サンタクロースがやって来た ~試される民主主義と地方自治~ Vol.1
2021.02.18
VOL.01 マニフェスト選挙とサンタクロース

 鑑定雑感も今回で何回目になるのか、自分でも良く解らないでいる。(歳か?)

 これまでは主として鑑定ないし鑑定業界のことについて思いつくまま書いてきた。

 ある読者からは「もっと明るい話題はないの?」と聞かれたが、現在の自民党と同じく我が業界はあまりにもその世界は狭く、また世間の耳目を集めることも少ないので、内輪の話が主となるのはやむを得ず、内輪の話となると残念ながら明るい話題は少ない。

 そう自己弁護しているうちに、今回も編集長より原稿依頼の催促が来た。

 年4回の発行なのに、もう締切が来たのと文句を言っても始まらないが、今回は何を書いていいのかまとまっていない。(あァどうしよう)

 能力不足を露呈したが、とりあえず今日明日のメシを食べることを心配しているのが関の山で、短期ですら考えが及ばないのに中・長期に至っては闇のまた闇であり、原稿の締切なんぞとっくに忘れていた。(原稿料では食べていけない!!)


 話が逸れたが、今回は鑑定の世界の話題を見つけることができなかったので、地域経済の行方を憂慮する一人の田舎鑑定士の視点から、無謀にも民主主義と地方自治について考えてみることにした。

 ところで、今回はマニフェスト選挙が本格化しており、これまでの破られるためにしか存在しなかった選挙公約とは大違いであると期待している。
 このマニフェストを読むと、さながらサンタクロースのようである。
 トナカイならぬ選挙カー(自転車もあったか?)に乗って、老若男女のサンタクロースが全国を駆け回った。
 その結果、民主党の圧勝に終わったのは周知のとおりである。

 国民はサンタクロースのプレゼントに目が眩んだのか、それとも国民主権の意義に目覚めて一票を投じたのかは良く分からない。

 しかし、少なくとも自民党のサンタクロースより民主党のサンタクロースのプレゼントの方が良く見えたのは間違いない。
 なにせ国民の大半は中流以下で、これ以上の負担はできないというのが実感であろう。
 そういう意味では、民主党のプレゼントの中身の方が魅力的であったということになる。

 しかし、一国の経済を考えると、誰かが恩恵を受けるためには誰かがその負担をしなければならない。

 今回のマニフェストでは、恩恵を受ける人はハッキリしているが、負担する人は良く見えない。
 それは自民党のマニフェストも同様である。
 国・地方を合わせて 1,000兆円という借金をどうするのか。
 1,000兆円の平均利息を仮に2%として単純計算すると、年に20兆円の利息である。
 1日当たり約 556億円の利息である。
 1時間当たりでは、約23億円の利息となり、計算することさえ恐ろしい。
 それなのに、元金は減るどころか、年々増加している。

 他方、人口が減少する中で、少子高齢化は一段と進行しており、税の担い手は確実に減少している。

 このような現実を見ると、財政破綻は目前と考える他はない。

 プレゼントに喜んでいたら、後から請求書が山のように来てそのツケを払わされることになりかねない。
 国民は、タダほど高いものはないと知るべきである。
2021.02.18 14:14 | 固定リンク | 鑑定雑感
競争入札と不動産鑑定士の市場価値 ~ ニュープアーへの途 ~ Vol.4
2021.02.04
VOL.04 ニュープアーへの途 

 鑑定雑感を書く時、何時も明るい材料を捜すのであるが、残念ながらなかなか見つけることが出来ない。

 鑑定雑感が読者の共感を得ているかどうかは甚だ疑問であるが、今しばらく悲観的な内容が続くことをご容赦願いたい。

 さて、前述のとおり鑑定料金の低額化の影響は徐々に、しかも確実に鑑定士の身を蝕み始めている。

 現在の状況では、良い仕事をしようと思っても時間がなく、経費に見合う料金も貰えない。

 したがって、やむを得ず手抜きに走ることになる。

 どうせ依頼者は価格しか見ていない。
 ザルソバの料金でフルコースの料理を要求する方がどうかしているのである。
 赤信号皆で渡れば恐くないのである。
 いっそのこと鑑定評価書も計り売りにして、グラム○円とした方が良いのかもしれない。
 もっとも、依頼者からすればどうせ鑑定評価書の中身なんかどうでもいいのであろうから、一番軽いモノにしてくれということになるのかもしれない。

