パラサイト北海道「アジアの中の北海道」 ~ Vol.6
2023.03.31
VOL.06 北海道にあってアジアにないもの
日本の中の北海道のイメージとしては、自然的条件(広さ・気候・風景等)・食材等と思われる。
しかしながら、広さを除くと日本のどこにでも四季はあり、美味しい食べ物もある。
したがって、観光という面だけでいえば、国内の他の地域を抜いてダントツの一位とはならない。
また、これまでに述べてきたように、国内需要は長期的にはどうあがいても減少すると考えざるを得ないのである。
しかし、目をアジアに向けると、北海道の長所を見つけることは簡単である。
北海道にあってアジアにないものを思いつくまま挙げてみる。
1.四季がハッキリしている
2.大陸的な自然条件を備えている
3.食材が極めて良好である
4.リゾートインフラがある
5.高度医療がある
6.交通インフラ、特に道路網の整備が行き届いている
7.避暑地にもなるし、冬季レジャーや温泉も楽しめる
8.そして何より近くて時差が少ない
アジアの人々が北海道以外でこれらの諸条件を備えた国に行こうとすれば、ヨーロッパや北米に行かなければならない。
移動時間・時差等を考えると、北海道は遠くてもせいぜい5~6時間、時差も1~2時間であり、しかも夏季・冬季のいずれの季節も楽しめる。
そしてアジアの人々は今、急速に経済力をつけている他、人口増加から需要は今後とも増加を続けるものと思われる。
拡大するアジアのマーケットは、北海道の全てを受け入れても余りある程巨大である。
縮小する国内マーケットの中では競争が激化し、弱肉強食となり、数多の生産者や企業は淘汰される。
身近にある巨大なマーケットを十分に研究し、北海道を売り込み、北海道の可能性を引き出すことによって、自立への道が拓かれるのではないだろうか。
日本の中の北海道のイメージとしては、自然的条件(広さ・気候・風景等)・食材等と思われる。
しかしながら、広さを除くと日本のどこにでも四季はあり、美味しい食べ物もある。
したがって、観光という面だけでいえば、国内の他の地域を抜いてダントツの一位とはならない。
また、これまでに述べてきたように、国内需要は長期的にはどうあがいても減少すると考えざるを得ないのである。
しかし、目をアジアに向けると、北海道の長所を見つけることは簡単である。
北海道にあってアジアにないものを思いつくまま挙げてみる。
1.四季がハッキリしている
2.大陸的な自然条件を備えている
3.食材が極めて良好である
4.リゾートインフラがある
5.高度医療がある
6.交通インフラ、特に道路網の整備が行き届いている
7.避暑地にもなるし、冬季レジャーや温泉も楽しめる
8.そして何より近くて時差が少ない
アジアの人々が北海道以外でこれらの諸条件を備えた国に行こうとすれば、ヨーロッパや北米に行かなければならない。
移動時間・時差等を考えると、北海道は遠くてもせいぜい5~6時間、時差も1~2時間であり、しかも夏季・冬季のいずれの季節も楽しめる。
そしてアジアの人々は今、急速に経済力をつけている他、人口増加から需要は今後とも増加を続けるものと思われる。
拡大するアジアのマーケットは、北海道の全てを受け入れても余りある程巨大である。
縮小する国内マーケットの中では競争が激化し、弱肉強食となり、数多の生産者や企業は淘汰される。
身近にある巨大なマーケットを十分に研究し、北海道を売り込み、北海道の可能性を引き出すことによって、自立への道が拓かれるのではないだろうか。
パラサイト北海道「アジアの中の北海道」 ~ Vol.5
2023.03.23
VOL.05 豊かになった人間の消費行動は世界共通
日本が豊かさを感じるようになったのは、高度経済成長の昭和40年代以降であろう。
戦後しばらくの間は、水道も十分ではなく、停電や給水停止も珍しくはなかった。
皇太子のご成婚を機に白黒TVが一気に普及し、洗濯機・冷蔵庫・クーラー等ともに三種の神器といわれ、サラリーマンの憧れの的であった。
その後に訪れたのがマイカーブームである。
また、農協観光に代表される団体旅行が一世を風靡したのは、つい30年ほど前である。
