トウキョウイズジャパン ― 田舎不動産の独り言 ― Vol.6
2021.07.29
VOL.06 トウキョウイズジャパン
この国の行政・経済の中枢は東京である。
東京をはじめとする大都市では、土地利用の規制や建物の利用規制、更には老朽家屋の建て替え・コンバージョン・リノベーション・シェアハウス・長屋の再発見等とかいろいろと取り沙汰されているが、我輩と違ってご主人様が大勢いるか、来てくれる可能性のある場所でのみ成り立つ議論である。
いくら立派な都市計画図を作っても、工場のない工業地域や店のない商業地域、さては2階建を超える建物がないのに容積率が200%・400%の住居系・商業系の用途地域等、都市計画図に色塗られた用途地域と無関係な町は多い。
今後50%を超える地域が無居住化すれば、立派な都市計画図は昭和レトロのセピア色に褪色するのであろう。
一方、日本の政治・経済の中枢機能は東京にあるため、不動産の利用に関する題言・議論は全て東京中心となる。
東京では、高度利用を促進するため容積率の移転等という便利な方法があるらしいが、我輩は田舎の不動産であり、1センチたりとも動けないので大都市の恩恵を受けることはできない。
できるのは田舎の有り余る容積率を東京に売却すること位で、それができれば田舎の市町村も一時はお金が入り、楽になるのではと期待している。
その一方、北海道の余剰容積率を全て東京に売却すると、東京は今の2倍以上の建物が建てられることになるので地価は下がり、東京の住民は皆喜ぶと思うのである。
しかし、地価が下がると困るご主人様も多いのが真実である。
ご主人様は困ったもので、買うまでは安い方が良いと言い、買ったら高い方が良いと言うのである。
自己矛盾も甚だしいが、それが現実である。
いずれにしても、我が国の土地政策はほとんどが大都市中心の発想である。
我輩のような田舎不動産には何の関係もないのであるが、大都市の理屈を田舎にも同じようにあてはめようとするから困ったものである。
この国は、所詮東京が全てである。
東京の問題が日本の問題であり、その問題を解決することが日本の問題を解決することになると思っているので、田舎はおかまいなしとなる。
田舎の現実が見えないのであるから、それも仕方のないことであるが、末梢神経のその先で起きつつある病変は、やがて全身に回ると知るべきである。
東京だけで日本が成り立つのなら、トウキョウイズジャパンという考え方もあると思うが、原発でさえ都内に立地できない程安全性に問題があるのなら、トウキョウイズジャパンという考え方は改めてもらいたいと思うのである。
もっとも、資本主義のありとあらゆる利益を貪りながら、それによって引き起こされる悪徳や不都合には何時もブツブツ文句ばかりを言っているご主人様は極めて不合理で不健全と思うのであるが、正直もう少し何とかならないものかと気を揉んでいる。
一センチたりとも動けない我輩としては、ご主人様のなされるまま、時の過ぎゆくままに流される他はないものとあきらめるしかないのであろう。
隣の芝生は青いというが、我輩も芝生の青い東京に行ければいいのだが、それもかなわぬ夢である。
北海道開拓の歴史は逆回転し、 100年後は原生林の生い茂る山野に帰すのかもしれない。
世界では人口爆発だというのに、一体どうしたものなのであろう。
大都市と田舎をめぐる矛盾は大きく、その闇は深い。
一体日本は何処に行くのであろうか。
世界に冠たる高齢化・少子化と急速な人口減少という前人未踏の現実に対応する手本はない。
ガンバロウ!!試される日本!!試される北海道!!試される田舎!!