 話が少々ずれてしまったが、鑑定料金についてもう少し考えることとする。

 鑑定料金は、そのほとんどが人件費である。

 人件費が主となる他の業界の料金を見ると、全国的にはほとんど同一であることに驚かされる。

 一例を挙げると、マッサージである。

 全国どこでもほとんど十分で千円である。
 したがって、1時間6千円である。

 前述したように、デューデリをこの料金に当てはめると、最低で 2.5時間、良くて5時間で受付から現地調査、レポート作成まで完了しなければならないことになる。
 現実には、こんな短時間で処理することは困難である。
 安いデューデリ1件だけであると、8時間労働で、しかも経費込みで1万5千円、経費率5割とすると手取り1万円である。
 時給に換算すると、1250円。
 良くて 2,000円~ 3,000円になれば御の字である。
 
 ところで、民間給与実態調査(国税庁~平成18年分)に拠れば、男子の平均給与は約540万円(平均年齢44.3歳)である。
 実働日数は盆・暮れ・正月・夏休み・土日・祝祭日を除くと大体230日位である。
 1日当たりにすると、約23,500円である。
 
 ちなみに、公務員はそのほとんどが有給休暇を100%消化しているので、実労働日数は約200日前後である。
 とすれば、日当は27,000円に跳ね上がる。
 年収800万円とすれば、1日当たりの賃金は一般勤労者で約35,000円、公務員で4万円となる。

 これらの状況と鑑定料とを比較すると、鑑定士は如何に低賃金で働いているかが解ろうと思うのである。
 
 中部圏の鑑定士の話であるが、ある大手の鑑定業者の下請けをしていた鑑定士が、年間2000万円の売上のために土日・祝祭日なく昼夜を問わず働き、50歳過ぎで過労死したと聞いたことがある。

 下請けを断れば、次の仕事がなくなるかもしれないと不安になり、依頼された仕事全てを引き受けていたそうである。
 真面目な人ほど料金に関係なく、手抜きをしないで仕事をするため、負荷はかかりっぱなしとなる。
 その結果が過労死である。
 
 このような話を聞くことは辛いが、これが鑑定業界の実態である。

 それにしても、鑑定市場における鑑定士は、これ程の低賃金にしか評価されないとは何と情けないことか。
 天を仰ぎ嘆いてみても、これが現在の不動産鑑定士の業務に対する市場価値である。
 市場は冷酷である。
 日雇い労働者の日当程度の価値しかないと市場で評価されているのに、仲間内でお互い先生と呼び合っている滑稽さ。漫画の世界である。

 この程度の市場価値しかないのに、高度の試験が果たして必要なのであろうか。

 いっそのこと、資格者の夢から目を覚まし、不動産鑑定業法と明確に認識し、鑑定業者は従業員5人に1人の割合で鑑定評価業務取扱主任者を置かなければならないとした方が、鑑定制度の保持のためには良いのではないかと思わざるを得ない。

 少なくとも、従業員5人に1人の割合の鑑定評価業務取扱主任者が必要となれば、多くの鑑定事務所は要件を満たせないので、鑑定評価業務取扱主任者は引っ張りだことなる。

 その結果、賃金は上昇し、生活は安定する。

 原状のままでは、武士は食わねど高楊枝で、我慢競べの世界となる。

 タクシーの運転手をやりながらの携帯鑑定士、ワゴン車に一式を積んで走る移動鑑定士も出現するかもしれない。
 現在のように安値受注合戦に走っていると、自滅の道を歩むことになる。

 もっとも、市場原理主義者にすれば、専門家と雖も市場で淘汰されるべきだと考えているようであるから、中小零細事務所は淘汰されてもやむなしということであろうか。

 かくて、鑑定協会は栄え、零細業者・会員は没落するより他はなくなる。
 まるで農協とその組合員の関係を思わせる構図である。

 パパママストア的鑑定事務所はニュープアーと言われたのは、実は20年も前のアメリカの鑑定業界の話である。

 その時は、あぁ、アメリカの鑑定士は大変だなと他人事のように思っていたが、アメリカ資本主義を信奉する我が国の指導者は、アメリカと同じ道を国民に歩ませたいと考えていたようである。

 格差社会を広げ、貧乏人を追い落とし、社会不安を増大させてしまったのは事実である。
 昨今の状況を見るにつけ聞くにつけ、個人事務所はニュープアーへの道を歩まざるを得ないのかと、暗澹たる気持ちになる。
 鑑定業界の行く先は、今のアメリカの鑑定業界である。
 資本力・売上高・人数が全てである。
 中小零細の鑑定士が如何に光る才能を持っていたとしても、資本力・売上高・人数という市場原理主義のハードルの前には、為す術はない。
 資格者個人の能力をアピールする機会は、ほとんどないのである。