団体旅行は国内旅行から海外旅行に移り、世界のマーケットは日本人旅行客に熱い視線を送った。
現在は団体旅行から個人旅行へ、神風ツアーから余裕のある旅行へと移り、確実に豊かになったことを実感させている。
経済成長と共に所得が増大し、消費が拡大してきたのは、何も日本の専売特許ではない。
昨今の東京に行くと、なんとアジア系の旅行客の多いことか。
10年位前まではあまり目立たなかったが、昨今はシティホテルに泊まると大半がアジア系の旅行客であったりする。
東京にいるのに海外にいるのかと錯覚させるほどである。
豊かになった人間の消費行動は、万国共通である。
冷蔵庫・TV・クーラー・洗濯機・オーディオ機器・マイカー・持家の次にくるのは、ファッションの高度化、オシャレ関係(化粧品等)、食物の高級化、旅行等である。
事実、アジアの人々もこれまで以上にうまいものを食べ、旅行をし、レジャー等にいそしんでいる。
アジアの人々は、かつて日本人が1億総中流を感じたように、中流意識を持つ人々が増えるだろう。
旅行は非日常を体感する場であるから、海外旅行は今後ますます増加するであろう。
その中でも、スーパーリッチの余暇の使い方は、日本人の想像の外である。
日本人の現役世代が海外で1ヶ月も過ごすことは想像できないが、アジアのスーパーリッチはヨーロッパやアメリカのスーパーリッチと同じように、長期のヴァカンスを楽しんでいる。
北海道赤井川村にあるヤマハリゾートキロロにも、サムソンの会長が多勢のお供を連れて長期間滞在しているということをヤマハの関係者から聞いたばかりである。
アジアの中の日本、とりわけ北海道は、アメリカやヨーロッパと異なった文化や、アジアにない自然環境もあって、アジアの人々にとっては魅力的であるようである。
日本が豊かさを感じるようになったのは、高度経済成長の昭和40年代以降であろう。
戦後しばらくの間は、水道も十分ではなく、停電や給水停止も珍しくはなかった。
皇太子のご成婚を機に白黒TVが一気に普及し、洗濯機・冷蔵庫・クーラー等ともに三種の神器といわれ、サラリーマンの憧れの的であった。
その後に訪れたのがマイカーブームである。
また、農協観光に代表される団体旅行が一世を風靡したのは、つい30年ほど前である。
団体旅行は国内旅行から海外旅行に移り、世界のマーケットは日本人旅行客に熱い視線を送った。
現在は団体旅行から個人旅行へ、神風ツアーから余裕のある旅行へと移り、確実に豊かになったことを実感させている。
経済成長と共に所得が増大し、消費が拡大してきたのは、何も日本の専売特許ではない。
昨今の東京に行くと、なんとアジア系の旅行客の多いことか。
10年位前まではあまり目立たなかったが、昨今はシティホテルに泊まると大半がアジア系の旅行客であったりする。
東京にいるのに海外にいるのかと錯覚させるほどである。
豊かになった人間の消費行動は、万国共通である。
冷蔵庫・TV・クーラー・洗濯機・オーディオ機器・マイカー・持家の次にくるのは、ファッションの高度化、オシャレ関係(化粧品等)、食物の高級化、旅行等である。
事実、アジアの人々もこれまで以上にうまいものを食べ、旅行をし、レジャー等にいそしんでいる。
アジアの人々は、かつて日本人が1億総中流を感じたように、中流意識を持つ人々が増えるだろう。
旅行は非日常を体感する場であるから、海外旅行は今後ますます増加するであろう。
その中でも、スーパーリッチの余暇の使い方は、日本人の想像の外である。
日本人の現役世代が海外で1ヶ月も過ごすことは想像できないが、アジアのスーパーリッチはヨーロッパやアメリカのスーパーリッチと同じように、長期のヴァカンスを楽しんでいる。
北海道赤井川村にあるヤマハリゾートキロロにも、サムソンの会長が多勢のお供を連れて長期間滞在しているということをヤマハの関係者から聞いたばかりである。
アジアの中の日本、とりわけ北海道は、アメリカやヨーロッパと異なった文化や、アジアにない自然環境もあって、アジアの人々にとっては魅力的であるようである。
パラサイト北海道「アジアの中の北海道」 ~ Vol.4
2023.03.16
VOL.04 減少する国内マーケット、拡大するアジアのマーケット
