相互信頼社会から相互不信社会へ ~ Vol.1
2022.11.24
VOL.01 振り込め詐欺
昨今、振り込め詐欺もグローバル化しつつある。
また、その手口も高度化しており、高齢者を中心にその被害は一向に減少する様子も見られない。
高齢者の方もテレビ等でその情報を知っている筈であるが、自分だけは大丈夫と気にもしないせいか、相も変わらずまんまと振り込め詐欺に引っ掛かってしまう人が後を絶たない。
そもそも、自分だけは大丈夫と思うこと自体が老化の証かもしれない。
あまり年のせいにしたくはないが、それにしても振り込め詐欺がこれ程流行するとは、誰も想像しえなかったのではと思われる。
息子の交友関係はともかく、息子の声の判別ができないとは、一体どういうことなのであろうか。
ところで、江戸時代や明治頃までの日本は、外国人から見れば礼儀正しく正直者が大半で、金銭的にも執着心が無く、落とし物・忘れ物が紛失することは滅多になかったようである。
「日本人は外国人にどう見られていたか」(三笠書房・知的生き方文庫)によれば、「外国人が称賛する日本人の国民性の一つに「実直さ」がある。
「日本で財布を紛失しても、そのまま届けられるというのが最たる例だ。」とし、1877年(明治10年)から三度にわたって日本を訪れたエドワード・S・モースの話を紹介している。
「私は決して札入れや懐中時計の見張りをしようとしない。鍵をかけぬ部屋の机の上に、私は小銭を置いたままにするのだが、日本人の子供や召使いは一日に数十回出入りしても、触ってはならぬ物にも決して手を触れぬ」(日本その日その日)と正直さを褒めている。
また、三千万人の国民の住家に錠も閂も戸紐も―いや、錠をかけるべき戸をもたない。
と紹介している。
この本によらず、江戸期から明治期に来日した外国人の多くは、日本人のこのような国民性を称賛している。
あれから百年以上経過した昨今の日本を見るにつけ、暗澹たる気分に陥るのである。
昨今、振り込め詐欺もグローバル化しつつある。
また、その手口も高度化しており、高齢者を中心にその被害は一向に減少する様子も見られない。
高齢者の方もテレビ等でその情報を知っている筈であるが、自分だけは大丈夫と気にもしないせいか、相も変わらずまんまと振り込め詐欺に引っ掛かってしまう人が後を絶たない。
そもそも、自分だけは大丈夫と思うこと自体が老化の証かもしれない。
あまり年のせいにしたくはないが、それにしても振り込め詐欺がこれ程流行するとは、誰も想像しえなかったのではと思われる。
息子の交友関係はともかく、息子の声の判別ができないとは、一体どういうことなのであろうか。
ところで、江戸時代や明治頃までの日本は、外国人から見れば礼儀正しく正直者が大半で、金銭的にも執着心が無く、落とし物・忘れ物が紛失することは滅多になかったようである。
「日本人は外国人にどう見られていたか」(三笠書房・知的生き方文庫)によれば、「外国人が称賛する日本人の国民性の一つに「実直さ」がある。
「日本で財布を紛失しても、そのまま届けられるというのが最たる例だ。」とし、1877年(明治10年)から三度にわたって日本を訪れたエドワード・S・モースの話を紹介している。
「私は決して札入れや懐中時計の見張りをしようとしない。鍵をかけぬ部屋の机の上に、私は小銭を置いたままにするのだが、日本人の子供や召使いは一日に数十回出入りしても、触ってはならぬ物にも決して手を触れぬ」(日本その日その日)と正直さを褒めている。
また、三千万人の国民の住家に錠も閂も戸紐も―いや、錠をかけるべき戸をもたない。
と紹介している。
この本によらず、江戸期から明治期に来日した外国人の多くは、日本人のこのような国民性を称賛している。
あれから百年以上経過した昨今の日本を見るにつけ、暗澹たる気分に陥るのである。
拝啓 裁判官の皆様 鑑定は科学ではありません!! ~ Vol.4
2022.11.17
VOL.04 最後に
ところで、本件最高裁判決の補足意見で、示唆に富む疑問が提示されていますので紹介致します。
この裁判官は
「本件鑑定評価が4回にわたって実施された売却手続きの状況からうかがわれる本件土地の需要の状況・宅地造成とその分譲販売という事情が抱えるリスクなどが的確に反映されたものか疑問を挟む余地があり、それが不動産鑑定評価基準に則って算出されたものであり、その過程に特段の不合理な点が指摘できないとしても、上記の諸点を十分に考慮に入れた別異の評価もあり得たのではないかと思われる。」
とし、さらに
