鑑定業界を取り巻く現状と課題 ~ Vol.5
2024.10.24
VOL.05 公的評価の民営化とパラサイト体質への決別

 前述したように、我が業界は公的評価にパラサイトしつつ、その間に簡易鑑定で食いつないで来たことは否めない。
 中小・個人鑑定業者は、新スキームによる事例収集が業務の中心となり、時間と費用を負担させられ、一方、証券化不動産の鑑定評価は大手数社に限られ、中小・個人が大きい仕事をする機会は極めて少ない。データ収集・解析ソフト・最新コンピュータの導入等の多額の投資は、大手を除けば望むべくもない。

 したがって、体力の差は拡大し、地方都市と大都市、個人と大手等のように、二極化の拡大は避けられない。

 そうなるとどうなるかは、昨今の社会における事件の多発を見れば想像がつくというものである。

 競争社会の行き着く先は、殺伐とした相互不信の社会であり、内部の小さな自治さえも崩壊し、社会の信頼を失うのは時間の問題と考える。

 しかし一方、公的評価は広く社会に根をはり、価格インフラなしに日本国の適切な運営はできないところまで来ている。
 このことは、不動産鑑定士の大きな財産である。

 仮に我々が公的評価を休んだら、国・市町村・金融機関等は極めて大きな困難に直面するであろうと思われる。 とすれば、我が国は最早我々抜きでは動かないことになる。

 そこで、公的評価は協会が独自に行なうことを考えてみたらどうであろうか。

 先ず、発注者側のメリットとして

 ・発注手続きの煩わしさから解放される
 ・品質管理が不要
 ・財政負担が少なくなる
 ・説明責任が軽減される


 協会側のメリットとして

 ・価格決定権を持てる
 ・利用者から利用料金を徴収し、会員に配分する為会員の経営は安定する
 ・個人事務所の設備投資は少なくなる
 ・公的評価の一元化が図れる
 ・品質管理が可能となる
 ・協会への求心力が増大する
 ・国家の財政改革に協力できる

 以上のように、公的評価の民営化は、発注者・受注者双方にとってそのメリットは大きいものと考える。
 公的評価以外は従来どおり行なえば良いので、特に大きな障害にはならないものと思われる。

 そうは言っても、既得権を主張する者も相当数いると考える。

 しかし、現在のような何でもありの状態を放置し、制度そのものが崩壊するよりはマシではなかろうか。

 賛否両論はあるが、その可能性について外部有識者・国会議員等を交じえて研究しても良い時期に来ていると考える。

(2007年6月 「鑑定業界を取巻く現状と課題」)

2024.10.24 10:42 | 固定リンク | 鑑定雑感
鑑定業界を取り巻く現状と課題 ~ Vol.4
2024.10.17
VOL.04 証券化不動産と鑑定評価

 証券化不動産の鑑定評価基準が新設され、ガイドラインが示されたのは、協会の努力の賜と考える。

 だからといって、手放しで喜んでばかりはいられない。

 何故なら証券化不動産の鑑定評価は、指値鑑定や迎合鑑定が横行しているからである。

 鑑定報酬が極めて高額の為、発注者の意向に抵抗すれば、業務の発注は見込めない。

 昨今は、指値鑑定が更に巧妙になり、数者に鑑定見込額を内示させ、一番高い評価額を提示した業者に鑑定を依頼している。
 評価基準の精神は気高いが、実際やっていることは乞食かそれ以下である。
 乞食は乞食であることを自覚しているからまだ救いがあるが、鑑定士は自覚がないので始末が悪い。

 もっとも、発注者からお金をもらいながら、発注者の意向を忖度しないということでは、仕事は出来ない。
 たとえて言うなら、審判がピッチャーから給料をもらいながら適正な審判を下すということに他ならないが、果たしてそのようなことが可能であろうか。

 給料を貰っているピッチャーのことを考えれば、ストライクゾーンが甘くなるのはやむを得ないことであり、非難もできない。
 審判に公正・客観・中立を求めるのなら、ピッチャーから給料を貰わなくても良いシステムを作るしかないのである。

