ホモ・エコノミクスとゴルゴ13 Vol.3
2013.05.10
VOL.03 現実社会と標準的経済学の世界
現実世界は、経済学が予定している調和点を見つけ出すことが出来ず、大きくダッチロールしている。
金融工学が発展し、金融商品のリスク分析が可能(?)となったため、金融商品市場は大きく拡大した。
リスク分析を基に、リスクヘッヂを行い、確実に安定的にリターンを手に入れることは可能と喧伝され、機関投資家も一般市民も金融商品市場に殺到した。
つまり、プロもアマも金融商品市場は株式市場より安全と錯覚したのである。
不動産の証券化商品も金融商品の一角を占め、DCF法による評価に基づいた証券化不動産であるから絶対安全と言っていた人がいるが、サブプラ イムローン問題の発覚を機に、その影響は世界に拡散した。
日本市場は相対的に安全とされていたが、フタを開 ければ主要大手金融機関だけで1兆5千億円の損失が発生した。
もっとも、いくら損をしても所詮国民の金であり、金融機関にとっては痛くも痒くもないのである。
損をしたのは金融機関だけではなく、金融機関にお金を預 けていた国民であるのに、その自覚は国民にないのであるからお目出度いものである。
話がそれたが、サブプライムローンの問題は、国内不動産市場にも大きな影響を与えている。
不動産鑑定士が社長を勤める大阪のプライベートファンド会社が、今年春に倒産した。
その後、名古屋のファンド会社も倒産した。
つい最近では、グローバンスというファンド会社が倒産している。
いくら理屈を並べてみても、現実世界は必ずしも経済合理性に基づかないようである。
その意味で、近代経済学は現実世界と遊離した仮想世界を分析の対象としているのではないかと考える他はない。
鑑定理論も、その意味で限界があるのは否定できない。
現実世界は、経済学が予定している調和点を見つけ出すことが出来ず、大きくダッチロールしている。
金融工学が発展し、金融商品のリスク分析が可能(?)となったため、金融商品市場は大きく拡大した。
リスク分析を基に、リスクヘッヂを行い、確実に安定的にリターンを手に入れることは可能と喧伝され、機関投資家も一般市民も金融商品市場に殺到した。
つまり、プロもアマも金融商品市場は株式市場より安全と錯覚したのである。
不動産の証券化商品も金融商品の一角を占め、DCF法による評価に基づいた証券化不動産であるから絶対安全と言っていた人がいるが、サブプラ イムローン問題の発覚を機に、その影響は世界に拡散した。
日本市場は相対的に安全とされていたが、フタを開 ければ主要大手金融機関だけで1兆5千億円の損失が発生した。
もっとも、いくら損をしても所詮国民の金であり、金融機関にとっては痛くも痒くもないのである。
損をしたのは金融機関だけではなく、金融機関にお金を預 けていた国民であるのに、その自覚は国民にないのであるからお目出度いものである。
話がそれたが、サブプライムローンの問題は、国内不動産市場にも大きな影響を与えている。
不動産鑑定士が社長を勤める大阪のプライベートファンド会社が、今年春に倒産した。
その後、名古屋のファンド会社も倒産した。
つい最近では、グローバンスというファンド会社が倒産している。
いくら理屈を並べてみても、現実世界は必ずしも経済合理性に基づかないようである。
その意味で、近代経済学は現実世界と遊離した仮想世界を分析の対象としているのではないかと考える他はない。
鑑定理論も、その意味で限界があるのは否定できない。
ホモ・エコノミクスとゴルゴ13 Vol.2
2013.04.05
VOL.02 評価手法と経済分析の限界
取引事例比較法・原価法・収益還元法のいずれも刻一刻と変化する市場の動向に対応できていない。
もっとも、市場の変化が要因の変化を伴っているのかどうかさえわかっていないのであるから、結局は市場構造に変化はないという前提で考えるほかはない。
評価基準の改正によって、比較的動的な分析が可能とされるDCF法であっても、結局は過去の延長上で分析する他はないので、静態的分析の域を出ていないことになる。
人間の限られた能力では、刻々と変化する市場条件の無限とも考えられる組み合わせを1秒間に数万回も繰り返し計算し、アルゴリズム的に分析することは不可能である。
一方、経済分析の大半は不動産市場よりはるかに単純な市場を相手にしているが、未だにその分析技術は確立していない。
もっとも、経済分析が完璧であれば経済対策に困ることはないのであるから、市民はとっくに最大多数の最大幸福を実現し、平穏な生活を手に入れていなければならないことになる。
ところが、現実の生活はこれと正反対であり、未だに最大多数の最大幸福を実現するに至っていない。
つまり、比較的単純と思われる市場(株式・債券・為替市場等)でさえ静態論的にも動態論的にも分析はできていないのであるから、不完全極まりない不動産市場を科学的に分析・アプローチする方法がないのは至極当然である。
