を採用しているため、複数人が同一物件を評価するとなかなか一致した数字は出てこない。
比準作業は価格すり合わせ作業に他ならず、科学的分析とは似て非なるものではないかと思っている。
ところで、比準作業のプロセスを点検してみると、実に面白いことが解る。
まず、事情補正である。
基準では事情補正の必要なケースを記載しているが、取引の当事者は大半が素人である。
何も事情がないと言っても平均価格の半値や倍の取引も見られる。
不動産の取引では売りたい・買ってくれと言ったら買い叩かれるのがオチである。
反対に、売って下さいと言ったらフッかけられるのが現実である。
分譲地でない限り、販売目的で不動産を仕入れ保有している個人はいない。
不動産取引は個別事情の坩堝である。
本来、事情補正を必要とする事例は事例の選択の過程で数学的に処理し、採用しないことに限るが、データが少ないため叶わぬ夢となっている。
次に時点修正について考えてみる。
時点修正は、過去のトレンドから現在ないし近い将来を推測する作業であるが、これを科学的に行なう方法は未だ確立されていない。
本来的には数学を駆使してトレンド分析をするべきだと思うが、現実的にはデータも少なく、時間も費用もくれないという状況下では、30年前と同じ方法、つまり公表データを当てにしてエイヤッとやるしかない。
私も能力がないのでエイヤッ方式である。
個人的にはこれまで時点修正率を技術的に求めた評価書を見たことがない。
時点修正率も月単位でコンマ%で表示したり年単位で表示したりと様々である。
しかし実際には何時から上昇したか下落したかは解らない。
単なる仮説でしかないが、評価者には仮説であるという認識もない。
バブル時には時点修正率が年間+30%、地域格差が1%しかないという評価書を随分見たし、自分も同じことをしたが、冷静に考えれば時点修正で全てが決まっているのだから、地域格差の1%をもっともらしく判定したところで、何の説得力もない。
むしろ+30%の時点修正率を問題にすべきだったと思うのだが、感覚が麻痺していたせいか、私も含めて疑問を持つ人は少なかった。
次に、標準化補正という用語は、評価基準には出てこない。
また、標準的使用という用語は評価基準に二度ばかり出てくるが、標準的使用の定義の記載はない。
これまで鑑定評価で大きく判断が分かれ、評価額が大幅に乖離したケースを思い出すと、そのほとんどが標準的使用と最有効使用の判断が異なるものであった。
地域の平均的利用と現況利用がほぼ同一なら、標準的使用と最有効使用が異なることもない。
問題となるのは、平均的利用状態と現況利用が大きく異なる場合、例えば混在地域における大画地とか平均的利用が住宅地なのに店舗の敷地として利用されている場合等がある。
その他には、戸建住宅地域の中のマンション敷地など平均的利用状態と現況利用が一致しない、或いは一致していても利用目的が異なる場合(郊外型マンションのように一番最初に一般住宅地域の中にマンションを建てたパイオニヤ等)等は、評価者によってその判断が大きく分かれることはしばしば見受けられる。(弱気な人は住宅地向きの宅地見込地と判定し、強気な人はマンション用地と判定)
その結果として評価額に大きな差が出るが、その当・不当を論ずることは難しい。
抽象的に標準的使用とは言えても、現実的に判断しようとすると大変なことである。
平均的土地利用と現況利用が同一なら、標準的使用も最有効使用の判断にも困らない。
他方、日本の都市計画は現況利用を追認した絵にすぎないので、用途規制と現況利用が一致しない地域は多く、最有効使用の判定には尚更困難を伴う。
いずれにしても、標準的使用と標準化補正を具体的に定義する必要があるのではないかと考えざるを得ない。
次に価格形成要因とその格差率を考えてみたい。
個人的には、価格形成要因が本当に価格を決めているのか、今もって解らない。
要因があって価格が決まるのなら、取引事例はいらない。要因の学術的研究を深化させれば良いと考える。
しかし、現実の市場を見ると全くこれらの要因とは関係がないように見受けられる。
例えば、株式市場は不動産市場より単純化つまり同質かつ大量の取引が観測されるのであるから、分析は極めて簡単だと思われる。
しかし、実際の株式市場の動きはダイナミックであり、上場会社の業績が毎日変動している訳でもないのに株価は一日のうちでも乱高下する。
不動産と同様に会社の状態等は価格形成要因と考えられるが、会社の状態におかまいなく株価は上下している。
とすれば、価格形成要因とは結局のところ決定された価格を後智恵で説明するためのツールにしかすぎないということになる。