 かくて、市場競争の嵐が過ぎ去り、業界再編の大波が静まるまでの間、中小零細鑑定事務所はニュープアーへの途を歩むことになる。
 その先が天国か地獄かは、誰にもわからない。

 徒然なるままに愚痴ってしまったが、心はあやしうこそものぐるほしけれ。


(2009年8月 Evaluation No.34掲載/「競争入札と不動産鑑定士の市場価値 ― ニュープアーへの道」)

2021.02.04 11:59 | 固定リンク | 鑑定雑感
競争入札と不動産鑑定士の市場価値 ~ ニュープアーへの途 ~ Vol.3
2021.01.28
VOL.03 鑑定業界を襲う大きな潮流 ~ 競争入札 

 鑑定業界は、規制改革の大きな流れの中で、これまでにない大きな変化の流れの中に立たされている。

 一つ目は競争入札の一般化、二つ目は業界再編、三つ目は業務の多様化と迅速化である。

 これらのことが鑑定業界にどのような変化を与えるのか、そして我が業界がどのような方向に向かうのかを考えてみたい。

 これまで鑑定評価は、その業務の性質上、一般競争入札になじまないものと考えられていた。
 個人的にはその状態は今でも変わらないと思っているが、ここ数年の間に公的仕事の大半は一般競争入札となりつつある。

 ここで業務の性質が競争入札になじむ業務となじまない業務の典型例を挙げて、若干の検討を加えてみたい。

 まず、競争入札に最も良くなじむのは、物品購入や道路工事・建築工事等の請負工事である。
 これらの業務は仕様書が決まっているので、誰がやっても均質なモノが入手できるため、後は価格だけが勝負となる。
 この場合でも、最低十分な仕様書は必要となる。
 何故なら、例えばパソコン10台の購入を入札で決めることにした場合、その機能・性能等が仕様書で明示されていなければ、価格は何倍もの差があるため、応札のしようがないことになる。
 最低の機能・性能のパソコンと最高級のパソコンとでは、おそらく数倍の価格差があるので価格だけでは比較のしようがない。
 
 道路工事でも同じである。

 例えば、幅員20mの道路工事の入札をしようと思っていても、幅員のみならず延長・路盤厚・路盤工に使用する砂利の種類・大きさ・舗装の質・舗装厚・使用する材料等を細かく仕様書で決めておかないと、見かけだけ幅員20mの道路が完成しても、使用に耐えられるかどうかさえわからないことになる。
 入札参加者の全てが同等品を使ってくれるという前提条件があるから、これらの業務については入札がなじむのである。

 次に、入札になじまない業務について考えてみる。

 入札に全くなじまない典型的な業務は、芸術部門である。

 絵画とかデザイン等の芸術性の高いモノは、入札できない。
 何故なら、仕様書を作ることができないからである。
 できるのはせいぜい、入札参加資格の制限で、それも学歴や経験位であろう。
 芸術作品を入札で売ることはできても、芸術作品を作る人を入札で決めることなぞできる筈もないのである。

 それはそうと、資格業のうち、登記業務のように様式が全て法定されている書類作成業務は入札になじむものと考える。
 何故なら、これらの業務は仕様書がなくても法定様式を作成するだけで、そのことができる資格者なら特に問題はないからである。
 弁護士業務は書類作成もするが、法定様式に機械的に記入すれば良いという仕事ではないので、弁護士に仕事を依頼するときに入札で弁護士を決めるという無謀なことはできない。
 その点、税理士業務はその性質上、つまり資格業独自の判断が許されないという点で、入札になじむ業務が多いものと思われる。

 ところで、一般競争入札が導入されつつある鑑定業務は、果たして入札になじむのであろうか。

 鑑定評価基準に拠れば、不動産の鑑定評価とは、不動産の価格に関する専門家の判断であり、意見であるとしている。
 とすれば、判断や意見は専門家であれば皆同じと仮定することはできないであろう。
 専門家であれば皆同じ判断・意見になる、というのでは、専門家はモノカルチャーの集団となる。
 生まれも育ちも年齢も経験も異なる専門家集団が、資格を取った瞬間から皆同じ意見・判断になるというのは、考えるだけでも空恐ろしい。
 現実的には、年齢・経験等が異なるのであるから、専門家の間で意見・判断が異なるのは当然のことであると認識している。
 鑑定評価業務は専門家としての意見・判断であり、鑑定評価書作成業務では断じてない。
 
