鑑定評価業務の法律的性質について ~ Vol.2
2024.11.07
VOL.02 典型的な請負契約について
請負契約の典型例として、建築・土木工事等が挙げられる。通常建築工事・土木工事を競争入札で発注する場合の前提条件を検討してみる。
たとえば、道路の延長100mの工事を入札で決めるということはできない。
何故なら、道路の幅員・構造が決まっていないからである。
では、道路の幅員・構造が決まっていたら工事金額を入札で決めることができるのであろうか。
やはり入札で決めることはできない。
つまり、幅員・構造が決まっていても、どういう材質の材料をどの位使用するか等をこと細かく決めていないからである。
これらを決めておかなければ、出来上がった道路の良し悪しを請負金額だけで判断することはできない。
路盤上の厚さ・使用する砂利等の規格・使用量・舗装の種類・舗装厚等、こと細かく決めておかなければ入札希望者各自が入札金額によって思い思いに道路工事の程度を想定し入札することになるため、発注者の希望どおりのものができる保証がないからである。
請負契約を入札で決めようとするなら、どの業者が落札したとしても同じものができるという前提条件が必要となる。
したがって、工事入札等の場合は、発注者が事前に設計書・仕様書を示さなければならない。
つまり、請負契約によって何かを行う場合は、原則として業務の質量のチェックが事前・事後的にできることが前提条件となる。
請負業務の質量の事前事後のチェックができない鑑定評価業務を請負契約で入札・発注しようとするならば、建設工事等と同様に設計書・仕様書が必要となる。
ところが、実際に示されている仕様書は、大雑把すぎてとても仕様書とは言えない。
これでは法に示されている最低限しか記載のない、わずか数ページの鑑定評価書から数十ページの鑑定評価書、更には記載内容についても千差万別となる可能性は高い。
それにもかかわらず、入札金額だけでどうして判断できるのか理解できない。
仮に、どうしても入札にするというのなら、仕様書は報告書の様式・記載内容・1ページ当りの字数・調査範囲・最低ページ量等、こと細かく規程することが必要となる。その良い例が地価公示業務における仕様書である。
仕様書を作ることができる発注者は、業務の全てを掌握していることになり、そうでなければ結果をチェックすることはできない。
しかし、専門家の業務を事後的に素人がチェックできるのなら、専門職業家は不要である。
そうであるが故にこの種の専門職業家の仕事については高度の試験を課し、合格した人のみに独占的に行わせているのである。
尚、専門職業家の仕事の中でも特に創造性の高い業務である芸術的な業務、たとえば、公園や建物のデザイン等の業務は請負契約になじまない。
何故なら、このような業務については発注者側において事前に設計図書の作成や仕様書の作成ができないからである。
つまり、デザインという業務は無形であるからであり、発注者ができるのはどのようなデザイナーを選ぶかということでしかない。
もっと解り易く言えば、画家が描いた絵を入札で売却することは可能であるが、画家を入札で決めることはできないということである。
請負契約の典型例として、建築・土木工事等が挙げられる。通常建築工事・土木工事を競争入札で発注する場合の前提条件を検討してみる。
たとえば、道路の延長100mの工事を入札で決めるということはできない。
何故なら、道路の幅員・構造が決まっていないからである。
では、道路の幅員・構造が決まっていたら工事金額を入札で決めることができるのであろうか。
やはり入札で決めることはできない。
つまり、幅員・構造が決まっていても、どういう材質の材料をどの位使用するか等をこと細かく決めていないからである。
これらを決めておかなければ、出来上がった道路の良し悪しを請負金額だけで判断することはできない。
路盤上の厚さ・使用する砂利等の規格・使用量・舗装の種類・舗装厚等、こと細かく決めておかなければ入札希望者各自が入札金額によって思い思いに道路工事の程度を想定し入札することになるため、発注者の希望どおりのものができる保証がないからである。
請負契約を入札で決めようとするなら、どの業者が落札したとしても同じものができるという前提条件が必要となる。
したがって、工事入札等の場合は、発注者が事前に設計書・仕様書を示さなければならない。
つまり、請負契約によって何かを行う場合は、原則として業務の質量のチェックが事前・事後的にできることが前提条件となる。
請負業務の質量の事前事後のチェックができない鑑定評価業務を請負契約で入札・発注しようとするならば、建設工事等と同様に設計書・仕様書が必要となる。
ところが、実際に示されている仕様書は、大雑把すぎてとても仕様書とは言えない。
これでは法に示されている最低限しか記載のない、わずか数ページの鑑定評価書から数十ページの鑑定評価書、更には記載内容についても千差万別となる可能性は高い。
それにもかかわらず、入札金額だけでどうして判断できるのか理解できない。
仮に、どうしても入札にするというのなら、仕様書は報告書の様式・記載内容・1ページ当りの字数・調査範囲・最低ページ量等、こと細かく規程することが必要となる。その良い例が地価公示業務における仕様書である。
仕様書を作ることができる発注者は、業務の全てを掌握していることになり、そうでなければ結果をチェックすることはできない。
しかし、専門家の業務を事後的に素人がチェックできるのなら、専門職業家は不要である。
そうであるが故にこの種の専門職業家の仕事については高度の試験を課し、合格した人のみに独占的に行わせているのである。
尚、専門職業家の仕事の中でも特に創造性の高い業務である芸術的な業務、たとえば、公園や建物のデザイン等の業務は請負契約になじまない。
何故なら、このような業務については発注者側において事前に設計図書の作成や仕様書の作成ができないからである。
