パラサイト北海道「アジアの中の北海道」 ~ Vol.4
2023.03.16
VOL.04 減少する国内マーケット、拡大するアジアのマーケット
前号にみたように、北海道の人口は2030年には約470万人となり、2000年に比較して約100万人の人口減少が予想されているが、民間の研究機関であるアトラクターズ・ラボ㈱による「日本の将来推計人口」(2001年12月推計)によれば、2100年までの人口の推移は次のとおりである。
これによれば、2100年の日本の人口は約3500万人で、ピーク時の約28%の水準である。2030年頃までは年間▲0.4%程度の減少で比較的ゆるやかな人口減少となっているが、それ以降は年間1%前後の減少率となっており、急速な人口減少が予測されている。
他方、高齢化率をみると、2020年でほぼ30%となり、3人に1人が65歳以上、2050年には2.5人に1人が65歳以上となり、高齢者大国となる。
北海道もこれと同様のトレンドにあると思われることから、2030年で100万人の人口減少で大騒ぎしている場合ではない。
2100年の札幌市の人口が60万人以下になる可能性は高い。
また、北海道全体でも約400万人以上の人口減少となるものと思われ、2100年の北海道の姿を想像することは恐ろしい。
このような長期的な人口減少トレンドの中では、消費の拡大を望む術はないし、消費拡大どころか、どうあがいても現在の枠組みの中では北海道経済どころか日本経済そのもの自体の存立も危ぶまれる。
我々は、人口減少時代にあっては拡大均衡の想定は困難であることを冷静に受けとめる必要がある。
いくら気休めを言っても、人口減少に歯止めをかけられないのであれば、絵に描いたモチである。
とりあえず今日・明日のことしか考えられない(私も含めて)が、パラダイムの変換をせまられているのは間違いない。
これまでの政策の常識は、これからは非常識とならざるを得ないことを自覚して、発想の転換ができるよう努力すべきときと考える。
ところで、視点をアジアに移すと、そこには人口爆発に伴う人口増加と経済発展による需要の増加があり、今後50年位はマーケットの拡大が期待できる。
国内マーケットは縮小による縮小を続け、全ての生産は過剰となることが予想される。
日本、ひいては北海道が生き残りをかけるとすれば、アジアのマーケットしかないことになる。
これまでアジア諸国の1人当りの国民所得が低かったため、農産物等の労働集約的な商品の市場競争力は低かったが、これからは相対的な所得格差の縮小から北海道も農産物の輸出大国になる可能性は高い。
前号にみたように、北海道の人口は2030年には約470万人となり、2000年に比較して約100万人の人口減少が予想されているが、民間の研究機関であるアトラクターズ・ラボ㈱による「日本の将来推計人口」(2001年12月推計)によれば、2100年までの人口の推移は次のとおりである。
これによれば、2100年の日本の人口は約3500万人で、ピーク時の約28%の水準である。2030年頃までは年間▲0.4%程度の減少で比較的ゆるやかな人口減少となっているが、それ以降は年間1%前後の減少率となっており、急速な人口減少が予測されている。
他方、高齢化率をみると、2020年でほぼ30%となり、3人に1人が65歳以上、2050年には2.5人に1人が65歳以上となり、高齢者大国となる。
北海道もこれと同様のトレンドにあると思われることから、2030年で100万人の人口減少で大騒ぎしている場合ではない。
2100年の札幌市の人口が60万人以下になる可能性は高い。
また、北海道全体でも約400万人以上の人口減少となるものと思われ、2100年の北海道の姿を想像することは恐ろしい。
このような長期的な人口減少トレンドの中では、消費の拡大を望む術はないし、消費拡大どころか、どうあがいても現在の枠組みの中では北海道経済どころか日本経済そのもの自体の存立も危ぶまれる。
我々は、人口減少時代にあっては拡大均衡の想定は困難であることを冷静に受けとめる必要がある。
いくら気休めを言っても、人口減少に歯止めをかけられないのであれば、絵に描いたモチである。
とりあえず今日・明日のことしか考えられない(私も含めて)が、パラダイムの変換をせまられているのは間違いない。
