デフレ脱却と内需拡大への道 ~ Vol.5
2022.02.17
VOL.05 長期休暇制度とそのメリット
普通、一般成人が3週間も休みをとって、自宅に引きこもったままでいるとは考えられない。
3週間も休みがあると、前後1週間自宅にいても、1週間くらいはどこかへ出かけたくなるのが人情であろう。
現在のように極端に短い休暇制度の下では、安・近・短に象徴される旅行しかできない。
しかし、3週間も休みがあると、長期滞在型の旅行が可能となる他、自己啓発の時間やボランティア活動等、年次計画を立て有意義な休暇を送れるようになるものと考える。
長期休暇制度のメリットとしては、次のようなものが考えられる。
①ピークの減少による混雑の緩和。
②ピーク料金がなくなり、旅行費用がリーズナブルになる。
その結果、海外と競争可能な国内旅行が多くなり、内需は拡大する。
③ピークの減少により、リゾート地や観光地では稼働率が平準化する為、従業員の通年雇用が可能となる。
その結果、地方が活性化し、地域経済が自立可能になる。
④ピークに合わせた道路整備等が不要となり、財政負担が軽くなる。
⑤ピークの減少により、電力消費も平準化する。
⑥交通渋滞の減少により、排ガスの抑制とエネルギーロスの防止ができ、環境負荷の軽減が可能となる。
⑦休暇の充足感により、仕事に対する意欲の増大が期待できる。
⑧休暇のスケジュール調整により、経営効率の向上が期待できる。
思いつくまま例を挙げたが、労使間の問題に止まらず、国民経済にとっても長期休暇によるメリットは計り知れないものと思われる。
そして最大のメリットは、公共事業とは異なり、導入コストがかからないということである。
更に、長期休暇によって人は必ず動き、人が動けば必ずモノは動く(消費される)ということである。
我々は目先のモノが動くことだけを内需拡大と考えているが、やみくもにモノを欲しがっている訳ではなく、必要なものにはちゃんと消費しているのである。
あいも変わらず公共事業により景気のテコ入れを図っているけれども、その効果が上がらないのは借金漬けの財政に危機感を抱いている他、特に欲しいモノがないからともいえるのではないか。
細切れの恩着せがましい現在の休み方から脱却して、充足感のある長期休暇制度は、国民経済にとっても経営者・勤労者双方にとってもそのメリットは非常に大きいものと考える。
また、働き方を考えるということは、休み方を考えることに他ならないので、江戸時代の石門心学が教える勤勉一辺倒から、新しい時代に対応した休暇制度のあり方について議論して欲しいと願うばかりである。
普通、一般成人が3週間も休みをとって、自宅に引きこもったままでいるとは考えられない。
3週間も休みがあると、前後1週間自宅にいても、1週間くらいはどこかへ出かけたくなるのが人情であろう。
現在のように極端に短い休暇制度の下では、安・近・短に象徴される旅行しかできない。
しかし、3週間も休みがあると、長期滞在型の旅行が可能となる他、自己啓発の時間やボランティア活動等、年次計画を立て有意義な休暇を送れるようになるものと考える。
長期休暇制度のメリットとしては、次のようなものが考えられる。
①ピークの減少による混雑の緩和。
②ピーク料金がなくなり、旅行費用がリーズナブルになる。
その結果、海外と競争可能な国内旅行が多くなり、内需は拡大する。
③ピークの減少により、リゾート地や観光地では稼働率が平準化する為、従業員の通年雇用が可能となる。
その結果、地方が活性化し、地域経済が自立可能になる。
④ピークに合わせた道路整備等が不要となり、財政負担が軽くなる。
⑤ピークの減少により、電力消費も平準化する。
⑥交通渋滞の減少により、排ガスの抑制とエネルギーロスの防止ができ、環境負荷の軽減が可能となる。
⑦休暇の充足感により、仕事に対する意欲の増大が期待できる。
⑧休暇のスケジュール調整により、経営効率の向上が期待できる。
思いつくまま例を挙げたが、労使間の問題に止まらず、国民経済にとっても長期休暇によるメリットは計り知れないものと思われる。
そして最大のメリットは、公共事業とは異なり、導入コストがかからないということである。
更に、長期休暇によって人は必ず動き、人が動けば必ずモノは動く(消費される)ということである。
我々は目先のモノが動くことだけを内需拡大と考えているが、やみくもにモノを欲しがっている訳ではなく、必要なものにはちゃんと消費しているのである。
あいも変わらず公共事業により景気のテコ入れを図っているけれども、その効果が上がらないのは借金漬けの財政に危機感を抱いている他、特に欲しいモノがないからともいえるのではないか。
細切れの恩着せがましい現在の休み方から脱却して、充足感のある長期休暇制度は、国民経済にとっても経営者・勤労者双方にとってもそのメリットは非常に大きいものと考える。
また、働き方を考えるということは、休み方を考えることに他ならないので、江戸時代の石門心学が教える勤勉一辺倒から、新しい時代に対応した休暇制度のあり方について議論して欲しいと願うばかりである。
(2016年12月 傍目八目掲載/「デフレ脱却と内需拡大への道」)
デフレ脱却と内需拡大への道 ~ Vol.4
2022.02.10
VOL.04 内需拡大策としての休暇のあり方を考える
現在の日本においては、年間休日数は既に欧米を凌駕している。
それにもかかわらず充足感が得られないのは、休み方が悪いからである。
毎日 500円の小遣いでは何もできないが、毎月まとめて15,000円の小遣いをもらえば、誰でもその使い方を考えるようになる。
休暇もこれと同じで、日本人特有の何でも小出し(政府は特にそうだが)、司馬遼太郎のいうところの逐次投入というやり方では、現在の閉塞感から逃れる事はできない。
