拝啓 裁判官の皆様 鑑定は科学ではありません!! ~ Vol.1
2022.10.27
VOL.01 拝啓 裁判官の皆様

 日頃より、裁判所において不動産鑑定士のご活用を頂き、誠に有り難く感謝申し上げます。

さて、不動産鑑定評価について、過大なご期待、あるいは誤解があるのではと思われるケースを目にしましたので、勝手に思うところを述べたいと思います。

平成30年11月、最高裁第三小法廷において、広島県O市における市有地の売却に関する判決が出されました。

この事件は、市有財産を鑑定評価額の約半値で処分したことの是非を巡る争いでした。
2022.10.27 14:40 | 固定リンク | 鑑定雑感
言(加害意識)は水に流れ、聞(被害意識)は心に刻む ~ Vol.5
2022.10.20
VOL.05 言(加害意識)は水に流れ、聞(被害意識)は心に刻む

 昨今の領土問題や韓国の少女像問題を契機に歴史問題が蒸し返されているが、いじめ問題もある意味似た側面がある。

 子供時代の悪ガキはいじめっ子の代表であるが、大人になると意外と良い人になっており、悪ガキ時代の悪さやいじめのことはスッカリ忘れている。
 
 尤も、本人自体が悪さやいじめの事実を自覚していないことが多いので、忘れるというより記憶に無いというのが正解なのかもしれない。

 他方、悪さをされたりいじめられた方は深く傷つき、下手をすれば生涯忘れることができないでいる。

 筆者もいじめられたり、悪ふざけをしたりしたが、不思議といじめられたことは覚えているが、悪ふざけで相手を傷つけたかもしれないことについては全く記憶にないのである。

 50代の同窓会で、当人としては仲良くじゃれ合った程度としか思っていなかったことが、相手からお前にはいじめられたと言われたときは、正直ショックであった。

 いじめ問題は国内問題であるから、世界の問題として外国からバッシングされることはないが、歴史問題となるとそうはいかない。

 言葉は水に流れ、言われた方は感受性の程度の多少はあっても心に傷がつくこともある。

 『モノは言いよう』と言うけれど、『言い方を知らない』人々が多くなっている現代は、まさにお互いに罵り合う時代と言っても過言ではないと思うのである。

 言葉だけでも傷つくのに、加害行為が加われば、傷つく度合いは更に大きくなる。

 戦後70年を経ても尚、戦前の日本の加害行為に対する問題が蒸し返されるのは、傷ついた者のある意味怨みに近い憎しみの発露かもしれない。

 しかし、それ以上に問題なのは、戦争の大義があったとしても、日本が戦前のことは全て終わったことにして、諸外国と真摯に向き合ってこなかったことではないかと思うのである。

 南京大虐殺30万人と喧伝されているが、ドイツはユダヤ人を 600万人も虐殺したのである。

 にもかかわらず、ドイツがユダヤ人社会から、日本が中国や韓国からとやかく言われているのと同じように虐殺問題を蒸し返されているというようなことがあるとは聞いたことがない。

 この差は一体どこから来るのであろうか。

 新聞その他によれば、ドイツは今でも虐殺に関連した収容所の責任者の追求の手を緩めてはいない。
 戦争犯罪人を自らの手で裁き、ユダヤ人社会に責任を果たし、二度とヒトラー時代のようなことが起きないよう、教育も含めて戦後処理を続けている。

 繰り返しになるが、歴史を学ぶということは、断じて事件・事変の年代を覚えることではない。

 歴史を学ぶということは、その時代に立ってどうしてそのようなことが起きたのか、何が問題であったのか、どうすれば回避できたのか等について思考を巡らせることであり、いわば思考訓練の一つではないかと思っている。


 昨今の領土問題や戦前の問題の蒸し返しは、年表歴史教育のツケであると個人的には確信している。

 強者に弱者の心理は分からず、弱者は被害者意識を募らせ、非難を繰り返す。

 グローバル経済は少数の勝者と多数の弱者を排出させ、二極化が極度に進行して国家は不安定化する。
 金融資本は自己に都合の良い国家を目指して移動し、国家の存在意義を問うことになる。
 TPP問題は、嫌でも日本国民にグローバル化の代償を払わせるだろうと思うのであるが、残念ながら年表歴史教育で育った世代に、歴史的視点を持つことや、歴史に学び、それを踏まえた哲学的思考はできないので、時代の変化に適切に対応することは困難と思わざるを得ない。

 更に問題なのは、冷静な議論ができるような教育・訓練ができていないということである。

 小学校からの英語教育はそれなりに有意義とは思うが、批判と非難をゴチャ混ぜにしてまともな議論ができない人間ばかりを輩出するような現在の教育制度では、世の中はますます混迷化するのではないかと危惧している。

