相互不信社会とコンパクトシティの行方 ~ Vol.3
2021.12.09
VOL.03  大衆社会の住民意識
 戦後拡大均衡を目指し、ガムシャラに頑張り、ジャパンアズナンバーワンとも言われた日本も、昔日の面影はなく、市民社会を潤してきた大手家電メーカーも次々と外資の門に下っている。

 平成以前に、誰がこのような時代が来ると予想し得たであろうか。

 拡大均衡の夢が限界に来ているというのに、相も変わらず拡大均衡の夢から目覚めないでいる。

 大量生産・大量消費と移動の高速化によって、我々は一体何を手にしたのであろうか。

 特に移動の高速化によって、サラリーマンは出張による束の間の休息さえ奪われ、残ったのは疲ればかりである。

 地方市町村にしても、これまであった支店・営業所が日帰り圏となったために廃止された。

 また、日帰りする人が多くなると、地元で消費されるお金も減少し、地元経済は疲弊する。

 これらの複合的効果によって就業機会が減少し、人口は更に減少する。

 人口減少が続けば、インフラや公共施設の維持管理が困難となり、財政は悪化する。

 大衆社会はとりあえず今日・明日のことで精一杯であるから、その先は考えない。

 日本全国茹でガエル状態となり、気がつけば地方消滅となる。

 明治初期には約4000万人といわれた人口が、1億2千万人と約3倍になったが、明治時代のことを思えば、今の人口が半減したところで大したことはないと思えるのである。

 際限なき経済成長と人口増加が大衆社会の希望するところとは思えないが、かといって、これに代わる国のあり方を示せない以上、国土の均衡ある発展と経済成長のトラウマから逃れることはできないということであろうか。
2021.12.09 11:00 | 固定リンク | 鑑定雑感
相互不信社会とコンパクトシティの行方 ~ Vol.2
2021.12.02
VOL.02 地方消滅による無居住化地域の拡大と財政難
 長期人口推計をどう眺めてみても、この先少子高齢化とこれによる人口減少からは逃れる術もないのは明白である。

 極端な移民政策を執らない限り、全国的には無居住化地域が拡大することになる。

 無居住化地域が拡大するということは、空家が爆発的に増加するということであり、空家対策にも限度があるということを自覚する必要がある。

 コンパクトシティとして短期的には中心市街地の活性化を図ることができるとしても、中長期的には持続的に地域社会を維持することは困難と思われる。

 ところで、コンパクトシティ構想とは、本来的には経済成長に伴って沸き起こったマイホームブームにより拡大した市街地を、少子高齢化時代に合わせていかに縮小均衡させるかということではないかと考える。

 つまり、伸びきったライフラインを少子高齢化に伴う人口減少時代に、これまでと同じように維持管理することは困難であるからである。

 実際、夕張市においても財政破綻以後、急激な人口減少に悩まされ、そのことによって水道・下水道料金を倍増させたが、受益者負担の増大により、更に人口減少を加速させたのである。

 住民からすれば、人口減少により行政サービスの質量が低下しているにもかかわらず住民負担が増えるため、生活のためにやむなく転出することになり、実際にもそうなったのである。

 残った住民は、どちらかといえば経済的弱者が中心であり、そのことにより社会福祉関連の負担が多くなり、更に転出圧力が高まることになる。

 一度こうなると最早手の打ちようがなく、負のスパイラルに陥り、抜け出すことが困難となる。

 夕張市は、財政破綻の一番手であったため、全国的にも有名になり、また東京都から派遣された若き職員が市長となって夕張再生に向けて刻苦奮励しているが、このような市町村が何倍にも増加したら、中央政府としても手の打ちようがなくなるのではと思っている。

 財政破綻が珍しかったからこそ政府も東京都も支援することができたが、あくまでも例外として考えるべきと考える。

 つまり、中央政府も恒常的に財政難に悩まされており、赤字国債に頼る財政運営がこれまでと同じように続けていける可能性が少ない以上、夕張市のような例が増えたらお手上げということになるからである。

 そういう意味では、夕張市は幸運であったと思わざるを得ない。

 二番手・三番手の財政破綻市町村が今後出現する可能性を否定できないが、夕張市と同じような対応はできないであろうし、世間の耳目を集めることもないのではと思わざるを得ない。

 大衆社会とは、目先のことには鋭く反応するが、将来のことにはあまり興味を持たない社会であるような気がするのである。

 本質的に物事を考えない大衆社会は、自滅の道を歩むしかないと思うのは、考えすぎなのであろうか。
2021.12.02 10:09 | 固定リンク | 鑑定雑感
相互不信社会とコンパクトシティの行方 ~ Vol.1
2021.11.25
VOL.01 再開発ビル青森市アウガ落城 
 東奥日報(2月16日)及び区画再開発通信(3月15日区画整理・再開発対策全国連絡会議発行)によれば、青森市が全国に先駆けてコンパクトシティを提唱し、中心市街地活性化を目指し、青森駅前地区に建築された第二地区再開発ビルである『アウガ』が、商業ビルとしての経営に失敗し、これを救済するため全館を公共化するということになったとのことである。

 全国的には、商業再開発が破綻するケースが相次いでいるが、青森よ、お前もかという思いにさせられた。

 ところで、前記によれば、全ての床を青森市が買い取ることで第三セクターの赤字を解消し、残債務は青森市が放棄することで最終決着したとのことである。

 この第二地区は平成13年に完成し、百貨店をキーテナントとして誘致したがそれもかなわず、5階から上は青森市が図書館等を入居させ、地下から4階までの商業床の大半は第3セクターが買取り、商業経営の収支で買取代金の返済をする予定であったが、バブル崩壊や人口減少・少子高齢化等もあって客足が伸びず、赤字が累積し、行き詰まったことから、商業ビルとしての機能をあきらめ、役所機能を移す方針を決めたとのことである。

 時代が悪いといえばそれまでであるが、長期人口減少時代に突入していることを考えると、コンパクトシティ構想にも一定の限度があることを思い知らされた。

 これまでの街づくりで一番問題であると思うのは、サプライサイド的な発想で、入れ物を造ることが先で、利用は後から考えるという姿勢にあることである。

 本当のところは、コンパクトシティに名を借りた公共事業であり、完成後の利用や維持管理のあり方を先送りした結果ということではないかと思うのである。

 形を変えた公共事業であるから、そこには必ずしも住民の意思が十分に反映されたとはいえなかったのではないかと思われる。

2021.11.25 17:55 | 固定リンク | 鑑定雑感

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