不動産鑑定評価の今日的課題 ~ Vol.1
2024.05.17
VOL.01 不動産鑑定の世界は不思議ワールド

 振り返ってみれば、鑑定評価の世界に入って早30年になろうとしている。

 受験勉強に苦しんだあの頃の思い出はホロ苦い。

 個人的には不動産と縁のない世界から飛び込んだため、最初は戸惑うことが多かった。
 それまでは、10分の1ミリから数百分の1ミリの精度が要求される技術の世界で仕事をしていたため、精度の基準がない世界は恐怖でもあった。

 価格形成要因とは何かをテキストでは覚えていたが、現実の世界は似て非なるものに感じられた。
 まして格差率は一体誰が何を基準に決め、どのように検証してきたのか皆目検討もつかないシロモノである。

 当時どうして格差率が決まるのか全く理解できないので、少ない文献を漁ったが、どの本にも格差率がどのように決まるのかは書いていなかった。
 謎は深まるばかりであった。

 他方、修行先の先生は地価公示の幹事であったため、分科会の評価員の評価書のチェックを随分やらされたが、その内容たるや不思議ワールドの連続であり、頭の悪い駆け出しの見習いにとっても極めて荷の重い仕事でもあった。

 チェックと言っても出来るのは計算チェックのみで、後は誤字・脱字の類である。
 それにしても同一事例を使用しているのに、標準化補正・地域格差等の整合性のなさには全く驚きであった。

 一例を挙げると、角地の補正が+3~+7、二方路の補正が+1~+10と極端にかけ離れている他、地域格差もバラバラであるのに比準価格はA鑑もB鑑も5%以内に納まっている。
 これは一体どういうことなのか。
 何か仕掛けがあるのか、それとも悪い夢を見ているのか、日夜悩んだものである。

 1年位すると、結局評価者のモノ差しがバラバラで、特に基準はないということが解ってきた。
 モノ差しがバラバラであるから、相互にその内容をチェックすることはできないし、意味のないことである。

 メートル・尺・ヤード等の測定単位はバラバラであるが、換算率は決まっているので相互にそのチェックは可能である。
 しかし、鑑定評価の世界では、評価者のモノ差しの基準がないので、評価そのものを第三者がチェックし、その妥当性の検討や誤差の指摘はできない。
 技術の世界では考えられない鑑定ワールドが広がっていたのである。

 技術の世界から飛び込んだ私にとって、この世界は新世界であり新発見の連続であったが、他方、技術の世界のように検証ができないので、どこまでやっても不安の連続で、ノイローゼになりかかった時期があった。

 その時に思ったのは、自分にはこの仕事は向かないのではということであった。

 評価とは、つまるところ思う・思わない・良い・悪いを各自好きな数字を並べて議論するものであり、余程常識からかけ離れた数字を使わない限り第三者がその当・不当を論じたり証明することはできないものであるということである。

 このような漠然とした不安定な世界は技術の世界から見れば容認できないし、まして技術革新とは縁の遠い世界である。
 まがりなりにも数百分の一ミリの精度を要求される世界を見てきた私にとって、受け入れ難い世界と感じていたのも事実である。

 結局2年の実務経験で鑑定世界に別れを告げ、土地区画整理コンサルをやっている公益法人に転職したのだが、数年を経ずしてまた鑑定世界に戻ってしまった。

 それが良かったのか悪かったのかは今もって良く解らない。

 生活できたのだからそれで良しとするか、それとも幾ばくかの良心を切売りしたことに対して自責の念を持ち続けるかは、今暫く答えを出せないでいる。
2024.05.17 13:28 | 固定リンク | 鑑定雑感
曲り角にきた地方財政と土地評価の課題 ~ Vol.5
2024.05.09
VOL.05 評価権と課税権の分離

