民・百姓おかまいなし~ Vol.1
2025.04.10
VOL.01 構造改革と弁当箱

 小泉内閣が誕生以来、カラスが鳴かない日があっても構造改革という言葉を目・耳にしない日はない位飛び交っている。

 キャッチフレーズとしての構造改革という言葉は呪文のような不思議な力があり、これに異議を唱えること自体がなんとなくはばかられる様な気がするから摩訶不思議である。

 戦前の軍国主義と同じで反対すれば非国民と呼ばれ、一切の反論を封じられたあの暗い時代が思い起こされるのは私だけであろうか。

 ところで、巷に流れている構造改革の中身とは一体何であろうか。

 政府が専ら行っているのは公社・公団の民営化とか、独立行政法人化等であるが、それで一体何が変わるのかハッキリしない。

 ハッキリしているのは、民営化や独立行政法人化しても、その組織の構成員は何ら変わっていないということである。

 言葉を換えれば、アルミの弁当箱をプラスチックの弁当箱に変えたようなもので、腐った弁当箱の中身は入れ物をどう変えようとも腐ったままであることに変わりはない。

 したがって、民営化しようが独立行政法人化しようが、民・百姓の年貢(税金)で食べてきた組織が民営化・独立行政法人化を契機に人が変わったようになるとはとうてい思えず、民・百姓を食い潰しする体質は変わらないと思うのである。


2025.04.10 10:31 | 固定リンク | 鑑定雑感

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