「独自試算も相応の理由に基づくもので、恣意的とは言えず、価格水準も低いとはいえない。また、公募による競争性のある手続きによって売却が実施されていることから、その対価も市場性を相当程度反映したものと見ることができるので、譲渡対価が鑑定価格の約50%にとどまる価格であったとしても、それを適正なものではなかったということには疑問を禁じ得ない。」
と指摘されています。
この疑問は尤もなことです。
個人的な経験ではありますが、鑑定評価基準に則って算出した価格が市場に受け入れられなかったケースは多々あり、たった一人の不動産鑑定士の価格が唯一絶対の適正価格ということはありえないのです。
これは、業界内の常識でもあります。
実際、最高裁まで争われた島根県のあるゴルフ場の鑑定評価額は3倍程も異なっていました。
訴訟鑑定でも2倍程度異なるケースは日常茶飯事であり、嘆かわしいことですが、不動産鑑定士相互で不当鑑定だと争うケースは多々見られ、場外乱闘の様相を呈しています。
何故こういうことになるかといえば、不動産鑑定評価は科学ではなく、再現性もなく、検証もできないからです。
評価のプロセスはエビデンス(証拠)ベースを粧っていますが、ほとんどがエピソードベース、つまり限られた事例や限られた経験に基づいていることが多く、第三者がその内容について反証することはできません。
事実、いくら不動産鑑定評価基準に則していたとしても、100人の不動産鑑定士がいれば100の価格が出てくるのです。稀に同じ価格となることもありますが・・・。
特に、特殊な不動産は一般人が参加することが少なく、類似データもほとんどないことが多いので、鑑定評価結果のバラツキは想像以上に大きくなります。誰が評価しても同じ結果になるなら、AIに代替され、専門家としての不動産鑑定士は不用となります。
いずれにしても、鑑定は科学ではなく、また全ての法律に精通し、建築・土木等の技術力を備えたスーパーマンのような不動産鑑定士は存在しません。
鑑定評価は限られた報酬と時間の中での個人の意見であり、判断でありますので、いくら資格があるとしても、能力・経験等の限界もあり、絶対的に正しいと判断される答えを見つけることはできません。(正しい答えがあればの話ではありますが)
よって、たった一人の不動産鑑定士の意見が唯一無二ということにはなりません。
裁判所・国・地方公共団体におかれましては、不動産鑑定評価の限界を認識し、特殊な不動産については少なくとも複数の不動産鑑定士が関与できるように検討していただきたいと考える次第です。
予算の関係上無理ならば、せめてセカンドオピニオンの活用も一つの方法として考えていただければと思います。
尚、鑑定評価の結果は、誰がやってもほぼ同じにならなければいけないと考えると、鑑定評価制度は崩壊します。
何故なら、鑑定評価は単なる計算ではありませんので、数千人もの不動産鑑定士の意見と判断が一致することはあり得ず、また証明のしようもないからです。
疑似科学の代表のような鑑定評価は、正解があるという誤解を生みやすいと思われますので、鑑定評価の限界と利用方法について、広く社会に対して啓蒙活動を行う必要があると考えております。
一方、鑑定業界では、鑑定結果に直接的に関与するという動きもみられますが、そのことは仲間内による話し合い、言葉を換えれば談合による鑑定結果の確認ということになりはしないでしょうか。
仮にそうするなら、個々の鑑定評価は二度手間で、時間と費用の無駄になりますので、鑑定制度自体を廃止し、独立行政法人のような鑑定機関を設置して、行政事務として評価を行うべきと考えます。
鑑定評価は専門家個人としての意見と判断であり、経験・能力が同一ではない以上、バイアスは避けられません。
だから問題が起きるのです。
個人ではなく単一の機関しか鑑定ができないようにすれば、故意又は重大な過失がない限り、鑑定結果の当・不当を争うことは国家といえどもできないことになります。
鑑定評価の絶対性が必要なら、民主主義と決別し、市場経済から離脱する覚悟が必要となります。(市場で成立する価格が常に適正価格になるという保証はないのです。)
以上、浅学非才の身にかかわらず思うまま書き連ねました。これも鑑定業のあり方を思えばこその心情の発露でございますので、ご無礼の程何卒ご容赦下さるようお願い申し上げます。
ところで、本件最高裁判決の補足意見で、示唆に富む疑問が提示されていますので紹介致します。
この裁判官は
「本件鑑定評価が4回にわたって実施された売却手続きの状況からうかがわれる本件土地の需要の状況・宅地造成とその分譲販売という事情が抱えるリスクなどが的確に反映されたものか疑問を挟む余地があり、それが不動産鑑定評価基準に則って算出されたものであり、その過程に特段の不合理な点が指摘できないとしても、上記の諸点を十分に考慮に入れた別異の評価もあり得たのではないかと思われる。」
