土地評価のウソ・ホント ~ Vol.1
2023.05.18
VOL.01 不動産の評価方法は科学。ウソ?ホント?


土地の時価を求めることを、土地の評価とか不動産鑑定とか称しているが、大半の人は、その仕組みを知らない。

為替にしても株式にしても、時価は刻々と変わるが、事前に時価は分からない。

土地の価格も、実は良く分からない。

売る人がいて買う人がいれば売買は成立するが、いなければ何時まで経っても売買は成立しない。

市場に成り代わってとはいうものの、取引がなければ市場そのものがよく分からない。

市場がある株式や為替でさえ分からないのに、市場のハッキリしない不動産なら、尚更のことである。

ところで、売買する人は、何を根拠に価格を決めているのだろうか。

不動産を売買する人(法人も含む)は、一生に一度か二度くらいであり、プロではない。

仕入れて売るなら仕入れ価格が基準になるが、それでは仕入れ価格はどうやって決めるのか。

不動産は持ち運びができないので、その場所で使う人がいなければその価値を見出すことは困難である。

一方、不動産を商品として所有している人は少ないので、価格を含む情報の非対称性は極端である。

その結果、田舎に行くほど取引価格は跛行的になることが多い。

前置きはこのくらいにして、土地評価の方法をおさらいしてみよう。

土地の評価の方法としては、取引事例比較法・収益還元法・原価法の三種類がある。

これは、万国共通である。

取引事例比較法は、売買しようとする不動産と類似する不動産の実際の売買事例を参考に求める方法。

収益還元法は、賃貸により得られる地代や家賃を基準に求める方法。

原価法は、新規に作ったらいくらコストがかかるかを計算して求める方法。

理論的に言えば、この三つの評価方法で価格を求めると一致するはずだと考えられている。

しかし、世の中そう甘くはない。

取引事例は個人情報だと言いながら、その個人情報を集めて評価しなければならないが、収集する権限について、法律上明文の規定はない。

わずかな取引事例で適確な評価をすることはできないのに、調査権がないのでお手上げである。

収益還元法は、地代・家賃を基にその収益性の観点から評価する方法だが、これまた個人情報のかたまりで、その情報を収集するのは一筋縄ではいかない。

原価法は、主に建物評価において採用されるが、完成した建物の壁の中は見えないし、また新規に建築すると想定した場合の再調達原価の査定にしても、それを求める科学的方法はない。

建築業者の意見もバラバラだから、評価者により変わることが多い。そもそも評価方法は観念的には理解できるとしても、科学的に適用する方法は未だ確立されていない。

評価に再現性も検証性もないので、科学への道は遠い。
2023.05.18 11:06 | 固定リンク | 鑑定雑感
パラサイト北海道「アジアの中の北海道」 ~ Vol.11
2023.05.11
VOL.11 自立への道、パラサイトへの決別

