トウキョウイズジャパン ― 田舎不動産の独り言 ― Vol.4
2021.07.15
VOL.04 あれから 150年 ~ 夢破れて山河あり
希望の大地として夢と希望に溢れていた北海道も、第二次オイルショックと中曽根内閣による農産物の市場開放・規制緩和・行財政改革等により、大きな転換期を迎えた。
北海道の農地価格は昭和58年をピークに下り続け、現在はピーク時の3分の1以下となっている。
農産物の市場開放政策により政府は農業経営を効率化するため大規模化を奨励したため規模拡大を目指す取引が増加し、農地価格は上昇したが、市場開放の現実から農業経営の将来に見切りをつける者が増え、農地価格は下落に転じた。
不動産バブルは大都市特有のものであるが、農村ではバブル以前に土地神話は崩壊した。
その間、農業政策は目まぐるしく変わったが、農業の実態に大きな変化はなく、ほころびは静かに大きくなりつつある。
このまま行くと、北海道開拓の歴史が逆回転し、未開の地に戻るのかもしれない。
ところで、我輩が知っている日本最北の市である稚内市の西方にある利尻町を例に話を進めてみたい。
読者もご存知であろうが、利尻町の所在する利尻島は最北の島で、エゾ富士と呼ばれる利尻山を擁し、水産業を基幹産業とする典型的な一次産業の町である。
利尻島は利尻町と利尻富士町の2町からなり、豊富で良質な水産資源(特に利尻ウニ・コンブは有名)と利尻富士を主とする観光資源等により全国の脚光を浴びている。
利尻町の人口は昭和30年代に1万人を超えていたが、平成24年3月では2,358人と、ピーク時の約5分の1強にまで減少しており、いまだ減少傾向に歯止めはかかっていない。
この間、利尻町のインフラは大幅に整備され、道路・港湾・上下水道等は都市並みとなった。
人口がピークの時は、電気・上水道は不十分で、下水道は夢の又夢であり、発展途上国並であった。
道路はほとんどが未舗装で、雨が降ればぬかるみ、生活環境は現在とは比べるまでもなく劣悪であったのである。
それから約60年弱を経て生活環境が大幅に向上したのに、住民は島を去り続け、人口はピーク時の5分の1となってしまった。
国土の均衡ある発展を唱え、日本列島改造計画に胸躍らせたあの時代はどこかに行き去り、宴の跡に残ったのは著しく高齢化の進んだ限界集落である。
かつての名店街は閉店街となり、空き地・空き家は増加しても減少することはない。
使用価値はあるのかもしれないが、必要とする人がいないので価格もつかず、タダでもいらないと言われる。
東京在住者に、このような状況を想像することは難しい。
利尻町及び利尻富士町には、かつてキャバレーや映画館・ボーリング場もあったと聞いたが、今は80代のお姐さんと若い?50代のお姐さんが頑張っているスナックが数軒細々と営業しているに過ぎない。
フェリーが就航し、飛行場もあるのに、来るのは観光客で、住民は出て行くばかりの矛盾。
植民政策のツケなのかどうかは分からないが、これまでの都市政策は一体何であったのかと思わざるを得ない。
北海道の大都市部を除けば、どこの町村も似たり寄ったりである。
立派なインフラと増加する空き家・空き地。人口がこれ以上減少すると、立派なインフラも何時しかゴーストタウンの墓標になるのであろう。
その時我輩の経済的価値は一体どうなっているのであろうか。
希望の大地として夢と希望に溢れていた北海道も、第二次オイルショックと中曽根内閣による農産物の市場開放・規制緩和・行財政改革等により、大きな転換期を迎えた。
北海道の農地価格は昭和58年をピークに下り続け、現在はピーク時の3分の1以下となっている。
農産物の市場開放政策により政府は農業経営を効率化するため大規模化を奨励したため規模拡大を目指す取引が増加し、農地価格は上昇したが、市場開放の現実から農業経営の将来に見切りをつける者が増え、農地価格は下落に転じた。
不動産バブルは大都市特有のものであるが、農村ではバブル以前に土地神話は崩壊した。