前号にみたように、北海道の人口は2030年には約470万人となり、2000年に比較して約100万人の人口減少が予想されているが、民間の研究機関であるアトラクターズ・ラボ㈱による「日本の将来推計人口」(2001年12月推計)によれば、2100年までの人口の推移は次のとおりである。
これによれば、2100年の日本の人口は約3500万人で、ピーク時の約28%の水準である。2030年頃までは年間▲0.4%程度の減少で比較的ゆるやかな人口減少となっているが、それ以降は年間1%前後の減少率となっており、急速な人口減少が予測されている。
他方、高齢化率をみると、2020年でほぼ30%となり、3人に1人が65歳以上、2050年には2.5人に1人が65歳以上となり、高齢者大国となる。
北海道もこれと同様のトレンドにあると思われることから、2030年で100万人の人口減少で大騒ぎしている場合ではない。
2100年の札幌市の人口が60万人以下になる可能性は高い。
また、北海道全体でも約400万人以上の人口減少となるものと思われ、2100年の北海道の姿を想像することは恐ろしい。
このような長期的な人口減少トレンドの中では、消費の拡大を望む術はないし、消費拡大どころか、どうあがいても現在の枠組みの中では北海道経済どころか日本経済そのもの自体の存立も危ぶまれる。
我々は、人口減少時代にあっては拡大均衡の想定は困難であることを冷静に受けとめる必要がある。
いくら気休めを言っても、人口減少に歯止めをかけられないのであれば、絵に描いたモチである。
とりあえず今日・明日のことしか考えられない(私も含めて)が、パラダイムの変換をせまられているのは間違いない。
これまでの政策の常識は、これからは非常識とならざるを得ないことを自覚して、発想の転換ができるよう努力すべきときと考える。
ところで、視点をアジアに移すと、そこには人口爆発に伴う人口増加と経済発展による需要の増加があり、今後50年位はマーケットの拡大が期待できる。
国内マーケットは縮小による縮小を続け、全ての生産は過剰となることが予想される。
日本、ひいては北海道が生き残りをかけるとすれば、アジアのマーケットしかないことになる。
これまでアジア諸国の1人当りの国民所得が低かったため、農産物等の労働集約的な商品の市場競争力は低かったが、これからは相対的な所得格差の縮小から北海道も農産物の輸出大国になる可能性は高い。
前号にみたように、北海道の人口は2030年には約470万人となり、2000年に比較して約100万人の人口減少が予想されているが、民間の研究機関であるアトラクターズ・ラボ㈱による「日本の将来推計人口」(2001年12月推計)によれば、2100年までの人口の推移は次のとおりである。
これによれば、2100年の日本の人口は約3500万人で、ピーク時の約28%の水準である。2030年頃までは年間▲0.4%程度の減少で比較的ゆるやかな人口減少となっているが、それ以降は年間1%前後の減少率となっており、急速な人口減少が予測されている。
他方、高齢化率をみると、2020年でほぼ30%となり、3人に1人が65歳以上、2050年には2.5人に1人が65歳以上となり、高齢者大国となる。
北海道もこれと同様のトレンドにあると思われることから、2030年で100万人の人口減少で大騒ぎしている場合ではない。
2100年の札幌市の人口が60万人以下になる可能性は高い。
また、北海道全体でも約400万人以上の人口減少となるものと思われ、2100年の北海道の姿を想像することは恐ろしい。
このような長期的な人口減少トレンドの中では、消費の拡大を望む術はないし、消費拡大どころか、どうあがいても現在の枠組みの中では北海道経済どころか日本経済そのもの自体の存立も危ぶまれる。
我々は、人口減少時代にあっては拡大均衡の想定は困難であることを冷静に受けとめる必要がある。
いくら気休めを言っても、人口減少に歯止めをかけられないのであれば、絵に描いたモチである。
とりあえず今日・明日のことしか考えられない(私も含めて)が、パラダイムの変換をせまられているのは間違いない。
これまでの政策の常識は、これからは非常識とならざるを得ないことを自覚して、発想の転換ができるよう努力すべきときと考える。
