競争入札と不動産鑑定士の市場価値 ~ ニュープアーへの途 ~ Vol.3
2021.01.28
VOL.03 鑑定業界を襲う大きな潮流 ~ 競争入札 

 鑑定業界は、規制改革の大きな流れの中で、これまでにない大きな変化の流れの中に立たされている。

 一つ目は競争入札の一般化、二つ目は業界再編、三つ目は業務の多様化と迅速化である。

 これらのことが鑑定業界にどのような変化を与えるのか、そして我が業界がどのような方向に向かうのかを考えてみたい。

 これまで鑑定評価は、その業務の性質上、一般競争入札になじまないものと考えられていた。
 個人的にはその状態は今でも変わらないと思っているが、ここ数年の間に公的仕事の大半は一般競争入札となりつつある。

 ここで業務の性質が競争入札になじむ業務となじまない業務の典型例を挙げて、若干の検討を加えてみたい。

 まず、競争入札に最も良くなじむのは、物品購入や道路工事・建築工事等の請負工事である。
 これらの業務は仕様書が決まっているので、誰がやっても均質なモノが入手できるため、後は価格だけが勝負となる。
 この場合でも、最低十分な仕様書は必要となる。
 何故なら、例えばパソコン10台の購入を入札で決めることにした場合、その機能・性能等が仕様書で明示されていなければ、価格は何倍もの差があるため、応札のしようがないことになる。
 最低の機能・性能のパソコンと最高級のパソコンとでは、おそらく数倍の価格差があるので価格だけでは比較のしようがない。
 
 道路工事でも同じである。

 例えば、幅員20mの道路工事の入札をしようと思っていても、幅員のみならず延長・路盤厚・路盤工に使用する砂利の種類・大きさ・舗装の質・舗装厚・使用する材料等を細かく仕様書で決めておかないと、見かけだけ幅員20mの道路が完成しても、使用に耐えられるかどうかさえわからないことになる。
 入札参加者の全てが同等品を使ってくれるという前提条件があるから、これらの業務については入札がなじむのである。

 次に、入札になじまない業務について考えてみる。

 入札に全くなじまない典型的な業務は、芸術部門である。

 絵画とかデザイン等の芸術性の高いモノは、入札できない。
 何故なら、仕様書を作ることができないからである。
 できるのはせいぜい、入札参加資格の制限で、それも学歴や経験位であろう。
 芸術作品を入札で売ることはできても、芸術作品を作る人を入札で決めることなぞできる筈もないのである。

 それはそうと、資格業のうち、登記業務のように様式が全て法定されている書類作成業務は入札になじむものと考える。
 何故なら、これらの業務は仕様書がなくても法定様式を作成するだけで、そのことができる資格者なら特に問題はないからである。
 弁護士業務は書類作成もするが、法定様式に機械的に記入すれば良いという仕事ではないので、弁護士に仕事を依頼するときに入札で弁護士を決めるという無謀なことはできない。
 その点、税理士業務はその性質上、つまり資格業独自の判断が許されないという点で、入札になじむ業務が多いものと思われる。

 ところで、一般競争入札が導入されつつある鑑定業務は、果たして入札になじむのであろうか。

 鑑定評価基準に拠れば、不動産の鑑定評価とは、不動産の価格に関する専門家の判断であり、意見であるとしている。
 とすれば、判断や意見は専門家であれば皆同じと仮定することはできないであろう。
 専門家であれば皆同じ判断・意見になる、というのでは、専門家はモノカルチャーの集団となる。
 生まれも育ちも年齢も経験も異なる専門家集団が、資格を取った瞬間から皆同じ意見・判断になるというのは、考えるだけでも空恐ろしい。
 現実的には、年齢・経験等が異なるのであるから、専門家の間で意見・判断が異なるのは当然のことであると認識している。
 鑑定評価業務は専門家としての意見・判断であり、鑑定評価書作成業務では断じてない。
 