この国の行政・経済の中枢は東京である。
東京をはじめとする大都市では、土地利用の規制や建物の利用規制、更には老朽家屋の建て替え・コンバージョン・リノベーション・シェアハウス・長屋の再発見等とかいろいろと取り沙汰されているが、我輩と違ってご主人様が大勢いるか、来てくれる可能性のある場所でのみ成り立つ議論である。
いくら立派な都市計画図を作っても、工場のない工業地域や店のない商業地域、さては2階建を超える建物がないのに容積率が200%・400%の住居系・商業系の用途地域等、都市計画図に色塗られた用途地域と無関係な町は多い。
今後50%を超える地域が無居住化すれば、立派な都市計画図は昭和レトロのセピア色に褪色するのであろう。
一方、日本の政治・経済の中枢機能は東京にあるため、不動産の利用に関する題言・議論は全て東京中心となる。
東京では、高度利用を促進するため容積率の移転等という便利な方法があるらしいが、我輩は田舎の不動産であり、1センチたりとも動けないので大都市の恩恵を受けることはできない。
できるのは田舎の有り余る容積率を東京に売却すること位で、それができれば田舎の市町村も一時はお金が入り、楽になるのではと期待している。
その一方、北海道の余剰容積率を全て東京に売却すると、東京は今の2倍以上の建物が建てられることになるので地価は下がり、東京の住民は皆喜ぶと思うのである。
しかし、地価が下がると困るご主人様も多いのが真実である。
ご主人様は困ったもので、買うまでは安い方が良いと言い、買ったら高い方が良いと言うのである。
自己矛盾も甚だしいが、それが現実である。
いずれにしても、我が国の土地政策はほとんどが大都市中心の発想である。
我輩のような田舎不動産には何の関係もないのであるが、大都市の理屈を田舎にも同じようにあてはめようとするから困ったものである。
この国は、所詮東京が全てである。
東京の問題が日本の問題であり、その問題を解決することが日本の問題を解決することになると思っているので、田舎はおかまいなしとなる。
田舎の現実が見えないのであるから、それも仕方のないことであるが、末梢神経のその先で起きつつある病変は、やがて全身に回ると知るべきである。
東京だけで日本が成り立つのなら、トウキョウイズジャパンという考え方もあると思うが、原発でさえ都内に立地できない程安全性に問題があるのなら、トウキョウイズジャパンという考え方は改めてもらいたいと思うのである。
もっとも、資本主義のありとあらゆる利益を貪りながら、それによって引き起こされる悪徳や不都合には何時もブツブツ文句ばかりを言っているご主人様は極めて不合理で不健全と思うのであるが、正直もう少し何とかならないものかと気を揉んでいる。
一センチたりとも動けない我輩としては、ご主人様のなされるまま、時の過ぎゆくままに流される他はないものとあきらめるしかないのであろう。
隣の芝生は青いというが、我輩も芝生の青い東京に行ければいいのだが、それもかなわぬ夢である。
北海道開拓の歴史は逆回転し、 100年後は原生林の生い茂る山野に帰すのかもしれない。
世界では人口爆発だというのに、一体どうしたものなのであろう。
大都市と田舎をめぐる矛盾は大きく、その闇は深い。
一体日本は何処に行くのであろうか。
世界に冠たる高齢化・少子化と急速な人口減少という前人未踏の現実に対応する手本はない。
ガンバロウ!!試される日本!!試される北海道!!試される田舎!!
(2013年2月 Evaluation no.48掲載/「トウキョウイズジャパン ― 田舎不動産の独り言」)
トウキョウイズジャパン ― 田舎不動産の独り言 ― Vol.5
2021.07.21
VOL.05 国土政策審議会レポートにみる北海道
当該レポートによれば、2050年の北海道では50%を超える地域が無居住化すると予測している。
市町村イコール地域ではないが、それにしても後38年で人の住むことの無い地域が50%を超えるのである。
もっとも、人口問題研究所の長期人口推計によれば、そのような予測結果は当然のことと思われるが、我輩は後10年~15年でこの流れがハッキリしてくるものと考えている。
ところで、ある地域が無居住化するとは、その地域の建物は全て空き家になるということである。
昨今は空き家条例を整備し、危険家屋は行政が取り壊し、その費用を所有者に請求するとしている。
しかし、実行性はあるのであろうか。
