フラクタル現象とエレベーター相場 Vol.5
2020.12.18
VOL.05 経済物理学の発見
このタイトルは、平成16年9月に発行された(光文社新書発行)東北大学の高安教授の著作から拝借したものである。
高安教授のこの著作に拠れば、
「これまで経済学を支えてきた理論のかなりの部分が実証的な根拠のない空論だったことが明らかになってきています。」
と指摘し、更にアダム・スミスが提唱した需給均衡論は 200年経った今も
「これぞという証拠を見出した人はいない。」
と断言している。
暫くこの著作の受け売りが続くが、我慢していただくことにして、こう続けている。
「実例が見つからないのは、現実の市場の仕組に欠陥があるからだという弁解の理論が作られた。
円・ドルなどの外国為替の市場は、これまでの経済理論の教えに従い、規制を排除し、情報伝達を素早くし、更に訓練を積んだディーラーを揃えて取引するようになったが、それでも市場が安定化する兆しなど全くないどころか、むしろ以前よりも激しい変動がより短時間スケールで発生しているようにすら見えるのです。」
と。
数学の素養のない筆者にとっては、なかなか理解できないものの、この著作によってこれまでの経験から今までの経済学的発想ではとても対応できないと感じてきた問題に一筋の光明を見出せたのも事実である。
ところで、高安教授に拠れば
「経済物理学の分野は誕生して10年にも満たない(発行当時)新しい研究分野であるが、物理学者・経済学者・金融実務家等が集まって、常識を覆す発見や斬新なアイデアが報告されているとし、当該著作は最先端の経済物理学の研究成果を紹介することを目的としている。」
と記している。そして代表的な研究成果として、次の10点を挙げている。
①売買取引には微小な誤差を拡大するカオスの仕組が内在しており、需要と供給が釣り合って市場の価格が安定することはない。
②市場の価格変動を大きくするのはディラーの過去の価格変化に追随して先読みをする効果であり、暴落やバブルはこの効果が強く働いた結果生じる。
③②の効果のために、市場価格の変位の統計性はブラック・ショールズの理論が仮定するような正規分布よりもはるかに大きな裾野を持つベキ分布にしたがう。
④市場価格は、上位5%の大きな変動だけで全体的な動きの特徴を捉えることができる。
⑤短いスケールでの市場価格の変動は、非常に癖のある変動であり、短期の予測は十分に可能である。
⑥最も進化した市場である外国為替市場でも内部矛盾した状態である裁定機会は一日のうち5%程度の時間発生している。
⑦ミクロな市場価格の変動の確率動力学方程式から、マクロなインフレーションの方程式を導くようなミクロとマクロを連結する理論ができた。
⑧全所得の変動の統計モデルによって、所得の分布がベキ分布にしたがう経験則が説明でき、未来社会の所得分布を推定することも可能である。
⑨銀行間のキャッシュフローデータから背後に潜むネットワーク構造を推定し、その安定性を考察することができる。
⑩為替レートの変動のリスクから解放される 方法として、電子的なバスケット通貨を導入する方法がある。
以上のうち、個人的に特に興味をひいたのは、
①の「市場価格の安定性はない」ということと、
④の「市場価格は上位5%の大きな変動だけで全体的な動きの特徴を捉えることができる。」の二点である。
これを不動産市場に置き換えてみると、これまでの動きが何となく理解できるような気がするのである。
鑑定手法は取引データに手を入れることが多いが、データを科学的に取扱っているかと問われれば、疑問符がつくことになる。
データを科学的に扱うことの意味をもう少し考えるべきではないかと考えざるを得ない。
ところで、①の市場価格の安定性はないということについては、カオスの効果であると次のように説明されている。
「売値と買値のわずかな差異で取引の成立・不成立が生じるが、そのわずかな違いが質的な違いを引き起こすようなメカニズムが繰り返されると、観測できない程の小さな量が拡大され、それがシステム全体の未来に影響を及ぼすようになるが、これがカオスである。」
そして、
「このような性質は、あらゆるオープンマーケットについて成立し、物理学の視点から見れば、価格が安定し続けるようなオープンマーケットは存在し得ない。」
と結論づけているが、成程と思わざるを得ない。
そして更に、強烈に胸を突いたのが次の言葉である。
「経済学が科学になりきれないのは、観測事実を最優先して素直にあるがままを認めるような体質が欠けているからだ。」