つまり、デザインという業務は無形であるからであり、発注者ができるのはどのようなデザイナーを選ぶかということでしかない。
もっと解り易く言えば、画家が描いた絵を入札で売却することは可能であるが、画家を入札で決めることはできないということである。
鑑定評価業務の法律的性質について ~ Vol.1
2024.11.01
VOL.01 法律的性質
鑑定評価業務は、法律的には有償双務契約である。
ところで、民法に定義する有償双務契約の典型例をみると、次のとおりである。
1)売買
2)消費賃借
3)賃貸借
4)雇用
5)請負
6)委任
鑑定評価業務を受託する行為というのは、民法上のどれに当るのであろうか。
昨今、国や大手企業の一部が入札により業務を発注しているのは、鑑定評価業務の性質が請負契約であるという認識に立っているからと思われる。
鑑定評価業務は、法律的には有償双務契約である。
ところで、民法に定義する有償双務契約の典型例をみると、次のとおりである。
1)売買
2)消費賃借
3)賃貸借
4)雇用
5)請負
6)委任
鑑定評価業務を受託する行為というのは、民法上のどれに当るのであろうか。
昨今、国や大手企業の一部が入札により業務を発注しているのは、鑑定評価業務の性質が請負契約であるという認識に立っているからと思われる。
鑑定業界を取り巻く現状と課題 ~ Vol.5
2024.10.24
VOL.05 公的評価の民営化とパラサイト体質への決別
前述したように、我が業界は公的評価にパラサイトしつつ、その間に簡易鑑定で食いつないで来たことは否めない。
中小・個人鑑定業者は、新スキームによる事例収集が業務の中心となり、時間と費用を負担させられ、一方、証券化不動産の鑑定評価は大手数社に限られ、中小・個人が大きい仕事をする機会は極めて少ない。データ収集・解析ソフト・最新コンピュータの導入等の多額の投資は、大手を除けば望むべくもない。
したがって、体力の差は拡大し、地方都市と大都市、個人と大手等のように、二極化の拡大は避けられない。
そうなるとどうなるかは、昨今の社会における事件の多発を見れば想像がつくというものである。
競争社会の行き着く先は、殺伐とした相互不信の社会であり、内部の小さな自治さえも崩壊し、社会の信頼を失うのは時間の問題と考える。
しかし一方、公的評価は広く社会に根をはり、価格インフラなしに日本国の適切な運営はできないところまで来ている。
このことは、不動産鑑定士の大きな財産である。
仮に我々が公的評価を休んだら、国・市町村・金融機関等は極めて大きな困難に直面するであろうと思われる。 とすれば、我が国は最早我々抜きでは動かないことになる。
そこで、公的評価は協会が独自に行なうことを考えてみたらどうであろうか。
先ず、発注者側のメリットとして
・発注手続きの煩わしさから解放される
・品質管理が不要
・財政負担が少なくなる
・説明責任が軽減される
協会側のメリットとして
・価格決定権を持てる
・利用者から利用料金を徴収し、会員に配分する為会員の経営は安定する
・個人事務所の設備投資は少なくなる
・公的評価の一元化が図れる
・品質管理が可能となる
・協会への求心力が増大する
・国家の財政改革に協力できる
以上のように、公的評価の民営化は、発注者・受注者双方にとってそのメリットは大きいものと考える。
公的評価以外は従来どおり行なえば良いので、特に大きな障害にはならないものと思われる。
そうは言っても、既得権を主張する者も相当数いると考える。
しかし、現在のような何でもありの状態を放置し、制度そのものが崩壊するよりはマシではなかろうか。
賛否両論はあるが、その可能性について外部有識者・国会議員等を交じえて研究しても良い時期に来ていると考える。
前述したように、我が業界は公的評価にパラサイトしつつ、その間に簡易鑑定で食いつないで来たことは否めない。
中小・個人鑑定業者は、新スキームによる事例収集が業務の中心となり、時間と費用を負担させられ、一方、証券化不動産の鑑定評価は大手数社に限られ、中小・個人が大きい仕事をする機会は極めて少ない。データ収集・解析ソフト・最新コンピュータの導入等の多額の投資は、大手を除けば望むべくもない。
したがって、体力の差は拡大し、地方都市と大都市、個人と大手等のように、二極化の拡大は避けられない。
そうなるとどうなるかは、昨今の社会における事件の多発を見れば想像がつくというものである。
競争社会の行き着く先は、殺伐とした相互不信の社会であり、内部の小さな自治さえも崩壊し、社会の信頼を失うのは時間の問題と考える。
しかし一方、公的評価は広く社会に根をはり、価格インフラなしに日本国の適切な運営はできないところまで来ている。
このことは、不動産鑑定士の大きな財産である。
仮に我々が公的評価を休んだら、国・市町村・金融機関等は極めて大きな困難に直面するであろうと思われる。 とすれば、我が国は最早我々抜きでは動かないことになる。
そこで、公的評価は協会が独自に行なうことを考えてみたらどうであろうか。
先ず、発注者側のメリットとして
・発注手続きの煩わしさから解放される
・品質管理が不要
・財政負担が少なくなる
・説明責任が軽減される
協会側のメリットとして
・価格決定権を持てる
・利用者から利用料金を徴収し、会員に配分する為会員の経営は安定する
・個人事務所の設備投資は少なくなる
・公的評価の一元化が図れる
・品質管理が可能となる
・協会への求心力が増大する
・国家の財政改革に協力できる
以上のように、公的評価の民営化は、発注者・受注者双方にとってそのメリットは大きいものと考える。
公的評価以外は従来どおり行なえば良いので、特に大きな障害にはならないものと思われる。
そうは言っても、既得権を主張する者も相当数いると考える。
しかし、現在のような何でもありの状態を放置し、制度そのものが崩壊するよりはマシではなかろうか。
賛否両論はあるが、その可能性について外部有識者・国会議員等を交じえて研究しても良い時期に来ていると考える。
(2007年6月 「鑑定業界を取巻く現状と課題」)