無居住化しつつある地域の地価は、二束三文にもならない。
住宅を取り壊しても、土地が売れる訳でもなく、大体が土地価格より取り壊し費用の方が高いのである。
更に問題なのは、このような地域の建物所有者は高齢化しており、取り壊し費用の負担ができない。
また、相続すると負の財産となるので、相続放棄されるのがオチである。
止めどもなく下落する地価、買手・利用する人のいない家屋が老朽家屋から廃屋になるのに、大して時間はかからない。
後40年弱で北海道中に廃屋銀座が出現するかもしれないと思うと、茫然とする他はない。
不動産は使ってなんぼの世界である。
住む人・使う人がいなければ、無用の長物である。
実際、道北のある市で、危険倒壊家屋を税金で取り壊した例がある。
もちろん取り壊し費用の方が土地代より高いので、所有者から寄附してもらったものの、費用は行政の持ち出しである。
仄聞するところによれば、所有者が高齢化し、資力がなく、また相続放棄等により放置されたRC造の家屋で行政の負担で取り壊さなければならない危険倒壊家屋は北海道全体で300棟弱にもなるとのことであった。
このような建物は今後加速度的に増加し、最早行政の手に負えないことになる。
そうなると、町を丸ごと放棄し、地方自治体が消滅する日が近いのかもしれない。
不動産の利用や価格がどうのこうのという議論は、所詮タイタニック号の1等船室にいる乗客の話で、3等船室以下の住人には何の関係もなく、淋しい限りである。
しかし、行き着く先は同じなのだから、つまるところ遅いか早いかだけの話で、気にすることはないのかもしれない。
当該レポートによれば、2050年の北海道では50%を超える地域が無居住化すると予測している。
市町村イコール地域ではないが、それにしても後38年で人の住むことの無い地域が50%を超えるのである。
もっとも、人口問題研究所の長期人口推計によれば、そのような予測結果は当然のことと思われるが、我輩は後10年~15年でこの流れがハッキリしてくるものと考えている。
ところで、ある地域が無居住化するとは、その地域の建物は全て空き家になるということである。
昨今は空き家条例を整備し、危険家屋は行政が取り壊し、その費用を所有者に請求するとしている。
しかし、実行性はあるのであろうか。
無居住化しつつある地域の地価は、二束三文にもならない。
住宅を取り壊しても、土地が売れる訳でもなく、大体が土地価格より取り壊し費用の方が高いのである。
更に問題なのは、このような地域の建物所有者は高齢化しており、取り壊し費用の負担ができない。
また、相続すると負の財産となるので、相続放棄されるのがオチである。
止めどもなく下落する地価、買手・利用する人のいない家屋が老朽家屋から廃屋になるのに、大して時間はかからない。
後40年弱で北海道中に廃屋銀座が出現するかもしれないと思うと、茫然とする他はない。
不動産は使ってなんぼの世界である。
住む人・使う人がいなければ、無用の長物である。
実際、道北のある市で、危険倒壊家屋を税金で取り壊した例がある。
もちろん取り壊し費用の方が土地代より高いので、所有者から寄附してもらったものの、費用は行政の持ち出しである。
仄聞するところによれば、所有者が高齢化し、資力がなく、また相続放棄等により放置されたRC造の家屋で行政の負担で取り壊さなければならない危険倒壊家屋は北海道全体で300棟弱にもなるとのことであった。
このような建物は今後加速度的に増加し、最早行政の手に負えないことになる。
そうなると、町を丸ごと放棄し、地方自治体が消滅する日が近いのかもしれない。
不動産の利用や価格がどうのこうのという議論は、所詮タイタニック号の1等船室にいる乗客の話で、3等船室以下の住人には何の関係もなく、淋しい限りである。
しかし、行き着く先は同じなのだから、つまるところ遅いか早いかだけの話で、気にすることはないのかもしれない。
トウキョウイズジャパン ― 田舎不動産の独り言 ― Vol.4
2021.07.15
VOL.04 あれから 150年 ~ 夢破れて山河あり
希望の大地として夢と希望に溢れていた北海道も、第二次オイルショックと中曽根内閣による農産物の市場開放・規制緩和・行財政改革等により、大きな転換期を迎えた。
北海道の農地価格は昭和58年をピークに下り続け、現在はピーク時の3分の1以下となっている。
