ネットサーフィン鑑定 ~ 鑑定評価書作成業(?)の行方 Vol.4
2021.04.28
VOL.04 ネットサーフィン鑑定
インターネットの普及により、評価書を書くための情報収集は格段に便利になった。
現地さえ見たら、後はネットサーフィンで情報を集め、評価書を作成するだけである。
記載の仕方は実地演習で記載例が示されているので、そのとおりに書いておけば特に問題はない。
評価額は依頼者の方が詳しいので、依頼者の意向を十分に肘度するか、相評路線価と公示価格、基準地価格があれば計算はどうでもなる。
最近の評価書の見栄え・体裁は非常に良くなっているが、評価者の人格・見識が反映されていないのは寂しい。
横並び一線で誰が評価(個人的には評価というより計算しているとしか思えないのだが)しても同じでなければならないという風潮が支配的であるため、鑑定評価は不動産鑑定士の意見であり判断であるという基準の理念はどこかに吹き飛んでしまったようである。
もっとも、誰が評価しても同じ結果で、評価書の内容も同じであるなら、評価料は安いにこしたことはない。
したがって、役所が発注する鑑定業務はこの前提に立って一般競争入札になってしまった。
故櫛田光男先生がこの実態を見たら、きっと嘆くであろうと思われる。
役所が一般競争入札で鑑定士(鑑定業者)に求めているのは、故櫛田先生の言う鑑定評価ではなく、単なる鑑定評価書作成業務でしかない。
道路や建物のように仕様が決まっていて、誰がやっても同じモノができるのなら入札に馴染むが、鑑定評価は経験・知識に裏打ちされた人格・見識の表明である。
役所が良い仕事より安い仕事を求めているのなら、鑑定評価制度の使命は終わったとしか言いようがない。
ネットサーフィンによる安直な評価書作成業務が一世を風靡するのもむべなるかなである。
本当の実力が試されるのは、これからは競売不動産の調査・評価と訴訟鑑定だけになるであろうと思っている。
この二つについては、依頼者の意向を肘度することもない。
また、調査・確認・確定も自分の力でやるしかないからである。
しかも常に当事者・第三者からの批判にさらされるので、安請負いはできない。
国道敷地を誤認して売却した事実は真摯に受け止めなければならない。
この件で競落人が評価人を相手に民事損害賠償の申し立てをしたら、全く違った結果が出るものと確信している。
何故なら、同様のケースでは評価人の善管注意義務を厳しく認定しているからである。
依頼者が資料を用意してくれたり、現地案内をしてくれるような一般鑑定ばかりをやっていると、注意能力・調査能力は向上しない。
インターネットの普及により、評価書を書くための情報収集は格段に便利になった。
現地さえ見たら、後はネットサーフィンで情報を集め、評価書を作成するだけである。
記載の仕方は実地演習で記載例が示されているので、そのとおりに書いておけば特に問題はない。
評価額は依頼者の方が詳しいので、依頼者の意向を十分に肘度するか、相評路線価と公示価格、基準地価格があれば計算はどうでもなる。
最近の評価書の見栄え・体裁は非常に良くなっているが、評価者の人格・見識が反映されていないのは寂しい。
横並び一線で誰が評価(個人的には評価というより計算しているとしか思えないのだが)しても同じでなければならないという風潮が支配的であるため、鑑定評価は不動産鑑定士の意見であり判断であるという基準の理念はどこかに吹き飛んでしまったようである。
もっとも、誰が評価しても同じ結果で、評価書の内容も同じであるなら、評価料は安いにこしたことはない。
したがって、役所が発注する鑑定業務はこの前提に立って一般競争入札になってしまった。
故櫛田光男先生がこの実態を見たら、きっと嘆くであろうと思われる。
役所が一般競争入札で鑑定士(鑑定業者)に求めているのは、故櫛田先生の言う鑑定評価ではなく、単なる鑑定評価書作成業務でしかない。
道路や建物のように仕様が決まっていて、誰がやっても同じモノができるのなら入札に馴染むが、鑑定評価は経験・知識に裏打ちされた人格・見識の表明である。
役所が良い仕事より安い仕事を求めているのなら、鑑定評価制度の使命は終わったとしか言いようがない。
ネットサーフィンによる安直な評価書作成業務が一世を風靡するのもむべなるかなである。