ところで、視点をアジアに移すと、そこには人口爆発に伴う人口増加と経済発展による需要の増加があり、今後50年位はマーケットの拡大が期待できる。
国内マーケットは縮小による縮小を続け、全ての生産は過剰となることが予想される。
日本、ひいては北海道が生き残りをかけるとすれば、アジアのマーケットしかないことになる。
これまでアジア諸国の1人当りの国民所得が低かったため、農産物等の労働集約的な商品の市場競争力は低かったが、これからは相対的な所得格差の縮小から北海道も農産物の輸出大国になる可能性は高い。
パラサイト北海道「アジアの中の北海道」 ~ Vol.3
2023.03.09
VOL.03 インフラは本当に足りないのか
北海道における主要なインフラをみると、次のとおりである。
交通インフラ(空港・港湾・高速道路・鉄道)・通信インフラ・ライフラインインフラ・教育インフラ(小・中・高・大学・専門学校等)・高度医療インフラ・電力インフラ(水力・原子力)・農業インフラ等。
これらの高度インフラが全て装備されている国で、発展途上国はない。
つまり、北海道のインフラ装備率は質・量ともに先進国並みである。
2005年版の北海道経済要覧によれば、世界の主要国における北海道の位置づけは、次のとおりである。
■OECD諸国の国民所得の比較(14年)
これをみると、各国GDPでは世界第21位に、1人当りの国民所得では世界第14位にランクされる。
国民所得は、なんとドイツ・フランス・カナダ・イタリア・オーストリア・スペインより上である。
GDPは、人口にもよるからいたしかたないとしても、1人当り国民所得がG7を構成するドイツ・フランス・カナダ・イタリアより上なのである。
先にみたように、インフラの質・量は主要先進国並みにあり、1人当りの国民所得はG7の構成国中堂々の第4位、面積はオーストリアとほぼ同じ、人口はデンマークより上である。
世界主要国の中でもほぼ上位に位置している北海道が、公共事業や農業補助に依存しなければ経済的にやっていけない合理的理由は見当らない。
将来人口を考えれば、インフラは余っても足りないことはない。
世界主要国における北海道の位置づけをみても分かるように、本当に足りないのはインフラではなく、十分すぎる程所有しているインフラの効率的な使い方やチエである。
これだけのインフラがあって自立できないのは、親の金をアテにするパラサイト体質とチエの欠如である。
公共事業は金を手にする手取早い方法であるが、国の金をアテにして何かしようとするのは、親の金をアテにして家を出て行かない子供と同じで、真に子供や地域のためにはならないと考える。
北海道における主要なインフラをみると、次のとおりである。
交通インフラ(空港・港湾・高速道路・鉄道)・通信インフラ・ライフラインインフラ・教育インフラ(小・中・高・大学・専門学校等)・高度医療インフラ・電力インフラ(水力・原子力)・農業インフラ等。
これらの高度インフラが全て装備されている国で、発展途上国はない。
つまり、北海道のインフラ装備率は質・量ともに先進国並みである。
2005年版の北海道経済要覧によれば、世界の主要国における北海道の位置づけは、次のとおりである。
■OECD諸国の国民所得の比較(14年)
これをみると、各国GDPでは世界第21位に、1人当りの国民所得では世界第14位にランクされる。
国民所得は、なんとドイツ・フランス・カナダ・イタリア・オーストリア・スペインより上である。
GDPは、人口にもよるからいたしかたないとしても、1人当り国民所得がG7を構成するドイツ・フランス・カナダ・イタリアより上なのである。
先にみたように、インフラの質・量は主要先進国並みにあり、1人当りの国民所得はG7の構成国中堂々の第4位、面積はオーストリアとほぼ同じ、人口はデンマークより上である。
世界主要国の中でもほぼ上位に位置している北海道が、公共事業や農業補助に依存しなければ経済的にやっていけない合理的理由は見当らない。
将来人口を考えれば、インフラは余っても足りないことはない。
世界主要国における北海道の位置づけをみても分かるように、本当に足りないのはインフラではなく、十分すぎる程所有しているインフラの効率的な使い方やチエである。
