究極の内需拡大策を考える ~ Vol.3
2025.06.05
VOL.03 モノが売れなきゃ人を動かせ
1)日本の祝祭日を検証する
エコノミックアニマルだワークホリックだと言われ、世界から働く事しか能のない民族と言われて来たが、果たして現在もそのような状況にあるのだろうか。
平成13年の暦をみると祝祭日は年間で12日間ある。
これに、習慣となっている年末年始の休み約7日間とお盆休み3日を加えると、現在年間既に22日間も土曜日・日曜日以外に休んでいる事になる。
欧米では日本のように祝祭日等が多くない為、長期有給休暇が一般的である。
我々は長期バカンスを長い間夢見ているが、現役時代の実現はなかなか困難である。
しかし、実際には週休二日制の上に更に年間約22日も休んでいるのである。
年間労働日数でみれば、何と220日前後しか働いていない事になる。
つまり、12ヶ月のうち働いているのは7ヶ月、休んでいるのが5ヶ月という計算になる。
年末年始の休みやお盆休みは近代的な労使慣行のない時代の遺物と思われ、江戸時代から終戦の頃までは労働者にまともな休みはなく、その為有給休暇に代わるものとして盆暮れの休みが発生したものと思われる。
週休二日制が浸透した今、ことさらに国民の祝日を増やしたりするのは時代錯誤と考える。
つまり、休暇は国民の固有の権利であり、それは御上によって指示されるべきものではないと考える。
1)日本の祝祭日を検証する
エコノミックアニマルだワークホリックだと言われ、世界から働く事しか能のない民族と言われて来たが、果たして現在もそのような状況にあるのだろうか。
平成13年の暦をみると祝祭日は年間で12日間ある。
これに、習慣となっている年末年始の休み約7日間とお盆休み3日を加えると、現在年間既に22日間も土曜日・日曜日以外に休んでいる事になる。
欧米では日本のように祝祭日等が多くない為、長期有給休暇が一般的である。
我々は長期バカンスを長い間夢見ているが、現役時代の実現はなかなか困難である。
しかし、実際には週休二日制の上に更に年間約22日も休んでいるのである。
年間労働日数でみれば、何と220日前後しか働いていない事になる。
つまり、12ヶ月のうち働いているのは7ヶ月、休んでいるのが5ヶ月という計算になる。
年末年始の休みやお盆休みは近代的な労使慣行のない時代の遺物と思われ、江戸時代から終戦の頃までは労働者にまともな休みはなく、その為有給休暇に代わるものとして盆暮れの休みが発生したものと思われる。
週休二日制が浸透した今、ことさらに国民の祝日を増やしたりするのは時代錯誤と考える。
つまり、休暇は国民の固有の権利であり、それは御上によって指示されるべきものではないと考える。
究極の内需拡大策を考える ~ Vol.2
2025.05.29
VOL.02 内需は何故拡大しないのか2
2)資本主義経済の成熟化とその終焉
以上にみたとおり、内需は拡大しないのではなく、生まれた時からモノに満ち溢れた生活を送っている現代においては欲しいモノがないというのが実情ではなかろうか。
個人的にみても、今どうしても欲しいというモノはなかなか思い浮かばない。
消費経済は成熟化してしまい、今後消費が大きく伸びることは期待できない。
我々は成長の呪縛から逃れられず、未だに大量生産・大量消費を夢見ているが、大量生産を維持する為には今まで以上により早く!!より大量に!!モノを捨てなければならない。
しかし、地球環境の問題を考えればこれらの大量の産業廃棄物を受け入れる余地は極めて少なく、環境負荷の面からも大量生産・大量消費は受け入れ難くなりつつある。
その一方で、我が国の人口構造は急速に高齢化しており、少子化と相まって、消費人口が将来共持続的に拡大する方向にはない。
したがって、需要面でも環境面においても、これ以上の大量生産・大量消費は困難と思われ、単純にモノさえ売れれば良いというようなこれまでの延長線上にあるような内需拡大は、これ以上は無理というべきである。
2)資本主義経済の成熟化とその終焉
以上にみたとおり、内需は拡大しないのではなく、生まれた時からモノに満ち溢れた生活を送っている現代においては欲しいモノがないというのが実情ではなかろうか。
個人的にみても、今どうしても欲しいというモノはなかなか思い浮かばない。
消費経済は成熟化してしまい、今後消費が大きく伸びることは期待できない。
我々は成長の呪縛から逃れられず、未だに大量生産・大量消費を夢見ているが、大量生産を維持する為には今まで以上により早く!!より大量に!!モノを捨てなければならない。
しかし、地球環境の問題を考えればこれらの大量の産業廃棄物を受け入れる余地は極めて少なく、環境負荷の面からも大量生産・大量消費は受け入れ難くなりつつある。
