トウキョウイズジャパン ― 田舎不動産の独り言 ― Vol.3
2021.07.08
VOL.03 我輩と明治以降の北海道
北海道統計書によれば、江戸末期の北海道には6万人前後の人が居住していたようである。
あまり正確ではないようだが、それから 150年弱で北海道の人口は約 560万人と約93倍に増加している。
ところで、明治維新の頃の北海道は、そのほとんどが原生林の生い茂る未開の地であった。
明治政府は所有者のいない北海道を領有し、開拓することとした。政府は明治2年7月に開拓使を置き、8月には蝦夷地を北海道と改称して本格的な北海道開拓が始まった。
明治政府は未開の原生林たる官有地を開拓を希望する者に無償貸付し、一定期間内に開拓すると無償払い下げを行う等した。
その結果、武士社会の崩壊で職を失った藩士を中心に開拓団が結成され、全国から北海道に開拓団が入植してきたのである。
当時の北海道は道路が未整備であったため、開拓団の大半は沿岸部に入植したが、明治19年に北海道庁が設置されてからは、内陸部の開拓が本格化した。
それにともない、府県から北海道への移民は急増し、明治30年には78万人、明治45年(大正元年)には170万人、その6年後の大正6年には200万人と激増している。
府県からみたその当時の北海道は、戦前の移民政策と同じように政府の主導により未開の地で一旗揚げようとした人々の、希望の大地であったのかもしれない。
多くの人々が開拓に挑戦し、ある者は夢破れ、ある者は成功したが、先人の気の遠くなるような苦労のお陰で今日の北海道は存在している。
北海道統計書によれば、江戸末期の北海道には6万人前後の人が居住していたようである。
あまり正確ではないようだが、それから 150年弱で北海道の人口は約 560万人と約93倍に増加している。
ところで、明治維新の頃の北海道は、そのほとんどが原生林の生い茂る未開の地であった。
明治政府は所有者のいない北海道を領有し、開拓することとした。政府は明治2年7月に開拓使を置き、8月には蝦夷地を北海道と改称して本格的な北海道開拓が始まった。
明治政府は未開の原生林たる官有地を開拓を希望する者に無償貸付し、一定期間内に開拓すると無償払い下げを行う等した。
その結果、武士社会の崩壊で職を失った藩士を中心に開拓団が結成され、全国から北海道に開拓団が入植してきたのである。
当時の北海道は道路が未整備であったため、開拓団の大半は沿岸部に入植したが、明治19年に北海道庁が設置されてからは、内陸部の開拓が本格化した。
それにともない、府県から北海道への移民は急増し、明治30年には78万人、明治45年(大正元年)には170万人、その6年後の大正6年には200万人と激増している。
府県からみたその当時の北海道は、戦前の移民政策と同じように政府の主導により未開の地で一旗揚げようとした人々の、希望の大地であったのかもしれない。
多くの人々が開拓に挑戦し、ある者は夢破れ、ある者は成功したが、先人の気の遠くなるような苦労のお陰で今日の北海道は存在している。
トウキョウイズジャパン ― 田舎不動産の独り言 ― Vol.2
2021.07.01
VOL.02 不動産の価格は誰が決める
我輩の価格を我輩は知らないし、また決められない。
我輩の価格を決めるのは、ご主人様である人間である。
我輩は多種・多様のご主人様に仕えているが、我輩に対する価値観はまさに百人百様である。
そのためか、取引される価格も跛行的である。
価格形成要因と称する要因がいくら立派でも、買手がいなけりゃ二束三文である。
逆に、価格形成要因と称する要因がいくら貧弱でも、買手が多くなれば価格は高くなる。
資本主義経済であるから、価格形成要因と称する要因におかまいなく、需要と供給により価格は決まる。
昨日までたいして価値がないと思っていても、世の中の事情が変われば需給事情が変わり、価格も変わる。
例を挙げると、ニセコスキー場の周辺は外資系のリゾート開発で有名であるが、ホンの10年位前までは2,000円/坪でも誰も買わないと言っていたのに、リーマンショック前には何と40万円/坪位まで上昇したのである。
もっとも、そんな価格で買う日本人はいないが…。
我輩を欲しがるご主人様は、世の中のことはあまり変わらないと予測し、昨日・今日・明日が今後数10年にわたって続くと盲信(楽観)している。
そうでなければ、35年ローンなんか組めるハズもない。
ローン期間中に会社は潰れない。
したがって、失業もしない。
自分も家族も病気やケガはしない。
予定外の出産もなければ離婚もしない。
と想定しない限り、35年間ローンを払い続けることなんかできはしない。
しかし、ブラックスワンは何時舞い降りるのかは誰にも分からない。
ブラックスワンの降臨もなく、無事35年間ローンを支払ったとしても、35年後には建替時期に到達するが、再就職や年金問題を考えるとローンの支払い完了後の人生をどうするのか、問題は尽きない。
いずれにしても、我輩の価格を決めるのはご主人様であるから、我輩の価格を上げるのも下げるのもご主人様次第である。
取引情報を集めて、過去ご主人様がどう考えていたかを推論することはできるが、そのことにより将来がどうなるのかは分からない。
我輩の価格が将来どうなるかは、ご主人様の考え方次第ということになる。
我輩の価格を我輩は知らないし、また決められない。
我輩の価格を決めるのは、ご主人様である人間である。
我輩は多種・多様のご主人様に仕えているが、我輩に対する価値観はまさに百人百様である。
そのためか、取引される価格も跛行的である。