 つまり、専門家の意見であり判断であるということは、そのことについて予め仕様書を作成することは出来ないということである。 

 ときに、ある公共機関の仕様書を見ると、果たしてこれが仕様書と言えるかどうか、甚だ疑問を感じている。
 その仕様書には、記載内容の大項目はあるが、様式の提示がなく、字の大きさ・字数・ページ数・添付資料等の詳細な提示はなく、最後に割引率は何割かとあるだけである。
 この仕様書では、最低数ページの評価書から、数十ページの評価書まで、どうでもいいですと言っていることに他ならない。
 何のことはない、最後の何割値引きできますかという値引き競争であり、これが入札の最大のポイントで、中身はどうでも良いということである。

 これも伝聞情報で申し訳ないが、本州のある県では、別の鑑定士が行った鑑定評価格の時点修正意見書作成業務を1件2千円で20件ほど落札した鑑定士がいたとのことである。
 
 また、中部圏のある県では、一般鑑定が1件10万円で落札されたということである。

 これらの状況が我々の未来にどういう影響を投げかけるのかは解らない。

 しかし、あまり良い影響はなさそうである。

 依頼者が良い仕事より安い仕事をして下さいという状況の中で、専門家が時間と費用をかけて自己研鑽に励むことは無理と思わざるを得ない。
 グレシャムの法則は我が業界にも当てはまりそうである。
 
 次に、業界再編についてみることとする。

 バブル崩壊後、公共事業は減り、それに伴う鑑定業務も減少している。
 他の公的評価も財政難からマイナスシーリングの対象となり、減少している。

 他方、民間部門のうち、サービサーが行うデューデリジェンス業務等は、東京本社からの一括発注形態が大半のため、大手業者に対抗するため、小規模鑑定事務所が連携し、全国ネットワークを作り、共同受注を始めたのはここ10年ほどのことである。
 その結果何が起きたかといえば、鑑定料金の定額化と低額化である。
 鑑定料金は全国一律となり、料金は受注競争の果てに低額化してしまった。
 10年ほど前までは、デューデリジェンス業務は一件20万円位であったが、それが2・3年もしないうちに10万円位になり、今は3万円~6万円と、極めて低額化してしまった。
 この金額は経費込みであり、本社の取り分を除くと末端の鑑定事務所には1.5 万円~3万円しか払えない。
 したがって、地元の鑑定士は経費込みで1.5 万円~3万円で働かざるを得ないのである。

 このような中では、必然的にコスト改善等から中小事務所の統合・再編という問題は避けて通れないことになる。
 これに取り残された事務所は、下請け・孫請けに甘んじる他はない。

 かくて、東京発の仕事は、末端では日雇い労働者並みの稼ぎにしかならない。
 日雇い労働者並みの賃金で働く鑑定士が増えれば、更に鑑定料金は低額化していく。

 しかし、責任だけは元のままで、何かあれば一年分の稼ぎが吹っ飛んでいく。
 
 三つ目は、業務の多様化と迅速化である。
 鑑定料金の低額化から、手抜き評価の代名詞となった簡易鑑定なるものが一般化してしまった。
 鑑定評価基準通りの仕事をしていたら、破産する他はない。

 また、価格に関する意見書も多い。

 何のことはない、A4一枚に価格と付け足しに若干の体裁を整えた文書である。
 これだと5千円~1万円である。

 依頼者はただ価格だけが知りたいのである。

 世の中のニーズがこれだけ多様化しているのに、鑑定法に大きな変化はないどころか、むしろガラパゴス化しており、自己満足の極みとしか言いようがない。

 どうやら不動産鑑定士はウルトラスーパーマンのようである。
2021.01.28 13:58 | 固定リンク | 鑑定雑感
競争入札と不動産鑑定士の市場価値 ~ ニュープアーへの途 ~ Vol.2
2021.01.21
VOL.02 資格業とその市場価値 

 資格業とその収入の統計は見当たらない。
 したがって、資格業の懐具合を横断的に比較検討することはできない。

 以下の記述は限られた情報と断片的な記憶によるものであり、正確ではないことをお断りしておく。

 読者の皆様もご存知かと思うが、司法修習を修了したばかりの弁護士の初任給(年収)は、 300万円~ 400万円位、良くて 600万円位らしい。

 人事院による平成20年の民間給与の実態調査に拠れば、前記の収入は低い方で大学院の修士課程修了の事務職の初任給程度、高い方で新卒医師の初任給程度であるので、弁護士の初任給が不当に安い訳ではなさそうである。

 そうは言っても、超難関試験を合格しているのであるから、大学院博士課程修了並みの初任給は出しても良さそうであるが、採用する事務所側としては、教育をすればする程将来の有力なライバルを育てるようなものであり、また、事務所特有のノウハウも流出するとなれば、採用は嫌が上でも慎重にならざるを得ないのも理解できる。

