民間競売制度の導入を考える ~ Vol.1
2024.06.28
VOL.01 民間競売制度研究会の改善策と司法競売の憂鬱
法務省主導により、平成17年12月に第1回の競売制度研究会が開催された。
その後、鋭意研究会が開催され、アメリカ・ヨーロッパの競売制度の調査を踏まえて平成19年秋には民間競売制度のあり方が示された。
重複するため割愛するが、基本的にはこれまでの司法競売はそのまま温存し、民間競売の位置づけとしては司法競売の補完ないし選択肢の拡大を主張する案に傾いているが、その意味においては民間競売制度の導入を真っ向から反対することに大義名分は見当らない。
民間競売制度導入反対論者の多くは、選択肢の多くなることに対する不安、司法競売制度に従事する人々の経済的不安(仕事が減るのではないか)あるいいは、ただ単に制度変更に対しての拒否反応等、色々あると思われるが、最大の本音としての反対理由は、多分経済的不安に対するものであろうと考える。
かくいう筆者も、何故今制度改革をしなければならないのかという疑問を持つ一人である。
かつて司法競売は処理件数の増大から停滞し、これに地価下落や評価書の不統一も手伝って経済界から機能不全の烙印を押され、世論のバッシングにあったことは記憶に新しい。
しかし、処理体制の充実や評価書の標準化、売却物件のインターネット公開、地価動向の回復等が相まって、遅い・高い・解りにくい等の状態は改善されており、かつて機能不全と批判された司法競売の欠点は大都市部を中心に克服されていると考えても良いと思っている。
このような状況の中では、司法競売の欠点が多いから民間競売へという論拠はその影が薄いものと言わざるを得ない。
法務省主導により、平成17年12月に第1回の競売制度研究会が開催された。
その後、鋭意研究会が開催され、アメリカ・ヨーロッパの競売制度の調査を踏まえて平成19年秋には民間競売制度のあり方が示された。
重複するため割愛するが、基本的にはこれまでの司法競売はそのまま温存し、民間競売の位置づけとしては司法競売の補完ないし選択肢の拡大を主張する案に傾いているが、その意味においては民間競売制度の導入を真っ向から反対することに大義名分は見当らない。
民間競売制度導入反対論者の多くは、選択肢の多くなることに対する不安、司法競売制度に従事する人々の経済的不安(仕事が減るのではないか)あるいいは、ただ単に制度変更に対しての拒否反応等、色々あると思われるが、最大の本音としての反対理由は、多分経済的不安に対するものであろうと考える。
かくいう筆者も、何故今制度改革をしなければならないのかという疑問を持つ一人である。
かつて司法競売は処理件数の増大から停滞し、これに地価下落や評価書の不統一も手伝って経済界から機能不全の烙印を押され、世論のバッシングにあったことは記憶に新しい。
しかし、処理体制の充実や評価書の標準化、売却物件のインターネット公開、地価動向の回復等が相まって、遅い・高い・解りにくい等の状態は改善されており、かつて機能不全と批判された司法競売の欠点は大都市部を中心に克服されていると考えても良いと思っている。
このような状況の中では、司法競売の欠点が多いから民間競売へという論拠はその影が薄いものと言わざるを得ない。
不動産鑑定評価の今日的課題 ~ Vol.6
2024.06.20
VOL.06 それでも鑑定制度は動いている
少し自虐的な反省が続いたので、改めて現在の鑑定制度の果たしている役割について考えてみたい。
鑑定制度は、もともと公共用地の買収の問題を契機に誕生した経緯があると聞いている。
それが年々拡大し、相続税・固定資産税等の公的評価の他、証券化不動産・減損会計等の私的評価にも拡充され、日本経済は最早不動産鑑定士抜きには動かない状況となっている。
前述したように、現行の鑑定評価は確かに不備なところも多く、客観性に乏しい(非科学的?)と批判されてはいるが、それでは誰もが反論のしようがない科学的鑑定方法があるのかと言えば、残念ながらその方法を持ち合せてはいない。
したがって、いかなる批判を受けようとも、現行の鑑定制度に代る方法がない以上、我々は現在有している多様な技術や方法を駆使して日本経済にビルトインされた鑑定制度に対する社会の負託に応えなければならないものと考える。
そのためには、現行の鑑定評価方法に対して絶えず冷静かつ客観的に批判を加え、反省し、鑑定評価制度の進歩・改善に努めなければならない。