価格形成要因と称する要因がいくら立派でも、買手がいなけりゃ二束三文である。
逆に、価格形成要因と称する要因がいくら貧弱でも、買手が多くなれば価格は高くなる。
資本主義経済であるから、価格形成要因と称する要因におかまいなく、需要と供給により価格は決まる。
昨日までたいして価値がないと思っていても、世の中の事情が変われば需給事情が変わり、価格も変わる。
例を挙げると、ニセコスキー場の周辺は外資系のリゾート開発で有名であるが、ホンの10年位前までは2,000円/坪でも誰も買わないと言っていたのに、リーマンショック前には何と40万円/坪位まで上昇したのである。
もっとも、そんな価格で買う日本人はいないが…。
我輩を欲しがるご主人様は、世の中のことはあまり変わらないと予測し、昨日・今日・明日が今後数10年にわたって続くと盲信(楽観)している。
そうでなければ、35年ローンなんか組めるハズもない。
ローン期間中に会社は潰れない。
したがって、失業もしない。
自分も家族も病気やケガはしない。
予定外の出産もなければ離婚もしない。
と想定しない限り、35年間ローンを払い続けることなんかできはしない。
しかし、ブラックスワンは何時舞い降りるのかは誰にも分からない。
ブラックスワンの降臨もなく、無事35年間ローンを支払ったとしても、35年後には建替時期に到達するが、再就職や年金問題を考えるとローンの支払い完了後の人生をどうするのか、問題は尽きない。
いずれにしても、我輩の価格を決めるのはご主人様であるから、我輩の価格を上げるのも下げるのもご主人様次第である。
取引情報を集めて、過去ご主人様がどう考えていたかを推論することはできるが、そのことにより将来がどうなるのかは分からない。
我輩の価格が将来どうなるかは、ご主人様の考え方次第ということになる。
トウキョウイズジャパン ― 田舎不動産の独り言 ― Vol.1
2021.06.25
VOL.01 田舎不動産の独り言
我輩は田舎の不動産である。
それも、北海道の過疎地の不動産である。
東日本大震災以降、都市部の不動産の取引が大分ガタガタしてたようだが、我輩にとっては別世界の話題である。
この国の話題は大抵が大都市中心である。
もっとも、田舎には人が少ないし、余程の大事件がなければ興味を持ってはくれない。
東日本大震災のお陰で、都会の人達も田舎の現状に少しは興味を持ってくれたようであるが、それも何時まで続くのやら……。
ところで、我輩の存在価値は我輩のご主人様である人間様次第であるが、そのご主人様は少なくとも貧乏人ではない。
これまで、ご主人様の気紛れで随分翻弄されてきたが、我輩の問題はどうやら今世紀には終わりを告げるのではと思っている。
何故かって?
それを訊くのはヤボと言いたいが、我輩の問題はご主人様である人間様の問題であるから、田舎に住む人間がいなくなれば問題の起こりようがないということである。
住宅街に熊が出たと言って大騒ぎしているが、人間が居るから問題になるのであって、人里離れた山の中を熊が歩いていたって問題にはなりようがない。
熊にすりゃ、はた迷惑な話である。
これまで取り沙汰されてきた土地問題は、所詮都会を中心とする問題で、人がいなけりゃ問題にすることもできない。
境界争い、日照権等の環境問題や土地利用の問題は、全てご主人様である人間様の問題である。
北海道はもともと明治維新前までは、松前藩の武士とアイヌが若干居た位で、北海道の大半は人跡未踏の原生林等の繁る山林・原野等で、現代的な意味における所有者はいなかったのである。
このまま人口が減少し続けると、2100年頃には一部地域を除いて人間はいなくなり、明治維新前夜に戻るのであろうから、我輩はもはや問題にされることもなくひっそりと暮らすことになるのであろうと思っている。
その方が幸せなのかも?
我輩は田舎の不動産である。
それも、北海道の過疎地の不動産である。
東日本大震災以降、都市部の不動産の取引が大分ガタガタしてたようだが、我輩にとっては別世界の話題である。
この国の話題は大抵が大都市中心である。
もっとも、田舎には人が少ないし、余程の大事件がなければ興味を持ってはくれない。
東日本大震災のお陰で、都会の人達も田舎の現状に少しは興味を持ってくれたようであるが、それも何時まで続くのやら……。
ところで、我輩の存在価値は我輩のご主人様である人間様次第であるが、そのご主人様は少なくとも貧乏人ではない。
これまで、ご主人様の気紛れで随分翻弄されてきたが、我輩の問題はどうやら今世紀には終わりを告げるのではと思っている。
何故かって?
それを訊くのはヤボと言いたいが、我輩の問題はご主人様である人間様の問題であるから、田舎に住む人間がいなくなれば問題の起こりようがないということである。
住宅街に熊が出たと言って大騒ぎしているが、人間が居るから問題になるのであって、人里離れた山の中を熊が歩いていたって問題にはなりようがない。
熊にすりゃ、はた迷惑な話である。
これまで取り沙汰されてきた土地問題は、所詮都会を中心とする問題で、人がいなけりゃ問題にすることもできない。
境界争い、日照権等の環境問題や土地利用の問題は、全てご主人様である人間様の問題である。
北海道はもともと明治維新前までは、松前藩の武士とアイヌが若干居た位で、北海道の大半は人跡未踏の原生林等の繁る山林・原野等で、現代的な意味における所有者はいなかったのである。
このまま人口が減少し続けると、2100年頃には一部地域を除いて人間はいなくなり、明治維新前夜に戻るのであろうから、我輩はもはや問題にされることもなくひっそりと暮らすことになるのであろうと思っている。
その方が幸せなのかも?