相互不信社会とコンパクトシティの行方 ~ Vol.1
2021.11.25
VOL.01 再開発ビル青森市アウガ落城 
 東奥日報(2月16日)及び区画再開発通信(3月15日区画整理・再開発対策全国連絡会議発行)によれば、青森市が全国に先駆けてコンパクトシティを提唱し、中心市街地活性化を目指し、青森駅前地区に建築された第二地区再開発ビルである『アウガ』が、商業ビルとしての経営に失敗し、これを救済するため全館を公共化するということになったとのことである。

 全国的には、商業再開発が破綻するケースが相次いでいるが、青森よ、お前もかという思いにさせられた。

 ところで、前記によれば、全ての床を青森市が買い取ることで第三セクターの赤字を解消し、残債務は青森市が放棄することで最終決着したとのことである。

 この第二地区は平成13年に完成し、百貨店をキーテナントとして誘致したがそれもかなわず、5階から上は青森市が図書館等を入居させ、地下から4階までの商業床の大半は第3セクターが買取り、商業経営の収支で買取代金の返済をする予定であったが、バブル崩壊や人口減少・少子高齢化等もあって客足が伸びず、赤字が累積し、行き詰まったことから、商業ビルとしての機能をあきらめ、役所機能を移す方針を決めたとのことである。

 時代が悪いといえばそれまでであるが、長期人口減少時代に突入していることを考えると、コンパクトシティ構想にも一定の限度があることを思い知らされた。

 これまでの街づくりで一番問題であると思うのは、サプライサイド的な発想で、入れ物を造ることが先で、利用は後から考えるという姿勢にあることである。

 本当のところは、コンパクトシティに名を借りた公共事業であり、完成後の利用や維持管理のあり方を先送りした結果ということではないかと思うのである。

 形を変えた公共事業であるから、そこには必ずしも住民の意思が十分に反映されたとはいえなかったのではないかと思われる。

2021.11.25 17:55 | 固定リンク | 鑑定雑感
空家とコンパクトシティと試される住民意識 ~ Vol.3
2021.11.18
VOL.03 試されるのは住民意識と民主主義

 これまで成長経済の流れに乗ってきた日本人は、口では民主主義と言いつつも、その実は国家の庇護や国家がもたらすであろう利益にぶら下がってきたに過ぎないと思っている。

 受益を声高に主張するが、負担については避けようとしている。

 上は国会議員から、下は市町村議員まで、選挙の時は住民の負担軽減を公約に掲げるが、負担の増大を公約にすることはない。

 問われるべきは、受益かさもなくば負担かではなく、受益と負担のバランスをどう取るかということではないかと考える。

 行政サービスを十分に受けたいが、負担は嫌というのは、民主主義的とは言えない。

 我がマチの行政サービスの質と量を決めるのは、住民の意識と考える。

 負担が嫌なら、行政サービスの質・量を減らすしかないが、選挙の時には何か魔法の杖でもあるかのように錯覚を与え、負担は最小・受益は最大と思わせるが、そんなことはまやかしであると見抜けない住民(国民)にも、責任の一端はあるのではと思うのである。

 都市計画は、いわば国家の最小単位である市町村の将来像を図示したものと考えるが、それが絵に描いたモチにすぎなかったことが、50年もかからないうちに明らかとなってしまった。

 日本人は、戦術において比較的優れた能力を発揮するようであるが、戦略となると、その能力を発揮できないようである。

 都市計画は、まさに都市の長期戦略を図示したものともいえるが、結局50年・100年後にどういう都市にしたいのか、明確な戦略も持たずにここまで来てしまったのではと思うのである。

 もっとも、都市計画策定に当たって、住民との十分な合意形成がなされたのかどうかは判然としない。

 経験的には、縦覧と称して、都市計画案を見せてやるという上から目線の計画であり、そこには地域住民の十分な合意形成がなされたとは到底思えないのである。

 そうでなければ、2階程度の一般住宅しか見当たらない地域を中高層住居専用地域に指定し、中高層建物の建築計画が持ち上がれば日照権だの眺望権だのと後出しジャンケンのように苦情を言うなんてことはないはずであるからである。

 地域住民にとっては、中高層住居専用地域に指定されたことの意味なんて、恐らく知る由も無かったからこそ、マンションなんてケシからんと大騒ぎするのである。

 もっとも、全て行政に責任がある訳ではなく、責任を自覚しない議員と、そういう人を選んだ住民や民主主義とは何かを十分自覚しないまま大人になった我々の責任も大きいと言わなければならないと思うのである。

 コンパクトシティ構想も、都市計画の一つであるとすれば、コンパクトにした後どうなるのか、20年・30年もすれば、マチそのものが消滅しかねない可能性を前提に、持続可能な都市とは何かを住民自らが考える必要があると思うのである。

 私はマチを出て行くが、後は残った人間で考えてくれというのは、無責任という他はないが、現実はそうなっているのである。

 コンパクトシティ構想も、ある意味重要と考えるが、これまでの思考の延長で計画するのであれば、失敗は目に見えていると思わざるを得ない。

 マチ作りで試されているのは、実は行政の手腕ばかりではなく、住民の意識であると考える。

 民主主義とは、自らを治める意識という認識がなければ、都市計画はもたないと思うのである。

 国民の上から下までパラサイト意識に染まった日本に、本当の民主主義が花開くのか、まさに試されようとしていると自覚すべきであると考える。

 鑑定士もそろそろ国家に何をしてくれるのか問うのではなく、自らが何をできるのか、言葉を換えれば国家・国民の負担を最小にするためには何をどうすべきかを自らに問うべき時代にいると認識すべきである。

