フラクタル現象とエレベーター相場 Vol.1
2020.11.19
VOL.01 リーマンショックと不動産市場

平成21年地価公示もなんとか完了した。

筆者も地価公示を担当して20数年になるが、今回位地価水準の把握に苦労したことはない。

サブプライムローン問題の表面化によると思われる地価水準下落の予感は、正直言って平成19年春頃から持っていた。
平成20年地価公示は前半の過熱相場の余熱があったせいか、下落を主張する鑑定士はいなかったような気がしている。

個人的には、平成20年地価公示にその動向を少しでも反映できればと思っていたが、余熱のため都市部では総じて上昇となった。

平成20年3月の地価公示の発表時には、不動産市況を反映していないのではないかというマスコミの論調もあったが、特に地価公示が問題と騒がれることもなく恒例の行事は終わった。

平成20年7月の地価調査時点では、流石に上昇はないだろうということで大半の都市部ではゼロか若干のマイナスということで落ち着いたというのが実感である。

しかし、不動産市場では下記の大型倒産が相次いだ。




企業名総負債額備考
アーバンコーポレーション2,558H20.8民事再生
ケーアール不動産1,677H20.4特別精算
(株)モリモト1,615H20.11民事再生
六本木開発1,340H20.11破産
ゼファー949H20.7民事再生
協同興産753H20.9破産
セボン(株)621H20.8民事再生
スルガコーポレーション620H20.6民事再生
ダイナシティ520H20.10民事再生
ノエル414H20.10破産
創建ホームズ339H20.8民事再生
近藤産業322H20.5破産
合計(億円)11,728

(東京商工リサーチ調べ)

そしてこれらの大型倒産が引き金となって、更に川下の中小不動産業が倒産するものと思われる。

他方、実体経済にも大きな影響が出ていることから、不動産市場の不況はこれからが本番を迎えることになるものと思われる。

事実、リーマンショック以降、銀行の不動産融資に対する姿勢は厳しく、買いたい人がいても融資がつかないため、取引件数は激減している。
売り希望・買い希望の交錯する中で取引が成立しないため、いわゆる気配値だけは確実に、しかも大幅に下落しているが、データとして出てこないため、これらの事情を平成21年地価公示にどう反映させるかが課題であった。

しかし、データが揃わないのでどうしても及び腰にならざるを得なかったのも事実である。

結果として、公示価格は実体経済を反映していないと怒られそうであるが、気配値だけで価格を決める度胸もないというのが偽らざる本音である。

3月の地価公示発表時に、不動産市況がどうなっているのか予想だに出来ないが、あまり大きな変化がないことを望みたいものである。
2020.11.19 17:55 | 固定リンク | 鑑定雑感
取引事例比較法を考える Vol.5
2020.11.12
VOL.05 事情補正と要因格差 

事情補正の定義は理解できる。

しかし、これを数字に置き換えるのは容易ではない。

何故なら、正常な取引であるということが解るということは、正常な価格が解るという事になる。

つまり、我々は不断に三方式の通用を待つまでもなく、その地域のあるべき価格が推定できるが故に事情補正ができるということになる。

価格形成要因が的確に定性的にも定量的にも判断できるとすれば、地域のあるべき価格と符合しない部分は全て事情補正で処理されることになる。

つまり、価格形成要因を評価プロセスで絶えず検証することを要求される取引事例比較法においては、あるべき価格水準がわからないと適用できないことになる。

定性的理解ができても結論が見えないとデータの取捨選択すらできない。

ましてバラツキのあるデータを採用すると、得られた試算値もそれを反映してバラツクことになる。

試算値のバラツキが少ないのはあるべき結論が解っているからではないか。

つまり、想定ないし予想されるあるべき結論に見合うデータを採用するからこそ、各データから得られる結果は見事に結論に見合う形に収斂する(させているというべきか)のではないだろうか。

結論から仮説を立てて演繹的に推論しているだけで、例えて言えばウナギの蒲焼きを作ることに似ているのではないか。

ウナギの蒲焼きを作るときはます、ウナギの頭を千枚通しで固定し(結論)、その上で尻尾(データ)に向かって腹ないし背中から包丁を入れてさきおろす。

この反対に、もしウナギの尻尾を固定するとウナギは逃げようとして身をかわす為、うまくさばくことはできない。

つまり、結論にうまく到達できない。

取引事例比較法適用における比準作業はまさにウナギの蒲焼きを作る作業そのものではないか。

上手にできるかどうかはウナギ(データ)と料理人(鑑定士)次第ということになる。

我々は各料理人たるべきなのか、科学者(類似)たるべきなのか、はたまた料理の鉄人たる科学者であるべきなのか。

あれこれ考えるといつまでたっても寝不足の日々は解消されそうにもない。

(2001年2月 Evaluation no.2掲載/「取引事例比較法とウナギの蒲焼き」)

2020.11.12 17:12 | 固定リンク | 鑑定雑感
取引事例比較法を考える Vol.4
2020.10.29
VOL.04 変動率と要因格差 

地価の下落幅は、一頃に比べると随分と小さくなった。

一時期は、20%・30%の下落率は珍しくはなかった。
この時期の評価をみると何時も考えさせられる。
変動率をマイナス20数パーセントと判定しつつ地域格差を3%とか判断していることに奇妙さを感じるからである。