 つまり、専門家の意見であり判断であるということは、そのことについて予め仕様書を作成することは出来ないということである。 

 ときに、ある公共機関の仕様書を見ると、果たしてこれが仕様書と言えるかどうか、甚だ疑問を感じている。
 その仕様書には、記載内容の大項目はあるが、様式の提示がなく、字の大きさ・字数・ページ数・添付資料等の詳細な提示はなく、最後に割引率は何割かとあるだけである。
 この仕様書では、最低数ページの評価書から、数十ページの評価書まで、どうでもいいですと言っていることに他ならない。
 何のことはない、最後の何割値引きできますかという値引き競争であり、これが入札の最大のポイントで、中身はどうでも良いということである。

 これも伝聞情報で申し訳ないが、本州のある県では、別の鑑定士が行った鑑定評価格の時点修正意見書作成業務を1件2千円で20件ほど落札した鑑定士がいたとのことである。
 
 また、中部圏のある県では、一般鑑定が1件10万円で落札されたということである。

 これらの状況が我々の未来にどういう影響を投げかけるのかは解らない。

 しかし、あまり良い影響はなさそうである。

 依頼者が良い仕事より安い仕事をして下さいという状況の中で、専門家が時間と費用をかけて自己研鑽に励むことは無理と思わざるを得ない。
 グレシャムの法則は我が業界にも当てはまりそうである。
 
 次に、業界再編についてみることとする。

 バブル崩壊後、公共事業は減り、それに伴う鑑定業務も減少している。
 他の公的評価も財政難からマイナスシーリングの対象となり、減少している。

 他方、民間部門のうち、サービサーが行うデューデリジェンス業務等は、東京本社からの一括発注形態が大半のため、大手業者に対抗するため、小規模鑑定事務所が連携し、全国ネットワークを作り、共同受注を始めたのはここ10年ほどのことである。
 その結果何が起きたかといえば、鑑定料金の定額化と低額化である。
 鑑定料金は全国一律となり、料金は受注競争の果てに低額化してしまった。
 10年ほど前までは、デューデリジェンス業務は一件20万円位であったが、それが2・3年もしないうちに10万円位になり、今は3万円~6万円と、極めて低額化してしまった。
 この金額は経費込みであり、本社の取り分を除くと末端の鑑定事務所には1.5 万円~3万円しか払えない。
 したがって、地元の鑑定士は経費込みで1.5 万円~3万円で働かざるを得ないのである。

 このような中では、必然的にコスト改善等から中小事務所の統合・再編という問題は避けて通れないことになる。
 これに取り残された事務所は、下請け・孫請けに甘んじる他はない。

 かくて、東京発の仕事は、末端では日雇い労働者並みの稼ぎにしかならない。
 日雇い労働者並みの賃金で働く鑑定士が増えれば、更に鑑定料金は低額化していく。

 しかし、責任だけは元のままで、何かあれば一年分の稼ぎが吹っ飛んでいく。
 
 三つ目は、業務の多様化と迅速化である。
 鑑定料金の低額化から、手抜き評価の代名詞となった簡易鑑定なるものが一般化してしまった。
 鑑定評価基準通りの仕事をしていたら、破産する他はない。

 また、価格に関する意見書も多い。

 何のことはない、A4一枚に価格と付け足しに若干の体裁を整えた文書である。
 これだと5千円~1万円である。

 依頼者はただ価格だけが知りたいのである。

 世の中のニーズがこれだけ多様化しているのに、鑑定法に大きな変化はないどころか、むしろガラパゴス化しており、自己満足の極みとしか言いようがない。

 どうやら不動産鑑定士はウルトラスーパーマンのようである。
2021.01.28 13:58 | 固定リンク | 鑑定雑感
競争入札と不動産鑑定士の市場価値 ~ ニュープアーへの途 ~ Vol.2
2021.01.21
VOL.02 資格業とその市場価値 