 以上みたように、アジアの中の北海道は発展の可能性に満ち満ちている。

 東京をみても、そこにあるのは無い袖は振れないというつれなさだけである。

 可能性のない国内マーケットに足をとられるのではなく、拡大・発展を続けるアジアマーケットの中における北海道の位置づけを徹底的に検討することである。

 アジアの人々は北海道に憧れを抱いているが、北海道はあいも変わらず東京ばかりを見ている。

 くどいようだが、日本国の財政状況をみると、地方にこれ以上の仕送りはできないであろう。

 とすれば、親元を離れ自活の道を歩まなければならないことになる。

 明治以来約140年もの間パラサイト生活を続けてきた北海道も、親元を離れる決意が必要である。

 十分過ぎる程の高度の公共インフラと、類稀な自然・農産物・水産資源があるのである。

 公共事業がなければ食べていけないなどと言ったら、発展途上国の人々に笑われるだけである。

 あり余るおもちゃを持っていながら、デパートのおもちゃ売り場でダダをこねる子供と同じである。

 一体どれ程のおもちゃを買い与えれば満足するのか。

 中央政府は中央集権に固執する余り、地方の育て方を間違ったのではないか。


 いずれにしても、北海道は主要先進国に互して勝負できるだけの条件を備えているのである。

 足りないのは公共インフラではなく、与えられた十分な条件を生かすチエである。

 親に甘えているうちは、自立はできない。

 今こそ足元を見つめ、アジアの中の北海道として自立への道を考える時である。

 恵まれた自然環境、世界に誇れる農水産物、これを生かすことによって自立への道は拓かれ、明治以来のパラサイト生活に決別できると確信する。

(2001年・2002年  グローバルヴィジョン/「パラサイト北海道」)

(2019年4・5・6月 北方ジャーナル掲載/「パラサイト北海道」)

2023.05.11 09:41 | 固定リンク | 鑑定雑感
パラサイト北海道「アジアの中の北海道」 ~ Vol.10
2023.04.26
VOL.10 農業移民のススメ

 人口減少から大量に退職する団塊の世代の移住を目指して、道内の過疎市町村は色々と智恵を絞っている。

 しかし、退職世代の移住に成功したとしても、せいぜい後20年程度であり、しかも2030年までに減少するであろう100万人規模の穴埋めはできない。

 アメリカは、戦前も戦後も一貫して移民を受け入れ、人口構造が極端に偏らないようにしており、その戦略的な思考は驚嘆に与する。

 日本は、戦前及び戦後の一時期に南米に大量の移民を主導してきたが、受入れ国の農地は劣悪な環境の未開地で、移民のほとんどは失意のうちに開拓地を離れ、辛酸を味わっている。

 時は流れ、経済大国となった日本に、日系2世・3世が祖父母の国に出稼ぎにきているが、都会暮しとのギャップに問題を起す者や道を誤る者も多い。

 考えてみれば、集団就職した団塊の世代も東京は生き馬の目を抜く恐ろしい所だと聞かされ、オッカナビックリ東京に出たが聞くと見るとは大違いで、誘惑の多い都会の魔力にとりつかれ、人生を誤った人も多い。

 南米から来た日系2世・3世も、おそらく同じような感想を持っているだろうと思われる。

 いきなり都会に出るような出稼ぎは、すぐにお金になるものの気苦労も多く、また地域のコミュニティに溶け込むのも難しいものと思われる。

 他方、北海道は深刻な人口減少に悩まされており、札幌を除くと誘惑の多い大都会はほとんどなく、また、耕作放棄された農地も年々増加している。

 人口減少と耕作放棄された農地対策・過疎化対策を一挙に解決する方法として、日系2世・3世の農業移民を検討してはどうであろうか。

 北海道の農地は、農業インフラの整備は終っており、開拓の苦労はない。

 また、農家住宅・農業倉庫・農業機械も余っている。

 どうせ買手も借手もいないのであるから、3~5年位は無償で貸付し、農業経営が軌道に乗ったら小作料をもらうなり、買取ってもらってはどうであろうか。

 後継者のいない農家は、これらの農業移民に営農指導することに生きがいを見つけられるであろう。

 農業移民は田舎暮しであるから、都会の誘惑に負けて身を滅ぼすことも少なく、何より地域のコミュニティ社会に取り残されることもないと思われる。

 日系2・3世以外の移民は、人種問題や文化ギャップ等からあまり賛成はできない。

 したがって、日系2・3世に限って農業移民を計画的・大量に受け入れてはどうであろうか。

 毎年5万人の移民を受け入れても、20年で100万人である。

 毎年5万人の移民は到底不可能であるから、思い切った移民政策をとったとしても、人口減少は不可避である。

 北海道における人口問題に対応するためにも、できるだけ早く農業移民のあり方について検討すべきものと考える。
2023.04.26 16:05 | 固定リンク | 鑑定雑感

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