 前述したとおり、地方では地価水準と行政サービスの対応性は希薄であり、応益税として土地評価を精緻化してもあまり意味はない。

一方、納税者も地価水準が年々下がっているのに負担調整により結果として税額が増加しているため、増税感から固定資産評価に対する不満は尽きない。

 これを回避する方法としては、現在の評価を一時固定し、指数に置き換え、地方財政の所要額が決まったら、その額を前記の指数で除して一点当りの負担額を求め、これを所有土地毎の指数に乗じて徴収することが考えられる。

但し、この場合であっても指数化前は評価が前提となっているため、評価の精緻化を議論されると根本的な解決にはならない。

しかし、納税者が必要とするならば、納税者の費用負担で評価の精緻化を実現するということも考えられる。
そういう意味では固定資産税の賦課主義の修正となるが、課税庁が一方的に百点満点の評価ができるとする現在の仮想社会を見ると、一部申告主義の導入について検討する余地は十分にあるものと思われる。

 他方、大都市では行政サービスと地価水準の対応関係は大きくは崩れておらず、また地価水準も高いことから土地評価をしないということには抵抗があるかもしれない。
 何故なら大都市では価格水準が高いため、納税者は評価について敏感であるからである。

 しかし評価の精度を上げるために多額の予算を使っても直接的な行政サービスの向上にはつながらないので納税者は喜ばない。

 また、課税事務は極めてスキルの高い仕事であるが、財政上、人事管理上、十分な経験と訓練を積ませる余裕はない。
 人もない、金もない、時間もないという状況下では、課税庁も納税者も十分納得できるような仕事はできない。

 ところで、昨今国税庁による相続税路線価設定地域が全国的に拡大している。

 前述の総合土地政策推進要綱の中でも、公的評価相互の均衡化・適正化がうたわれていることから、固評路線価、相評路線価のバランスも重要な業務となっている。

 しかし固評は3年毎、相評は毎年であり、評価替時以外は市町村との協議が十分になされているとはいえない。結果として、3年毎に相評とのバランスチェックを行なうことになるが、評価担当者が異なるため必ずしも十分な均衡化は得られない。

 公的評価は現在のところ地価公示は国交省、地価調査は知事、相評は国税庁、固評は総務省、市町村と四重行政になっているが、これらが何とか機能しているのは公的評価の全てに不動産鑑定士が関与しているからである。

 しかし行財政改革の中で公的評価の予算も着実に削減されていることから、全国を一律的に評価の均衡化・適正化を図ることは困難になるものと思われる。
 
 公的評価の均衡化・適正化が国の重要課題というのならば、いっそのこと評価は全て国ないし独立機関が行ない、国・市町村はその評価を基に課税・徴収することにすれば無駄が省け、国・市町村・住民にとってそのメリットは大きいものと考える。
 行政サービスの対価を当面評価で計量し、負担額を求めるというのであれば、評価権と課税権を分離し、評価は国又は独立機関が行ない、課税はその評価に基づき市町村が行なうことにすれば、より効率的で国・納税者にとっても負担は少ないものと思われる。

 尚、評価権と課税権の分離については、東京都税制調査会が平成17年度の税制調査会答申で提言しているので、その概要を紹介して終わりとする。

 東京都税制調査会答申の第2部では、地方分権時代にふさわしい固定資産税制と題し、固定資産税の問題を次のように指摘している。




 『現行の固定資産税制は、社会経済状況の変化に対応するために様々な調整措置、特例措置を積み重ねてきた結果、複雑でわかりにくいものとなっている。とりわけ、バブル経済の生成・崩壊の過程で生じた地価の異常な高騰・下落は、固定資産税制に歪みをもたらし、納税者の理解を得ることが困難な原因となっている。
 また、急激な税負担の上昇を緩和するために設けられた長期間にわたる負担調整措置は、バブル経済の崩壊に伴う地価の下落局面いおいても税負担が上昇するという現象を招き、納税者からは「地価が下がっているのに固定資産税が上がるのは納得がいかない」という批判が相次いだ。

 加えて、負担水準の考え方が導入され、制度がさらに複雑化したため、納税者はますます固定資産税制に対する不信感を募らせる結果となった。こうした不信感を放置したままでは、固定資産税制のみならず、いずれ税制そのものへの信頼感を喪失させてしまうことになりかねない。