ところで、価格形成要因を細かく見れば更に矛盾を抱えていることが解る。
価格形成要因は、大きくは街路・交通接近・環境・行政の四つの条件に分けられている。
仮に価格形成要因が後知恵であろうとなかろうと妥当だ仮定としても価格形成要因間のウェイトが同じというのは如何かなと思わざるを得ない。
つまり、都会と田舎ではこれらの要因が等しく機能しているとは思えないのである。
土地区画整理事業における評価基準では、これらのウェイトは都市によって異なると明確に認識している。
しかし、鑑定世界でこのような議論がなされた或いは研究成果があるという話は聞いたことがない。
過疎地の商業地域には商業施設がほとんどなく、平均的利用が住宅地に近いところもある。
このような地域では、行政的条件は何の意味も持たない。
また、街路条件では都会では必ずしも広幅員の道路は歓迎されないが、雪の多い地域では除雪車の出入りができない道路は敬遠される。
接近条件は更に複雑である。
交通施設・利便施設相互の影響度合いや影響の有無、これら施設の影響距離・範囲等何一つ科学的データはない。
環境条件に至っては、まさに雲を掴むような話である。
実務上取引価格の差を道路・交通接近・行政的条件で説明できなければ、残りは環境条件による差と片付けるより他はない。
何故なら、環境条件を除くと格差率はともかく、誰が見てもその違いが解る。
つまり前三者は調査・測定すれば誰にでも比較的容易に把握が出来るので、ここであまり無茶をすることはできない。
しかし、環境条件(供給処理施設の有無を除く)は、外見からだけでは解らないから誰も確認できない。
例えば、地価公示の継続地点で年間30%上昇した地点とその周辺の10%上昇した地点の地域格差は環境条件が拡大したと考える他はないことになる。
つまり、道路・交通接近・行政的条件は道路改良や新駅開設・用途変更等がない限りその差は前年と同じはず、と考えられるからである。
そうだとすれば、地域格差は環境条件しか残らないので、やむなく環境条件だと片付けてはいるが、現地を見ると何が変わったのかはさっぱり解らない。
いずれにしても、要因相互の関係・影響度の強弱・何が影響施設となるのか等、解明しなければならない点は多々あると思われるが、このことを議論する人はほとんどいないし、科学的に解明しようとする機運も感じられないので非科学的アプローチは暫く続くのであろう。
地域要因はこの位にして、個別的要因をみることにする。
地域要因と重複する個別的要因は別にして、画地条件に係わるものだけをみることにする。
代表的なのは角地加算率である。角地加算率も評価者によってバラバラである。
何故かといえば、角地加算に関する実務的な研究がないから、各自思い思いに加算しているのである。
ただ、そうは言っても常識はずれの数値を使う訳にもいかないので、お上が決めた数値に準拠してそこから極端に離れないようにしているが、完全に右ならえしている訳でもない。
いずれにしても、角地加算が5%であり、6%にはならないということを証明できる人はいない。
その反対も同じである。
奥行きや規模にしても、同じ問題を抱えている。
我々が自明の理だと思っているこれらの要因や格差率が、取引の現場でも同じだという証明はできていない。
取引事例比較法の適用に当っては、大まかに言えば次のプロセスを経ている。
1:事例収集
2:取引事例の選択
3:手法の適用
4:比準価格の決定
鑑定評価制度が始まった当初の事例収集は、まさしく足で稼いでナンボの世界であったから、情報収集能力・技術は必須であった。
つまり、取材技術・能力が試されたのである。
取材を通して、実際の取引の実情を肌で感じることができたのである。
情報の真贋を見極める能力は正に技術といっても過言ではない。
アンケートでは、本当の姿は解らない。
当事者の目を見て、取引の状況を聞き、自分なりの意見をぶつけながら判断の妥当性を確認していくという作業は、貴重なものである。
私も修行時代は1日に50~80軒位の自宅や会社を訪ね、取材したものである。
当初は、何と泥臭い仕事であろうと思ったものだ。
しかし、この貴重な体験のお陰で人との付き合い方や取材技術・能力が身に付いたことは否定できない。
実際の不動産取引の現場は、テキストや試験問題のようにキレイなものではない。
しかし、今は新スキームによる事例を机上でただ整理しているだけで、そこから現場の生の声は読み取れない。
人間、楽をすれば確実に技術・能力は低下するし身にもつかない。
取引データが全て真実で、取引当事者が鑑定評価基準に沿って取引してくれれば良いが、現実はそうではない。