これまでの政策の常識は、これからは非常識とならざるを得ないことを自覚して、発想の転換ができるよう努力すべきときと考える。
ところで、視点をアジアに移すと、そこには人口爆発に伴う人口増加と経済発展による需要の増加があり、今後50年位はマーケットの拡大が期待できる。
国内マーケットは縮小による縮小を続け、全ての生産は過剰となることが予想される。
日本、ひいては北海道が生き残りをかけるとすれば、アジアのマーケットしかないことになる。
これまでアジア諸国の1人当りの国民所得が低かったため、農産物等の労働集約的な商品の市場競争力は低かったが、これからは相対的な所得格差の縮小から北海道も農産物の輸出大国になる可能性は高い。
パラサイト北海道「アジアの中の北海道」 ~ Vol.3
2023.03.09
VOL.03 インフラは本当に足りないのか
北海道における主要なインフラをみると、次のとおりである。
交通インフラ(空港・港湾・高速道路・鉄道)・通信インフラ・ライフラインインフラ・教育インフラ(小・中・高・大学・専門学校等)・高度医療インフラ・電力インフラ(水力・原子力)・農業インフラ等。
これらの高度インフラが全て装備されている国で、発展途上国はない。
つまり、北海道のインフラ装備率は質・量ともに先進国並みである。
2005年版の北海道経済要覧によれば、世界の主要国における北海道の位置づけは、次のとおりである。
■OECD諸国の国民所得の比較(14年)
これをみると、各国GDPでは世界第21位に、1人当りの国民所得では世界第14位にランクされる。
国民所得は、なんとドイツ・フランス・カナダ・イタリア・オーストリア・スペインより上である。
GDPは、人口にもよるからいたしかたないとしても、1人当り国民所得がG7を構成するドイツ・フランス・カナダ・イタリアより上なのである。
先にみたように、インフラの質・量は主要先進国並みにあり、1人当りの国民所得はG7の構成国中堂々の第4位、面積はオーストリアとほぼ同じ、人口はデンマークより上である。
世界主要国の中でもほぼ上位に位置している北海道が、公共事業や農業補助に依存しなければ経済的にやっていけない合理的理由は見当らない。
将来人口を考えれば、インフラは余っても足りないことはない。
世界主要国における北海道の位置づけをみても分かるように、本当に足りないのはインフラではなく、十分すぎる程所有しているインフラの効率的な使い方やチエである。
これだけのインフラがあって自立できないのは、親の金をアテにするパラサイト体質とチエの欠如である。
公共事業は金を手にする手取早い方法であるが、国の金をアテにして何かしようとするのは、親の金をアテにして家を出て行かない子供と同じで、真に子供や地域のためにはならないと考える。
北海道における主要なインフラをみると、次のとおりである。
交通インフラ(空港・港湾・高速道路・鉄道)・通信インフラ・ライフラインインフラ・教育インフラ(小・中・高・大学・専門学校等)・高度医療インフラ・電力インフラ(水力・原子力)・農業インフラ等。
これらの高度インフラが全て装備されている国で、発展途上国はない。
つまり、北海道のインフラ装備率は質・量ともに先進国並みである。
2005年版の北海道経済要覧によれば、世界の主要国における北海道の位置づけは、次のとおりである。
■OECD諸国の国民所得の比較(14年)
これをみると、各国GDPでは世界第21位に、1人当りの国民所得では世界第14位にランクされる。
国民所得は、なんとドイツ・フランス・カナダ・イタリア・オーストリア・スペインより上である。
GDPは、人口にもよるからいたしかたないとしても、1人当り国民所得がG7を構成するドイツ・フランス・カナダ・イタリアより上なのである。
先にみたように、インフラの質・量は主要先進国並みにあり、1人当りの国民所得はG7の構成国中堂々の第4位、面積はオーストリアとほぼ同じ、人口はデンマークより上である。
世界主要国の中でもほぼ上位に位置している北海道が、公共事業や農業補助に依存しなければ経済的にやっていけない合理的理由は見当らない。
将来人口を考えれば、インフラは余っても足りないことはない。