農産物の市場開放政策により政府は農業経営を効率化するため大規模化を奨励したため規模拡大を目指す取引が増加し、農地価格は上昇したが、市場開放の現実から農業経営の将来に見切りをつける者が増え、農地価格は下落に転じた。
不動産バブルは大都市特有のものであるが、農村ではバブル以前に土地神話は崩壊した。
その間、農業政策は目まぐるしく変わったが、農業の実態に大きな変化はなく、ほころびは静かに大きくなりつつある。
このまま行くと、北海道開拓の歴史が逆回転し、未開の地に戻るのかもしれない。
ところで、我輩が知っている日本最北の市である稚内市の西方にある利尻町を例に話を進めてみたい。
読者もご存知であろうが、利尻町の所在する利尻島は最北の島で、エゾ富士と呼ばれる利尻山を擁し、水産業を基幹産業とする典型的な一次産業の町である。
利尻島は利尻町と利尻富士町の2町からなり、豊富で良質な水産資源(特に利尻ウニ・コンブは有名)と利尻富士を主とする観光資源等により全国の脚光を浴びている。
利尻町の人口は昭和30年代に1万人を超えていたが、平成24年3月では2,358人と、ピーク時の約5分の1強にまで減少しており、いまだ減少傾向に歯止めはかかっていない。
この間、利尻町のインフラは大幅に整備され、道路・港湾・上下水道等は都市並みとなった。
人口がピークの時は、電気・上水道は不十分で、下水道は夢の又夢であり、発展途上国並であった。
道路はほとんどが未舗装で、雨が降ればぬかるみ、生活環境は現在とは比べるまでもなく劣悪であったのである。
それから約60年弱を経て生活環境が大幅に向上したのに、住民は島を去り続け、人口はピーク時の5分の1となってしまった。
国土の均衡ある発展を唱え、日本列島改造計画に胸躍らせたあの時代はどこかに行き去り、宴の跡に残ったのは著しく高齢化の進んだ限界集落である。
かつての名店街は閉店街となり、空き地・空き家は増加しても減少することはない。
使用価値はあるのかもしれないが、必要とする人がいないので価格もつかず、タダでもいらないと言われる。
東京在住者に、このような状況を想像することは難しい。
利尻町及び利尻富士町には、かつてキャバレーや映画館・ボーリング場もあったと聞いたが、今は80代のお姐さんと若い?50代のお姐さんが頑張っているスナックが数軒細々と営業しているに過ぎない。
フェリーが就航し、飛行場もあるのに、来るのは観光客で、住民は出て行くばかりの矛盾。
植民政策のツケなのかどうかは分からないが、これまでの都市政策は一体何であったのかと思わざるを得ない。
北海道の大都市部を除けば、どこの町村も似たり寄ったりである。
立派なインフラと増加する空き家・空き地。人口がこれ以上減少すると、立派なインフラも何時しかゴーストタウンの墓標になるのであろう。
その時我輩の経済的価値は一体どうなっているのであろうか。
希望の大地として夢と希望に溢れていた北海道も、第二次オイルショックと中曽根内閣による農産物の市場開放・規制緩和・行財政改革等により、大きな転換期を迎えた。
北海道の農地価格は昭和58年をピークに下り続け、現在はピーク時の3分の1以下となっている。
農産物の市場開放政策により政府は農業経営を効率化するため大規模化を奨励したため規模拡大を目指す取引が増加し、農地価格は上昇したが、市場開放の現実から農業経営の将来に見切りをつける者が増え、農地価格は下落に転じた。
不動産バブルは大都市特有のものであるが、農村ではバブル以前に土地神話は崩壊した。
その間、農業政策は目まぐるしく変わったが、農業の実態に大きな変化はなく、ほころびは静かに大きくなりつつある。
このまま行くと、北海道開拓の歴史が逆回転し、未開の地に戻るのかもしれない。
ところで、我輩が知っている日本最北の市である稚内市の西方にある利尻町を例に話を進めてみたい。
読者もご存知であろうが、利尻町の所在する利尻島は最北の島で、エゾ富士と呼ばれる利尻山を擁し、水産業を基幹産業とする典型的な一次産業の町である。
利尻島は利尻町と利尻富士町の2町からなり、豊富で良質な水産資源(特に利尻ウニ・コンブは有名)と利尻富士を主とする観光資源等により全国の脚光を浴びている。
利尻町の人口は昭和30年代に1万人を超えていたが、平成24年3月では2,358人と、ピーク時の約5分の1強にまで減少しており、いまだ減少傾向に歯止めはかかっていない。
この間、利尻町のインフラは大幅に整備され、道路・港湾・上下水道等は都市並みとなった。
人口がピークの時は、電気・上水道は不十分で、下水道は夢の又夢であり、発展途上国並であった。