このことは、鑑定に当ってデータを優先して素直に認める体質が我々にあるかと問われれば、正直言ってあるという自信がないのである。
次に気になったのが、④の市場価格は上位5%の動きで全体の特徴が把握できるという指摘である。
これについては、フラクタルという用語で次のように説明している。
「フラクタルとは、カオスと並ぶ複雑系の科学の基盤となる概念で、一部分を拡大したものが全体と似ているような性質を持つものを総称してフラクタルと呼ぶ」
としている。
このタイトルは、平成16年9月に発行された(光文社新書発行)東北大学の高安教授の著作から拝借したものである。
高安教授のこの著作に拠れば、
「これまで経済学を支えてきた理論のかなりの部分が実証的な根拠のない空論だったことが明らかになってきています。」
と指摘し、更にアダム・スミスが提唱した需給均衡論は 200年経った今も
「これぞという証拠を見出した人はいない。」
と断言している。
暫くこの著作の受け売りが続くが、我慢していただくことにして、こう続けている。
「実例が見つからないのは、現実の市場の仕組に欠陥があるからだという弁解の理論が作られた。
円・ドルなどの外国為替の市場は、これまでの経済理論の教えに従い、規制を排除し、情報伝達を素早くし、更に訓練を積んだディーラーを揃えて取引するようになったが、それでも市場が安定化する兆しなど全くないどころか、むしろ以前よりも激しい変動がより短時間スケールで発生しているようにすら見えるのです。」
と。
数学の素養のない筆者にとっては、なかなか理解できないものの、この著作によってこれまでの経験から今までの経済学的発想ではとても対応できないと感じてきた問題に一筋の光明を見出せたのも事実である。
ところで、高安教授に拠れば
「経済物理学の分野は誕生して10年にも満たない(発行当時)新しい研究分野であるが、物理学者・経済学者・金融実務家等が集まって、常識を覆す発見や斬新なアイデアが報告されているとし、当該著作は最先端の経済物理学の研究成果を紹介することを目的としている。」
と記している。そして代表的な研究成果として、次の10点を挙げている。
①売買取引には微小な誤差を拡大するカオスの仕組が内在しており、需要と供給が釣り合って市場の価格が安定することはない。
②市場の価格変動を大きくするのはディラーの過去の価格変化に追随して先読みをする効果であり、暴落やバブルはこの効果が強く働いた結果生じる。
③②の効果のために、市場価格の変位の統計性はブラック・ショールズの理論が仮定するような正規分布よりもはるかに大きな裾野を持つベキ分布にしたがう。
④市場価格は、上位5%の大きな変動だけで全体的な動きの特徴を捉えることができる。
⑤短いスケールでの市場価格の変動は、非常に癖のある変動であり、短期の予測は十分に可能である。
⑥最も進化した市場である外国為替市場でも内部矛盾した状態である裁定機会は一日のうち5%程度の時間発生している。
⑦ミクロな市場価格の変動の確率動力学方程式から、マクロなインフレーションの方程式を導くようなミクロとマクロを連結する理論ができた。
⑧全所得の変動の統計モデルによって、所得の分布がベキ分布にしたがう経験則が説明でき、未来社会の所得分布を推定することも可能である。
⑨銀行間のキャッシュフローデータから背後に潜むネットワーク構造を推定し、その安定性を考察することができる。
⑩為替レートの変動のリスクから解放される 方法として、電子的なバスケット通貨を導入する方法がある。
以上のうち、個人的に特に興味をひいたのは、
①の「市場価格の安定性はない」ということと、
④の「市場価格は上位5%の大きな変動だけで全体的な動きの特徴を捉えることができる。」の二点である。
これを不動産市場に置き換えてみると、これまでの動きが何となく理解できるような気がするのである。
鑑定手法は取引データに手を入れることが多いが、データを科学的に取扱っているかと問われれば、疑問符がつくことになる。
データを科学的に扱うことの意味をもう少し考えるべきではないかと考えざるを得ない。
ところで、①の市場価格の安定性はないということについては、カオスの効果であると次のように説明されている。
「売値と買値のわずかな差異で取引の成立・不成立が生じるが、そのわずかな違いが質的な違いを引き起こすようなメカニズムが繰り返されると、観測できない程の小さな量が拡大され、それがシステム全体の未来に影響を及ぼすようになるが、これがカオスである。」