 いくら基準を作ったところで、ファンド会社がその内容を見ることはしないし、また倒産しない限り問題は表面化することもないので、評価の適正性は二の次となる。

 また、抵当証券と異なり、ファンドやリートの組成物件が極めて多く、巨額になれば個々の不動産の評価の適正性の問題は表面化しにくいと考えられる。

 とすれば、将来ともファンド物件の高値評価を競うことは避けられず、その反面報酬は安さを競い、その結果倫理は麻痺し、過当競争の渦の中で中小業者は自滅の道を歩むしかなくなるのではないかと思われる。
2024.10.17 14:32 | 固定リンク | 鑑定雑感
鑑定業界を取り巻く現状と課題 ~ Vol.3
2024.10.10
VOL.03 公的評価と鑑定法の関係の明確化

 公的評価といえば、地価公示・地価調査・相続税標準宅地評価・固定資産税標準宅地評価が挙げられる。

 このうち、鑑定業者として発行していないものは前二者で、鑑定業者として発行しているのは後二者である。

 ところで、地価公示法第26条をみると、地価公示は鑑定法に該当しないとする例外規定があるので、評価書を個人名で発行することに特に問題はないと考える。

 しかし、地価調査には例外規定が見当らないので、資格者個人名で評価書を発行するのは、鑑定法違反と考える。

 また、後二者の評価書は業者名で発行しているものの、形式・内容は鑑定法の要件を満たしていない。

 これらのことを一体どう考えれば良いのであろうか。

 多くの不動産鑑定士はこのことに全く無頓着であり、若干の関心があっても役所の指示だから要件を満たしていなくても良い、或いは、公的評価の一環だから地価公示法を拡大解釈して、当然に鑑定法に抵触しないと考えている人が多い。

 しかし、これで本当に良いのであろうか。
 
 仲間内での議論では、心情的にはそう考えたいと思うのも無理からぬことと考えるが、広く社会に対してそうだと言えるのなら、組織的にも明らかにしておく必要があるのではないか。
 そうでなければ、早晩地価調査も一般競争入札によらざるを得なくなると思われる。

 地価公示や相続税評価も一般入札にすべしということになれば、品質管理のできない発注者は報酬の多寡で業者を選定する為、無節操な業者が多い我が業界の秩序が崩れていくのは想像に難くない。
2024.10.10 09:50 | 固定リンク | 鑑定雑感
鑑定業界を取り巻く現状と課題 ~ Vol.2
2024.10.03
VOL.02 原理原則の確認

 以上のように正規の要件を満たさない鑑定評価類似業務は、我々の予想をはるかに超えて社会に浸透している為、最早価格を表示すれば 鑑定業務に当るから全て規制しろと言っても何の説得力もない。

 たかだか6千人の鑑定士の為に、原理原則を振りかざしても国民は納得しないであろう。

 とすれば、正規の鑑定とその要件を満たさない鑑定評価類似行為の線引きを明らかにし、正規業務以外の行為の法律的位置づけと責任の範囲を明確にすることが必要と思われる。 

 しかし、このことを協会内部だけで解決するのは至難の業である。

 何故なら、正規の鑑定とそれ以外の業務の相異が広く社会に理解されていないからである。

 元はと言えば、規制緩和により競争が激化し、内容よりも報酬の安さがモノを言う時代になったという側面の他、フルコースの正規鑑定よりザルそば程度で良いとする社会のニーズの変化も大きいと思われる。

 いずれにしても、現行法は制定時から約44年を経ており、時代にそぐわない面も多々あると思われる。

 また、このことが鑑定評価類似業務の蔓延をもたらしたとも言えるのではないかと思われる。

 時代ニーズと将来を見据え、社会的見地から外部有識者(大学・弁護士会・金融証券業界等)に法制度の見直しを含めて検討することが必要と考える。
2024.10.03 09:17 | 固定リンク | 鑑定雑感

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