 パラサイト意識・パラサイト体制から決別できる時代が来ることを、念じずにはいられない。

(2016年3月 月刊「不動産鑑定」掲載/「空家のコンパクトシティと試される住民意識」)

2021.11.18 11:43 | 固定リンク | 鑑定雑感
空家とコンパクトシティと試される住民意識 ~ Vol.2
2021.11.12
VOL.02 コンパクトシティとゴーストシティ

 コンパクトシティという言葉が空家問題とともにクローズアップされているが、言葉を換えれば拡大してしまった都市機能を、少子高齢化から人口規模に合わせて縮小しようということになるのでは、と思っている。

 都市機能をマイホームブームに乗って拡大したことも、少子高齢化から縮小しようとしていることも、サプライサイド的な発想ではないかと思うのである。

 住民の意識よりコスト優先、悪く言えば利益優先にしか見えない都市政策には、疑念を抱かざるを得ない。

 都心部に都市機能を集約することは合理的と思われるが、同世代が中心となっては、ニュータウンと同じ道を歩むのは目に見えている。

 サスティナブルな都市とは一体どういう都市なのか、絵は描けないが、人口半減の意味するところは、所詮コンパクトシティもゴーストタウンの一里塚ということになるのであろうか。

 財政負担の問題もあって、このままで良いとは思えないが、住民意識の十分な反映がなければ、町は成り立たない。


 ところで、行政サービスは、上から与えられるものと思っている人が多い。

 独裁国家・奴隷国家ではないのであるから、行政サービスの質・量を決めるのは住民であるのに、江戸時代の意識から抜け出せずにいるせいか、御上の意向を伺いながらも、時には度を超すような我儘をいうこともあるのは、困ったものである。

 行政サービスは無料ではないのであるから、負担を好まない住民は不便を我慢するしかないと思うのである。

 いくらコンパクトシティと言っても、住民の意識が変わらなければ、都市機能はコンパクトにはならない。

 とすれば、少子高齢化とこれによる人口減少から、インフラの一人当たりの維持管理コストは増大し、やがて夕張市のように財政破綻し、それでも維持できなければ町を捨てざるを得ないことになる。

 2050年頃には無居住化地域が全国で20%を超える(ちなみに北海道は50%を超えると言われている)と言われているが、裏を返せば、無居住化地域即ちゴーストタウンの出現ということになる。

 残された時間は少なく、また、国・地方合わせて1300兆円を超える債務残高を考えると、この流れを誰も食い止めることはできないと思うのである。

 但し、一部の地域では、コンパクトシティ構想が実現するかもしれないが、多分大都市圏の一部に限られるのではないかと思っている。

 そもそも人がいなければ、手の打ちようが無いのである。
2021.11.12 16:58 | 固定リンク | 鑑定雑感
空家とコンパクトシティと試される住民意識 ~ Vol.1
2021.11.04
VOL.01 ニュータウン・オールドタウン・ゴーストタウン


 昭和40年代に始まった住宅ブームは、高度経済成長に伴う所得の向上による住宅購入意欲の増大と、政府による住宅金融政策等が相まって、土地神話と言われた程の持続的かつ大幅な地価上昇をもたらした。

 このままでは土地が買えなくなるとの国民の危機的意識もあって、昭和49年に土地取引の規制を目的とした国土利用計画法が制定された。

 その後のオイルショックもあって、一時地価上昇も沈静化したものの、昭和60年頃からダブついたお金が再度土地に向かい、バブルが発生したが、強力な金融政策によって平成3年頃をピークに、バブルは崩壊した。


 ところで、住宅ブームに乗った団塊世代は、夢のマイホーム取得へと突き進み、それによって住宅地も郊外へ郊外へと広がり、都心までの通勤時間が2時間というニュータウンが首都圏を中心にあちらこちらに出現した。

 これらのニュータウンの住人は、30歳前後の若い人が大半であった。

 あれから40年、かつての若い団塊世代も、高齢者の仲間に入ってしまったのである。

 戦後の食べることにも苦労していた世代が集団就職で上京し、庭付き一戸建てを人生の全てと錯覚していたとしても、誰も責めることはできない。

 しかし、定年退職後に待っていたのは、資産価値の著しく減少したマイホームであった。

 老朽化したマイホームを建て直ししたいが、資金もなく、都心に働きに出て行った子供達も帰ってくることもない。

 階段の上り下りもしんどくなり、老々介護が限界となり、老健施設や病院のお世話になりたいが、そこも老人で溢れ、順番待ちとなっている。


 これまでの街づくりで一番問題であったのは、同世代に対応した街づくりであったことではないかと思っている。

 つまり、居住者の高齢化に伴い、夢のニュータウンもオールドタウンになったにすぎないからである。

 オールドタウンを構成する老朽家屋は、気がつけば売れない・貸せない・壊せないの三無い不動産となり、空家が大量に発生しつつある。

 人口が増加していれば、こんなことにはならなかったはずであるが、政府による人口抑制策もあって(今となっては信じられないが)、気がついたら少子高齢化で、全国に空地・空家が大量に発生してしまったのである。

 現在、官民あげて少子高齢化対策に本腰を入れようとしているが、つい40年程前には人口抑制策が取られていたことを、皆忘れてしまっているのである。

 少子高齢化は、人口抑制策の結果かもしれないということを、検証する必要があると考える。

 いずれにしても、オールドタウンが、あと数十年もしないうちにゴーストタウンにならないことを祈るばかりである。
2021.11.04 16:22 | 固定リンク | 鑑定雑感

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