 資格業とその収入の統計は見当たらない。
 したがって、資格業の懐具合を横断的に比較検討することはできない。

 以下の記述は限られた情報と断片的な記憶によるものであり、正確ではないことをお断りしておく。

 読者の皆様もご存知かと思うが、司法修習を修了したばかりの弁護士の初任給(年収)は、 300万円~ 400万円位、良くて 600万円位らしい。

 人事院による平成20年の民間給与の実態調査に拠れば、前記の収入は低い方で大学院の修士課程修了の事務職の初任給程度、高い方で新卒医師の初任給程度であるので、弁護士の初任給が不当に安い訳ではなさそうである。

 そうは言っても、超難関試験を合格しているのであるから、大学院博士課程修了並みの初任給は出しても良さそうであるが、採用する事務所側としては、教育をすればする程将来の有力なライバルを育てるようなものであり、また、事務所特有のノウハウも流出するとなれば、採用は嫌が上でも慎重にならざるを得ないのも理解できる。

 他の資格業である、司法書士・土地家屋調査士・行政書士・社会保険労務士、或いは公認会計士・税理士等については、この種の話はあまり話題にはならないが、仄聞するところによれば、相当悲惨らしい。
 これらの職種では、月10万円の収入がやっとという人もいるらしい。
 もっとも、資格を取得したら後は何もしなくても自動的に仕事が来る訳ではないので、人付き合いの苦手な人は、どの業界においてもやはり商売としては難しいのではないかと思われる。

 不動産鑑定士の世界はどうかと言えば、弁護士以外の資格者と同じく、特別良い方ではなさそうである。
 ただ、他の資格者と決定的に異なるのが、地価公示のような公的評価があるため、特に営業努力をしなくてもある程度の収入の途が用意されていることである。
 このことは、他の資格者から見ればまさに垂涎の的である。
 公的にいろいろな仕事が用意されているため、ともすれば他の資格者団体から羨ましがられたり、他士業との境界領域にある業務については、解放を迫られるのも致し方のないことである。

 この親方日の丸的な、謂わばパラサイト的体質が、不動産鑑定業界の自立的発展を阻害しているのではないかと危惧している。

 いずれにしても、資格業の市場価値は収入の大小に具体的に現れるのであるから、規制改革以後、受験制限のない国家資格者の市場価値は、著しく低下したのは確かなようである。
2021.01.21 13:57 | 固定リンク | 鑑定雑感
競争入札と不動産鑑定士の市場価値 ~ ニュープアーへの途 ~ Vol.1
2021.01.14
VOL.01 成長神話と不動産神話

 懐かしい言葉である。

 社会の大多数の人々は、ホンの20年前まではこの神話を信じて疑わなかったのである。

 昨日より今日、今日より明日は必ず良くなるものと信じていたのである。
 国家も地方も拡大再生産が無限に続くと想定し、人口減少が経済活動に様々なゆがみをもたらすかもしれないと危惧していた人は少ない。

 ところで、不動産鑑定制度は、成長神話の黎明期に誕生したのは周知のとおりである。

 あれから40年以上が経過しているが、鑑定制度がこれまで順風満帆にやって来られたかと問われれば、そんなことはないと言わざるを得ない。

 最初のヤマ場は、オイルショックと国土法の成立である。
 筆者の記憶に拠れば、日経新聞(コラムだったと思う)に不動産鑑定士では食べて行けないという超悲観的な記事が掲載されていた。
 この時の不動産鑑定士の二次試験合格者は実務経験を頼む場がなく、鑑定事務所から給料をもらうのではなく、逆に鑑定事務所に給料を払って在籍させてもらい、実務経験を積んだ人も相当数いると聞いている。

 2回目のヤマは、平成3年以降のバブル崩壊と信託銀行の整理統合である。
 信託銀行と言えば不動産鑑定士、不動産鑑定士と言えば信託銀行と言われる位、信託銀行には沢山の不動産鑑定士がいた。
 信託銀行も不動産鑑定士が多数在籍していることが一種のステータスであったらしく、社内における不動産鑑定士の養成にも力を入れていた。
 それが、バブル崩壊とそれに伴う金融再編の嵐の中で、信託銀行も整理統合され、在籍していた不動産鑑定士も鑑定部門の廃止により整理・統合され、多くの不動産鑑定士が銀行を去って行った。

