トウキョウイズジャパン ― 田舎不動産の独り言 ― Vol.2
2021.07.01
VOL.02 不動産の価格は誰が決める 

我輩の価格を我輩は知らないし、また決められない。

我輩の価格を決めるのは、ご主人様である人間である。
我輩は多種・多様のご主人様に仕えているが、我輩に対する価値観はまさに百人百様である。

そのためか、取引される価格も跛行的である。

価格形成要因と称する要因がいくら立派でも、買手がいなけりゃ二束三文である。
逆に、価格形成要因と称する要因がいくら貧弱でも、買手が多くなれば価格は高くなる。

資本主義経済であるから、価格形成要因と称する要因におかまいなく、需要と供給により価格は決まる。
昨日までたいして価値がないと思っていても、世の中の事情が変われば需給事情が変わり、価格も変わる。

例を挙げると、ニセコスキー場の周辺は外資系のリゾート開発で有名であるが、ホンの10年位前までは2,000円/坪でも誰も買わないと言っていたのに、リーマンショック前には何と40万円/坪位まで上昇したのである。
もっとも、そんな価格で買う日本人はいないが…。

我輩を欲しがるご主人様は、世の中のことはあまり変わらないと予測し、昨日・今日・明日が今後数10年にわたって続くと盲信(楽観)している。
そうでなければ、35年ローンなんか組めるハズもない。

ローン期間中に会社は潰れない。

したがって、失業もしない。

自分も家族も病気やケガはしない。

予定外の出産もなければ離婚もしない。

と想定しない限り、35年間ローンを払い続けることなんかできはしない。

しかし、ブラックスワンは何時舞い降りるのかは誰にも分からない。

ブラックスワンの降臨もなく、無事35年間ローンを支払ったとしても、35年後には建替時期に到達するが、再就職や年金問題を考えるとローンの支払い完了後の人生をどうするのか、問題は尽きない。


いずれにしても、我輩の価格を決めるのはご主人様であるから、我輩の価格を上げるのも下げるのもご主人様次第である。
取引情報を集めて、過去ご主人様がどう考えていたかを推論することはできるが、そのことにより将来がどうなるのかは分からない。

我輩の価格が将来どうなるかは、ご主人様の考え方次第ということになる。
2021.07.01 09:31 | 固定リンク | 鑑定雑感
トウキョウイズジャパン ― 田舎不動産の独り言 ― Vol.1
2021.06.25
VOL.01 田舎不動産の独り言

我輩は田舎の不動産である。
それも、北海道の過疎地の不動産である。

東日本大震災以降、都市部の不動産の取引が大分ガタガタしてたようだが、我輩にとっては別世界の話題である。
 
この国の話題は大抵が大都市中心である。
もっとも、田舎には人が少ないし、余程の大事件がなければ興味を持ってはくれない。
東日本大震災のお陰で、都会の人達も田舎の現状に少しは興味を持ってくれたようであるが、それも何時まで続くのやら……。

ところで、我輩の存在価値は我輩のご主人様である人間様次第であるが、そのご主人様は少なくとも貧乏人ではない。
これまで、ご主人様の気紛れで随分翻弄されてきたが、我輩の問題はどうやら今世紀には終わりを告げるのではと思っている。

何故かって?

それを訊くのはヤボと言いたいが、我輩の問題はご主人様である人間様の問題であるから、田舎に住む人間がいなくなれば問題の起こりようがないということである。

住宅街に熊が出たと言って大騒ぎしているが、人間が居るから問題になるのであって、人里離れた山の中を熊が歩いていたって問題にはなりようがない。
熊にすりゃ、はた迷惑な話である。

これまで取り沙汰されてきた土地問題は、所詮都会を中心とする問題で、人がいなけりゃ問題にすることもできない。

境界争い、日照権等の環境問題や土地利用の問題は、全てご主人様である人間様の問題である。


北海道はもともと明治維新前までは、松前藩の武士とアイヌが若干居た位で、北海道の大半は人跡未踏の原生林等の繁る山林・原野等で、現代的な意味における所有者はいなかったのである。

このまま人口が減少し続けると、2100年頃には一部地域を除いて人間はいなくなり、明治維新前夜に戻るのであろうから、我輩はもはや問題にされることもなくひっそりと暮らすことになるのであろうと思っている。

その方が幸せなのかも?
2021.06.25 16:55 | 固定リンク | 鑑定雑感
不動産調査と役所の壁(法治国家日本の不思議) ~ Vol.6
2021.06.17
VOL.06 法治国家日本の不思議 

 法令上、閲覧規定を置いているにもかかわらず、キチンと見せようとしない。
 或いは、何の問題もないのに図面の交付をしようとしない等、現場における役所の対応は様々である。

 筆者の経験で、役場の税務課で、所管している地番図の写しの交付を拒絶されたことがある。

 その理由が、何と写しを交付したことがない・正確ではないというもので、どうしても必要ならトレースして行けということであった。

 筆者も頭に来て、交付したことがないものは交付しないという条例はあるのか、固定資産評価をそんな不正確な図面でやっておいて良くも適正な評価と言えるなと窓口で毒づいたが、ダメであった。

 公務員は法律に基づいて行動せよと法律上要請されているのに、やったことがない!言われたことがない!等と、およそ法令に根拠のない理由で情報を出さないことが多い。

 特に、個人情報保護法ができてからは酷くなっている。

 傑作なのは、空中写真を個人情報だからダメだという言い訳であった。

 個人情報保護法の拡大解釈もここに極まれりということである。
 この法律を作った学者・政治家・官僚の思考程度を疑う他はない。
 こんなデタラメな解釈がまかり通っている国が、近代国家だとは到底認めることはできない。

 更に酷いのは、法令に根拠があっても、対応した経験がなければ、見たことがない・聞いたことがない・やったことがない等と、調査を拒絶することである。

 どうやらこの国の行政機関にとって、経験がないこということは憲法にも優先する行為規範らしく、未体験の国民の要請には一切対応しないという明治以来の官尊民卑の伝統が未だに深く根づいているようである。
 
 国民主権の近代民主主義国家を標榜しながら、市民対応レベルでは北朝鮮並みの非民主的対応に終始しているのは、国家的サギである。

 情報を公開し、情報を共有することによって問題点を共有し、あるべき民主主義国家に向かって進むべきものと考えるが、行政情報のミス・失敗等を隠蔽する為に情報公開を渋っている姿は、まるで第二次世界大戦末期の軍部や、旧社会保険庁等と同じである。

 国民の人の良さにもほとほと呆れる他はない。
 
 いずれにしても、役所調査の長い経験からみると、役所ほど法令を守らないところはないということである。

 特に、組織防衛の問題がからむと情報を遮断し、都合の良い拡大解釈・類推解釈が横行する。
 そこには国民主権の視点は全くないのである。

 日本が真の民主主義国家となり、真の法治国家となるのは夢の又夢なのであろうか。

 日々行政対応の矛盾を感じつつボヤいているうちに、年をとってしまった。

 一部過激な表現があるが、これも先の短いシルバー世代の戯れ言と、ご容赦を願うものである。

(2010年11月 Evaluation no.39掲載/「不動産調査と役所の壁 ― 法治国家日本の不思議」)

2021.06.17 12:04 | 固定リンク | 鑑定雑感

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