したがって、鑑定評価論が完成されたものではないことは当然であり、それにしがみつくのはある意味で滑稽でもある。
現実の不完全な不動産市場をダイナミックに分析し、より客観性を高めることは必要ではあるが、現実の状況下では現実不可能と思われるほどハードルは高い。
取引事例比較法・原価法・収益還元法のいずれも刻一刻と変化する市場の動向に対応できていない。
もっとも、市場の変化が要因の変化を伴っているのかどうかさえわかっていないのであるから、結局は市場構造に変化はないという前提で考えるほかはない。
評価基準の改正によって、比較的動的な分析が可能とされるDCF法であっても、結局は過去の延長上で分析する他はないので、静態的分析の域を出ていないことになる。
人間の限られた能力では、刻々と変化する市場条件の無限とも考えられる組み合わせを1秒間に数万回も繰り返し計算し、アルゴリズム的に分析することは不可能である。
一方、経済分析の大半は不動産市場よりはるかに単純な市場を相手にしているが、未だにその分析技術は確立していない。
もっとも、経済分析が完璧であれば経済対策に困ることはないのであるから、市民はとっくに最大多数の最大幸福を実現し、平穏な生活を手に入れていなければならないことになる。
ところが、現実の生活はこれと正反対であり、未だに最大多数の最大幸福を実現するに至っていない。
つまり、比較的単純と思われる市場(株式・債券・為替市場等)でさえ静態論的にも動態論的にも分析はできていないのであるから、不完全極まりない不動産市場を科学的に分析・アプローチする方法がないのは至極当然である。
したがって、鑑定評価論が完成されたものではないことは当然であり、それにしがみつくのはある意味で滑稽でもある。
現実の不完全な不動産市場をダイナミックに分析し、より客観性を高めることは必要ではあるが、現実の状況下では現実不可能と思われるほどハードルは高い。
ホモ・エコノミクスとゴルゴ13 Vol.1
2013.04.04
VOL.01 鑑定理論と不動産取引の現場
鑑定理論の基本的な考え方は、標準的な経済学を基礎としている。
不動産は経済財であるから、その価格形成は市場原理に委ねられていることになる。
市場における経済の動向を分析し、市場における行動心理を理論化したのが経済学であると私は理解している。
標準的な経済学では、市場における人間の行動は完全に合理的であると仮定した上で複雑に絡み合う経済行動を抽象化して理論が組み立てられている。
また、一般的に一定の条件の制約下における経済行動の分析が静態的分析、一定の条件が変動することを前提にした分析が動態的分析である。
鑑定理論はどちらかというと、完全市場における市場条件が一定、つまりある条件下における経済合理性に基づく経済人の行動を前提に理論が構築されているものと理解される。
つまり、静態的分析の上に理論が構築されているため、現実の市場に立ち向かうと違和感を覚えることになる。
不動産取引の現場は極めて不完全でダイナミックに変動する市場であり、取引情報の非開示性や経済合理性に基づかない、すなわち主観的な事情に基づく取引が多く、静態論的経済学を基礎とする鑑定理論をもって現実の不動産市場を説明することは相当困難な作業となる。
我々は不動産の完全市場を現実に見たことはない。
したがって、現実の不完全市場が完全市場とどの程度遊離してるかということを身をもって感知することはできない。
何時の日か仮想世界でもいいから不動産の完全市場がどういうものかを見たいものである。
鑑定理論の基本的な考え方は、標準的な経済学を基礎としている。
不動産は経済財であるから、その価格形成は市場原理に委ねられていることになる。
市場における経済の動向を分析し、市場における行動心理を理論化したのが経済学であると私は理解している。
標準的な経済学では、市場における人間の行動は完全に合理的であると仮定した上で複雑に絡み合う経済行動を抽象化して理論が組み立てられている。
また、一般的に一定の条件の制約下における経済行動の分析が静態的分析、一定の条件が変動することを前提にした分析が動態的分析である。
鑑定理論はどちらかというと、完全市場における市場条件が一定、つまりある条件下における経済合理性に基づく経済人の行動を前提に理論が構築されているものと理解される。
つまり、静態的分析の上に理論が構築されているため、現実の市場に立ち向かうと違和感を覚えることになる。
不動産取引の現場は極めて不完全でダイナミックに変動する市場であり、取引情報の非開示性や経済合理性に基づかない、すなわち主観的な事情に基づく取引が多く、静態論的経済学を基礎とする鑑定理論をもって現実の不動産市場を説明することは相当困難な作業となる。
我々は不動産の完全市場を現実に見たことはない。
したがって、現実の不完全市場が完全市場とどの程度遊離してるかということを身をもって感知することはできない。
何時の日か仮想世界でもいいから不動産の完全市場がどういうものかを見たいものである。