数学的・論理的に考えるなら、地域格差率が3%しかないということは時点修正だけで価格のほとんどが決まり、あえて地域格差の判定をしなければならない程の数学的意味はないと思えるからである。
取引データは何がホントか解らないものが多く、試算値の相互のバラツキは相当大きなものになることがある。
予測される価格との開差は地域の格差なのか、取引事情によるものなのか、時点修正に抱合されるものなのか実は解ってはいない。

ということは、価格形成要因をいくら分解したところで価格は出てこないということになる。

ちなみに地価上昇の原因ないし説明手段として、かつてはインフラ整備や新駅の開設等があげられていた。

しかし、昨今の状況を見ると道路・下水・地下鉄等の社会的基盤整備が進展しつつあるにもかかわらず地価は下落を続けており、かつての説明と矛盾する。

つまり、インフラ整備と価格との間には何の相関関係もないということになりはしないか。

かつての上昇要因は一体何だったのか。

価格形成要因としてのインフラ整備は本当に価格形成要因なのであろうか。

最近は別の言い訳を探している。
2020.10.29 11:28 | 固定リンク | 鑑定雑感
取引事例比較法を考える Vol.3
2020.10.23
VOL.03 誤差について考える 

公共測量には公共測量作業規定があり、こと細かく作業内容が決められており、測量精度によって誤差の取り扱いにも差を設け、その処理の方法について規定している。

ところで、鑑定評価には誤差の入り込む余地はないのであろうか。

鑑定評価作業は判決のように定性的な判断の積み重ねというより、どちらかというと定量的作業の結果導き出された結果に対して定性的観点から判断を加える形となっている。

したがって、評価作業の途中は数字の処理が大半である。

道路条件や接近条件では幅員・距離に測定を伴う作業があり、必然的に測定誤差が入ることになる。

環境条件については、定性的には理解できても、定量的には何も解らないから、誤差概念が成立するかどうか解らない。

また、計算過程では有効数字の取り扱いにより結果が異なる。

評価作業の数字を処理する過程で誤差が入り込む危険性は高い。

にもかかわらず、我々がこれらの比準作業なり収益計算上、誤差について神経質になっていないのは、結果に合わせて作業しいるからに他ならないのではないか。
評価作業のプロセスは結果を形式的に補強しているだけで、化学実験のように誰も結果についての追試はできない。

数学的に考えると、評価作業は矛盾に満ち満ちている。

結果を予測して結論を出している以上、誤差の問題も仮説の実証という作業も意味を持たない。

故に、誰も問題にしない。

鑑定ムラの論理かはたまた独善か。

鑑定に仮説の実証は必要か、誤差論は必要か。

乏しい知識ではどうにもならない。

どうにもならないが鑑定をしなければメシが食えない。

一体私は何なのか?眠れぬ日々が続きそうだ。

2020.10.23 17:41 | 固定リンク | 鑑定雑感
取引事例比較法を考える Vol.2
2020.10.15
VOL.02 地域の変化がないのに若干の時間が経過するだけで格差率は変化する 

 ある街の地価公示を例に取り異時点間の格差率の変化を見ると次のとおりである。

番  号H8H9H10H11H12
5-16,3505,0004,1002,9002,430
5-43,7302,9002,4701,8001,400
相対格差100:59100:58100:60100:62100:58


ちなみに、5-1・5-4の地域の状況は、H8とH12を比較しても特に変化が見られない。

少なくとも、街路条件・交通接近条件・行政的条件は変化がない。

つまり、これらは物理的状況と法律によるものであるから、公示地が地殻変動により移動するか法律が変わらない限り変わらない。

そうすると、この格差の変化は環境条件の変化しかないことになる。

さりとて、環境が変化したとも見えない。

少なくとも、1年間で格差が4%も拡大するとは思えない。

もし、仮に地価水準の格差が価格形成要因によって定性・定量的に決まるのなら、東京の1ヵ所の価格が決まれば全国津々浦々の価格が自動的に決まることになる。

しかし、実際には地域の事情により異なった動きとなっており、相対的価格差は刻々と変化している。

我々は、現在の地価水準は推定可能である。

しかし、要因があって価格が決まるという図式は前述のように成り立たないと思うのである。

わずか1年で外形上判別できない環境条件が4%変化するということは、価格形成要因があって価格が決まるのではなく、決定した価格ないし推定された価格相互の格差を説明するための道具であって、それ以上の意味はないのではないかと考えている。

我々は演繹的に推論しているのであって、帰納的に一般法則を導き出しているとはいえない。

なぜ角地加算は5%で4%ないし6%であってはいけないのか?
5%と判断した場合に4%ないし6%ではなく5%だという証明は、本人にもできない。

また、他の不動産鑑定士が5%ではないという立証もできない。

その結果、不動産鑑定士の数だけ判断があり、極論を言えば判定された正常価格は鑑定士の数だけ存在することになる。

より一層客観化する為には、それこそ「不動産鑑定士100人に聞きました」ということをしなければならないことになり、客観化の道は遠く険しい。
2020.10.15 09:45 | 固定リンク | 鑑定雑感

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