これだけのインフラがあって自立できないのは、親の金をアテにするパラサイト体質とチエの欠如である。
公共事業は金を手にする手取早い方法であるが、国の金をアテにして何かしようとするのは、親の金をアテにして家を出て行かない子供と同じで、真に子供や地域のためにはならないと考える。
パラサイト北海道「アジアの中の北海道」 ~ Vol.2
2023.03.02
VOL.01 自立できない事情
北海道経済をみると、完全な中央依存体質となっている。
歴史的な背景もあると思われるが、明治以降約140年を経て、パラサイト体質は極めて強くなっている。
遺伝的になったと言っては言い過ぎであろうか。
このような体質の源は、明治政府の開拓政策にあったのではないかと思われる。
未開地であった北海道は、これといった産業がなかったため、一次産業を主とせざるを得なかった。
そして、一次産業の基盤整備の費用は、資本の集積もない未開地であったから、必然的に中央に依存せざるを得ないことになる。
経済の勃興期には、北海道のみならず発展途上国以外の国々に経済援助を行なうことはやむを得ないことである。
自立できない間の経済援助は当然と考えるが、問題は援助の仕方である。
日本の対外経済援助であるODAの評判は、必ずしも高くない。
世界で一、二位を争う経済援助を行なっていながら、何故かくも外国の評判が悪いのであろうか。
ODAは、拝金主義者の集りで、金さえあれば何でも買えると思っているのであろうか。
北海道が自立意識を持てなかったのは、ODAと同じような問題をはらんでいるからと思われる。
つまり、ODAの評判が悪いのは、資本の移転と技術の移転がないか、もしくは十分ではなかったことに起因しているものと考えられる。
いくら経済援助を行なっても、資本の移転と技術の移転がなければ、発展途上国は何時まで経っても発展途上国のままである。
経済的に自立するためには、資本の蓄積と技術の移転は必要条件である。
資本の蓄積や技術がなければ、一国の産業を興すことはできない。
日本型の援助は、結局のところ援助額の大半が日本に還流するため、相手方にパラサイト意識を醸成させるだけであったと思われる。
日本はお金によって相手国を思うようにできると思っているが、相手方は援助に名を借りた海外における公共事業としか思っていない。
つまり、日本のための援助だからいくらお金を使ってもあまり感謝されないことになる。
このようなお金の使い方が、北海道にもあてはまるのではないかと思われる。
一例を挙げると、ある地方空港のジェット化の工事である。
空港整備事業のような技術度の高い工事は、道内や地元の企業は、資金も技術もないため受注したくてもできない。
受注できるのは本州のスーパーゼネコンであり、工事金額の約3割は本社経費として東京に還流される。
設備機器や機材の多くは本州で生産されたものであるから、これらの費用も本州資本に還流される。
地元に落ちるのは、せいぜい骨材の一部(砂利・生コン)と日雇い労務者、ダンプ業者等で、工事金額のせいぜい2~3割と思われる。
これ以外に地元に間違いなく落ちるのは、糞・小便とゴミである。
これだけは東京に還流することはない。
冗談が過ぎたが、北海道における大型の公共事業は、その全てがスーパーゼネコンの手によるものと言っても過言ではないものと思われる。
したがって、公共事業をいくらつぎ込んでも、資本の蓄積や技術の移転が進まない。
そのため、地元企業はなかなか育たず、地元に就職できない若者は都会に出ざるを得なくなる。
これが戦後も延々と続いているのである。
東京に予算陳上して得た公共事業予算は、結局東京に還流され、北海道には資本の蓄積や技術の集積が進まないことになる。
市町村は地元に十分な資本力を有する企業や技術を有する企業が育たないため、本州大手企業に発注し、その下請けとして地元企業を使ってもらう他はないことになる。
その結果、地元に資本の移転や技術の移転が進まず市町村にも地元企業にも自立意識が育たないことになる。
北海道は永遠の発展途上国もどきのままである。