そして、
「このような性質は、あらゆるオープンマーケットについて成立し、物理学の視点から見れば、価格が安定し続けるようなオープンマーケットは存在し得ない。」
と結論づけているが、成程と思わざるを得ない。
そして更に、強烈に胸を突いたのが次の言葉である。
「経済学が科学になりきれないのは、観測事実を最優先して素直にあるがままを認めるような体質が欠けているからだ。」
このことは、鑑定に当ってデータを優先して素直に認める体質が我々にあるかと問われれば、正直言ってあるという自信がないのである。
次に気になったのが、④の市場価格は上位5%の動きで全体の特徴が把握できるという指摘である。
これについては、フラクタルという用語で次のように説明している。
「フラクタルとは、カオスと並ぶ複雑系の科学の基盤となる概念で、一部分を拡大したものが全体と似ているような性質を持つものを総称してフラクタルと呼ぶ」
としている。
フラクタル現象とエレベーター相場 Vol.4
2020.12.10
VOL.04 エレベーター相場時代の時点修正
証券化により地価水準の動きが荒くなったことは否めない。
こういう市場環境の中では、時点修正のあり方について科学的に研究した方が良いのではと考える。
これまで、地価水準は一定のトレンドの中で時点修正率の大きさや求め方に問題はあるものの、それなりの役割を果たしてきたものと考えている。
しかしここ数年の急激な動きを見ると、時点修正は可能なのかという疑念を抱かざるを得ない。
今後、更に乱高下が激しくなったときに、どう対応したらいいのだろうか。
これまでのエスカレーター相場の時代にあって、公示価格の変動率は市場動向を反映してきたものと考えるが、エレベーター相場のように短期間に乱高下するようになると、トレンドを読むことが困難になる。
その結果、変動の変化点を見出すのが困難となり、評価者により大きなブレが生ずる可能性が高くなる。
いずれにしても、後記に紹介する経済物理学の目指すところは、案外我々の盲点かもしれないと思わざるを得ない。
コンピュータの進歩が経済物理学の分野を開拓したことから、これ迄不可能だったことが可能となる時代が来て、鑑定理論の分野に革命を起す日も近いのかもしれないと感じる今日この頃である。
証券化により地価水準の動きが荒くなったことは否めない。
こういう市場環境の中では、時点修正のあり方について科学的に研究した方が良いのではと考える。
これまで、地価水準は一定のトレンドの中で時点修正率の大きさや求め方に問題はあるものの、それなりの役割を果たしてきたものと考えている。
しかしここ数年の急激な動きを見ると、時点修正は可能なのかという疑念を抱かざるを得ない。
今後、更に乱高下が激しくなったときに、どう対応したらいいのだろうか。
これまでのエスカレーター相場の時代にあって、公示価格の変動率は市場動向を反映してきたものと考えるが、エレベーター相場のように短期間に乱高下するようになると、トレンドを読むことが困難になる。
その結果、変動の変化点を見出すのが困難となり、評価者により大きなブレが生ずる可能性が高くなる。
いずれにしても、後記に紹介する経済物理学の目指すところは、案外我々の盲点かもしれないと思わざるを得ない。
コンピュータの進歩が経済物理学の分野を開拓したことから、これ迄不可能だったことが可能となる時代が来て、鑑定理論の分野に革命を起す日も近いのかもしれないと感じる今日この頃である。
フラクタル現象とエレベーター相場 Vol.3
2020.12.03
VOL.03 時点修正とエスカレーター相場
鑑定評価基準によれば、時点修正とは「取引事例等の取引時点が価格時点と異なることにより、その間に価格水準・賃料水準・建設費等に変動があると認められた場合には、当該取引事例等の価格等を価格時点の価格等に修正すること」であるとされている。
そして時点修正は、「取引事例・収益事例・建設事例等について、それぞれ豊富に収集した価格形成要因の推移・動向等を総合的に勘案して行うことが必要である。」 とされている。
思想としてはある程度理解出来るものの、実際問題としては手に余る作業と思っている。
データの大量観察ができる株式市場ですら先が読めないのである。
それに引き替え、不動産市場ではデータの不足は恒常的であり、しかもデータの偏在が著しいのである。
このような条件下で時系列的に分析せよと言われても、神ならぬ人の身となれば、分析にも限界があるのは当然である。