本当の実力が試されるのは、これからは競売不動産の調査・評価と訴訟鑑定だけになるであろうと思っている。
この二つについては、依頼者の意向を肘度することもない。
また、調査・確認・確定も自分の力でやるしかないからである。
しかも常に当事者・第三者からの批判にさらされるので、安請負いはできない。
国道敷地を誤認して売却した事実は真摯に受け止めなければならない。
この件で競落人が評価人を相手に民事損害賠償の申し立てをしたら、全く違った結果が出るものと確信している。
何故なら、同様のケースでは評価人の善管注意義務を厳しく認定しているからである。
依頼者が資料を用意してくれたり、現地案内をしてくれるような一般鑑定ばかりをやっていると、注意能力・調査能力は向上しない。
ネットサーフィン鑑定 ~ 鑑定評価書作成業(?)の行方 Vol.3
2021.04.22
VOL.03 劣化する不動産鑑定士の調査能力
一般鑑定においては、対象不動産に関する資料等は依頼者が用意してくれることが多いので、後は現地で対象不動産を眺めて帰って来ることが多い(外観調査はその最たるものであるが)。
今は飛行機が発達しているので、見知らぬ都市に行っても日帰りが可能となった。
事実、東京・名古屋からだと札幌へ日帰りで鑑定実査する人もいる。
当然現地には数時間しかいられないが、それでも何とかなっているのが今の業界の実情である。
ご当地に長く居住していてもなかなか市場の動向は良く解らないでいるが、世の中には優秀な人が多く、全国どこでもチラッと見れば評価できるようである。
田舎モンの私には逆立ちしたってこのような真似はできない。
時代は遠くなってしまったのかと一人愚痴っている。
そんな日々の中、ネット情報で不動産の調査に関してトンデモない事例を見つけたので紹介する。
それは「憤懣本舗」というブログである。詳細はこのブログを見て欲しい。
ところで、このブログで紹介されていたのが、競売不動産を落札したものの、実際は国道の敷地で使えないということである。
この物件は神戸地裁管内の物件で、落札した人が裁判所を相手に裁判の申し立てをしたらしいが、判決では競売不動産はハッキリしないモノも売っているので買った人の責任ということで申し立ては受け入れてもらえなかったということである。
関西ではこの件についてテレビでも放送されたらしい。
かつて先輩から競売不動産の調査・評価は道路の調査に始まり道路の調査で終わると聞かされた。
したがって、この競売物件について執行官はともかく、評価人は一体何をやっていたのかと思わざるを得ないのである。
国道は、少なくとも市町村道よりキチンと管理されており、又国道の管理台帳図もその精度は高く、信頼性はある。
したがって、基本的な調査を行ってさえいれば、国道の敷地かどうかは直ちに判明したはずである。
それができなかったのは、法務局の図面を鵜呑みにし、かつ現地での照合作業も不十分であったとしか思えない。
個人的感想を言えば、対象物件の確定・確認においては、何をさて置いても道路台帳図の確認をするべきである。
しかし残念ながら一部の役所では、道路台帳図の写しを交付してもらえないのも事実である。
道路法という法律で道路台帳の整備や道路台帳図の作成を義務づけているが、その整備水準・精度・内容・閲覧対応等はバラバラであるから、調査の苦労も解らない訳ではないが、今回のケースは国道である。
筆者の経験では、少なくとも国道についてはキチンと対応してくれている。
それは北海道だけの話と言われればそれまでであるが。
道路法では、道路の区域を決定し、供用の開始を行う場合は必要事項を公示し、かつこれを表示した図面を一般の縦覧に供しなければならないとしている。
これによって道路の官民間の境界が判るのである。
ただ用地未処理のまま区域決定がされているのも事実であり、全国的にはこれら未処理の用地(今回競売になったケース)は相当数にのぼると聞いている。
いずれにしても、基本に忠実に調査していれば、国道敷地かどうかについて誤認することはまず無いと思われる。
今回、国道敷地を競売で売却したことは、評価人にも相当の注意義務違反があったと言わざるを得ない。