大半の取引当事者は一般人であり、不動産の知識もなければ経済の知識もないのである。
また、大金が動くため、取引金額を誤魔化すことも多い。
アンケートで、いくら取引に事情はありませんと記載していても、それが真実かどうかは解らないのである。
『不動産鑑定士を殺すにゃ刃物はいらぬ、嘘の事例が3つあればいい』とは言いたくはないが、可能性は否定できない。
特に田舎では、1年に数件の取引しかないのである。
取引当事者の取材なくしてデータの信頼性を確認することはできない。
取引データが大量にあれば、確率計算によって真実の姿に近づくことが可能ではあると思うが、データ不足の現状の状態では、道は遠い。
次に、取引事例の選択は、本来事例の真実性が確認できなければ選択できないはずである。
しかし、現実的には取引の真実性を確認することなく事例を選択している。
つまり、集まった事例は全て真実であるとの仮説のもとに、評価者の都合の良いデータを選択して計算しているだけである。
都合の悪いデータしか入手できない時は、データを手に入れることになる。
要因比較が完全ならば、比準された試算値は取引のバラツキに比例してバラツクはずであるが、あまりにもバラツキが大きすぎると比準価格を決められないことになる。
もっともらしく見せるためには、都合の良いデータを揃えるか、さもなくばデータに手を入れる、つまり事情補正を加えることになる。
我々は、今のところデータを客観的(数学的)に取捨選択する技術を持っていない。
個人的には、修行時代からずっと疑問に思ってきたことであるが、未だにその方法はなく、鑑定評価の信頼性に疑念を抱かせる温床となっている。
価格形成要因の比較のプロセスについても同様である。
価格形成要因と格差率との相関関係は証明されていない。
評価者は思い思いの格差率を採用しているため、複数人が同一物件を評価するとなかなか一致した数字は出てこない。
比準作業は価格すり合わせ作業に他ならず、科学的分析とは似て非なるものではないかと思っている。
ところで、比準作業のプロセスを点検してみると、実に面白いことが解る。
まず、事情補正である。
基準では事情補正の必要なケースを記載しているが、取引の当事者は大半が素人である。
何も事情がないと言っても平均価格の半値や倍の取引も見られる。
不動産の取引では売りたい・買ってくれと言ったら買い叩かれるのがオチである。
反対に、売って下さいと言ったらフッかけられるのが現実である。
分譲地でない限り、販売目的で不動産を仕入れ保有している個人はいない。
不動産取引は個別事情の坩堝である。
本来、事情補正を必要とする事例は事例の選択の過程で数学的に処理し、採用しないことに限るが、データが少ないため叶わぬ夢となっている。
次に時点修正について考えてみる。
時点修正は、過去のトレンドから現在ないし近い将来を推測する作業であるが、これを科学的に行なう方法は未だ確立されていない。
本来的には数学を駆使してトレンド分析をするべきだと思うが、現実的にはデータも少なく、時間も費用もくれないという状況下では、30年前と同じ方法、つまり公表データを当てにしてエイヤッとやるしかない。
私も能力がないのでエイヤッ方式である。
個人的にはこれまで時点修正率を技術的に求めた評価書を見たことがない。
時点修正率も月単位でコンマ%で表示したり年単位で表示したりと様々である。
しかし実際には何時から上昇したか下落したかは解らない。
単なる仮説でしかないが、評価者には仮説であるという認識もない。
バブル時には時点修正率が年間+30%、地域格差が1%しかないという評価書を随分見たし、自分も同じことをしたが、冷静に考えれば時点修正で全てが決まっているのだから、地域格差の1%をもっともらしく判定したところで、何の説得力もない。
むしろ+30%の時点修正率を問題にすべきだったと思うのだが、感覚が麻痺していたせいか、私も含めて疑問を持つ人は少なかった。
次に、標準化補正という用語は、評価基準には出てこない。
また、標準的使用という用語は評価基準に二度ばかり出てくるが、標準的使用の定義の記載はない。
これまで鑑定評価で大きく判断が分かれ、評価額が大幅に乖離したケースを思い出すと、そのほとんどが標準的使用と最有効使用の判断が異なるものであった。
地域の平均的利用と現況利用がほぼ同一なら、標準的使用と最有効使用が異なることもない。
問題となるのは、平均的利用状態と現況利用が大きく異なる場合、例えば混在地域における大画地とか平均的利用が住宅地なのに店舗の敷地として利用されている場合等がある。