小出しや逐次投入によって、結果的に膨大な労力やコストをつぎ込みながらほとんど効果が得られなかったことは、歴史の証明するところである。
ところで、現在でも勤続年数に応じて有給休暇がとれるようにはなっているが、公務員はいざ知らず、民間においては100%消化できたというような話は極めて少ない。
労働者の権利として実行するには企業内の抵抗が大きく、なかなか休めないのが実情である。
現在の有給休暇制度は、事実上有名無実化していると言わざるを得ない。
現在の休み方の弊害を取り除き、国民経済にとっても勤労者にとってもプラスになる休み方を考える必要がある。
そこで、国家管理型の現在の祝祭日の設定を必要最小限に止め、その一方で、これに見合う形で勤労者の休暇を確保するために労働基準法を改正し、最低でも連続3週間の有給休暇を年に一度必ず与えなければならないことにすべきである。
現在の日本においては、年間休日数は既に欧米を凌駕している。
それにもかかわらず充足感が得られないのは、休み方が悪いからである。
毎日 500円の小遣いでは何もできないが、毎月まとめて15,000円の小遣いをもらえば、誰でもその使い方を考えるようになる。
休暇もこれと同じで、日本人特有の何でも小出し(政府は特にそうだが)、司馬遼太郎のいうところの逐次投入というやり方では、現在の閉塞感から逃れる事はできない。
小出しや逐次投入によって、結果的に膨大な労力やコストをつぎ込みながらほとんど効果が得られなかったことは、歴史の証明するところである。
ところで、現在でも勤続年数に応じて有給休暇がとれるようにはなっているが、公務員はいざ知らず、民間においては100%消化できたというような話は極めて少ない。
労働者の権利として実行するには企業内の抵抗が大きく、なかなか休めないのが実情である。
現在の有給休暇制度は、事実上有名無実化していると言わざるを得ない。
現在の休み方の弊害を取り除き、国民経済にとっても勤労者にとってもプラスになる休み方を考える必要がある。
そこで、国家管理型の現在の祝祭日の設定を必要最小限に止め、その一方で、これに見合う形で勤労者の休暇を確保するために労働基準法を改正し、最低でも連続3週間の有給休暇を年に一度必ず与えなければならないことにすべきである。
デフレ脱却と内需拡大への道 ~ Vol.3
2022.02.03
VOL.03 モノが売れなきゃ人を動かせ
エコノミックアニマルだワークホリックだと言われ、世界から働く事しか能のない民族と言われて来たが、果たして現在もそのような状況にあるのだろうか。
平成二十八年の暦をみると、祝祭日は年間で15日間ある。
これに、習慣となっている年末年始の休み約7日とお盆休み3日を加えると、現在年間既に25日間も土曜日・日曜日以外に休んでいる事になる。
欧米では日本のように祝祭日等が多くない為、長期有給休暇が一般的である。
我々は長期バカンスを長い間夢見ているが、現役時代の実現はなかなか困難である。
しかし、実際には週休二日制の上に、更に年間約25日も休んでいるのである。
年間労働日数でみれば、何と240日前後しか働いていない事になる。
つまり、12ヶ月のうち働いているのは8ヶ月、休んでいるのが4ヶ月という計算になる。
現在のような祝祭日や休暇習慣からすると、国民経済にとっても環境にとっても、むしろ害の方が多いと考えざるを得ない。
盆暮れやゴールデンウィークのシーズンになると、十年一日の如く繰り返される交通渋滞・料金の高騰・サービスの低下等に悩まされている。
交通渋滞による排ガスの環境汚染やピークに合わせた公共投資は、財政的にも限界にきている。
地方の高速道路をみると、ピークを過ぎるとガラガラ状態になっており、その必要性に疑問を抱かざるを得ない。
経営側にとっては、週休二日制の間に祝祭日がはさまる為、効率的な経営ができない。
勤労者側からみれば、1日・2日の飛び飛びの休みではほとんど何もできない為、充足感が得られない。
これでは、腰を据えて何かをするというような、有意義な休暇の使い方ができないのである。
エコノミックアニマルだワークホリックだと言われ、世界から働く事しか能のない民族と言われて来たが、果たして現在もそのような状況にあるのだろうか。
平成二十八年の暦をみると、祝祭日は年間で15日間ある。
これに、習慣となっている年末年始の休み約7日とお盆休み3日を加えると、現在年間既に25日間も土曜日・日曜日以外に休んでいる事になる。
欧米では日本のように祝祭日等が多くない為、長期有給休暇が一般的である。
我々は長期バカンスを長い間夢見ているが、現役時代の実現はなかなか困難である。
しかし、実際には週休二日制の上に、更に年間約25日も休んでいるのである。
年間労働日数でみれば、何と240日前後しか働いていない事になる。
つまり、12ヶ月のうち働いているのは8ヶ月、休んでいるのが4ヶ月という計算になる。
現在のような祝祭日や休暇習慣からすると、国民経済にとっても環境にとっても、むしろ害の方が多いと考えざるを得ない。
盆暮れやゴールデンウィークのシーズンになると、十年一日の如く繰り返される交通渋滞・料金の高騰・サービスの低下等に悩まされている。
交通渋滞による排ガスの環境汚染やピークに合わせた公共投資は、財政的にも限界にきている。
地方の高速道路をみると、ピークを過ぎるとガラガラ状態になっており、その必要性に疑問を抱かざるを得ない。
経営側にとっては、週休二日制の間に祝祭日がはさまる為、効率的な経営ができない。
勤労者側からみれば、1日・2日の飛び飛びの休みではほとんど何もできない為、充足感が得られない。
これでは、腰を据えて何かをするというような、有意義な休暇の使い方ができないのである。