ところで、不動産鑑定士試験及び実地演習においては、調査能力を問われることもないし、訓練を受けることもない。
喩えは悪いかもしれないが、机上で水泳の勉強をしただけで、いきなりプールで泳ぐようなものである。
机上の勉強だけで泳げるのであれば、苦労はない。
理屈と実務は異なるのである。
新試験になってから、尚更この傾向が強くなってきたのは困った現象である。
理屈は高度化?したが、実地レベルについては問題山積である。
一般鑑定においては、対象不動産に関する資料等は依頼者が用意してくれることが多いので、後は現地で対象不動産を眺めて帰って来ることが多い(外観調査はその最たるものであるが)。
今は飛行機が発達しているので、見知らぬ都市に行っても日帰りが可能となった。
事実、東京・名古屋からだと札幌へ日帰りで鑑定実査する人もいる。
当然現地には数時間しかいられないが、それでも何とかなっているのが今の業界の実情である。
ご当地に長く居住していてもなかなか市場の動向は良く解らないでいるが、世の中には優秀な人が多く、全国どこでもチラッと見れば評価できるようである。
田舎モンの私には逆立ちしたってこのような真似はできない。
時代は遠くなってしまったのかと一人愚痴っている。
そんな日々の中、ネット情報で不動産の調査に関してトンデモない事例を見つけたので紹介する。
それは「憤懣本舗」というブログである。詳細はこのブログを見て欲しい。
ところで、このブログで紹介されていたのが、競売不動産を落札したものの、実際は国道の敷地で使えないということである。
この物件は神戸地裁管内の物件で、落札した人が裁判所を相手に裁判の申し立てをしたらしいが、判決では競売不動産はハッキリしないモノも売っているので買った人の責任ということで申し立ては受け入れてもらえなかったということである。
関西ではこの件についてテレビでも放送されたらしい。
かつて先輩から競売不動産の調査・評価は道路の調査に始まり道路の調査で終わると聞かされた。
したがって、この競売物件について執行官はともかく、評価人は一体何をやっていたのかと思わざるを得ないのである。
国道は、少なくとも市町村道よりキチンと管理されており、又国道の管理台帳図もその精度は高く、信頼性はある。
したがって、基本的な調査を行ってさえいれば、国道の敷地かどうかは直ちに判明したはずである。
それができなかったのは、法務局の図面を鵜呑みにし、かつ現地での照合作業も不十分であったとしか思えない。
個人的感想を言えば、対象物件の確定・確認においては、何をさて置いても道路台帳図の確認をするべきである。
しかし残念ながら一部の役所では、道路台帳図の写しを交付してもらえないのも事実である。
道路法という法律で道路台帳の整備や道路台帳図の作成を義務づけているが、その整備水準・精度・内容・閲覧対応等はバラバラであるから、調査の苦労も解らない訳ではないが、今回のケースは国道である。
筆者の経験では、少なくとも国道についてはキチンと対応してくれている。
それは北海道だけの話と言われればそれまでであるが。
道路法では、道路の区域を決定し、供用の開始を行う場合は必要事項を公示し、かつこれを表示した図面を一般の縦覧に供しなければならないとしている。
これによって道路の官民間の境界が判るのである。
ただ用地未処理のまま区域決定がされているのも事実であり、全国的にはこれら未処理の用地(今回競売になったケース)は相当数にのぼると聞いている。
いずれにしても、基本に忠実に調査していれば、国道敷地かどうかについて誤認することはまず無いと思われる。
今回、国道敷地を競売で売却したことは、評価人にも相当の注意義務違反があったと言わざるを得ない。
ところで、不動産鑑定士試験及び実地演習においては、調査能力を問われることもないし、訓練を受けることもない。
喩えは悪いかもしれないが、机上で水泳の勉強をしただけで、いきなりプールで泳ぐようなものである。
机上の勉強だけで泳げるのであれば、苦労はない。
理屈と実務は異なるのである。
新試験になってから、尚更この傾向が強くなってきたのは困った現象である。
理屈は高度化?したが、実地レベルについては問題山積である。
ネットサーフィン鑑定 ~ 鑑定評価書作成業(?)の行方 Vol.2