その間、農業政策は目まぐるしく変わったが、農業の実態に大きな変化はなく、ほころびは静かに大きくなりつつある。
このまま行くと、北海道開拓の歴史が逆回転し、未開の地に戻るのかもしれない。
ところで、我輩が知っている日本最北の市である稚内市の西方にある利尻町を例に話を進めてみたい。
読者もご存知であろうが、利尻町の所在する利尻島は最北の島で、エゾ富士と呼ばれる利尻山を擁し、水産業を基幹産業とする典型的な一次産業の町である。
利尻島は利尻町と利尻富士町の2町からなり、豊富で良質な水産資源(特に利尻ウニ・コンブは有名)と利尻富士を主とする観光資源等により全国の脚光を浴びている。
利尻町の人口は昭和30年代に1万人を超えていたが、平成24年3月では2,358人と、ピーク時の約5分の1強にまで減少しており、いまだ減少傾向に歯止めはかかっていない。
この間、利尻町のインフラは大幅に整備され、道路・港湾・上下水道等は都市並みとなった。
人口がピークの時は、電気・上水道は不十分で、下水道は夢の又夢であり、発展途上国並であった。
道路はほとんどが未舗装で、雨が降ればぬかるみ、生活環境は現在とは比べるまでもなく劣悪であったのである。
それから約60年弱を経て生活環境が大幅に向上したのに、住民は島を去り続け、人口はピーク時の5分の1となってしまった。
国土の均衡ある発展を唱え、日本列島改造計画に胸躍らせたあの時代はどこかに行き去り、宴の跡に残ったのは著しく高齢化の進んだ限界集落である。
かつての名店街は閉店街となり、空き地・空き家は増加しても減少することはない。
使用価値はあるのかもしれないが、必要とする人がいないので価格もつかず、タダでもいらないと言われる。
東京在住者に、このような状況を想像することは難しい。
利尻町及び利尻富士町には、かつてキャバレーや映画館・ボーリング場もあったと聞いたが、今は80代のお姐さんと若い?50代のお姐さんが頑張っているスナックが数軒細々と営業しているに過ぎない。
フェリーが就航し、飛行場もあるのに、来るのは観光客で、住民は出て行くばかりの矛盾。
植民政策のツケなのかどうかは分からないが、これまでの都市政策は一体何であったのかと思わざるを得ない。
北海道の大都市部を除けば、どこの町村も似たり寄ったりである。
立派なインフラと増加する空き家・空き地。人口がこれ以上減少すると、立派なインフラも何時しかゴーストタウンの墓標になるのであろう。
その時我輩の経済的価値は一体どうなっているのであろうか。
トウキョウイズジャパン ― 田舎不動産の独り言 ― Vol.3
2021.07.08
VOL.03 我輩と明治以降の北海道
北海道統計書によれば、江戸末期の北海道には6万人前後の人が居住していたようである。
あまり正確ではないようだが、それから 150年弱で北海道の人口は約 560万人と約93倍に増加している。
ところで、明治維新の頃の北海道は、そのほとんどが原生林の生い茂る未開の地であった。
明治政府は所有者のいない北海道を領有し、開拓することとした。政府は明治2年7月に開拓使を置き、8月には蝦夷地を北海道と改称して本格的な北海道開拓が始まった。
明治政府は未開の原生林たる官有地を開拓を希望する者に無償貸付し、一定期間内に開拓すると無償払い下げを行う等した。
その結果、武士社会の崩壊で職を失った藩士を中心に開拓団が結成され、全国から北海道に開拓団が入植してきたのである。
当時の北海道は道路が未整備であったため、開拓団の大半は沿岸部に入植したが、明治19年に北海道庁が設置されてからは、内陸部の開拓が本格化した。
それにともない、府県から北海道への移民は急増し、明治30年には78万人、明治45年(大正元年)には170万人、その6年後の大正6年には200万人と激増している。
府県からみたその当時の北海道は、戦前の移民政策と同じように政府の主導により未開の地で一旗揚げようとした人々の、希望の大地であったのかもしれない。
