曲り角にきた地方財政と土地評価の課題 ~ Vol.1
2024.04.04
VOL.01 固定資産税の性格
固定資産税は地方財政における基幹税目であるが、これまでの研究から同税は、地方公共財サービスに対する費用負担の視点から要請される「応益原則」を適用するのに相応しい税であるとされている。
これまで固定資産税は応能負担とする税なのか応益負担とする税なのか議論されてきたが、現在ではほぼ応益負担とする税であると解釈されている。
つまり、少なくとも土地については地方行政サービスの便益が外部効果を通じてその地域の地価に影響を与え、そのことにより土地所有者が間接的に利益を得ると考えられている。
一般的に提供されるインフラや行政サービスは市町村毎にその水準に差があるため、人口や産業の集積の程度に差が生じ、その結果として地価水準に差が出ると考えられている。
したがって、市町村毎に市町村の実情に応じた行政サービスの対価として固定資産税を賦課することが相応しいとされている。
土地税制の研究~財団法人日本住宅総合センター発行、目良浩一/坂下昇/田中一行/宮尾尊弘著
しかしこれまでの議論は、行政サービスの増大によって必ず地価は上昇するという前提であったとしか考えられない。
バブル崩壊後地価水準は大きく下落してきた。
大都市圏を中心にここ数年地価水準は大きく回復してきたが、地方は依然として回復の兆しさえ見えない。
他方バブル崩壊後、地価水準は大きく下落したが、その間に行政サービスが大きく低下し、そのことが外部効果を通じて地価にマイナスの影響を与えたかというと、そのような形跡は全く見られない。
確かに地方経済は疲弊しつつあるが、だからといって行政サービスが大きく低下しているかと言えば、財政再建団体を除きそのような兆候はほとんど見られない。
つまり、景気対策や過疎対策等もあって、地方町村においてはこの間も継続して道路・公園・下水道・公共施設等のインフラ整備は着実に行なわれてきたが、その間地価水準は下落の一途を辿っている。
これらの現象を表層的に見れば、行政サービスの増大が地価に影響を与えているとは言い難い状況にあるのは否定できない。
固定資産税は地方財政における基幹税目であるが、これまでの研究から同税は、地方公共財サービスに対する費用負担の視点から要請される「応益原則」を適用するのに相応しい税であるとされている。
これまで固定資産税は応能負担とする税なのか応益負担とする税なのか議論されてきたが、現在ではほぼ応益負担とする税であると解釈されている。
つまり、少なくとも土地については地方行政サービスの便益が外部効果を通じてその地域の地価に影響を与え、そのことにより土地所有者が間接的に利益を得ると考えられている。
一般的に提供されるインフラや行政サービスは市町村毎にその水準に差があるため、人口や産業の集積の程度に差が生じ、その結果として地価水準に差が出ると考えられている。
したがって、市町村毎に市町村の実情に応じた行政サービスの対価として固定資産税を賦課することが相応しいとされている。
土地税制の研究~財団法人日本住宅総合センター発行、目良浩一/坂下昇/田中一行/宮尾尊弘著
しかしこれまでの議論は、行政サービスの増大によって必ず地価は上昇するという前提であったとしか考えられない。
バブル崩壊後地価水準は大きく下落してきた。
大都市圏を中心にここ数年地価水準は大きく回復してきたが、地方は依然として回復の兆しさえ見えない。
他方バブル崩壊後、地価水準は大きく下落したが、その間に行政サービスが大きく低下し、そのことが外部効果を通じて地価にマイナスの影響を与えたかというと、そのような形跡は全く見られない。
確かに地方経済は疲弊しつつあるが、だからといって行政サービスが大きく低下しているかと言えば、財政再建団体を除きそのような兆候はほとんど見られない。
つまり、景気対策や過疎対策等もあって、地方町村においてはこの間も継続して道路・公園・下水道・公共施設等のインフラ整備は着実に行なわれてきたが、その間地価水準は下落の一途を辿っている。
これらの現象を表層的に見れば、行政サービスの増大が地価に影響を与えているとは言い難い状況にあるのは否定できない。
不動産のグローバル化と道内の取引事情 ~ Vol.9
2024.03.28
VOL.09 稀少性経済と過剰性経済
市場経済が成立するのは、財に稀少性があるからである。
かつて、水と空気はタダと言われていたが、今やガソリンより高い水を平気で飲んでいる。
江戸時代の話であるが、東北の田舎から江戸に出てきた若者が、辻売りで水を売っていることにビックリ。一人は、田舎ではタダの水が江戸では金を取っている。こんな恐ろしいところは嫌だといって田舎に帰ってしまった。
残った一人は、田舎じゃタダの水が江戸では金になる。こんな面白い所はないといって江戸に残り、商売で成功したとのことである。