 この年になっても反省することばかりで偉そうなことは言えないが、言(加害意識)は水に流れ、聞(被害意識)は心に刻むという仏教の教えを胸に刻み、冷静な議論ができる社会が来ることを望みたい。

 

(2018年11月 傍目八目掲載/「言(加害意識)は水に流れ、聞(被害意識)は心に刻む」)

2022.10.20 11:21 | 固定リンク | 鑑定雑感
言(加害意識)は水に流れ、聞(被害意識)は心に刻む ~ Vol.4
2022.10.13
VOL.04 量産化の条件

 量産化するためには、一人の優れた刀鍛冶だけでは足りない。

 とすれば、当時の教育や技術的環境はどうであったのであろうか。

 極めて短期間に量産化を成功させるためには、多数の能力・技術力のある人間が必要となるが、量産化に成功したということは、その当時既に先進的・革新的技術を消化できる人間が大勢存在し、社会的にもその機能を十分発揮していたということになる。

 ということは、現在のような材料調達・加工・生産・資金調達・販売流通というシステムが完成していたということに他ならない。

 交通・通信手段も不十分な中で、全国からの情報が入手され、極めて効率的に生産・流通が行われていたという日本の社会が、一体どのような過程を経て構築されていったのか疑問は尽きないが、年表歴史では当時の事情を想像させることも、考えさせることもできない。

 いずれにしても、このような社会が存在するためには、全ての情報伝達が口伝えだったということはありえないので、相当量の情報が文書で伝達されていたということになる。

 とすれば、当時の日本人の識字能力の高さは現在の中進国よりもはるか上であったと考えられるが、さて、その識字能力の高さを支えた当時の教育システムは、一体どのようなものであったのだろうか。

 これらのことを考えると、戦国時代やそれ以前の日本の社会は、我々が想像するよりもはるかにダイナミックであり、当時の日本人は現代に勝るとも劣らぬぐらい生き生きと日本中を駆け巡って生活していたのではないかと思うのである。

 歴史を学ぶということは、事件・事変のあった年代を覚えることではなく、その時代背景と社会のありようを洞察し、人間社会の未来にどう反映されるのか、あるいは同じ間違いを繰り返さないためにどうすべきかを学ぶことではないのかと考えるのである。

 戦後の歴史教育は、年表歴史教育そのものであり、真の歴史教育の欠如が、戦後70年以上経ても近隣諸国を悩ませる人間を作り上げてきたとしか思えない。

 歴史を学ぶという真の姿はどうあるべきかをもっと議論し、年表歴史教育から脱却しなければ、真のリーダーが育つはずはないし、また世界の信頼に足る日本を作り上げることはできないと言わざるを得ない。
2022.10.13 13:15 | 固定リンク | 鑑定雑感
言(加害意識)は水に流れ、聞(被害意識)は心に刻む ~ Vol.3
2022.10.06
VOL.03 鉄砲の量産化

 1543年に種子島に来航したポルトガル人が持ち込んだ鉄砲を見た領主の種子島時堯は、2000両という大金をはたいて2挺の火縄銃を手に入れ、刀鍛冶に複製の研究を命じたが、驚くなかれ、翌年には試作に成功しているのである。

 専門教育を受けた訳でもない種子島という辺境の地の刀鍛冶が、領主に命じられたとはいえ、わずか1年で、生まれて初めて見た鉄砲の複製に成功したのである。

 当時の日本人の能力・技術水準の高さには、ただただ驚嘆する他はない。
 
 それにも増して驚くのは、試作に成功した7年後には、豊後の国(現在の大分県)だけで3万挺、全国で約30万挺の鉄砲を生産・所有していたと言われている。

 単純に言えば、1年間に約43,000挺の鉄砲を量産したことになる。

 尤も、試作から量産方法を検討するためには、少なくとも1年以上のリードタイムが必要と思われるので、実際には年間5万挺以上の鉄砲を生産していたことになる。

 当時のポルトガル・スペインは先進国であり、世界中に航海し、鉄砲を持って行ったと思われるが、何らの技術的援助も受けることなく独自の技術で試作に成功し、量産化に成功したのは日本だけであったのである。

 更に驚くのは、鉄砲の生産量は本家本元のポルトガルをも凌ぎ、当時世界一であったとも言われている。

 何故、日本人だけにこのようなことが可能だったのであろうか。

 たかが鉄砲伝来と深く考えてみもしなかったが、よくよく考えるとこれは大変なことである。

2022.10.06 09:08 | 固定リンク | 鑑定雑感

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