しかも、不動産市場が一部とはいえ証券化され、株式と同様に売買され、その資金がさらに市場に投入されるという状況下では、相場の行方を的確に把握することは困難である。
そんなことができるのであれば、既に一財産をなし、ハッピーリタイアも夢ではなくなる。
また、同一地方都市内でも地価の動きは異なっており、道路一本隔てただけで変動率が変わる等ということをどう理解して良いか、ボンクラの筆者には見当がつかないのである。
また、何時の時点から上がったのか、下がったのかを判定することは、更に困難である。
かつて訴訟鑑定の証人尋問で、相手側弁護士から時点修正をしているが何月何日から変動したのかと聞かれ、返答に詰まったことを記憶している。
時点修正が完璧にできるのならば、一度鑑定した物件について再鑑定は不要となる。
また、要因があって価格が決まるのなら、要因の確定を深化させれば良いことになる。
やがてその研究が高度化すると、要因と時点修正率の関係も説明できるようになるものと考える。
しかし、大量のデータが入手可能な株式市場や外為市場でさえ、一瞬先は闇である。
不動産のようにデータの絶対量が少なく、しかも不透明でかつバイアスが大きい市場の特性を考えると、時点修正は至難の業と思わざるを得ない。
ところで、昨今、不動産市場は急速に悪化しつつあり、二桁マイナスも予想される中で、比準価格の大半が時点修正で決まるということも考えられる。
つまり、時点修正率が20~30%位あるのに、地域格差を数パーセントの範囲で説明したところで、あまり意味がないと考える他はない。
まして、急激な変化が生じた時、その時が地価水準の変化点だと言い切ることはできない。20数年鑑定世界に身を置いているが、時点修正の判定は、今もって自信のない世界である。
鑑定評価基準によれば、時点修正とは「取引事例等の取引時点が価格時点と異なることにより、その間に価格水準・賃料水準・建設費等に変動があると認められた場合には、当該取引事例等の価格等を価格時点の価格等に修正すること」であるとされている。
そして時点修正は、「取引事例・収益事例・建設事例等について、それぞれ豊富に収集した価格形成要因の推移・動向等を総合的に勘案して行うことが必要である。」 とされている。
思想としてはある程度理解出来るものの、実際問題としては手に余る作業と思っている。
データの大量観察ができる株式市場ですら先が読めないのである。
それに引き替え、不動産市場ではデータの不足は恒常的であり、しかもデータの偏在が著しいのである。
このような条件下で時系列的に分析せよと言われても、神ならぬ人の身となれば、分析にも限界があるのは当然である。
しかも、不動産市場が一部とはいえ証券化され、株式と同様に売買され、その資金がさらに市場に投入されるという状況下では、相場の行方を的確に把握することは困難である。
そんなことができるのであれば、既に一財産をなし、ハッピーリタイアも夢ではなくなる。
また、同一地方都市内でも地価の動きは異なっており、道路一本隔てただけで変動率が変わる等ということをどう理解して良いか、ボンクラの筆者には見当がつかないのである。
また、何時の時点から上がったのか、下がったのかを判定することは、更に困難である。
かつて訴訟鑑定の証人尋問で、相手側弁護士から時点修正をしているが何月何日から変動したのかと聞かれ、返答に詰まったことを記憶している。
時点修正が完璧にできるのならば、一度鑑定した物件について再鑑定は不要となる。
また、要因があって価格が決まるのなら、要因の確定を深化させれば良いことになる。
やがてその研究が高度化すると、要因と時点修正率の関係も説明できるようになるものと考える。
しかし、大量のデータが入手可能な株式市場や外為市場でさえ、一瞬先は闇である。
不動産のようにデータの絶対量が少なく、しかも不透明でかつバイアスが大きい市場の特性を考えると、時点修正は至難の業と思わざるを得ない。
ところで、昨今、不動産市場は急速に悪化しつつあり、二桁マイナスも予想される中で、比準価格の大半が時点修正で決まるということも考えられる。
つまり、時点修正率が20~30%位あるのに、地域格差を数パーセントの範囲で説明したところで、あまり意味がないと考える他はない。
まして、急激な変化が生じた時、その時が地価水準の変化点だと言い切ることはできない。20数年鑑定世界に身を置いているが、時点修正の判定は、今もって自信のない世界である。