人間とは面白いもので、同じ現象を見ても、一人は否定的に、一人は肯定的に見るように、物事をどう捉え、どう考えるかはその人次第ということであろう。
話がずれたが、タダでも要らない不動産が大量に出回れば、最早市場は成立しない。
つまり、価格はないので、市場経済的思考で解決することは困難である。
これまで、不動産は稀少性の代名詞のようなものであったが、時と場所を変えれば稀少性はなく、ヤッカイものの代名詞となる。
日本は敗戦後長らく成長過程にあったため、全て稀少性を前提に考え、対処してきたように思われる。
戦後70有余年を経て、不動産がヤッカイものになるとは、誰が予想したであろうか。
稀少性の問題は人口と裏腹の関係にあり、人口が増加している限り稀少性は失われないので、市場経済的考え方で問題を解決することはできると考える。
しかし、急激な人口減少は、過剰性の問題を引き起こすことになる。
今のところ過剰性経済学はないので、少子高齢化に対する有効な処方箋を書けないが、そうはいっても残された時間は少ない。
これまで、街づくりに知恵を絞ってきた会員の皆様には、是非過剰性の問題に取り組んでいただきたいと、切に御願いしたいと思っている。
市場経済が成立するのは、財に稀少性があるからである。
かつて、水と空気はタダと言われていたが、今やガソリンより高い水を平気で飲んでいる。
江戸時代の話であるが、東北の田舎から江戸に出てきた若者が、辻売りで水を売っていることにビックリ。一人は、田舎ではタダの水が江戸では金を取っている。こんな恐ろしいところは嫌だといって田舎に帰ってしまった。
残った一人は、田舎じゃタダの水が江戸では金になる。こんな面白い所はないといって江戸に残り、商売で成功したとのことである。
人間とは面白いもので、同じ現象を見ても、一人は否定的に、一人は肯定的に見るように、物事をどう捉え、どう考えるかはその人次第ということであろう。
話がずれたが、タダでも要らない不動産が大量に出回れば、最早市場は成立しない。
つまり、価格はないので、市場経済的思考で解決することは困難である。
これまで、不動産は稀少性の代名詞のようなものであったが、時と場所を変えれば稀少性はなく、ヤッカイものの代名詞となる。
日本は敗戦後長らく成長過程にあったため、全て稀少性を前提に考え、対処してきたように思われる。
戦後70有余年を経て、不動産がヤッカイものになるとは、誰が予想したであろうか。
稀少性の問題は人口と裏腹の関係にあり、人口が増加している限り稀少性は失われないので、市場経済的考え方で問題を解決することはできると考える。
しかし、急激な人口減少は、過剰性の問題を引き起こすことになる。
今のところ過剰性経済学はないので、少子高齢化に対する有効な処方箋を書けないが、そうはいっても残された時間は少ない。
これまで、街づくりに知恵を絞ってきた会員の皆様には、是非過剰性の問題に取り組んでいただきたいと、切に御願いしたいと思っている。
(2021年3月 全日本土地区画整理士会北海道支部会報誌第31号/「不動産のグローバル化と道内の取引事情」)
不動産のグローバル化と道内の取引事情 ~ Vol.8
2024.03.21
VOL.08 先進国から衰退途上国へ
米コンサル会社マーサーによれば、日本の年金ランキングは世界第31位ということらしい。
個人的にはそのような実感はないが、実質所得が減少を続けていることを考えると、あながちウソとも言えないと思われる。
世界の中心にいると思っていたら、いつの間にか発展途上国に追いつかれ、夢も希望もないような社会となりつつあるのかもしれない。
これまでの成功モデルに固執している限り、未来はないのではないかと思われる。
日本の法体系は、どちらかというと拡大均衡を前提にしているとしか思えないので、縮小均衡は難しいのかもしれない。
しかし、イノベーションを起こさなければ解決の方法はないと考える。
コロナ騒動を機会に、若い人達には衰退途上国にならないように頑張って欲しいと願っている。
米コンサル会社マーサーによれば、日本の年金ランキングは世界第31位ということらしい。
個人的にはそのような実感はないが、実質所得が減少を続けていることを考えると、あながちウソとも言えないと思われる。
世界の中心にいると思っていたら、いつの間にか発展途上国に追いつかれ、夢も希望もないような社会となりつつあるのかもしれない。
これまでの成功モデルに固執している限り、未来はないのではないかと思われる。
日本の法体系は、どちらかというと拡大均衡を前提にしているとしか思えないので、縮小均衡は難しいのかもしれない。
しかし、イノベーションを起こさなければ解決の方法はないと考える。
コロナ騒動を機会に、若い人達には衰退途上国にならないように頑張って欲しいと願っている。