 3回目のヤマが今回である。
 バブル崩壊の谷底から不動産の証券化を契機にやっと這い上がり、ミニバブル現象と言われる程地価は上昇し、不動産鑑定士も、ミニバブルの演出者であるファンド会社に転職して行った人も多い。
 しかしそれも長くは続かず、リーマンショックとともにファンド会社も総崩れとなり、花形産業であるファンド会社から去って行った。
 地方都市から東京のファンド会社に転職した不動産鑑定士も相当数居るものと思われるが、彼らも故郷に舞い戻って来ている。
 資格業も社会の構成員である以上、特定の資格業だけが社会の恩恵を受け、安心・安定という訳には行かず、時代の波に翻弄されるのも致し方のないことと諦める他はない。

 ときに、資格業界の実情をみると、資格業のエースである弁護士業界ですら、宅弁・軒弁とか言われ、まともな給料を貰えず、十分な実地訓練ができない状態が出現している。

 不動産鑑定士の世界も同様で、実務修習という、いわば机上訓練だけで不動産鑑定士が誕生する世の中となった。
 規制改革という錦の御旗の前に為す術もなく、資格業の世界も簡素化(?)されたが、果たしてこれで良かったのかどうかは歴史的評価を待つ他はない。



2021.01.14 13:56 | 固定リンク | 鑑定雑感
フラクタル現象とエレベーター相場 Vol.6
2021.01.07
VOL.06 事情補正とフラクタル現象

以上のとおり、フラクタル現象は市場一般に見られる現象と考えられることから、不動産市場にも当然当てはまるものと思われる。

そこで個人的に感じたことは、我々が鑑定に当って日常的に行っている事情補正なるものの考え方である。

鑑定評価基準には、事情補正について、不動産取引等が特殊な事情を含み、これが当該取引価格等に影響を及ぼしている時は適正に補正しなければならないとし、そして「特殊な事情とは、正常価格の成立を妨げる条件のことであるから市場の合理性と市場人の行動の合理性に反するもののことである。」としている。

 さて、実際問題として、これらのことを客観的に把握することが可能であるのであろうか。

実際の取引はバラツキがあり、取引の動機も事情もそれぞれである。

アンケートで特に事情がないと回答してきているものでも、周辺の取引価格と比較すると常時10%~30%位の振れが見られる。

仮に実取引価格に一定の幅が見られるのを是とすれば、比準された試算値も取引価格のバラツキの幅に応じてバラツクことになる。

そして、個人的に特に問題であると思うのは、異常値としてデータを排除することに慣れてしまうと、異常値の背後にある市場の変化を見落としてしまいはしないかということである。

異常値は実はフラクタル現象そのものかもしれず、異常値が増加傾向にあるということは、市場の転換点を示すことかもしれないと思うのである。

経済物理学が教えるように、我々に欠けているのは「観測事実を最優先して素直にあるがままを認める体質が欠けているからだ」との指摘は、十分に胸に受け止める必要があると考える。

不動産関係の研修では、不動産取引におけるフラクタル現象に注意して下さいと言うようにしている。

取引における異常値は、市場の変化点とその後の動向を暗示するものであると考えているからである。


ところで、前述のとおり高安教授の著作を引用させてもらったが、間違って解釈していることが多いかもしれないが、勉強不足とご容赦を願うものである。

尚、著作は次のとおりであるので、一読をお勧めしたい。

「経済物理学の発見」高安秀樹著(光文社新書)2004年9月20日初版1刷発行(760円+税)




(2009年5月 Evaluation no.33掲載/「フラクタル(現象)とエレベーター相場-経済物理学から事情補正と時点修正を考える」)

2021.01.07 15:33 | 固定リンク | 鑑定雑感

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