世界主要国における北海道の位置づけをみても分かるように、本当に足りないのはインフラではなく、十分すぎる程所有しているインフラの効率的な使い方やチエである。
これだけのインフラがあって自立できないのは、親の金をアテにするパラサイト体質とチエの欠如である。
公共事業は金を手にする手取早い方法であるが、国の金をアテにして何かしようとするのは、親の金をアテにして家を出て行かない子供と同じで、真に子供や地域のためにはならないと考える。
パラサイト北海道「アジアの中の北海道」 ~ Vol.2
2023.03.02
VOL.01 自立できない事情
北海道経済をみると、完全な中央依存体質となっている。
歴史的な背景もあると思われるが、明治以降約140年を経て、パラサイト体質は極めて強くなっている。
遺伝的になったと言っては言い過ぎであろうか。
このような体質の源は、明治政府の開拓政策にあったのではないかと思われる。
未開地であった北海道は、これといった産業がなかったため、一次産業を主とせざるを得なかった。
そして、一次産業の基盤整備の費用は、資本の集積もない未開地であったから、必然的に中央に依存せざるを得ないことになる。
経済の勃興期には、北海道のみならず発展途上国以外の国々に経済援助を行なうことはやむを得ないことである。
自立できない間の経済援助は当然と考えるが、問題は援助の仕方である。
日本の対外経済援助であるODAの評判は、必ずしも高くない。
世界で一、二位を争う経済援助を行なっていながら、何故かくも外国の評判が悪いのであろうか。
ODAは、拝金主義者の集りで、金さえあれば何でも買えると思っているのであろうか。
北海道が自立意識を持てなかったのは、ODAと同じような問題をはらんでいるからと思われる。
つまり、ODAの評判が悪いのは、資本の移転と技術の移転がないか、もしくは十分ではなかったことに起因しているものと考えられる。
いくら経済援助を行なっても、資本の移転と技術の移転がなければ、発展途上国は何時まで経っても発展途上国のままである。
経済的に自立するためには、資本の蓄積と技術の移転は必要条件である。
資本の蓄積や技術がなければ、一国の産業を興すことはできない。
日本型の援助は、結局のところ援助額の大半が日本に還流するため、相手方にパラサイト意識を醸成させるだけであったと思われる。
日本はお金によって相手国を思うようにできると思っているが、相手方は援助に名を借りた海外における公共事業としか思っていない。
つまり、日本のための援助だからいくらお金を使ってもあまり感謝されないことになる。
このようなお金の使い方が、北海道にもあてはまるのではないかと思われる。
一例を挙げると、ある地方空港のジェット化の工事である。
空港整備事業のような技術度の高い工事は、道内や地元の企業は、資金も技術もないため受注したくてもできない。
受注できるのは本州のスーパーゼネコンであり、工事金額の約3割は本社経費として東京に還流される。
設備機器や機材の多くは本州で生産されたものであるから、これらの費用も本州資本に還流される。
地元に落ちるのは、せいぜい骨材の一部(砂利・生コン)と日雇い労務者、ダンプ業者等で、工事金額のせいぜい2~3割と思われる。
これ以外に地元に間違いなく落ちるのは、糞・小便とゴミである。
これだけは東京に還流することはない。
冗談が過ぎたが、北海道における大型の公共事業は、その全てがスーパーゼネコンの手によるものと言っても過言ではないものと思われる。
したがって、公共事業をいくらつぎ込んでも、資本の蓄積や技術の移転が進まない。
そのため、地元企業はなかなか育たず、地元に就職できない若者は都会に出ざるを得なくなる。
これが戦後も延々と続いているのである。
東京に予算陳上して得た公共事業予算は、結局東京に還流され、北海道には資本の蓄積や技術の集積が進まないことになる。
市町村は地元に十分な資本力を有する企業や技術を有する企業が育たないため、本州大手企業に発注し、その下請けとして地元企業を使ってもらう他はないことになる。
その結果、地元に資本の移転や技術の移転が進まず市町村にも地元企業にも自立意識が育たないことになる。
北海道は永遠の発展途上国もどきのままである。