その他には、戸建住宅地域の中のマンション敷地など平均的利用状態と現況利用が一致しない、或いは一致していても利用目的が異なる場合(郊外型マンションのように一番最初に一般住宅地域の中にマンションを建てたパイオニヤ等)等は、評価者によってその判断が大きく分かれることはしばしば見受けられる。(弱気な人は住宅地向きの宅地見込地と判定し、強気な人はマンション用地と判定)
その結果として評価額に大きな差が出るが、その当・不当を論ずることは難しい。
抽象的に標準的使用とは言えても、現実的に判断しようとすると大変なことである。
平均的土地利用と現況利用が同一なら、標準的使用も最有効使用の判断にも困らない。
他方、日本の都市計画は現況利用を追認した絵にすぎないので、用途規制と現況利用が一致しない地域は多く、最有効使用の判定には尚更困難を伴う。
いずれにしても、標準的使用と標準化補正を具体的に定義する必要があるのではないかと考えざるを得ない。
次に価格形成要因とその格差率を考えてみたい。
個人的には、価格形成要因が本当に価格を決めているのか、今もって解らない。
要因があって価格が決まるのなら、取引事例はいらない。要因の学術的研究を深化させれば良いと考える。
しかし、現実の市場を見ると全くこれらの要因とは関係がないように見受けられる。
例えば、株式市場は不動産市場より単純化つまり同質かつ大量の取引が観測されるのであるから、分析は極めて簡単だと思われる。
しかし、実際の株式市場の動きはダイナミックであり、上場会社の業績が毎日変動している訳でもないのに株価は一日のうちでも乱高下する。
不動産と同様に会社の状態等は価格形成要因と考えられるが、会社の状態におかまいなく株価は上下している。
とすれば、価格形成要因とは結局のところ決定された価格を後智恵で説明するためのツールにしかすぎないということになる。
ところで、価格形成要因を細かく見れば更に矛盾を抱えていることが解る。
価格形成要因は、大きくは街路・交通接近・環境・行政の四つの条件に分けられている。
仮に価格形成要因が後知恵であろうとなかろうと妥当だ仮定としても価格形成要因間のウェイトが同じというのは如何かなと思わざるを得ない。
つまり、都会と田舎ではこれらの要因が等しく機能しているとは思えないのである。
土地区画整理事業における評価基準では、これらのウェイトは都市によって異なると明確に認識している。
しかし、鑑定世界でこのような議論がなされた或いは研究成果があるという話は聞いたことがない。
過疎地の商業地域には商業施設がほとんどなく、平均的利用が住宅地に近いところもある。
このような地域では、行政的条件は何の意味も持たない。
また、街路条件では都会では必ずしも広幅員の道路は歓迎されないが、雪の多い地域では除雪車の出入りができない道路は敬遠される。
接近条件は更に複雑である。
交通施設・利便施設相互の影響度合いや影響の有無、これら施設の影響距離・範囲等何一つ科学的データはない。
環境条件に至っては、まさに雲を掴むような話である。
実務上取引価格の差を道路・交通接近・行政的条件で説明できなければ、残りは環境条件による差と片付けるより他はない。
何故なら、環境条件を除くと格差率はともかく、誰が見てもその違いが解る。
つまり前三者は調査・測定すれば誰にでも比較的容易に把握が出来るので、ここであまり無茶をすることはできない。
しかし、環境条件(供給処理施設の有無を除く)は、外見からだけでは解らないから誰も確認できない。
例えば、地価公示の継続地点で年間30%上昇した地点とその周辺の10%上昇した地点の地域格差は環境条件が拡大したと考える他はないことになる。
つまり、道路・交通接近・行政的条件は道路改良や新駅開設・用途変更等がない限りその差は前年と同じはず、と考えられるからである。
そうだとすれば、地域格差は環境条件しか残らないので、やむなく環境条件だと片付けてはいるが、現地を見ると何が変わったのかはさっぱり解らない。
いずれにしても、要因相互の関係・影響度の強弱・何が影響施設となるのか等、解明しなければならない点は多々あると思われるが、このことを議論する人はほとんどいないし、科学的に解明しようとする機運も感じられないので非科学的アプローチは暫く続くのであろう。
地域要因はこの位にして、個別的要因をみることにする。
地域要因と重複する個別的要因は別にして、画地条件に係わるものだけをみることにする。
代表的なのは角地加算率である。角地加算率も評価者によってバラバラである。
何故かといえば、角地加算に関する実務的な研究がないから、各自思い思いに加算しているのである。