道路はほとんどが未舗装で、雨が降ればぬかるみ、生活環境は現在とは比べるまでもなく劣悪であったのである。
それから約60年弱を経て生活環境が大幅に向上したのに、住民は島を去り続け、人口はピーク時の5分の1となってしまった。
国土の均衡ある発展を唱え、日本列島改造計画に胸躍らせたあの時代はどこかに行き去り、宴の跡に残ったのは著しく高齢化の進んだ限界集落である。
かつての名店街は閉店街となり、空き地・空き家は増加しても減少することはない。
使用価値はあるのかもしれないが、必要とする人がいないので価格もつかず、タダでもいらないと言われる。
東京在住者に、このような状況を想像することは難しい。
利尻町及び利尻富士町には、かつてキャバレーや映画館・ボーリング場もあったと聞いたが、今は80代のお姐さんと若い?50代のお姐さんが頑張っているスナックが数軒細々と営業しているに過ぎない。
フェリーが就航し、飛行場もあるのに、来るのは観光客で、住民は出て行くばかりの矛盾。
植民政策のツケなのかどうかは分からないが、これまでの都市政策は一体何であったのかと思わざるを得ない。
北海道の大都市部を除けば、どこの町村も似たり寄ったりである。
立派なインフラと増加する空き家・空き地。人口がこれ以上減少すると、立派なインフラも何時しかゴーストタウンの墓標になるのであろう。
その時我輩の経済的価値は一体どうなっているのであろうか。
トウキョウイズジャパン ― 田舎不動産の独り言 ― Vol.3
2021.07.08
VOL.03 我輩と明治以降の北海道
北海道統計書によれば、江戸末期の北海道には6万人前後の人が居住していたようである。
あまり正確ではないようだが、それから 150年弱で北海道の人口は約 560万人と約93倍に増加している。
ところで、明治維新の頃の北海道は、そのほとんどが原生林の生い茂る未開の地であった。
明治政府は所有者のいない北海道を領有し、開拓することとした。政府は明治2年7月に開拓使を置き、8月には蝦夷地を北海道と改称して本格的な北海道開拓が始まった。
明治政府は未開の原生林たる官有地を開拓を希望する者に無償貸付し、一定期間内に開拓すると無償払い下げを行う等した。
その結果、武士社会の崩壊で職を失った藩士を中心に開拓団が結成され、全国から北海道に開拓団が入植してきたのである。
当時の北海道は道路が未整備であったため、開拓団の大半は沿岸部に入植したが、明治19年に北海道庁が設置されてからは、内陸部の開拓が本格化した。
それにともない、府県から北海道への移民は急増し、明治30年には78万人、明治45年(大正元年)には170万人、その6年後の大正6年には200万人と激増している。
府県からみたその当時の北海道は、戦前の移民政策と同じように政府の主導により未開の地で一旗揚げようとした人々の、希望の大地であったのかもしれない。
多くの人々が開拓に挑戦し、ある者は夢破れ、ある者は成功したが、先人の気の遠くなるような苦労のお陰で今日の北海道は存在している。
北海道統計書によれば、江戸末期の北海道には6万人前後の人が居住していたようである。
あまり正確ではないようだが、それから 150年弱で北海道の人口は約 560万人と約93倍に増加している。
ところで、明治維新の頃の北海道は、そのほとんどが原生林の生い茂る未開の地であった。
明治政府は所有者のいない北海道を領有し、開拓することとした。政府は明治2年7月に開拓使を置き、8月には蝦夷地を北海道と改称して本格的な北海道開拓が始まった。
明治政府は未開の原生林たる官有地を開拓を希望する者に無償貸付し、一定期間内に開拓すると無償払い下げを行う等した。
その結果、武士社会の崩壊で職を失った藩士を中心に開拓団が結成され、全国から北海道に開拓団が入植してきたのである。
当時の北海道は道路が未整備であったため、開拓団の大半は沿岸部に入植したが、明治19年に北海道庁が設置されてからは、内陸部の開拓が本格化した。
それにともない、府県から北海道への移民は急増し、明治30年には78万人、明治45年(大正元年)には170万人、その6年後の大正6年には200万人と激増している。
府県からみたその当時の北海道は、戦前の移民政策と同じように政府の主導により未開の地で一旗揚げようとした人々の、希望の大地であったのかもしれない。