本当の発展途上国なら、海外から経済援助を呼び込むことが可能であるが、残念ながらそれは期待できない。
スポンサーである中央政府は、お金が無いからこれからは経済援助はありません、自立して下さいと言ってはいるが、遺伝的体質となったパラサイト意識を捨てるのは容易なことではない。
北海道経済をみると、完全な中央依存体質となっている。
歴史的な背景もあると思われるが、明治以降約140年を経て、パラサイト体質は極めて強くなっている。
遺伝的になったと言っては言い過ぎであろうか。
このような体質の源は、明治政府の開拓政策にあったのではないかと思われる。
未開地であった北海道は、これといった産業がなかったため、一次産業を主とせざるを得なかった。
そして、一次産業の基盤整備の費用は、資本の集積もない未開地であったから、必然的に中央に依存せざるを得ないことになる。
経済の勃興期には、北海道のみならず発展途上国以外の国々に経済援助を行なうことはやむを得ないことである。
自立できない間の経済援助は当然と考えるが、問題は援助の仕方である。
日本の対外経済援助であるODAの評判は、必ずしも高くない。
世界で一、二位を争う経済援助を行なっていながら、何故かくも外国の評判が悪いのであろうか。
ODAは、拝金主義者の集りで、金さえあれば何でも買えると思っているのであろうか。
北海道が自立意識を持てなかったのは、ODAと同じような問題をはらんでいるからと思われる。
つまり、ODAの評判が悪いのは、資本の移転と技術の移転がないか、もしくは十分ではなかったことに起因しているものと考えられる。
いくら経済援助を行なっても、資本の移転と技術の移転がなければ、発展途上国は何時まで経っても発展途上国のままである。
経済的に自立するためには、資本の蓄積と技術の移転は必要条件である。
資本の蓄積や技術がなければ、一国の産業を興すことはできない。
日本型の援助は、結局のところ援助額の大半が日本に還流するため、相手方にパラサイト意識を醸成させるだけであったと思われる。
日本はお金によって相手国を思うようにできると思っているが、相手方は援助に名を借りた海外における公共事業としか思っていない。
つまり、日本のための援助だからいくらお金を使ってもあまり感謝されないことになる。
このようなお金の使い方が、北海道にもあてはまるのではないかと思われる。
一例を挙げると、ある地方空港のジェット化の工事である。
空港整備事業のような技術度の高い工事は、道内や地元の企業は、資金も技術もないため受注したくてもできない。
受注できるのは本州のスーパーゼネコンであり、工事金額の約3割は本社経費として東京に還流される。
設備機器や機材の多くは本州で生産されたものであるから、これらの費用も本州資本に還流される。
地元に落ちるのは、せいぜい骨材の一部(砂利・生コン)と日雇い労務者、ダンプ業者等で、工事金額のせいぜい2~3割と思われる。
これ以外に地元に間違いなく落ちるのは、糞・小便とゴミである。
これだけは東京に還流することはない。
冗談が過ぎたが、北海道における大型の公共事業は、その全てがスーパーゼネコンの手によるものと言っても過言ではないものと思われる。
したがって、公共事業をいくらつぎ込んでも、資本の蓄積や技術の移転が進まない。
そのため、地元企業はなかなか育たず、地元に就職できない若者は都会に出ざるを得なくなる。
これが戦後も延々と続いているのである。
東京に予算陳上して得た公共事業予算は、結局東京に還流され、北海道には資本の蓄積や技術の集積が進まないことになる。
市町村は地元に十分な資本力を有する企業や技術を有する企業が育たないため、本州大手企業に発注し、その下請けとして地元企業を使ってもらう他はないことになる。
その結果、地元に資本の移転や技術の移転が進まず市町村にも地元企業にも自立意識が育たないことになる。
北海道は永遠の発展途上国もどきのままである。
本当の発展途上国なら、海外から経済援助を呼び込むことが可能であるが、残念ながらそれは期待できない。
スポンサーである中央政府は、お金が無いからこれからは経済援助はありません、自立して下さいと言ってはいるが、遺伝的体質となったパラサイト意識を捨てるのは容易なことではない。