とし、さらに
「独自試算も相応の理由に基づくもので、恣意的とは言えず、価格水準も低いとはいえない。また、公募による競争性のある手続きによって売却が実施されていることから、その対価も市場性を相当程度反映したものと見ることができるので、譲渡対価が鑑定価格の約50%にとどまる価格であったとしても、それを適正なものではなかったということには疑問を禁じ得ない。」
と指摘されています。
この疑問は尤もなことです。
個人的な経験ではありますが、鑑定評価基準に則って算出した価格が市場に受け入れられなかったケースは多々あり、たった一人の不動産鑑定士の価格が唯一絶対の適正価格ということはありえないのです。
これは、業界内の常識でもあります。
実際、最高裁まで争われた島根県のあるゴルフ場の鑑定評価額は3倍程も異なっていました。
訴訟鑑定でも2倍程度異なるケースは日常茶飯事であり、嘆かわしいことですが、不動産鑑定士相互で不当鑑定だと争うケースは多々見られ、場外乱闘の様相を呈しています。
何故こういうことになるかといえば、不動産鑑定評価は科学ではなく、再現性もなく、検証もできないからです。
評価のプロセスはエビデンス(証拠)ベースを粧っていますが、ほとんどがエピソードベース、つまり限られた事例や限られた経験に基づいていることが多く、第三者がその内容について反証することはできません。
事実、いくら不動産鑑定評価基準に則していたとしても、100人の不動産鑑定士がいれば100の価格が出てくるのです。稀に同じ価格となることもありますが・・・。
特に、特殊な不動産は一般人が参加することが少なく、類似データもほとんどないことが多いので、鑑定評価結果のバラツキは想像以上に大きくなります。誰が評価しても同じ結果になるなら、AIに代替され、専門家としての不動産鑑定士は不用となります。
いずれにしても、鑑定は科学ではなく、また全ての法律に精通し、建築・土木等の技術力を備えたスーパーマンのような不動産鑑定士は存在しません。
鑑定評価は限られた報酬と時間の中での個人の意見であり、判断でありますので、いくら資格があるとしても、能力・経験等の限界もあり、絶対的に正しいと判断される答えを見つけることはできません。(正しい答えがあればの話ではありますが)
よって、たった一人の不動産鑑定士の意見が唯一無二ということにはなりません。
裁判所・国・地方公共団体におかれましては、不動産鑑定評価の限界を認識し、特殊な不動産については少なくとも複数の不動産鑑定士が関与できるように検討していただきたいと考える次第です。
予算の関係上無理ならば、せめてセカンドオピニオンの活用も一つの方法として考えていただければと思います。
尚、鑑定評価の結果は、誰がやってもほぼ同じにならなければいけないと考えると、鑑定評価制度は崩壊します。
何故なら、鑑定評価は単なる計算ではありませんので、数千人もの不動産鑑定士の意見と判断が一致することはあり得ず、また証明のしようもないからです。
疑似科学の代表のような鑑定評価は、正解があるという誤解を生みやすいと思われますので、鑑定評価の限界と利用方法について、広く社会に対して啓蒙活動を行う必要があると考えております。
一方、鑑定業界では、鑑定結果に直接的に関与するという動きもみられますが、そのことは仲間内による話し合い、言葉を換えれば談合による鑑定結果の確認ということになりはしないでしょうか。
仮にそうするなら、個々の鑑定評価は二度手間で、時間と費用の無駄になりますので、鑑定制度自体を廃止し、独立行政法人のような鑑定機関を設置して、行政事務として評価を行うべきと考えます。
鑑定評価は専門家個人としての意見と判断であり、経験・能力が同一ではない以上、バイアスは避けられません。
だから問題が起きるのです。
個人ではなく単一の機関しか鑑定ができないようにすれば、故意又は重大な過失がない限り、鑑定結果の当・不当を争うことは国家といえどもできないことになります。
鑑定評価の絶対性が必要なら、民主主義と決別し、市場経済から離脱する覚悟が必要となります。(市場で成立する価格が常に適正価格になるという保証はないのです。)
以上、浅学非才の身にかかわらず思うまま書き連ねました。これも鑑定業のあり方を思えばこその心情の発露でございますので、ご無礼の程何卒ご容赦下さるようお願い申し上げます。
(2019年5月 傍目八目掲載/「拝啓 裁判官の皆様 鑑定は科学ではありません!!」)
拝啓 裁判官の皆様 鑑定は科学ではありません!! ~ Vol.3