2021.04.15
VOL.02 国土情報のインフラ整備と不動産調査
前述したように、我が国における地籍・道路・上下水道・河川・家屋等、国土の根幹をなすこれらの基礎的な国土情報の内容・精度・取扱い方等はバラバラであるのが現実である。
縦割行政の中ではこれらの情報を横断的に整理・標準化する等ということは、どうやら夢の又夢のようである。
戦前、陸軍と海軍の兵器の規格が不統一で互換性がないため、前線でどれ程苦労したか良く理解されていないらしく、戦後の行政に教訓として全く生かされていないのは残念という他はない。
民間部門の工業の世界では、製品の品質はさておくとしても、規格化・標準化がマーケットを制することになる。
したがって、いくら品質が良くても大量生産の世界では、規格化・標準化の競争に負ければマーケットからの退場を余儀なくされる。
かつて、ビデオレコーダーの規格・標準化競争の中で、ソニーのベータ方式はその品質が良かったにもかかわらず、VHS方式に負けてしまった。
しかしそのVHS方式のビデオも、8ミリビデオの登場でその影は薄くなってしまったが、その寿命は短く、DVDレコーダーの登場となった。
そして、DVDの記録方式を巡って東芝とソニーの激しい競争の結果、ソニーのブルーレイの完勝に終わり、東芝は撤退した。
他方、国土に関する行政情報を見ると、強力な中央集権国家となっていながら、その中身はつまるところ公共事業の配分を巡る権力と金の集中でしかなかったと言わざるを得ない。
話が少しズレたが、国土情報整備の基本方針がなく、規格化・標準化も不十分であったため、47都道府県1727市町村における行政事務をみると、帳票一つ取ってもバラバラで、見づらいことこの上ない。
まして国土情報の基本となる各種図面の精度・内容・取扱いがバラバラとあっては、不動産の調査・確認資料としては問題である。
これらの図面の中には、精度的にはマンガレベルのものもあり、精度以前の図面という他はない。
個人的にはどうしてこうなっているのかは理解できない。
しかし考えてみれば、行政情報の精度やその内容がバラバラであるからこそ、専門家と称する人種が必要とされるのかもしれない。
将来、全ての国土情報の規格化・標準化がなされる時代が来たら、専門家の活躍する機会は減り、専門家の大半は失業するのかもしれない。
とすれば、我々のような職業のある部分は国土情報のインフラ整備の立ち後れに咲いた徒花なのかもしれないと思う他はない。
前述したように、我が国における地籍・道路・上下水道・河川・家屋等、国土の根幹をなすこれらの基礎的な国土情報の内容・精度・取扱い方等はバラバラであるのが現実である。
縦割行政の中ではこれらの情報を横断的に整理・標準化する等ということは、どうやら夢の又夢のようである。
戦前、陸軍と海軍の兵器の規格が不統一で互換性がないため、前線でどれ程苦労したか良く理解されていないらしく、戦後の行政に教訓として全く生かされていないのは残念という他はない。
民間部門の工業の世界では、製品の品質はさておくとしても、規格化・標準化がマーケットを制することになる。
したがって、いくら品質が良くても大量生産の世界では、規格化・標準化の競争に負ければマーケットからの退場を余儀なくされる。
かつて、ビデオレコーダーの規格・標準化競争の中で、ソニーのベータ方式はその品質が良かったにもかかわらず、VHS方式に負けてしまった。
しかしそのVHS方式のビデオも、8ミリビデオの登場でその影は薄くなってしまったが、その寿命は短く、DVDレコーダーの登場となった。
そして、DVDの記録方式を巡って東芝とソニーの激しい競争の結果、ソニーのブルーレイの完勝に終わり、東芝は撤退した。
他方、国土に関する行政情報を見ると、強力な中央集権国家となっていながら、その中身はつまるところ公共事業の配分を巡る権力と金の集中でしかなかったと言わざるを得ない。
話が少しズレたが、国土情報整備の基本方針がなく、規格化・標準化も不十分であったため、47都道府県1727市町村における行政事務をみると、帳票一つ取ってもバラバラで、見づらいことこの上ない。
まして国土情報の基本となる各種図面の精度・内容・取扱いがバラバラとあっては、不動産の調査・確認資料としては問題である。