多くの人々が開拓に挑戦し、ある者は夢破れ、ある者は成功したが、先人の気の遠くなるような苦労のお陰で今日の北海道は存在している。
トウキョウイズジャパン ― 田舎不動産の独り言 ― Vol.2
2021.07.01
VOL.02 不動産の価格は誰が決める
我輩の価格を我輩は知らないし、また決められない。
我輩の価格を決めるのは、ご主人様である人間である。
我輩は多種・多様のご主人様に仕えているが、我輩に対する価値観はまさに百人百様である。
そのためか、取引される価格も跛行的である。
価格形成要因と称する要因がいくら立派でも、買手がいなけりゃ二束三文である。
逆に、価格形成要因と称する要因がいくら貧弱でも、買手が多くなれば価格は高くなる。
資本主義経済であるから、価格形成要因と称する要因におかまいなく、需要と供給により価格は決まる。
昨日までたいして価値がないと思っていても、世の中の事情が変われば需給事情が変わり、価格も変わる。
例を挙げると、ニセコスキー場の周辺は外資系のリゾート開発で有名であるが、ホンの10年位前までは2,000円/坪でも誰も買わないと言っていたのに、リーマンショック前には何と40万円/坪位まで上昇したのである。
もっとも、そんな価格で買う日本人はいないが…。
我輩を欲しがるご主人様は、世の中のことはあまり変わらないと予測し、昨日・今日・明日が今後数10年にわたって続くと盲信(楽観)している。
そうでなければ、35年ローンなんか組めるハズもない。
ローン期間中に会社は潰れない。
したがって、失業もしない。
自分も家族も病気やケガはしない。
予定外の出産もなければ離婚もしない。
と想定しない限り、35年間ローンを払い続けることなんかできはしない。
しかし、ブラックスワンは何時舞い降りるのかは誰にも分からない。
ブラックスワンの降臨もなく、無事35年間ローンを支払ったとしても、35年後には建替時期に到達するが、再就職や年金問題を考えるとローンの支払い完了後の人生をどうするのか、問題は尽きない。
いずれにしても、我輩の価格を決めるのはご主人様であるから、我輩の価格を上げるのも下げるのもご主人様次第である。
取引情報を集めて、過去ご主人様がどう考えていたかを推論することはできるが、そのことにより将来がどうなるのかは分からない。
我輩の価格が将来どうなるかは、ご主人様の考え方次第ということになる。
我輩の価格を我輩は知らないし、また決められない。
我輩の価格を決めるのは、ご主人様である人間である。
我輩は多種・多様のご主人様に仕えているが、我輩に対する価値観はまさに百人百様である。
そのためか、取引される価格も跛行的である。
価格形成要因と称する要因がいくら立派でも、買手がいなけりゃ二束三文である。
逆に、価格形成要因と称する要因がいくら貧弱でも、買手が多くなれば価格は高くなる。
資本主義経済であるから、価格形成要因と称する要因におかまいなく、需要と供給により価格は決まる。
昨日までたいして価値がないと思っていても、世の中の事情が変われば需給事情が変わり、価格も変わる。
例を挙げると、ニセコスキー場の周辺は外資系のリゾート開発で有名であるが、ホンの10年位前までは2,000円/坪でも誰も買わないと言っていたのに、リーマンショック前には何と40万円/坪位まで上昇したのである。
もっとも、そんな価格で買う日本人はいないが…。
我輩を欲しがるご主人様は、世の中のことはあまり変わらないと予測し、昨日・今日・明日が今後数10年にわたって続くと盲信(楽観)している。
そうでなければ、35年ローンなんか組めるハズもない。
ローン期間中に会社は潰れない。
したがって、失業もしない。
自分も家族も病気やケガはしない。
予定外の出産もなければ離婚もしない。
と想定しない限り、35年間ローンを払い続けることなんかできはしない。
しかし、ブラックスワンは何時舞い降りるのかは誰にも分からない。
ブラックスワンの降臨もなく、無事35年間ローンを支払ったとしても、35年後には建替時期に到達するが、再就職や年金問題を考えるとローンの支払い完了後の人生をどうするのか、問題は尽きない。
いずれにしても、我輩の価格を決めるのはご主人様であるから、我輩の価格を上げるのも下げるのもご主人様次第である。
取引情報を集めて、過去ご主人様がどう考えていたかを推論することはできるが、そのことにより将来がどうなるのかは分からない。
我輩の価格が将来どうなるかは、ご主人様の考え方次第ということになる。