2022.11.10
VOL.03 最高裁判決
原審は、適正な対価なくして処分したことになるとして、損害賠償を認容しました。
A市長はこれを不服として上告したものです。
最高裁は、
「鑑定評価額を踏まえた上で、本件譲渡が適正な対価によらずにされたものであったとしても、これを行う必要性と妥当性についても審議されており、本件譲渡が適正な対価によらないものであることを前提として審議された上これを行うことを認める趣旨でされたものと評価することができるから、本件譲渡議決をもって議会の議決があったということができる。」
とし、
「A市長が裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したことをうかがわせる事情は存しない。
したがって、本件譲渡に財務会計法規上の義務に違反する違法はなく、A市長は本件譲渡に関して市に対する損害賠償責任は負わないというべきである。」
と判示しました。
さて、鑑定評価額の約半値で売却したことが問題とされましたが、2回目の鑑定評価時点に依頼を受けた不動産鑑定士は、この間の市有地の売却の経緯等について、担当者から十分に説明を受けていたのでしょうか。
平成20年10月1日の鑑定評価格17,000円/㎡で売れなかったため、平成22年9月には12,641円/㎡と約26%の値下げをしましたが、同月独自試算によりさらに7,364円/㎡と約42%の値下げを行っています。
それでも売れなかったため、平成23年10月に再鑑定を行いましたが、驚くなかれ、担当不動産鑑定士は7億1300万円(平方メートル当たり11,500円)という鑑定評価を行っているのです。
1年前に7,364円/㎡でも売れなかったという事情が分かった上で鑑定評価を行ったとすれば、発注者と担当不動産鑑定士との間で何らかの事情があったと推測する他はありません。
仮に何もなかったとすれば、不動産鑑定士としての能力に疑問符がつきはしないでしょうか。
それはともかく、鑑定価格ではどうしようもないと思った市は、独自に試算し、売却予定価格を5,448円/㎡と鑑定価格の半値以下に設定して、ようやく売却に至っています。
売却結果は5,645円/㎡と予定価格を約4%上回りましたが、それでも鑑定価格の半値です。
常識的にみれば、市の試算価格の方が適切・妥当であったというべきではと思われます。
たった一人の不動産鑑定士による鑑定結果が、かくも社会に大きな影響を与え、少なからぬ人に負担をかけたことを思えばその責任は計り知れません。
原審は、適正な対価なくして処分したことになるとして、損害賠償を認容しました。
A市長はこれを不服として上告したものです。
最高裁は、
「鑑定評価額を踏まえた上で、本件譲渡が適正な対価によらずにされたものであったとしても、これを行う必要性と妥当性についても審議されており、本件譲渡が適正な対価によらないものであることを前提として審議された上これを行うことを認める趣旨でされたものと評価することができるから、本件譲渡議決をもって議会の議決があったということができる。」
とし、
「A市長が裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したことをうかがわせる事情は存しない。
したがって、本件譲渡に財務会計法規上の義務に違反する違法はなく、A市長は本件譲渡に関して市に対する損害賠償責任は負わないというべきである。」
と判示しました。
さて、鑑定評価額の約半値で売却したことが問題とされましたが、2回目の鑑定評価時点に依頼を受けた不動産鑑定士は、この間の市有地の売却の経緯等について、担当者から十分に説明を受けていたのでしょうか。
平成20年10月1日の鑑定評価格17,000円/㎡で売れなかったため、平成22年9月には12,641円/㎡と約26%の値下げをしましたが、同月独自試算によりさらに7,364円/㎡と約42%の値下げを行っています。
それでも売れなかったため、平成23年10月に再鑑定を行いましたが、驚くなかれ、担当不動産鑑定士は7億1300万円(平方メートル当たり11,500円)という鑑定評価を行っているのです。
1年前に7,364円/㎡でも売れなかったという事情が分かった上で鑑定評価を行ったとすれば、発注者と担当不動産鑑定士との間で何らかの事情があったと推測する他はありません。
仮に何もなかったとすれば、不動産鑑定士としての能力に疑問符がつきはしないでしょうか。
それはともかく、鑑定価格ではどうしようもないと思った市は、独自に試算し、売却予定価格を5,448円/㎡と鑑定価格の半値以下に設定して、ようやく売却に至っています。