多くの人々が開拓に挑戦し、ある者は夢破れ、ある者は成功したが、先人の気の遠くなるような苦労のお陰で今日の北海道は存在している。
北海道統計書によれば、江戸末期の北海道には6万人前後の人が居住していたようである。
あまり正確ではないようだが、それから 150年弱で北海道の人口は約 560万人と約93倍に増加している。
ところで、明治維新の頃の北海道は、そのほとんどが原生林の生い茂る未開の地であった。
明治政府は所有者のいない北海道を領有し、開拓することとした。政府は明治2年7月に開拓使を置き、8月には蝦夷地を北海道と改称して本格的な北海道開拓が始まった。
明治政府は未開の原生林たる官有地を開拓を希望する者に無償貸付し、一定期間内に開拓すると無償払い下げを行う等した。
その結果、武士社会の崩壊で職を失った藩士を中心に開拓団が結成され、全国から北海道に開拓団が入植してきたのである。
当時の北海道は道路が未整備であったため、開拓団の大半は沿岸部に入植したが、明治19年に北海道庁が設置されてからは、内陸部の開拓が本格化した。
それにともない、府県から北海道への移民は急増し、明治30年には78万人、明治45年(大正元年)には170万人、その6年後の大正6年には200万人と激増している。
府県からみたその当時の北海道は、戦前の移民政策と同じように政府の主導により未開の地で一旗揚げようとした人々の、希望の大地であったのかもしれない。
多くの人々が開拓に挑戦し、ある者は夢破れ、ある者は成功したが、先人の気の遠くなるような苦労のお陰で今日の北海道は存在している。
トウキョウイズジャパン ― 田舎不動産の独り言 ― Vol.2
2021.07.01
VOL.02 不動産の価格は誰が決める
我輩の価格を我輩は知らないし、また決められない。
我輩の価格を決めるのは、ご主人様である人間である。
我輩は多種・多様のご主人様に仕えているが、我輩に対する価値観はまさに百人百様である。
そのためか、取引される価格も跛行的である。
価格形成要因と称する要因がいくら立派でも、買手がいなけりゃ二束三文である。
逆に、価格形成要因と称する要因がいくら貧弱でも、買手が多くなれば価格は高くなる。
資本主義経済であるから、価格形成要因と称する要因におかまいなく、需要と供給により価格は決まる。
昨日までたいして価値がないと思っていても、世の中の事情が変われば需給事情が変わり、価格も変わる。
例を挙げると、ニセコスキー場の周辺は外資系のリゾート開発で有名であるが、ホンの10年位前までは2,000円/坪でも誰も買わないと言っていたのに、リーマンショック前には何と40万円/坪位まで上昇したのである。
もっとも、そんな価格で買う日本人はいないが…。
我輩を欲しがるご主人様は、世の中のことはあまり変わらないと予測し、昨日・今日・明日が今後数10年にわたって続くと盲信(楽観)している。
そうでなければ、35年ローンなんか組めるハズもない。
ローン期間中に会社は潰れない。
したがって、失業もしない。
自分も家族も病気やケガはしない。
予定外の出産もなければ離婚もしない。
と想定しない限り、35年間ローンを払い続けることなんかできはしない。
しかし、ブラックスワンは何時舞い降りるのかは誰にも分からない。
ブラックスワンの降臨もなく、無事35年間ローンを支払ったとしても、35年後には建替時期に到達するが、再就職や年金問題を考えるとローンの支払い完了後の人生をどうするのか、問題は尽きない。
いずれにしても、我輩の価格を決めるのはご主人様であるから、我輩の価格を上げるのも下げるのもご主人様次第である。
取引情報を集めて、過去ご主人様がどう考えていたかを推論することはできるが、そのことにより将来がどうなるのかは分からない。
我輩の価格が将来どうなるかは、ご主人様の考え方次第ということになる。
我輩の価格を我輩は知らないし、また決められない。
我輩の価格を決めるのは、ご主人様である人間である。