その一方で、我が国の人口構造は急速に高齢化しており、少子化と相まって、消費人口が将来共持続的に拡大する方向にはない。
したがって、需要面でも環境面においても、これ以上の大量生産・大量消費は困難と思われ、単純にモノさえ売れれば良いというようなこれまでの延長線上にあるような内需拡大は、これ以上は無理というべきである。
究極の内需拡大策を考える~ Vol.1
2025.05.22
VOL.01 内需は何故拡大しないのか
1)焼跡からの経済復興とモノに満ち溢れた現代社会
内需不振に陥ってから10年を過ぎようとしている。
公共事業等による経済のテコ入れを行っても、依然として内需は拡大しない状況に官民あげて不満が高まっている。
ところで、何故内需は拡大しないのであろうか。
一般的には、景気低迷に伴う企業倒産・リストラ等により勤労者の所得水準が低迷していることの他に、将来に対する不安から買い控え行動に出ているといわれているが、果たしてそれだけであろうか。
戦後の焼跡から急速に復活した日本経済には目を見張るものがあった。
この時代はとにかくモノのない時代であった。
したがって、どんなモノであれ作れば売れた時代であったし、国民も頑張ってモノを貪欲に買おうとした時代であった。
次から次へと新しいモノが生み出され、物欲を刺激する材料にはこと欠かなかった時代である。
大量生産と大量消費が見事にマッチングし、人々はガムシャラに働いた時代である。
家電業界における生活必需品の地位を占め、最初の三種の神器といわれたのはテレビ・冷蔵庫・洗濯機であった。
現在、この三つが揃っていない家庭を探すのは難しい。
しかし、つい40年ほど前はこれらはないのが当たり前の時代であった。
現在各家庭にはこれらのほかにクーラー・カラーテレビ・マイカー・電子レンジ・パソコン・ファックス・ステレオ・ビデオ・携帯電話等、ありとあらゆる家電製品が揃っている。
また、かつては腕時計は月給以上の高価なものであった。
しかし、今やどうであろうか。
下は1,000円位から上は100万単位のものまで千差万別であるが、腕時計を買うのにかつてのように貴重品として考える人は少ない。
マイカーにしたところで同じで、かつては年収の数倍を要したものであるが、今では初任者の年収でも十分に買えるようになっている。
衣料品をみれば、一年に一度も袖をとおさない服の何と多いことか。
その他の家庭用の雑貨・健康器具等の類は、倉庫を借りなければならない程各家庭に満ち溢れている。
家電リサイクル法にもみるとおり、今や買うことより捨てる事の方に気を使う時代になった。
考えてみれば幸せな時代である。
1)焼跡からの経済復興とモノに満ち溢れた現代社会
内需不振に陥ってから10年を過ぎようとしている。
公共事業等による経済のテコ入れを行っても、依然として内需は拡大しない状況に官民あげて不満が高まっている。
ところで、何故内需は拡大しないのであろうか。
一般的には、景気低迷に伴う企業倒産・リストラ等により勤労者の所得水準が低迷していることの他に、将来に対する不安から買い控え行動に出ているといわれているが、果たしてそれだけであろうか。
戦後の焼跡から急速に復活した日本経済には目を見張るものがあった。
この時代はとにかくモノのない時代であった。
したがって、どんなモノであれ作れば売れた時代であったし、国民も頑張ってモノを貪欲に買おうとした時代であった。
次から次へと新しいモノが生み出され、物欲を刺激する材料にはこと欠かなかった時代である。
大量生産と大量消費が見事にマッチングし、人々はガムシャラに働いた時代である。
家電業界における生活必需品の地位を占め、最初の三種の神器といわれたのはテレビ・冷蔵庫・洗濯機であった。
現在、この三つが揃っていない家庭を探すのは難しい。
しかし、つい40年ほど前はこれらはないのが当たり前の時代であった。
現在各家庭にはこれらのほかにクーラー・カラーテレビ・マイカー・電子レンジ・パソコン・ファックス・ステレオ・ビデオ・携帯電話等、ありとあらゆる家電製品が揃っている。
また、かつては腕時計は月給以上の高価なものであった。
しかし、今やどうであろうか。
下は1,000円位から上は100万単位のものまで千差万別であるが、腕時計を買うのにかつてのように貴重品として考える人は少ない。
マイカーにしたところで同じで、かつては年収の数倍を要したものであるが、今では初任者の年収でも十分に買えるようになっている。
衣料品をみれば、一年に一度も袖をとおさない服の何と多いことか。
その他の家庭用の雑貨・健康器具等の類は、倉庫を借りなければならない程各家庭に満ち溢れている。
家電リサイクル法にもみるとおり、今や買うことより捨てる事の方に気を使う時代になった。
考えてみれば幸せな時代である。