売却結果は5,645円/㎡と予定価格を約4%上回りましたが、それでも鑑定価格の半値です。
常識的にみれば、市の試算価格の方が適切・妥当であったというべきではと思われます。
たった一人の不動産鑑定士による鑑定結果が、かくも社会に大きな影響を与え、少なからぬ人に負担をかけたことを思えばその責任は計り知れません。
拝啓 裁判官の皆様 鑑定は科学ではありません!! ~ Vol.2
2022.11.02
VOL.02 経緯
市有地売却までの経緯をみると、平成10年に62,000.43㎡の市有地において宅地造成事業を開始したが、需要が少ないという理由で平成15年に同事業を廃止。
その後平成17年に工業用地に転換する事業計画を立てたが、その事業も実現しなかった。
市は平成20年2月に本件土地を住宅地にする計画を表明し、平成20年10月1日を価格時点とした鑑定評価額10億5,400万円(平方メートル当たり17,000円)と同額を予定価格として公表し、一般競争入札に付したが、申込みをした者はいなかった。
同年11月14日に再度予定価格を非公表とした一般競争入札を実施したが、申込をした者はいなかった。
市は平成22年秋に、本件土地の一部についてでも買受けの応募があれば売払い可能となるようにするため、応募者から土地利用計画等の事業実施に係る提案を受け、これを審査して事業者を選定する、いわゆるプロポーザル方式による3回目の売却を実施した。
一方、市は平成22年9月議会で、本件土地を一括ではなく4万㎡以上を購入するという条件で、購入を希望する面積及び価格の提示を受けること、予定価格は非公表とすること、プロポーザル方式によって相手方を選定する方針であることについて説明。
同市の不動産評価審議会は、平成22年9月、本件土地の現在の価格として、その評価額を4万㎡につき5億0566万円、平方メートル当たり12,641円とした。
ちなみにこの価格は、鑑定価格より約26%低い。
市は、同月30日、予定価格を非公表としてプロポーザル方式により事業実施者を公募し、同年10月18日、本件土地が大規模でかつ近隣に類似する適切な取引事例が存在しないとして、取引事例比較法による比準価格を採用せず、事業実施者が本件土地の造成・販売に要する期間を考慮して、5年後の価格を予測することとしてその予定価格を4億5657万1166円(4万㎡につき2億9458万円)、平方メートル当たり7,364円と定めた。(この価格は鑑定評価格より約57%低い)
平成22年10月26日、公募により1社からの応募があったが、購入を希望する面積は4万㎡、価格は2億5800万円で、予定価格を約12.4%下回っていた。
その頃、本件土地に近い大手企業の社宅跡地が売却され、宅地化されるという報道があり、前記の応募会社は同年11月24日応募を撤回した。
市は、本件土地について、再度不動産鑑定を行い、平成23年10月1日を価格時点とする鑑定評価額7億1300万円(11,500円/㎡)の鑑定評価書の提出を受け、同年11月4日の不動産評価審議会は、予定価額を鑑定評価額と同額とした。(この価格は、前年の応募価格6,450円/㎡より約78%高い)
市は、同年11月8日、議員全員協議会において、4回目の売却手続きを行うことを説明した。
その後、平成23年11月9日、売払最低面積4万㎡、予定価格を非公表として、プロポーザル方式により事業実施者を公募し、同月18日に前回とほぼ同様の理由で、不動産評価審議会の予定価額より低い3億3777万8342円(平方メートル当たり5,448円)と定めた。
E社とA社は平成23年11月25日、共同で本件土地全体を3億5000万円で買受け、宅地及び施設用地とするという内容で応募したが、他に応募者はいなかった。
A市長は、平成23年12月5日、前記会社と条例による議会の議決を得ることを停止条件として、3億5000万円で売却するという仮契約を締結した。
市は、平成23年12月8日、議員全員協議会においてこれらの経緯を説明し、平成23年12月12日に市議会に提出した。
市議会は、生活環境委員会に審議を付託した。
市は、鑑定評価額が7億円であること、予定価格が3億3777万8342円であることを説明し、同委員会は本件議案を可決する議決をした。
平成23年12月15日の本会議において、鑑定評価格は1坪当たり3万8000円(11,500円/㎡)であるのに、本件における譲渡価格は坪当たり1万8000円(5,445円/㎡)になるなどの発言があった。