我輩は多種・多様のご主人様に仕えているが、我輩に対する価値観はまさに百人百様である。
そのためか、取引される価格も跛行的である。
価格形成要因と称する要因がいくら立派でも、買手がいなけりゃ二束三文である。
逆に、価格形成要因と称する要因がいくら貧弱でも、買手が多くなれば価格は高くなる。
資本主義経済であるから、価格形成要因と称する要因におかまいなく、需要と供給により価格は決まる。
昨日までたいして価値がないと思っていても、世の中の事情が変われば需給事情が変わり、価格も変わる。
例を挙げると、ニセコスキー場の周辺は外資系のリゾート開発で有名であるが、ホンの10年位前までは2,000円/坪でも誰も買わないと言っていたのに、リーマンショック前には何と40万円/坪位まで上昇したのである。
もっとも、そんな価格で買う日本人はいないが…。
我輩を欲しがるご主人様は、世の中のことはあまり変わらないと予測し、昨日・今日・明日が今後数10年にわたって続くと盲信(楽観)している。
そうでなければ、35年ローンなんか組めるハズもない。
ローン期間中に会社は潰れない。
したがって、失業もしない。
自分も家族も病気やケガはしない。
予定外の出産もなければ離婚もしない。
と想定しない限り、35年間ローンを払い続けることなんかできはしない。
しかし、ブラックスワンは何時舞い降りるのかは誰にも分からない。
ブラックスワンの降臨もなく、無事35年間ローンを支払ったとしても、35年後には建替時期に到達するが、再就職や年金問題を考えるとローンの支払い完了後の人生をどうするのか、問題は尽きない。
いずれにしても、我輩の価格を決めるのはご主人様であるから、我輩の価格を上げるのも下げるのもご主人様次第である。
取引情報を集めて、過去ご主人様がどう考えていたかを推論することはできるが、そのことにより将来がどうなるのかは分からない。
我輩の価格が将来どうなるかは、ご主人様の考え方次第ということになる。
トウキョウイズジャパン ― 田舎不動産の独り言 ― Vol.1
2021.06.25
VOL.01 田舎不動産の独り言
我輩は田舎の不動産である。
それも、北海道の過疎地の不動産である。
東日本大震災以降、都市部の不動産の取引が大分ガタガタしてたようだが、我輩にとっては別世界の話題である。
この国の話題は大抵が大都市中心である。
もっとも、田舎には人が少ないし、余程の大事件がなければ興味を持ってはくれない。
東日本大震災のお陰で、都会の人達も田舎の現状に少しは興味を持ってくれたようであるが、それも何時まで続くのやら……。
ところで、我輩の存在価値は我輩のご主人様である人間様次第であるが、そのご主人様は少なくとも貧乏人ではない。
これまで、ご主人様の気紛れで随分翻弄されてきたが、我輩の問題はどうやら今世紀には終わりを告げるのではと思っている。
何故かって?
それを訊くのはヤボと言いたいが、我輩の問題はご主人様である人間様の問題であるから、田舎に住む人間がいなくなれば問題の起こりようがないということである。
住宅街に熊が出たと言って大騒ぎしているが、人間が居るから問題になるのであって、人里離れた山の中を熊が歩いていたって問題にはなりようがない。
熊にすりゃ、はた迷惑な話である。
これまで取り沙汰されてきた土地問題は、所詮都会を中心とする問題で、人がいなけりゃ問題にすることもできない。
境界争い、日照権等の環境問題や土地利用の問題は、全てご主人様である人間様の問題である。
北海道はもともと明治維新前までは、松前藩の武士とアイヌが若干居た位で、北海道の大半は人跡未踏の原生林等の繁る山林・原野等で、現代的な意味における所有者はいなかったのである。
このまま人口が減少し続けると、2100年頃には一部地域を除いて人間はいなくなり、明治維新前夜に戻るのであろうから、我輩はもはや問題にされることもなくひっそりと暮らすことになるのであろうと思っている。
その方が幸せなのかも?
