愚か者と軋み合わない世の中 Vol.1
2020.08.27
VOL.01 事件の多発と社会不安

 昨今、通り魔的な事件がマスメディアを賑わせている。

 私も含めて、一般市民は殺人事件が急増していると思いがちであるが、実際のところ殺人件数は減少していることから、殺人事件に限れば、マスコミが騒ぐほど危険な世の中になってはいないことになる。

 ところで、何故かくも危険な世の中になったかのような錯覚に陥っているかと言えば、それはマスコミの過剰報道と、カーネマンの行動経済学的に言えばそれに帰因するヒューリスティクスのバイアス(代表性・利用可能性等の偏り)による市民の誤解によるものと考えられる。

 特にテレビの威力は絶大であり、大は国家レベルから、小は一般市民レベルまで大きな影響を受けている。
 報道の自由のもとに、時には基本的人権さえ超越する場合も見られ、困ったものである。

 意地悪い見方をすれば、事件報道を煽ることにより、国民の不安を増大させ、それを理由に国家が国民を厳重に監視することを容認させようとしているのではと考え込んでしまう。

 街中に監視カメラが氾濫し、電話もメールも全て監視されつつあるが、そのことが犯罪防止のためにだけ行なわれているという保証はどこにもない。
 国民の不安が増大すれば、ただでさえ自己の確立に乏しい一般市民にとっては、国家権力による監視体制は心地良いものに感じるのであろう。

 その結果どういう国になるのかは、歴史を見れば容易に察しがつこうというものである。
2020.08.27 16:08 | 固定リンク | 鑑定雑感
DCF法はアートな世界? Vol.8
2020.08.20
VOL.08 DCF法はアートかサイエンスか 
 前述したように、DCF法のプロセスの大半は恣意性の入る余地が大きく、また、依頼者と鑑定士の力関係が大きく作用するため、尚一層恣意性が拡大する傾向があるのは否定できない。

 私の尊敬する大阪のG先生はDCF法を評してこれはアートであると喝破したが、まさしくそのとおりと膝を打ったものである。

 赤字不動産を机上で黒字にしたり、利回りを操作して上げ下げ自在のDCF法による収益価格をどうやって検証したら良いのか、私には解らない。

 もっとも、検証の必要性がないのでこれらの評価が横行していると考える他はないのであるが。

 計算すれば価格は出てくるが、計算結果イコール評価とは言えまい。
 昨今はコンピュータの普及により計算上手な鑑定士が増えたが、評価というのは単なる計算とは異なると思っている。

 いずれにしても、データ万能主義になるとデータを握る者が評価を制することになる。
 特にDCF法に必要な各種データは、組織的・継続的に蓄積していくことが必要であるが、地価公示に依存した体制では、データの蓄積に無理があると考える。
 これらのデータは自分達で集め、分析するのではなく、外部の研究機関や調査会社に委託して行なう方が早道と考える。
 個人事務所では、データを収集する時間も費用も分析する時間もないのである。
 大手業者と個人零細は益々二極化し、格差の拡大に伴い大半の個人事務所は下請け・孫請け仕事に甘んじる他はなくなる。
 依頼者に力負けする業者は、依頼者の意向に添ってアートに邁進する他はなくなる。
 アートな評価書を見たいとは思わないが、アートな評価書が氾濫しつつあるのも事実のようである。

 しかしそれは人目につくことは少ないので、この流れを止めるのは難しい。
 結局はコップの中の嵐、アートな評価を社会が必要とし、それで皆がハッピーであればそう目くじらを立てる必要もないと腹をくくっていきたいが、これで良いのかと自問自答する日が続く。
 全て商売優先、依頼者が欲しいのは自分に都合の良い答え。

 ピッチャーから給料をもらっている審判が、厳しい判断をしてピッチャーを潰すことはできない。
 つまり、依頼者にお金をもらって仕事しているのに、依頼者の意向を無視することはできないということである。

 商売の基本はお客様第一主義であり、基本的には顧客満足度が全てである。

 公正・中立な判断が必要なら、依頼者から直接お金をもらってはいけないと思うが、どうであろうか。

 少なくとも他の商売では依頼者(消費者)に満足を与えることができなければ商売は成り立たない。

 したがって、現行の状況下では依頼者の満足を得なければ仕事はこないのであるから、アートなDCF法の世界は暫くの間続くものと考えざるを得ない。

(2008年5月 Evaluation no.29掲載)

2020.08.20 09:58 | 固定リンク | 鑑定雑感
DCF法はアートな世界? Vol.7
2020.08.13
VOL.07 DCF法と利回り 

 DCF法による収益価格が恣意的に操作しやすいのは、キャッシュフローばかりではなく利回りの求め方にもよる。

 教科書的にいくら力説してみても、立証・検証可能な利回りを求める方法はない。
 利回りを少し操作するだけで価格は大きく変動する。

 まして、採用した利回りを第三者が批判しようとしても立証できないのであるから、どうにもこうにも止まらない。

 個人的には、第三者機関、できれば大学等の研究機関に数年の期間と億単位の費用を投じて本格な研究をしてもらい、その成果を利用させてもらうのが一番と考えている。

 鑑定協会は、本来鑑定士個人の手に余るこのようなケースについて外部の研究機関の力を借りてオーソライズすれば自ずと評価は定まり、会員の協会に対する帰属意識の高揚に役立つかもしれない。
 現在のように個人個人の鑑定士の力量や鑑定業者の資本力が大きく異なる中で、適正かつ公正な評価を期待することは無理と考える。
 
