節約は美徳か悪徳か? ― 蜂の萬話と相互律が示唆するもの ― Vol.4
2012.07.13
VOL.04 節約は美徳か悪徳か

 東日本大震災を契機に、節約が叫ばれている。
 最近は少しは落ち着いたようであるが、一時は飲み会や花見も自粛ムードであった。
 他人の不幸を横目に遊ぼうなんて、心情的にも出来ず、情緒的には誠にごもっともなこととしか言いようがなく、誰も反対は出来ない。

 しかし、そのことが経済的行動として合理的であるかどうかは、全く別の次元の問題である。
 この国のマスコミは、どういうわけか、全体と個の話をゴチャマゼにして、情緒的行動と経済的合理性を混同する傾向が見られる。
 経済学的に見れば、情緒的行動が経済的合理的であることは、ほとんどないのである。
 にもかかわらず、マスコミはこれを厳密に区別することなく、その場その場で都合の良いように部分をつまみ喰いして報道する。
 情報の受け手である一般市民は、マスコミ以上に区別する能力がないので、さらに混迷する。

 ところで、「節約は美徳か悪徳か」という命題に対する情緒的な回答は、「節約は常に美徳」である。
 しかし、経済学的には、節約は常に美徳とはならない。
 
 インフレ時に消費を拡大すると、物価は上昇し、インフレはさらに拡大する。
 物価が恒常的に上昇するインフレ時の経済政策は、金利を上げる等して消費を抑制することである。

 つまり、節約によって消費が抑制され、需要が減退し、結果として物価は沈静化し、一般市民は安定した生活を取り戻すことができるのである。
 
 したがって、インフレ時における節約は、情緒的にも経済的にも美徳である。
 ただし、国家財政にとってインフレ抑制は必ずしも美徳ではない。
 インフレによって借金は目減りするので、借金漬けの国家財政にとって節約によるインフレ抑制は必ずしも賛成できない。
 ハイパーインフレーションは経済活動を混乱させ、個人も国家も破滅に導く可能性があるので、コントロール可能なインフレは個人も国家も大賛成である。

 反対に、消費が冷え込み、物価が恒常的に下落するデフレ時の節約は、個人にとっては美徳(もっとも、所得が伸びないので節約するほかはない)であるが、社会全体とっては悪徳となる。
 
 消費が低迷しているデフレ時に節約を推奨すると、需要はさらに減少し、モノが売れないので物価はさらに下落する。
 このことにより生産は低迷し、工場は生産調整し、それでもダメなら操業停止し、最後は廃業へと追い込まれる。

 デフレ時の節約は、個人にとっては美徳であっても、社会全体として見ると節約により消費は減退し、結果として節約に励んだ労働者である個人は失業のリスクにさらされるのであるから、デフレ時の節約は社会全体としては悪徳となる。

 「節約は美徳か悪徳か」という命題は、相反する経済行動にも受け取れるが、マクロ経済という前提条件下での節約は、善し悪しの問題ではなく、選択の問題である。

  しかし、マスコミは全体と個の問題の都合の良いところだけをつまみ喰いして報道するため、一般市民は混乱し、百家争鳴することになる。

  本来的には景気の良い時に増税し、インフレを抑制しなければならないのに、マスコミは税収が増え、財政状態が好転しているのであるから減税しろと主張し、景気が悪くなると税収が落ち込み、財政状況が悪化するから増税しろと主張する。
 その結果、景気の山はより高く、景気の底はより深くなり、景気変動の振れ幅は増大する。

 マスコミは少なくとも一般市民より知的水準が高いと期待しているのに、現実は全体と個の調和を検討することなく、情緒的な報道となっていることに深い失望を感じる。
 マスコミには、一般市民に対し、合成の誤謬をおこさせないよう注意して報道してもらいたいと思っているが、無理なのであろうか。

 もっとも、情報の訴求力は情緒なほど高いと言われており、一般市民もそれを望んでいる以上、マスコミの姿勢が変わるとは思えないので、この国の苦難が解消される日は遠いというべきか……。
2012.07.13 16:58 | 固定リンク | 鑑定雑感

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