民間競売制度の導入を考える ~ Vol.2
2024.07.04
VOL.02 鑑定評価作業における技術的進歩


 鑑定評価作業をサポートする事務機器の進歩は目覚ましいものがある。

 30年位前までは評価書は手書きのものが多かった。
 ワープロが発明されてからはワープロによる評価書が主流となった。
 それでも当時は地価公示の評価書がワープロで作成されることに否定的であった。
 今考えればお笑いである。
 当時の国土庁も鑑定協会もトクトクと地価公示の評価書は手書きでなければダメだと言い張っていたのである。

 今はコンピュータである。

 早いしチェックもし易いとのことで、当時とは180度回転し、手書き評価書は厳禁である。
 当時、誰がこのような時代が来ると予想できたであろうか。

 人間とはかくもいい加減な存在であると思わざるを得ない。

 鑑定世界でなくとも、身近に例はある。

 それは法務局の図面である。

 20年位前までは図面のコピーは厳禁であった。
 当時としても、納得のいく合理的説明はなかった。
 図面はすべてトレーシングペーパー(懐かしい言葉である)を使用し、定規と鉛筆でなぞるのである。   
 補助者の重要な仕事である。
 私も法務局で要領良く図面をトレースすることに精を出した。
 短時間に大量の分筆図や建物図面をトレースするのは大変である。
 不器用な人では時間がかかりすぎるし、見落としも多く、何度も法務局に通うことになる。

 時代が変わり今はコピー機で一発であり、技術・経験は不要である。

 最近は更に進化し、インターネットにより法務局備付の地図をプリントアウトすることも可能となった。
 絶対に図面はコピーさせないと頑張った当時の法務省の役人の思考は、一体何だったのか。

 何時の時代でも、合理的な根拠も示さずダメダメと言っていた人間が、何時の間にかコロット前言を翻し、何事も無かったかのように行動していることを見るにつけ腹が立つ。

 話が横道にそれたが、反省のないところや失敗のないところに技術の革新はない。

 前述のように鑑定評価作業を取り巻く事務環境は技術の進歩のお陰で様変わりした。
 手書きタイプからコンピュータへ、算盤から電卓・コンピュータへ、手紙からFAX、FAXからメールへと変わったが、鑑定評価の本質的な部分で進歩と言える部分があったかと問われれば、疑問を呈せざるを得ない。

 もっとも私の能力のなさを棚に上げての話だが、周辺の状況を見ても、本質的な進歩の形跡は見られない。
2024.07.04 17:54 | 固定リンク | 鑑定雑感
民間競売制度の導入を考える ~ Vol.1
2024.06.28
VOL.01 民間競売制度研究会の改善策と司法競売の憂鬱

 法務省主導により、平成17年12月に第1回の競売制度研究会が開催された。

 その後、鋭意研究会が開催され、アメリカ・ヨーロッパの競売制度の調査を踏まえて平成19年秋には民間競売制度のあり方が示された。

 重複するため割愛するが、基本的にはこれまでの司法競売はそのまま温存し、民間競売の位置づけとしては司法競売の補完ないし選択肢の拡大を主張する案に傾いているが、その意味においては民間競売制度の導入を真っ向から反対することに大義名分は見当らない。

 民間競売制度導入反対論者の多くは、選択肢の多くなることに対する不安、司法競売制度に従事する人々の経済的不安(仕事が減るのではないか)あるいいは、ただ単に制度変更に対しての拒否反応等、色々あると思われるが、最大の本音としての反対理由は、多分経済的不安に対するものであろうと考える。

 かくいう筆者も、何故今制度改革をしなければならないのかという疑問を持つ一人である。

 かつて司法競売は処理件数の増大から停滞し、これに地価下落や評価書の不統一も手伝って経済界から機能不全の烙印を押され、世論のバッシングにあったことは記憶に新しい。

 しかし、処理体制の充実や評価書の標準化、売却物件のインターネット公開、地価動向の回復等が相まって、遅い・高い・解りにくい等の状態は改善されており、かつて機能不全と批判された司法競売の欠点は大都市部を中心に克服されていると考えても良いと思っている。

 このような状況の中では、司法競売の欠点が多いから民間競売へという論拠はその影が薄いものと言わざるを得ない。




2024.06.28 14:48 | 固定リンク | 鑑定雑感
不動産鑑定評価の今日的課題 ~ Vol.6
2024.06.20
VOL.06 それでも鑑定制度は動いている

 少し自虐的な反省が続いたので、改めて現在の鑑定制度の果たしている役割について考えてみたい。

 鑑定制度は、もともと公共用地の買収の問題を契機に誕生した経緯があると聞いている。
それが年々拡大し、相続税・固定資産税等の公的評価の他、証券化不動産・減損会計等の私的評価にも拡充され、日本経済は最早不動産鑑定士抜きには動かない状況となっている。

 前述したように、現行の鑑定評価は確かに不備なところも多く、客観性に乏しい(非科学的?)と批判されてはいるが、それでは誰もが反論のしようがない科学的鑑定方法があるのかと言えば、残念ながらその方法を持ち合せてはいない。

 したがって、いかなる批判を受けようとも、現行の鑑定制度に代る方法がない以上、我々は現在有している多様な技術や方法を駆使して日本経済にビルトインされた鑑定制度に対する社会の負託に応えなければならないものと考える。

 そのためには、現行の鑑定評価方法に対して絶えず冷静かつ客観的に批判を加え、反省し、鑑定評価制度の進歩・改善に努めなければならない。

 しかしながら、根本的に評価基準を見直し、より実際的な方法論の検討をしようとする機運は、今のところ見られない。
 自明の理と思っていることが実は案外解っていないのは、前述のとおりである。

 反省のないところに進歩はない。

 解らないことは解らないと素直に受け止め、それではどのような方法があるのか等について研究すべきと考える。
 社会の厳しい批判を糧に、鑑定制度の更なる発展を願わざるを得ない。
 どんなにいい加減と批判されようとも、鑑定制度抜きに日本経済は動かない。
 ガリレオの言葉を借りるまでもなく、「それでも鑑定制度は動いている」のである。

 以上、思いつくまま偉そうにご託を並べたが、別に悪口を言うつもりはなく、個人事務所の将来を考えての年寄りの繰言である。
 ただそうは言っても何か行動して欲しいと思うのも事実である。
 中には的はずれのことや間違っている点もあるかもしれないが、浅学非才に免じご容赦を願うものである。

 

(2008年6月 「不動産鑑定評価の今日的課題」)

2024.06.20 09:24 | 固定リンク | 鑑定雑感

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