-略-

 固定資産税は、地方自治の担い手である市町村にとって、極めて重要な財源である。
 地方分権の時代にふさわしい固定資産税制を実現するため、簡素でわかりやすいものとなるよう抜本的な改正を行なうとともに、地域の実情や特性に応じて課税の仕組みを換えられる余地を増やすなど、制度を再構築していかなければならない』


と同答申は指摘している。



 そして、これらの点を踏まえて①固定資産評価法(仮称)の創設、②資産評価機構(仮称)の設置を提言している。

 現行の評価基準に代えて固定資産評価法を定め、固定資産の価格の定義や算定方法などについて疑義が生じないようにしていくことが必要としている。

 ②の資産評価機構については、固定資産評価員制度が転機にあること、課税の基礎となる評価額の信頼性及び統一性を確保することはより重要であるが、現行の市町村を単位とした評価体制には一定の限界があることから、評価機能を充実させるとともに、評価の客観性・透明性を確保し、専門性(評価技術)を向上していく観点から、評価体制を広域的に集約し、かつ評価を課税庁から独立して行うことが必要であると指摘し、そのために各市町村が併せもつ固定資産の評価権と課税権を分離し、都道府県ごとに評価権を集約した「資産評価機構」の設置を提言している。

 尚、同答申によるイメージ図は次のとおりである。




(2008年9月「曲り角にきた地方財政と土地評価の課題」)

2024.05.09 09:05 | 固定リンク | 鑑定雑感
曲り角にきた地方財政と土地評価の課題 ~ Vol.4
2024.04.25
VOL.04 客観的交換価値と7割評価の功罪

 固定資産(土地)の評価水準を公示価格等の7割水準に引き上げた途端に地価水準は大きく下落に転じ、これに一連の行財政改革の影響もあって地方経済は危機的な状況に陥っている。

このような中で、7割評価によって限りなく実勢地価に近づいた固定資産税評価額に納税者の関心が集まるのは仕方のないことである。

固定資産税は課税庁によって一方的に評価・課税されるため、このプロセスに関与できない納税者の不満は尽きない。

7割評価導入時は評価水準をめぐる争いが多かったが、最高裁判決により7割水準の妥当性が認められた。
 反面、客観的交換価値を上回れば、上回った分は違法とされ、取り消しの対象となることが確定したが、このことにより今後は一筆評価を巡る審査申出等が増加するものと予測される。

 ところで、標準宅地については公示価格等によるため間違っても客観的交換価値を上回ることはない。

 しかし、客観的交換価値を一筆ないし一画地毎に把握しておかなければならないとすると、固定資産評価は課税庁にとって極めて荷の重い仕事となる。

 つまり、課税庁が標準画地の価格から画地計算の附表を適用して算定された一筆毎の評価額が客観的交換価値を超えているのかいないのかを判断することは現実的には無理であるからである。

 課税庁に不動産鑑定士や経験豊かな評価に精通した職員がいるのなら話しは別であるが、昨今の地方財政の硬直性から人員配置も予算もままならないような現況下では人材を確保することは容易ではない。

 最近の最高裁の判例をみると、客観的交換価値と7割水準の関係は、一筆、一画地のレベルでも必要とされるようであるから、課税庁としては必然的に固定資産評価の精緻化の方向に向わざるを得なくなる。

 言葉を換えれば、7割評価は課税庁にとってより詳細な課税客体の把握と画地計算附表以外の価格形成要因の把握・分析という重荷を課したということになる。

 地方経済の低迷と行財政改革・少子高齢化という三重苦の中で、客観的交換価値を目指して固定資産評価の精緻化に向うことは、財政破綻を招来することになるのかもしれない。

 大都市圏と地方圏の極端な二極化の中で、大都市も地方都市も同じレベルで固定資産評価に対応するのは困難と考えざるを得ない。
2024.04.25 14:00 | 固定リンク | 鑑定雑感

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