ただ、そうは言っても常識はずれの数値を使う訳にもいかないので、お上が決めた数値に準拠してそこから極端に離れないようにしているが、完全に右ならえしている訳でもない。
いずれにしても、角地加算が5%であり、6%にはならないということを証明できる人はいない。
その反対も同じである。
奥行きや規模にしても、同じ問題を抱えている。
我々が自明の理だと思っているこれらの要因や格差率が、取引の現場でも同じだという証明はできていない。
不動産鑑定評価の今日的課題 ~ Vol.3
2024.05.31
VOL.03 3.鑑定評価における技術とは何か
鑑定評価において必要な技術とは、一体どういうものなのであろうか。
鑑定評価に必要なのは判断力であり技術は必要はないのであろうか。
それともある程度の技術がなければ判断力は十全のものにならないのであろうか。
ここで鑑定評価に必要な技術とは一体何なのか考えてみたい。
鑑定評価は建築・土木・測量・化学・農業・林業等に関する技術的な知識の他に、法律解釈・判断という法技術的な側面、更には経済分析・市場分析等という経済分野に関する分析技術能力も必要とされる。
ところが、試験科目はこれらの技術的能力や分析能力を問う構成にはなっていない。
また、鑑定評価基準は般若心経の如く、いくら読んでもこれだけでは実際の鑑定評価はできない。
つまり、基準はあくまでも考え方の基本理念を示したもので、実際の作業に即使用可能なマニュアルとはなっていない。
したがって、各分野の専門的なことは机上で考えるだけである。
一般的な特に文科系出身の不動産鑑定士には実際に設計したり測量したりする能力も経験もない。
また、数学・統計学等を駆使して市場分析や経済分析する能力もない。
但し、ごく一部ではあるが、これらの技術・能力を備えている人も見受けられるが、普通の鑑定事務所でこれらの技術的能力を身につけることは不可能に近い。
私に出来ることはせいぜい講釈を垂れるだけで、実務能力はない。
したがって、表面的には先生といって立ててくれるが、陰ではバカにされるだけである。
まァ、時給千円から二千円程度にしかならない簡易鑑定ばかりやっている状態では、無理からぬことではある。
社会は冷徹なもので、不動産鑑定士の評価は鑑定報酬に具体的に表われている。
日雇い人夫並み、いやそれ以下の報酬で働かされている不動産鑑定士の技術・能力は無きに等しく、評価に値しないということであろうか。
話はそれてしまったが、個人的には評価に必要な技術というものを明確に意識したことはなく、また、これらについて実地に訓練されたこともない。
鑑定評価において必要な技術とは、一体どういうものなのであろうか。
鑑定評価に必要なのは判断力であり技術は必要はないのであろうか。
それともある程度の技術がなければ判断力は十全のものにならないのであろうか。
ここで鑑定評価に必要な技術とは一体何なのか考えてみたい。
鑑定評価は建築・土木・測量・化学・農業・林業等に関する技術的な知識の他に、法律解釈・判断という法技術的な側面、更には経済分析・市場分析等という経済分野に関する分析技術能力も必要とされる。
ところが、試験科目はこれらの技術的能力や分析能力を問う構成にはなっていない。
また、鑑定評価基準は般若心経の如く、いくら読んでもこれだけでは実際の鑑定評価はできない。
つまり、基準はあくまでも考え方の基本理念を示したもので、実際の作業に即使用可能なマニュアルとはなっていない。
したがって、各分野の専門的なことは机上で考えるだけである。
一般的な特に文科系出身の不動産鑑定士には実際に設計したり測量したりする能力も経験もない。
また、数学・統計学等を駆使して市場分析や経済分析する能力もない。
但し、ごく一部ではあるが、これらの技術・能力を備えている人も見受けられるが、普通の鑑定事務所でこれらの技術的能力を身につけることは不可能に近い。
私に出来ることはせいぜい講釈を垂れるだけで、実務能力はない。
したがって、表面的には先生といって立ててくれるが、陰ではバカにされるだけである。
まァ、時給千円から二千円程度にしかならない簡易鑑定ばかりやっている状態では、無理からぬことではある。
社会は冷徹なもので、不動産鑑定士の評価は鑑定報酬に具体的に表われている。
日雇い人夫並み、いやそれ以下の報酬で働かされている不動産鑑定士の技術・能力は無きに等しく、評価に値しないということであろうか。
話はそれてしまったが、個人的には評価に必要な技術というものを明確に意識したことはなく、また、これらについて実地に訓練されたこともない。