 他の資格業である、司法書士・土地家屋調査士・行政書士・社会保険労務士、或いは公認会計士・税理士等については、この種の話はあまり話題にはならないが、仄聞するところによれば、相当悲惨らしい。
 これらの職種では、月10万円の収入がやっとという人もいるらしい。
 もっとも、資格を取得したら後は何もしなくても自動的に仕事が来る訳ではないので、人付き合いの苦手な人は、どの業界においてもやはり商売としては難しいのではないかと思われる。

 不動産鑑定士の世界はどうかと言えば、弁護士以外の資格者と同じく、特別良い方ではなさそうである。
 ただ、他の資格者と決定的に異なるのが、地価公示のような公的評価があるため、特に営業努力をしなくてもある程度の収入の途が用意されていることである。
 このことは、他の資格者から見ればまさに垂涎の的である。
 公的にいろいろな仕事が用意されているため、ともすれば他の資格者団体から羨ましがられたり、他士業との境界領域にある業務については、解放を迫られるのも致し方のないことである。

 この親方日の丸的な、謂わばパラサイト的体質が、不動産鑑定業界の自立的発展を阻害しているのではないかと危惧している。

 いずれにしても、資格業の市場価値は収入の大小に具体的に現れるのであるから、規制改革以後、受験制限のない国家資格者の市場価値は、著しく低下したのは確かなようである。
2021.01.21 13:57 | 固定リンク | 鑑定雑感
競争入札と不動産鑑定士の市場価値 ~ ニュープアーへの途 ~ Vol.1
2021.01.14
VOL.01 成長神話と不動産神話

 懐かしい言葉である。

 社会の大多数の人々は、ホンの20年前まではこの神話を信じて疑わなかったのである。

 昨日より今日、今日より明日は必ず良くなるものと信じていたのである。
 国家も地方も拡大再生産が無限に続くと想定し、人口減少が経済活動に様々なゆがみをもたらすかもしれないと危惧していた人は少ない。

 ところで、不動産鑑定制度は、成長神話の黎明期に誕生したのは周知のとおりである。

 あれから40年以上が経過しているが、鑑定制度がこれまで順風満帆にやって来られたかと問われれば、そんなことはないと言わざるを得ない。

 最初のヤマ場は、オイルショックと国土法の成立である。
 筆者の記憶に拠れば、日経新聞(コラムだったと思う)に不動産鑑定士では食べて行けないという超悲観的な記事が掲載されていた。
 この時の不動産鑑定士の二次試験合格者は実務経験を頼む場がなく、鑑定事務所から給料をもらうのではなく、逆に鑑定事務所に給料を払って在籍させてもらい、実務経験を積んだ人も相当数いると聞いている。

 2回目のヤマは、平成3年以降のバブル崩壊と信託銀行の整理統合である。
 信託銀行と言えば不動産鑑定士、不動産鑑定士と言えば信託銀行と言われる位、信託銀行には沢山の不動産鑑定士がいた。
 信託銀行も不動産鑑定士が多数在籍していることが一種のステータスであったらしく、社内における不動産鑑定士の養成にも力を入れていた。
 それが、バブル崩壊とそれに伴う金融再編の嵐の中で、信託銀行も整理統合され、在籍していた不動産鑑定士も鑑定部門の廃止により整理・統合され、多くの不動産鑑定士が銀行を去って行った。

 3回目のヤマが今回である。
 バブル崩壊の谷底から不動産の証券化を契機にやっと這い上がり、ミニバブル現象と言われる程地価は上昇し、不動産鑑定士も、ミニバブルの演出者であるファンド会社に転職して行った人も多い。
 しかしそれも長くは続かず、リーマンショックとともにファンド会社も総崩れとなり、花形産業であるファンド会社から去って行った。
 地方都市から東京のファンド会社に転職した不動産鑑定士も相当数居るものと思われるが、彼らも故郷に舞い戻って来ている。
 資格業も社会の構成員である以上、特定の資格業だけが社会の恩恵を受け、安心・安定という訳には行かず、時代の波に翻弄されるのも致し方のないことと諦める他はない。

 ときに、資格業界の実情をみると、資格業のエースである弁護士業界ですら、宅弁・軒弁とか言われ、まともな給料を貰えず、十分な実地訓練ができない状態が出現している。

 不動産鑑定士の世界も同様で、実務修習という、いわば机上訓練だけで不動産鑑定士が誕生する世の中となった。
 規制改革という錦の御旗の前に為す術もなく、資格業の世界も簡素化(?)されたが、果たしてこれで良かったのかどうかは歴史的評価を待つ他はない。



2021.01.14 13:56 | 固定リンク | 鑑定雑感

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