本当の発展途上国なら、海外から経済援助を呼び込むことが可能であるが、残念ながらそれは期待できない。
スポンサーである中央政府は、お金が無いからこれからは経済援助はありません、自立して下さいと言ってはいるが、遺伝的体質となったパラサイト意識を捨てるのは容易なことではない。
北海道経済をみると、完全な中央依存体質となっている。
歴史的な背景もあると思われるが、明治以降約140年を経て、パラサイト体質は極めて強くなっている。
遺伝的になったと言っては言い過ぎであろうか。
このような体質の源は、明治政府の開拓政策にあったのではないかと思われる。
未開地であった北海道は、これといった産業がなかったため、一次産業を主とせざるを得なかった。
そして、一次産業の基盤整備の費用は、資本の集積もない未開地であったから、必然的に中央に依存せざるを得ないことになる。
経済の勃興期には、北海道のみならず発展途上国以外の国々に経済援助を行なうことはやむを得ないことである。
自立できない間の経済援助は当然と考えるが、問題は援助の仕方である。
日本の対外経済援助であるODAの評判は、必ずしも高くない。
世界で一、二位を争う経済援助を行なっていながら、何故かくも外国の評判が悪いのであろうか。
ODAは、拝金主義者の集りで、金さえあれば何でも買えると思っているのであろうか。
北海道が自立意識を持てなかったのは、ODAと同じような問題をはらんでいるからと思われる。
つまり、ODAの評判が悪いのは、資本の移転と技術の移転がないか、もしくは十分ではなかったことに起因しているものと考えられる。
いくら経済援助を行なっても、資本の移転と技術の移転がなければ、発展途上国は何時まで経っても発展途上国のままである。
経済的に自立するためには、資本の蓄積と技術の移転は必要条件である。
資本の蓄積や技術がなければ、一国の産業を興すことはできない。
日本型の援助は、結局のところ援助額の大半が日本に還流するため、相手方にパラサイト意識を醸成させるだけであったと思われる。
日本はお金によって相手国を思うようにできると思っているが、相手方は援助に名を借りた海外における公共事業としか思っていない。
つまり、日本のための援助だからいくらお金を使ってもあまり感謝されないことになる。
このようなお金の使い方が、北海道にもあてはまるのではないかと思われる。
一例を挙げると、ある地方空港のジェット化の工事である。
空港整備事業のような技術度の高い工事は、道内や地元の企業は、資金も技術もないため受注したくてもできない。
受注できるのは本州のスーパーゼネコンであり、工事金額の約3割は本社経費として東京に還流される。
設備機器や機材の多くは本州で生産されたものであるから、これらの費用も本州資本に還流される。
地元に落ちるのは、せいぜい骨材の一部(砂利・生コン)と日雇い労務者、ダンプ業者等で、工事金額のせいぜい2~3割と思われる。
これ以外に地元に間違いなく落ちるのは、糞・小便とゴミである。
これだけは東京に還流することはない。
冗談が過ぎたが、北海道における大型の公共事業は、その全てがスーパーゼネコンの手によるものと言っても過言ではないものと思われる。
したがって、公共事業をいくらつぎ込んでも、資本の蓄積や技術の移転が進まない。
そのため、地元企業はなかなか育たず、地元に就職できない若者は都会に出ざるを得なくなる。
これが戦後も延々と続いているのである。
東京に予算陳上して得た公共事業予算は、結局東京に還流され、北海道には資本の蓄積や技術の集積が進まないことになる。
市町村は地元に十分な資本力を有する企業や技術を有する企業が育たないため、本州大手企業に発注し、その下請けとして地元企業を使ってもらう他はないことになる。
その結果、地元に資本の移転や技術の移転が進まず市町村にも地元企業にも自立意識が育たないことになる。
北海道は永遠の発展途上国もどきのままである。
本当の発展途上国なら、海外から経済援助を呼び込むことが可能であるが、残念ながらそれは期待できない。
スポンサーである中央政府は、お金が無いからこれからは経済援助はありません、自立して下さいと言ってはいるが、遺伝的体質となったパラサイト意識を捨てるのは容易なことではない。