しかしながら、根本的に評価基準を見直し、より実際的な方法論の検討をしようとする機運は、今のところ見られない。
自明の理と思っていることが実は案外解っていないのは、前述のとおりである。
反省のないところに進歩はない。
解らないことは解らないと素直に受け止め、それではどのような方法があるのか等について研究すべきと考える。
社会の厳しい批判を糧に、鑑定制度の更なる発展を願わざるを得ない。
どんなにいい加減と批判されようとも、鑑定制度抜きに日本経済は動かない。
ガリレオの言葉を借りるまでもなく、「それでも鑑定制度は動いている」のである。
以上、思いつくまま偉そうにご託を並べたが、別に悪口を言うつもりはなく、個人事務所の将来を考えての年寄りの繰言である。
ただそうは言っても何か行動して欲しいと思うのも事実である。
中には的はずれのことや間違っている点もあるかもしれないが、浅学非才に免じご容赦を願うものである。
少し自虐的な反省が続いたので、改めて現在の鑑定制度の果たしている役割について考えてみたい。
鑑定制度は、もともと公共用地の買収の問題を契機に誕生した経緯があると聞いている。
それが年々拡大し、相続税・固定資産税等の公的評価の他、証券化不動産・減損会計等の私的評価にも拡充され、日本経済は最早不動産鑑定士抜きには動かない状況となっている。
前述したように、現行の鑑定評価は確かに不備なところも多く、客観性に乏しい(非科学的?)と批判されてはいるが、それでは誰もが反論のしようがない科学的鑑定方法があるのかと言えば、残念ながらその方法を持ち合せてはいない。
したがって、いかなる批判を受けようとも、現行の鑑定制度に代る方法がない以上、我々は現在有している多様な技術や方法を駆使して日本経済にビルトインされた鑑定制度に対する社会の負託に応えなければならないものと考える。
そのためには、現行の鑑定評価方法に対して絶えず冷静かつ客観的に批判を加え、反省し、鑑定評価制度の進歩・改善に努めなければならない。
しかしながら、根本的に評価基準を見直し、より実際的な方法論の検討をしようとする機運は、今のところ見られない。
自明の理と思っていることが実は案外解っていないのは、前述のとおりである。
反省のないところに進歩はない。
解らないことは解らないと素直に受け止め、それではどのような方法があるのか等について研究すべきと考える。
社会の厳しい批判を糧に、鑑定制度の更なる発展を願わざるを得ない。
どんなにいい加減と批判されようとも、鑑定制度抜きに日本経済は動かない。
ガリレオの言葉を借りるまでもなく、「それでも鑑定制度は動いている」のである。
以上、思いつくまま偉そうにご託を並べたが、別に悪口を言うつもりはなく、個人事務所の将来を考えての年寄りの繰言である。
ただそうは言っても何か行動して欲しいと思うのも事実である。
中には的はずれのことや間違っている点もあるかもしれないが、浅学非才に免じご容赦を願うものである。
(2008年6月 「不動産鑑定評価の今日的課題」)
不動産鑑定評価の今日的課題 ~ Vol.5
2024.06.13
VOL.05 不動産鑑定評価の今日的課題
不動産鑑定評価はこれまで公的評価が大半で民間需要は少なく、とにかく依頼者の意向(多くの場合役所)に従っている限り特に問題はなかった。
ところが、時代が変わり、鑑定評価書が開示されるようになった他、第三者の利害に大きく関係する評価書が多くなった為、依頼者の意向に従ってばかりいられなくなったのである。
つまり、見ず知らずの第三者から鑑定評価の当・不当を訴えられる可能性があるため、客観性を高めることが要請される。
しかし、前述したように数学的解析ができるだけのデータはなく、時間も費用もないのが現実である。
取引事例比較法をできるだけ客観的に使おうとしても、現状では不可能に近い。
もともと取引事例比較法はそのプロセスの全てが仮説の塊である。
つまり、データが真実であると仮定し、時点修正率が年間○○%と仮定し、地域格差の要因は○○と仮定し、格差率○○%と仮定し、個別的要因は○○と仮定し、その増減価率を○○%と仮定したら○○円ということである。
したがって、これからの評価書には採用した事例については真実性の検証はしていないと断り、要因・補正率は評価者の経験に基づく仮説で証明はないということを記載することが必要ではないかと考えている。
私が一番あなたは二番と非難しても、決着はつかない。