 一説によれば、Jリート物件の評価は業界大手の上位数社、厳しくいえば3~5社程度が独占し、個人事務所がこれらの評価をする機会はないと思われる。

 しかし、同じくDCF法を活用するプライベートファンドの評価においては小さな物件もあるので、個人事務所も依頼を受けることがある。
 しかしその場合にはファンド側に思惑があるため、清く正しい評価を貫くことは難しい。
 依頼者の意に添わなければ仕事はキャンセルされる。
 依頼者に都合の良い鑑定士はいくらでもいるのである。

 このような中で孤高を保ち、信念を貫くのは並大抵のことではない。
 営業する時間のない個人事務所では特にそうである。
 今日、明日の飯の前に良心がぐらつくことを非難することはできない。

 またまた話が逸れたが、利回りを求めるのは非常に困難である。

 あるプライベートファンドに係る評価で著名な先生の評価書を見たことがある。

 利回りに関する著作をものにしている先生なので、さぞかし説得力のある科学的な方法で利回りを求めているのではないかとワクワクしながら評価書を読ませてもらった。

 結果は、ガッカリである。

 まず評価書本文の約半分が、役所の統計書のコピーである。
 そして利回りの決定は著作を引用し、だから適切・妥当としているが、本当かなと首を傾げざるを得なかった。
 著作のない人はどうするのかとツッコミたくなったが、利回りを求めるプロセスを抽象的に語ることはできても、それを具体的に、しかも説得力ある方法で求めることは至難の業である。
 本当に客観的・科学的に求める方法があるのなら、ノーベル賞ものだと思うのだが。

 我が業界は、抽象的な議論は好きだが具体論になるとトント話が進まないのは何故なのであろうか。

 個人的には、これらの問題を内部で解決しようとする傾向が強いからではないかと思っている。
 もっと外部の研究機関の力を借りて、抽象論ではなく具体的な方法を研究・開発してもらっても良いのではないかと思っている。
2020.08.13 09:57 | 固定リンク | 鑑定雑感
DCF法はアートな世界? Vol.6
2020.08.06
VOL.06 高値競争鑑定の実情 

 これからの話は私が現実に体験したことである。

 昨年、東京の仕事仲間からファンドの鑑定を受注したので、手伝って欲しいとの要請があった。

 物件は全国の主要都市にちらばっているため、動員をかけたとのことであった。
 資料が沢山送られてきたが、何しろ時間がない。
 しかも、ERもないのである。

 どうやって評価するのかと思ったが、キャッシュフローは東京の方で調整するとのことであったが、資料を読み解くのは大変であった。

 ところが、作業を進めているうちに、実は評価を依頼した鑑定業者は他にも二社あり、計三社で同一物件を評価することになっていると解った。

 昔の公共事業の用地買収の評価は客観性を担保するため二社鑑定が普通で、二社の鑑定結果を基に起業者が買収価格を決定していたが、今回の評価は相鑑ではなく、最も高い評価額を提示した鑑定業者に最終的に鑑定を発注するという仕組みであることが判明した。

 当方が行なった評価はあくまでも仮評価で、他の鑑定業者の方の鑑定評価額が高ければ依頼はキャンセルされるということである。

 こういう馬鹿げた発注方法が横行すれば、一体どうなるのであろうか。

 仮評価も本評価もやることは一緒である。

 必死になって評価書をまとめても、それが日の目を見るかどうかは解らないのである。
 そこまでやらされるのなら可能な限り高い評価額を提示し、評価作業を無駄にしたくないというのが本音であろう。

 個人的にはこんな馬鹿げた仕事を受けて欲しくはなかったが、受けてしまったものは仕方がない。
 気乗りはしなかったが、こういう依頼の仕方をする依頼者に迎合する気はないので無理な評価はしなかった。
 他の地区を受け持った仲間も同様であったようで、結局正式な鑑定依頼はキャンセルされ(高値鑑定に負けた)、正直ホッとしたものである。

 わずかなキャンセル料で我慢するしかないが、二度とこういう仕事には関わりたくないと思ったものである。 

 しかし、そういえるのは贅沢なことかもしれない。

 仕事が無くなれば、そんなことは言っていられない。

 完全な公正・妥当な評価なんて誰にも解らないし、第一お金を払ってくれる依頼者に盾突いたところで仕事を失うだけである。

 ところで、このような高値を競わされる評価の場合、DCF法は極めて有効である。

 土地や建物の価格は様々なデータがあるため誤魔化しは効かない。

 しかし、前述したように赤字不動産でもたちどころに黒字化させて高い評価を出せるのであるから、稼働さえしていれば、いや稼働していなくても、どうにでもなると考える他はない。

 事実、そういう評価の話や現物の評価書も見てきているが、DCF法による収益価格というのは本当にマジックのようである。

 DCF法による収益価格が精度・信頼性が高いと言った人がいたが、それは前提条件が全て完全であるということであろう。
2020.08.06 09:56 | 固定リンク | 鑑定雑感

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