これらの図面の中には、精度的にはマンガレベルのものもあり、精度以前の図面という他はない。
個人的にはどうしてこうなっているのかは理解できない。
しかし考えてみれば、行政情報の精度やその内容がバラバラであるからこそ、専門家と称する人種が必要とされるのかもしれない。
将来、全ての国土情報の規格化・標準化がなされる時代が来たら、専門家の活躍する機会は減り、専門家の大半は失業するのかもしれない。
とすれば、我々のような職業のある部分は国土情報のインフラ整備の立ち後れに咲いた徒花なのかもしれないと思う他はない。
Covit-19への取り組みについて
2021.04.09
当社では、毎月全職員のPCR検査を実施しております。
実査を行う際には、感染予防措置を講じた上で調査をしております。
外出制限や移動自粛要請等によっては、納期が遅れる場合があります。
実査を行う際には、感染予防措置を講じた上で調査をしております。
外出制限や移動自粛要請等によっては、納期が遅れる場合があります。
ネットサーフィン鑑定 ~ 鑑定評価書作成業(?)の行方 Vol.1
2021.04.08
VOL.01 リアルな世界の不動産と多様な在り方
実物不動産はリアルな世界である。
リアルな世界にあるから、教科書的にはありえないことが多く見られる。
都市部の土地であっても登記上ある不動産が現実には存在していなかったり、場所が判らなかったり、位置が違っていたり、面積が極端に違っていたりとそのあり様は様々である。
田舎の土地は相隣関係が希薄なことから、あり様は更に多岐にわたる。
これに所有権以外の権利や建物が加わると、そのあり様は幾何級数的に増加する。
人間の命には限りがあるので、これだけ複雑・多岐にわたる不動産のあり様の全てを現実的に体感することはできない。
人伝に聞いて、ああそういうこともあるのかと感心する他はないが、自分がその場面に出会ったらどうしようと悩むことだけは間違いなさそうである。
いずれにしても、日々何気なく目にしている不動産について調査し、評価しなければならないという視点で現地に臨む場合は、それなりの事前調査と準備が必要となる。
単に書類や図面だけではリアルな世界の不動産の真相にせまることはなかなかできない。
競売不動産の評価に携わっていない人には大変申し訳ないが、筆者にとって競売不動産の調査・評価はこれらの多様な不動産のあり様を体感することができる絶好の機会となっている。
競売不動産の調査・評価を通して、日本における国土情報のインフラ整備の遅れを痛感しているが、それ以外にも行政情報の内容やその取扱い方がバラバラで、とても近代的な法治国家とは言えないなと感じたことも、二度や三度ではない。
実物不動産はリアルな世界である。
リアルな世界にあるから、教科書的にはありえないことが多く見られる。
都市部の土地であっても登記上ある不動産が現実には存在していなかったり、場所が判らなかったり、位置が違っていたり、面積が極端に違っていたりとそのあり様は様々である。
田舎の土地は相隣関係が希薄なことから、あり様は更に多岐にわたる。
これに所有権以外の権利や建物が加わると、そのあり様は幾何級数的に増加する。
人間の命には限りがあるので、これだけ複雑・多岐にわたる不動産のあり様の全てを現実的に体感することはできない。
人伝に聞いて、ああそういうこともあるのかと感心する他はないが、自分がその場面に出会ったらどうしようと悩むことだけは間違いなさそうである。
いずれにしても、日々何気なく目にしている不動産について調査し、評価しなければならないという視点で現地に臨む場合は、それなりの事前調査と準備が必要となる。
単に書類や図面だけではリアルな世界の不動産の真相にせまることはなかなかできない。
競売不動産の評価に携わっていない人には大変申し訳ないが、筆者にとって競売不動産の調査・評価はこれらの多様な不動産のあり様を体感することができる絶好の機会となっている。
競売不動産の調査・評価を通して、日本における国土情報のインフラ整備の遅れを痛感しているが、それ以外にも行政情報の内容やその取扱い方がバラバラで、とても近代的な法治国家とは言えないなと感じたことも、二度や三度ではない。