我輩は田舎の不動産である。
それも、北海道の過疎地の不動産である。
東日本大震災以降、都市部の不動産の取引が大分ガタガタしてたようだが、我輩にとっては別世界の話題である。
この国の話題は大抵が大都市中心である。
もっとも、田舎には人が少ないし、余程の大事件がなければ興味を持ってはくれない。
東日本大震災のお陰で、都会の人達も田舎の現状に少しは興味を持ってくれたようであるが、それも何時まで続くのやら……。
ところで、我輩の存在価値は我輩のご主人様である人間様次第であるが、そのご主人様は少なくとも貧乏人ではない。
これまで、ご主人様の気紛れで随分翻弄されてきたが、我輩の問題はどうやら今世紀には終わりを告げるのではと思っている。
何故かって?
それを訊くのはヤボと言いたいが、我輩の問題はご主人様である人間様の問題であるから、田舎に住む人間がいなくなれば問題の起こりようがないということである。
住宅街に熊が出たと言って大騒ぎしているが、人間が居るから問題になるのであって、人里離れた山の中を熊が歩いていたって問題にはなりようがない。
熊にすりゃ、はた迷惑な話である。
これまで取り沙汰されてきた土地問題は、所詮都会を中心とする問題で、人がいなけりゃ問題にすることもできない。
境界争い、日照権等の環境問題や土地利用の問題は、全てご主人様である人間様の問題である。
北海道はもともと明治維新前までは、松前藩の武士とアイヌが若干居た位で、北海道の大半は人跡未踏の原生林等の繁る山林・原野等で、現代的な意味における所有者はいなかったのである。
このまま人口が減少し続けると、2100年頃には一部地域を除いて人間はいなくなり、明治維新前夜に戻るのであろうから、我輩はもはや問題にされることもなくひっそりと暮らすことになるのであろうと思っている。
その方が幸せなのかも?
不動産調査と役所の壁(法治国家日本の不思議) ~ Vol.6
2021.06.17
VOL.06 法治国家日本の不思議
法令上、閲覧規定を置いているにもかかわらず、キチンと見せようとしない。
或いは、何の問題もないのに図面の交付をしようとしない等、現場における役所の対応は様々である。
筆者の経験で、役場の税務課で、所管している地番図の写しの交付を拒絶されたことがある。
その理由が、何と写しを交付したことがない・正確ではないというもので、どうしても必要ならトレースして行けということであった。
筆者も頭に来て、交付したことがないものは交付しないという条例はあるのか、固定資産評価をそんな不正確な図面でやっておいて良くも適正な評価と言えるなと窓口で毒づいたが、ダメであった。
公務員は法律に基づいて行動せよと法律上要請されているのに、やったことがない!言われたことがない!等と、およそ法令に根拠のない理由で情報を出さないことが多い。
特に、個人情報保護法ができてからは酷くなっている。
傑作なのは、空中写真を個人情報だからダメだという言い訳であった。
個人情報保護法の拡大解釈もここに極まれりということである。
この法律を作った学者・政治家・官僚の思考程度を疑う他はない。
こんなデタラメな解釈がまかり通っている国が、近代国家だとは到底認めることはできない。
更に酷いのは、法令に根拠があっても、対応した経験がなければ、見たことがない・聞いたことがない・やったことがない等と、調査を拒絶することである。
どうやらこの国の行政機関にとって、経験がないこということは憲法にも優先する行為規範らしく、未体験の国民の要請には一切対応しないという明治以来の官尊民卑の伝統が未だに深く根づいているようである。
国民主権の近代民主主義国家を標榜しながら、市民対応レベルでは北朝鮮並みの非民主的対応に終始しているのは、国家的サギである。