いずれにしても、客観性を高めるためには外部研究機関との協力関係が大事である。
また、同時に試験内容も現実に即した形にするべきではないかと考える。
これらの課題に対応するため、
①試験科目には数学・統計学の他、建築・土木・測量、更には市場分析等を加える。
②事例収集・事例の選択・時点修正・価格形成要因との相関、格差率について数学的技法を研究し
方法論の検討と数理解析の限界についても把握し、誤解を招かないよう社会に周知する。
③不動産鑑定士個人の能力差を縮小するため、評価に必要なツール(評価ソフト等)を開発し、
会員に提供する。
④各種の情報のデータベースを構築し、会員に共同利用させる。
そのためには無駄な委員会や理事会は減らす。
⑤実務教育のメニューを充実させる。
昨今の研修会は、研修料金を稼ぐためにやっているとしか思えない。
テキストをダラダラ読むだけのお祭型のバカ高い研修は止めて欲しい。
もっとも、参加することに意義があるのなら別だが。
必要なのは訴訟鑑定や証人尋問訓練、或いは建築・土木・測量等の現場体験等、机上の空論に
ならないよう、地に足の着いた息の長い研修プログラムを用意することである。
⑥評価分野が極端に広がったため、アメリカのように分野別に資格を区分する。
若しくは分野別の研修を行ない、何らかの内部資格を与えるようにする。
現状では、個人・零細と大手との業務量・業務内容・資本装備・資格者の人数等に極端な格差が
見られる。
資格を取ればどんなものでも評価できると考えるのは無理と思われる。
分野別の実務研修を強化し、一定の評価には研修終了を条件とする等、制度上の手当をすること
である。
但し、目的はあくまでも的確に評価するためのサポートであるから、試験を課して排除するという
ことではなく、高度の評価技術の修得を効率良く行なうための努力をすることが必要である。
そのためには、大学との提携も必要と考える。
監督官庁の顔色をうかがい、何人研修させたかを競うのではなく、真に会員のために社会にとって
必要な技術・能力を磨くための場を作って欲しいものである。
協会は会員の管理・規制・負担のつけ回しには積極的であり、あたかも役所のような行動をしてい
るが、これでは真の専門家集団とは言えまい。
単なる業者団体の集まりであるのなら情報交換の場とし、余計なことはしないことである。
その方が会員にとって負担は少ない。
⑦業務サポートセンター創設の検討をする。
今の協会を見ると農協を思い出す。
農協は個人の集団で構成され、相互扶助を旨としていたが、市場開放を機に生産法人化が進み、
個人零細と大規模生産法人とが分離してしまった。
個人農家は大規模生産法人と同様の設備投資は出来ないし、相互扶助の精神も衰退したため
年々格差は拡大し、それが大量の離農につながっている。
鑑定業界も農業と同じで、個人・零細と大手法人の格差は年々拡大している。
その行き着く先は農業と同じで、将来的には業界再編の大波がやってきて個人・零細の会員の
廃業・脱退が増加するものと思われる。
そうすると、協会そのものが成り立たなくなる。
協会役員に将来の戦略・哲学があるのかはサッパリ解らない。
しかし、このままでは協会自体が整理・縮小される日は近いものと考えざるを得ない。
業者団体として生き残るのならそれも良かろうと思うが、資格者集団としての性格を大事にするの
なら、個人・零細が困らないようにする手立てを考えることが必要である。
自己責任として突き放すのなら、協会は不要である。
数でいえば圧倒的に個人・零細が多いのである。
個人・零細が大手と互してやっていくためには業務のサポートが必要である。
ソフトの共同開発・ライブラリの設置・共同購入・事業承継(我が業界も高齢化で他人事ではない)
・地域大学との連携等、検討すべき点は多いと考える。
不動産鑑定評価はこれまで公的評価が大半で民間需要は少なく、とにかく依頼者の意向(多くの場合役所)に従っている限り特に問題はなかった。
ところが、時代が変わり、鑑定評価書が開示されるようになった他、第三者の利害に大きく関係する評価書が多くなった為、依頼者の意向に従ってばかりいられなくなったのである。
つまり、見ず知らずの第三者から鑑定評価の当・不当を訴えられる可能性があるため、客観性を高めることが要請される。
しかし、前述したように数学的解析ができるだけのデータはなく、時間も費用もないのが現実である。
取引事例比較法をできるだけ客観的に使おうとしても、現状では不可能に近い。
