士・業同一性障害を考える ~ Vol.2
2022.07.13
VOL.02 不動産の鑑定評価に関する法律を考える
 
一般的に、業者を規制する法律は○○業法(業者法)、資格者を規制する法律は○○士法となっている。
 これに対し、不動産鑑定士を規制する法律は、「不動産の鑑定評価に関する法律」となっており、この名称からは、直ちに業者法なのか士法なのかを区別することは困難である。

 そこで、改めて不動産の鑑定評価に関する法律の構成を見ると、不動産鑑定士という資格者に関する規定が先、業者規定が後となっているが、宅地建物取引業法(以下宅建業法)では、業者規定が先、資格者規定が後と、順序が逆になっている。

 不動産鑑定業として行うためには、業者登録をしていなければならないとしているので、資格があるだけでは業として行うことができない。
 よって、この法律は明らかに業者法という他はない。

 この法律によれば、経営者に資格の有無を問わないので、金さえあれば誰でも有資格者を雇って不動産鑑定業を営むことが出来ることになるし、事実そのような会社は多く、宅建業と同じである。

 尚、業者要件の構成を見ると、宅建業法とほぼ同じである。

 業者登録は、大臣登録と知事登録の2通りで、宅建業法も大臣免許と知事免許の2通りである。

 前者は、何故か登録という用語を使用し、後者は免許という用語を使用している。

 尚、この法律上の登録の意味は、法律的には免許と同じと思われるが、○○士法では免許ではなく、登録という用語となっている。

 これは、○○士法では、資格者が代表者で、自らその業務を行わなければならず、試験合格によって業務を行う資格が備わるので、一般的行為の禁止の解除を意味する免許という用語を使用していないものと思われる。

 尚、業者登録(免許)の要件は、前2者とも同じであるが、前者と後者の大きな違いは、営業保証金と報酬と宅地建物取引士の人数要件くらいであろうか。

 不思議なことに、宅建業法上は、仲介手数料は大臣告示されているが、同じ業法でも鑑定業法の報酬規定は法定されていない。

 また、上場会社で従業員が数百人いても、不動産鑑定士が一人いれば、鑑定業はできることになっている。
 宅建業と同じく従業員5人に一人の割合の不動産鑑定士が必要とすれば、不動産鑑定業は産業に変革できたかもしれないと思っている。
2022.07.13 13:50 | 固定リンク | 鑑定雑感
士・業同一性障害を考える ~ Vol.1
2022.07.08
VOL.01 はじめに


昨今・GIDやLGBT(性同一性障害等)について色々と議論されており、これらに対する社会的関心は高まっている。

 個人的には、GID・LGBTではないが、差別する気持ちは全くないとしても、これらの人々が内面的に有する苦悩に対して十分理解できるかと問われれば、なかなか難しいと答えざるを得ない。

 一方、個人間の問題を離れ、対社会・対行政との関係をみると、理解できないと突き放すことは、相当の問題があるのも事実である。

それ故に、これらの問題がマスコミにも取り上げられ、問題の解決に向けての議論や行政的対応が少しずつではあるが進んでいることは、喜ばしいと思っている。

 我が国では、残念ながら他者と異なる人を排除しようとする圧力は、前記の問題の他にもあって、ありとあらゆる分野においてその圧力は高くなっており、日本のあり様が懸念される。

 ところで、何故このような話になったかというと、「不動産鑑定士」という言葉が独り歩きし、法律上、業者なのか、個人資格者なのかがよく区別されないまま、錯綜した認識や議論がまかり通り、あるべき姿が見えにくくなっていると感じたからである。

 これから先は個人の見解であり、間違い等があるかもしれないので、予めご容赦願うものである。
2022.07.08 09:00 | 固定リンク | 鑑定雑感
戦略なき義務研修問題を憂う ~ Vol.6
2022.06.30
VOL.06 インストラクターの養成と評価制度

教育プログラムが出来ても、これを担当する講師の能力にバラツキがあると、研修にも支障が出ることが予想される。

したがって、教育プログラムと同様に重要なのは、講師養成講座であると考える。

現状は、実地演習も含めて、講師を何時・誰が・どのように選定したのか、全くもって分からない状態にある。

 受講生の話を聞くと、ただテキストを朗読するだけで、質問も一切受け付けない講師がいるということである。

 このような演習や研修の延長線上に義務研修があるというのでは、受講生は浮かばれない。

 現在の制度下では、ありとあらゆる不動産等の評価ができることになっているが、実際問題として、できることは限られるし、無理でもある。

 不動産鑑定士は何でもお見通しの神様ではないと思うのである。

多芸は無芸に通ずるという言葉にもある通り、インストラクターも各評価分野毎に養成すべきであると考える。

教育プログラムとインストラクター養成講座を修了し、試験に合格した講師を用意できたとしても、受講生が十分に興味を持ち、理解を手助けすることが出来なければ、研修制度は機能しない。

 ASAでは受講生による講師の評価が行なわれ、合格しなければ次回の講師になることはできない。

したがって、受講生による講師の評価は、欠くことのできない教育プログラムの要と考える。

 そうすることによって、上から目線の研修ではなく、講師と受講生との適度な緊張関係が生まれ、講師も受講生も相互に切磋琢磨され、能力の向上が図れると思うのである。

 現行の研修制度の問題点を点検し、方向性を検討し、その上で研修の義務化を議論することは有益と思えるが、このプロセスを省いた研修の義務化は、問題が多いと考える。

これを機会に、先進地にならって、教育プログラムの開発や、講師養成講座による講師の育成及び受講生による講師の評価について、大いに議論してもらえるよう期待したい。

 

(2018年2月 傍目八目掲載/「戦略なき義務研修問題を憂う」)

2022.06.30 16:10 | 固定リンク | 鑑定雑感

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