情報を公開し、情報を共有することによって問題点を共有し、あるべき民主主義国家に向かって進むべきものと考えるが、行政情報のミス・失敗等を隠蔽する為に情報公開を渋っている姿は、まるで第二次世界大戦末期の軍部や、旧社会保険庁等と同じである。
国民の人の良さにもほとほと呆れる他はない。
いずれにしても、役所調査の長い経験からみると、役所ほど法令を守らないところはないということである。
特に、組織防衛の問題がからむと情報を遮断し、都合の良い拡大解釈・類推解釈が横行する。
そこには国民主権の視点は全くないのである。
日本が真の民主主義国家となり、真の法治国家となるのは夢の又夢なのであろうか。
日々行政対応の矛盾を感じつつボヤいているうちに、年をとってしまった。
一部過激な表現があるが、これも先の短いシルバー世代の戯れ言と、ご容赦を願うものである。
法令上、閲覧規定を置いているにもかかわらず、キチンと見せようとしない。
或いは、何の問題もないのに図面の交付をしようとしない等、現場における役所の対応は様々である。
筆者の経験で、役場の税務課で、所管している地番図の写しの交付を拒絶されたことがある。
その理由が、何と写しを交付したことがない・正確ではないというもので、どうしても必要ならトレースして行けということであった。
筆者も頭に来て、交付したことがないものは交付しないという条例はあるのか、固定資産評価をそんな不正確な図面でやっておいて良くも適正な評価と言えるなと窓口で毒づいたが、ダメであった。
公務員は法律に基づいて行動せよと法律上要請されているのに、やったことがない!言われたことがない!等と、およそ法令に根拠のない理由で情報を出さないことが多い。
特に、個人情報保護法ができてからは酷くなっている。
傑作なのは、空中写真を個人情報だからダメだという言い訳であった。
個人情報保護法の拡大解釈もここに極まれりということである。
この法律を作った学者・政治家・官僚の思考程度を疑う他はない。
こんなデタラメな解釈がまかり通っている国が、近代国家だとは到底認めることはできない。
更に酷いのは、法令に根拠があっても、対応した経験がなければ、見たことがない・聞いたことがない・やったことがない等と、調査を拒絶することである。
どうやらこの国の行政機関にとって、経験がないこということは憲法にも優先する行為規範らしく、未体験の国民の要請には一切対応しないという明治以来の官尊民卑の伝統が未だに深く根づいているようである。
国民主権の近代民主主義国家を標榜しながら、市民対応レベルでは北朝鮮並みの非民主的対応に終始しているのは、国家的サギである。
情報を公開し、情報を共有することによって問題点を共有し、あるべき民主主義国家に向かって進むべきものと考えるが、行政情報のミス・失敗等を隠蔽する為に情報公開を渋っている姿は、まるで第二次世界大戦末期の軍部や、旧社会保険庁等と同じである。
国民の人の良さにもほとほと呆れる他はない。
いずれにしても、役所調査の長い経験からみると、役所ほど法令を守らないところはないということである。
特に、組織防衛の問題がからむと情報を遮断し、都合の良い拡大解釈・類推解釈が横行する。
そこには国民主権の視点は全くないのである。
日本が真の民主主義国家となり、真の法治国家となるのは夢の又夢なのであろうか。
日々行政対応の矛盾を感じつつボヤいているうちに、年をとってしまった。
一部過激な表現があるが、これも先の短いシルバー世代の戯れ言と、ご容赦を願うものである。
(2010年11月 Evaluation no.39掲載/「不動産調査と役所の壁 ― 法治国家日本の不思議」)