恒産なくして恒心なし Vol.1
2020.03.26
VOL.01 耐震偽装問題とカネボウ粉飾決算問題

 最近はやたらと事件が多いので、姉歯問題もカネボウ粉飾決算問題も遠い昔の事件のような気がする。
 世間はうつろいやすく、特にマスコミは本質的な議論なく次から次へとニュース性のある事件を追いかけ、国民もいつしかそれに慣らされ、あまり疑問も持たず深く考えようともしない。
 クォリティペーパーと称される新聞社の記事がFF化(ゴシップ週刊誌)し、物事の本質を深く掘り下げ、あるいは国民に考えさせるような記事が少なく、インパクトのある事件ばかり追いかけているのは実に嘆かわしい。
 個人的にはそんな記事は速報性のあるTVやラジオに任せれば良いと思うのだが。

 前置きが長くなったが、耐震偽装もカネボウ粉飾決算問題も、その本質は専門家責任のあり方である。

前者は一級建築士、後者は公認会計士が関与し、いずれも逮捕・起訴され有罪となった。
 個人的には気の毒と思うが、一般論としてはトンデモない悪いヤツと受け止められている。

 確かに、表面的には専門家に課せられた高度の注意義務や職業倫理に反するのは明白であり、非難されても致し方ない。
 
 しかし、そこに至る過程をみると、専門家と称する人種の大半がこのような事件に絶対に巻き込まれないという保証はないと考えざるを得ない。
 専門職業家と言えども規制緩和の例外ではなく、資格者の大量増員によって仕事の受注をめぐる環境は厳しく、ご多分に漏れず競争は激化している。

 最難関と言われる司法界も、極端な規制緩和から、開業は年々厳しくなっている。

 灰聞するところによれば、司法試験合格者のうち優秀な人は金融界等の実業界に流れているとのことである。
 
 もしそうだとすれば、由々しき問題である。

 アメリカのように弁護士が増え過ぎると、日本でも尊敬の対象ではなく厄介者の対象となるような日が来るのではないかと心配される。
 アメリカでは交通事故をおこしたら救急車より先に弁護士が来るという笑い話がある位である。

 ところで、実際に聞いた話であるが、ある人が金銭問題のトラブルから弁護士を紹介してもらったが、その弁護士の生活が苦しく、結局自己破産・廃業そして生活保護生活に入った為、相談案件を投げ出されてしまったとのことであった。
 仕方ないのでその弁護士に頼んで他の弁護士を紹介して貰ったが、その弁護士も和解調書を偽造して逮捕され、刑務所に入ってしまいやむなく別の弁護士に依頼したがまたまた運悪くその弁護士も依頼者の着手金の流用等の問題から自殺してしまったとのことであった。

 地方のそう多くはない弁護士業界でさえこのような事例があるのであるから、これから今までの何倍もの弁護士が増えたら一体どのようなことが起きるのやらと不安の種は尽きない。

 現在のところ一部の不心得者の出来事と対岸の火事を決め込んでいるが、果たしてそれで良いのであろうか。
2020.03.26 13:46 | 固定リンク | 鑑定雑感
鑑定評価は100%が仮説? Vol.4
2020.03.18
VOL.04 鑑定評価と仮説

 個人的には、鑑定評価という行為は芸術競技のように測定するモノサシがないので、数学的に証明できるような時代は、少なくとも21世紀前半には来ないと思っている。
 したがって、当面不動産鑑定士の大量失業時代を見ることはないものと期待しているが、だからといってこのままで良いとも考えられない。

 ところで、科学的と言われている物理・化学の世界でも、その99.9%が仮説であるという本には些か驚いた。
 ここでこの本の詳細な紹介はできないが、概要は次のとおりである。
 
 本の題名は『99.9%は仮説』(竹内薫著・光文社新書)、副題として「思い込みで判断しないための考え方」としている。
 主要な目次をみると、第1章~世界は仮説でできている、第2章~自分の頭の中の仮説に気づく、第3章~仮説は180度くつがえる等である。
 そして、プロローグに、飛行機はなぜ飛ぶのか?実はよくわかっていないとし、これに対する疑問は最先端の科学(航空力学)でも完全には説明できない「難問」であるとしている。
 鉄のかたまりが飛ぶ仕組みはとうの昔に解決済みと思っていたが、この本によると現在のアメリカではこれまでの飛行機が飛ぶ仕組みの説明はデタラメと批判され、真面目に論争されているらしい。