決算特別委員会は、本決算を不認定としたものの、平成24年12月14日の本会議において、本件譲渡による収入3億5000万円を含め、本件決算を認定する議決を行った。
以上、経緯を判決より引用しましたが、問題は、鑑定評価額の半値以下で処分したことが適正な対価なくして処分したことになるのかどうかです。
市有地売却までの経緯をみると、平成10年に62,000.43㎡の市有地において宅地造成事業を開始したが、需要が少ないという理由で平成15年に同事業を廃止。
その後平成17年に工業用地に転換する事業計画を立てたが、その事業も実現しなかった。
市は平成20年2月に本件土地を住宅地にする計画を表明し、平成20年10月1日を価格時点とした鑑定評価額10億5,400万円(平方メートル当たり17,000円)と同額を予定価格として公表し、一般競争入札に付したが、申込みをした者はいなかった。
同年11月14日に再度予定価格を非公表とした一般競争入札を実施したが、申込をした者はいなかった。
市は平成22年秋に、本件土地の一部についてでも買受けの応募があれば売払い可能となるようにするため、応募者から土地利用計画等の事業実施に係る提案を受け、これを審査して事業者を選定する、いわゆるプロポーザル方式による3回目の売却を実施した。
一方、市は平成22年9月議会で、本件土地を一括ではなく4万㎡以上を購入するという条件で、購入を希望する面積及び価格の提示を受けること、予定価格は非公表とすること、プロポーザル方式によって相手方を選定する方針であることについて説明。
同市の不動産評価審議会は、平成22年9月、本件土地の現在の価格として、その評価額を4万㎡につき5億0566万円、平方メートル当たり12,641円とした。
ちなみにこの価格は、鑑定価格より約26%低い。
市は、同月30日、予定価格を非公表としてプロポーザル方式により事業実施者を公募し、同年10月18日、本件土地が大規模でかつ近隣に類似する適切な取引事例が存在しないとして、取引事例比較法による比準価格を採用せず、事業実施者が本件土地の造成・販売に要する期間を考慮して、5年後の価格を予測することとしてその予定価格を4億5657万1166円(4万㎡につき2億9458万円)、平方メートル当たり7,364円と定めた。(この価格は鑑定評価格より約57%低い)
平成22年10月26日、公募により1社からの応募があったが、購入を希望する面積は4万㎡、価格は2億5800万円で、予定価格を約12.4%下回っていた。
その頃、本件土地に近い大手企業の社宅跡地が売却され、宅地化されるという報道があり、前記の応募会社は同年11月24日応募を撤回した。
市は、本件土地について、再度不動産鑑定を行い、平成23年10月1日を価格時点とする鑑定評価額7億1300万円(11,500円/㎡)の鑑定評価書の提出を受け、同年11月4日の不動産評価審議会は、予定価額を鑑定評価額と同額とした。(この価格は、前年の応募価格6,450円/㎡より約78%高い)
市は、同年11月8日、議員全員協議会において、4回目の売却手続きを行うことを説明した。
その後、平成23年11月9日、売払最低面積4万㎡、予定価格を非公表として、プロポーザル方式により事業実施者を公募し、同月18日に前回とほぼ同様の理由で、不動産評価審議会の予定価額より低い3億3777万8342円(平方メートル当たり5,448円)と定めた。
E社とA社は平成23年11月25日、共同で本件土地全体を3億5000万円で買受け、宅地及び施設用地とするという内容で応募したが、他に応募者はいなかった。
A市長は、平成23年12月5日、前記会社と条例による議会の議決を得ることを停止条件として、3億5000万円で売却するという仮契約を締結した。
市は、平成23年12月8日、議員全員協議会においてこれらの経緯を説明し、平成23年12月12日に市議会に提出した。
市議会は、生活環境委員会に審議を付託した。
市は、鑑定評価額が7億円であること、予定価格が3億3777万8342円であることを説明し、同委員会は本件議案を可決する議決をした。
平成23年12月15日の本会議において、鑑定評価格は1坪当たり3万8000円(11,500円/㎡)であるのに、本件における譲渡価格は坪当たり1万8000円(5,445円/㎡)になるなどの発言があった。
決算特別委員会は、本決算を不認定としたものの、平成24年12月14日の本会議において、本件譲渡による収入3億5000万円を含め、本件決算を認定する議決を行った。
以上、経緯を判決より引用しましたが、問題は、鑑定評価額の半値以下で処分したことが適正な対価なくして処分したことになるのかどうかです。