もともと取引事例比較法はそのプロセスの全てが仮説の塊である。
つまり、データが真実であると仮定し、時点修正率が年間○○%と仮定し、地域格差の要因は○○と仮定し、格差率○○%と仮定し、個別的要因は○○と仮定し、その増減価率を○○%と仮定したら○○円ということである。
したがって、これからの評価書には採用した事例については真実性の検証はしていないと断り、要因・補正率は評価者の経験に基づく仮説で証明はないということを記載することが必要ではないかと考えている。
私が一番あなたは二番と非難しても、決着はつかない。
いずれにしても、客観性を高めるためには外部研究機関との協力関係が大事である。
また、同時に試験内容も現実に即した形にするべきではないかと考える。
これらの課題に対応するため、
①試験科目には数学・統計学の他、建築・土木・測量、更には市場分析等を加える。
②事例収集・事例の選択・時点修正・価格形成要因との相関、格差率について数学的技法を研究し
方法論の検討と数理解析の限界についても把握し、誤解を招かないよう社会に周知する。
③不動産鑑定士個人の能力差を縮小するため、評価に必要なツール(評価ソフト等)を開発し、
会員に提供する。
④各種の情報のデータベースを構築し、会員に共同利用させる。
そのためには無駄な委員会や理事会は減らす。
⑤実務教育のメニューを充実させる。
昨今の研修会は、研修料金を稼ぐためにやっているとしか思えない。
テキストをダラダラ読むだけのお祭型のバカ高い研修は止めて欲しい。
もっとも、参加することに意義があるのなら別だが。
必要なのは訴訟鑑定や証人尋問訓練、或いは建築・土木・測量等の現場体験等、机上の空論に
ならないよう、地に足の着いた息の長い研修プログラムを用意することである。
⑥評価分野が極端に広がったため、アメリカのように分野別に資格を区分する。
若しくは分野別の研修を行ない、何らかの内部資格を与えるようにする。
現状では、個人・零細と大手との業務量・業務内容・資本装備・資格者の人数等に極端な格差が
見られる。
資格を取ればどんなものでも評価できると考えるのは無理と思われる。
分野別の実務研修を強化し、一定の評価には研修終了を条件とする等、制度上の手当をすること
である。
但し、目的はあくまでも的確に評価するためのサポートであるから、試験を課して排除するという
ことではなく、高度の評価技術の修得を効率良く行なうための努力をすることが必要である。
そのためには、大学との提携も必要と考える。
監督官庁の顔色をうかがい、何人研修させたかを競うのではなく、真に会員のために社会にとって
必要な技術・能力を磨くための場を作って欲しいものである。
協会は会員の管理・規制・負担のつけ回しには積極的であり、あたかも役所のような行動をしてい
るが、これでは真の専門家集団とは言えまい。
単なる業者団体の集まりであるのなら情報交換の場とし、余計なことはしないことである。
その方が会員にとって負担は少ない。
⑦業務サポートセンター創設の検討をする。
今の協会を見ると農協を思い出す。
農協は個人の集団で構成され、相互扶助を旨としていたが、市場開放を機に生産法人化が進み、
個人零細と大規模生産法人とが分離してしまった。
個人農家は大規模生産法人と同様の設備投資は出来ないし、相互扶助の精神も衰退したため
年々格差は拡大し、それが大量の離農につながっている。
鑑定業界も農業と同じで、個人・零細と大手法人の格差は年々拡大している。
その行き着く先は農業と同じで、将来的には業界再編の大波がやってきて個人・零細の会員の
廃業・脱退が増加するものと思われる。
そうすると、協会そのものが成り立たなくなる。
協会役員に将来の戦略・哲学があるのかはサッパリ解らない。
しかし、このままでは協会自体が整理・縮小される日は近いものと考えざるを得ない。
業者団体として生き残るのならそれも良かろうと思うが、資格者集団としての性格を大事にするの
なら、個人・零細が困らないようにする手立てを考えることが必要である。
自己責任として突き放すのなら、協会は不要である。
数でいえば圧倒的に個人・零細が多いのである。
個人・零細が大手と互してやっていくためには業務のサポートが必要である。
ソフトの共同開発・ライブラリの設置・共同購入・事業承継(我が業界も高齢化で他人事ではない)
・地域大学との連携等、検討すべき点は多いと考える。