 ひるがえって、鑑定評価の世界をみると、仮説のオンパレードとしか思えない。

 例えば、取引事例比較法適用の取引事例について検討してみる。

 取引事例の収集は、現在アンケート調査が主流であるが、以前は聞き込み取材が中心であった。
 筆者の乏しい経験であるから、取引のどこまでが真実かわからないが、ある取引で買主に取材に行った時である。
 雑談を交えながら取引の状況をたずねると、どの価格が知りたいのかと逆に聞かれた。
 それはどういうことですかと聞くと、取引する場合、本当の売買契約書の他に、融資を受ける為に実際の取引価格より高い契約書(これは買主の要請)や逆に低い価格の契約書(これは税金の申告を誤魔化すため売主が要請)を作ることがあるとのことであった。
 個人的には本当の価格が知りたかったが、表に出るとまずいということで、結局税務署用の契約価格を教えてもらったが、不動産取引の複雑な事情を垣間見たトラウマは、現在も引きずっている。

 アンケート調査の限界は、相手方の顔が見えず、取材により取引の事情にさぐりを入れるということができないため、回答があってもそれが真実かどうか確認できないことである。
 また、時点修正率についても、事前にどの位変動したのか解るのであれば評価不用ということになる。
 更に、価格形成要因にしてもそれが本当に価格形成の要因なのかどうか解らないし、その実証的研究を踏まえた実務指針もない。

 身近な例を挙げると、角地の加算率や方位の格差率でさえ、何故そうなのかの研究もない。

 角地加算率を仮に5%と判定しても、それが4%や6%にならないという証明はできない。
 取引事例比較法適用のプロセスをみると、取引事例の価格そのものから事情補正・時点修正・標準化補正・地域要因の比較・個別的要因の比較全てにわたって仮説の域を出ていないことになる。

 つまり、もっと具体的に言えば、取引価格が真実であると仮定し、時点修正率は年間○○%と仮定し、標準化補正率○○%と仮定し、地域要因の格差率が○○%と仮定し、個別的要因の格差率が○○%と仮定すると○○であると仮定しているにすぎない。

 モノサシがない以上、要因の判定は測定ではなく、評価そのものと言わざるを得ないが、そのプロセスで使用している数字は、そのほとんどが評価者の仮説に基づく数字である。
 そして仮説のかたまりである評価額を第三者が証明・追試することはできない。
 収益還元法や原価法適用の際の各数値も、仮説の域を出ないものが多いのは、取引事例比較法と同様である。

 科学的といわれている分野でさえ99.9%が仮説にすぎないということであれば、鑑定評価は100%が仮説と言わざるを得ない。

 客観的という字句をいくら並べても、自己満足の域を出ず、客観性を装うだけである。
 また、第三者がこれに対していくら文句を言っても、せいぜい"らしさ"を競うだけで、相互に立証・反証することはできない。

 我々は、仮説世界の甘い砂上の楼閣に巣喰う蟻なのか?もう一度評価の本質に戻って考え直すことが必要なのかもしれない。

(2007年5月 Evaluation no.25掲載)

2020.03.18 10:46 | 固定リンク | 鑑定雑感
鑑定評価は100%が仮説? Vol.3
2020.03.05
VOL.03 評価と数学

 鑑定評価にあたって採点基準が全国的に統一されていれば、評価のブレは少なくなるものと思われる。

 しかし、ダイナミックに変動する経済現象の一つである不動産取引について、評価のための統一基準(具体的な数値の取り決め)を作るのは大変なことである。
 統一基準が仮に出来たとしても、刻一刻と変化する経済現象をうまく説明できるかどうかはわからない。

 昭和50年代前半に、数学的に評価ができないかということで重回帰分析による土地評価の研究が国の予算で行われたと記憶しているが、その結果はどうなったのであろうか。

 昨今は、ヘドニック関数によって評価が可能であるという論者もいるが、もしそうなら公的評価を担う不動産鑑定士が失業もしないで相も変わらず昔の評価の仕方から一歩も出られないことをどう説明したら良いのであろうか。
 もしヘドニック関数で全国津々浦々の土地の評価が可能なら、国家にとってこれほど喜ばしいことはない。

 つまり、数学的に証明可能な評価ができるのなら、土地価格をめぐる争いは一切なくなるものと思われるからである。

 また、土地評価に要する費用はほとんどかからないか、或いはかかってもこれまでより極めて少額で済むものと考えられる。

 そうだとすれば、国・地方も含めて評価に要する人員は不用となり、鑑定評価の費用も不用となり、国・地方の財政に与える効果は計り知れない。
 日本の数学者や経済学者は、是非総力を挙げて数学的に立証・追試が可能な評価システムを開発して欲しいと願わざるを得ない。

 その可能性があるのなら、21世紀の国家プロジェクトとして立ち上げても費用対効果は十分に得られるものと考える。

 更にうまくいけば、ノーベル賞も狙えるかもしれない。
2020.03.05 10:44 | 固定リンク | 鑑定雑感

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