コモディティ化する鑑定業務と特化型AIに駆逐される公的評価 ~ Vol.4
2023.12.14
VOL.04 コモディティ化が進行するもう一つの理由
コモディティ化の代表は、公的評価である。
その代表の中で一番に君臨するのが地価公示である。
地価公示の評価書は様式化されており、記載内容も手引に例示されており、その束縛から逃れることはできない。
結果として、不動産鑑定士ならば年齢・経験に関係なく評価書の作成はできるが、コモディティ化が進行しているため、経験のある一般事務職の方が評価書作成に向いているともいえる。
何故なら、一般事務職員の方が手引に忠実に作成するからである。
つまり、できるだけ独自の判断をさせないことにより、誰がやっても同じ答えになるように要請されていると考えれば、なまじ判断力が無い方が向いているのは理の当然である。
評価行為は意見・判断であるのに、評価書という名の書類作成の内容に重点が移ってしまい、価格は二の次となった結果とも言えるのではないか。
また、本来公示価格は取引の指標とするために市場価格を判定するはずが、なまじ前年の価格があるため、変動率が主役になってしまった。
変動率が決まれば、後は評価書という名の書類を作るだけであり、その内容も手引により示されているため、コモディティ化していると言われても仕方がないと思うのである。
そして、もっと悪いことに、地価公示作業のやり方・考え方等を一般鑑定にも援用する力が大きくなった結果、コモディティ化に尚一層の拍車をかけたのではと思われる。
コモディティ化の代表は、公的評価である。
その代表の中で一番に君臨するのが地価公示である。
地価公示の評価書は様式化されており、記載内容も手引に例示されており、その束縛から逃れることはできない。
結果として、不動産鑑定士ならば年齢・経験に関係なく評価書の作成はできるが、コモディティ化が進行しているため、経験のある一般事務職の方が評価書作成に向いているともいえる。
何故なら、一般事務職員の方が手引に忠実に作成するからである。
つまり、できるだけ独自の判断をさせないことにより、誰がやっても同じ答えになるように要請されていると考えれば、なまじ判断力が無い方が向いているのは理の当然である。
評価行為は意見・判断であるのに、評価書という名の書類作成の内容に重点が移ってしまい、価格は二の次となった結果とも言えるのではないか。
また、本来公示価格は取引の指標とするために市場価格を判定するはずが、なまじ前年の価格があるため、変動率が主役になってしまった。
変動率が決まれば、後は評価書という名の書類を作るだけであり、その内容も手引により示されているため、コモディティ化していると言われても仕方がないと思うのである。
そして、もっと悪いことに、地価公示作業のやり方・考え方等を一般鑑定にも援用する力が大きくなった結果、コモディティ化に尚一層の拍車をかけたのではと思われる。
コモディティ化する鑑定業務と特化型AIに駆逐される公的評価 ~ Vol.3
2023.12.07
VOL.03 鑑定評価書のコモディティ化による影響
鑑定評価がコモディティ化する原因は、相当以前からあったと思われる。
一般消費者から見れば、弁護士・公認会計士・不動産鑑定士といえば、高度の試験に合格しているのであるから、人間的にも立派な人が多いと思っているが、新聞を読むまでもなく、悪事を働き世間を賑わす専門家は、それなりに存在している。
ところで、弁護士は依頼者のためなら黒でも白と主張することが許されるが、公認会計士や不動産鑑定士は、そうはいかない。
つまり、業務の本質が公正・中立的であることが要請されるため、依頼者に寄り添った監査意見や鑑定評価は、その業務の本質からみて行なうことができないのである。
とすれば、監査を行なう公認会計士や鑑定評価を行なう不動産鑑定士個人によってその内容が異なることは、事の本質はさておき、基本的に許されないと考える他はない。
したがって、その内容はできるだけ様式化(標準化)して、専門家でなくてもチェックしやすいようにすることが求められる。
結果として、高度?な専門家の業務もコモディティ化することになる。
こうなると、消費者である依頼者は、機能性・品質等の差異がないのであるから、これら専門家の選択基準は価格(報酬)のみとなる。
経済成長が順調で、需要が拡大局面にあれば、コモディティ化しても価格競争が激化する可能性は低いが、需要が停滞する一方、供給側、つまり資格者が社会の景気・需要とは無関係に増加すると、需給バランスは崩れ、価格競争は激化する。
価格競争の激化によって品質は劣化するが、その防波堤がガイドラインであるとすれば、鑑定業務の国家による管理化は避けられないことになる。
しかし、行き過ぎた管理は統制経済化を招き、やがて市場からも見放され、崩壊する可能性がある。
アメリカの鑑定財団が国家の介入を嫌う理由は、まさにここにあるのではと思われる。
鑑定評価がコモディティ化する原因は、相当以前からあったと思われる。
一般消費者から見れば、弁護士・公認会計士・不動産鑑定士といえば、高度の試験に合格しているのであるから、人間的にも立派な人が多いと思っているが、新聞を読むまでもなく、悪事を働き世間を賑わす専門家は、それなりに存在している。
ところで、弁護士は依頼者のためなら黒でも白と主張することが許されるが、公認会計士や不動産鑑定士は、そうはいかない。
つまり、業務の本質が公正・中立的であることが要請されるため、依頼者に寄り添った監査意見や鑑定評価は、その業務の本質からみて行なうことができないのである。
とすれば、監査を行なう公認会計士や鑑定評価を行なう不動産鑑定士個人によってその内容が異なることは、事の本質はさておき、基本的に許されないと考える他はない。
したがって、その内容はできるだけ様式化(標準化)して、専門家でなくてもチェックしやすいようにすることが求められる。
結果として、高度?な専門家の業務もコモディティ化することになる。
こうなると、消費者である依頼者は、機能性・品質等の差異がないのであるから、これら専門家の選択基準は価格(報酬)のみとなる。
経済成長が順調で、需要が拡大局面にあれば、コモディティ化しても価格競争が激化する可能性は低いが、需要が停滞する一方、供給側、つまり資格者が社会の景気・需要とは無関係に増加すると、需給バランスは崩れ、価格競争は激化する。
価格競争の激化によって品質は劣化するが、その防波堤がガイドラインであるとすれば、鑑定業務の国家による管理化は避けられないことになる。
しかし、行き過ぎた管理は統制経済化を招き、やがて市場からも見放され、崩壊する可能性がある。
アメリカの鑑定財団が国家の介入を嫌う理由は、まさにここにあるのではと思われる。
コモディティ化する鑑定業務と特化型AIに駆逐される公的評価 ~ Vol.2
2023.11.30
VOL.02 コモディティ化する鑑定業務
鑑定評価の本質は、専門家の意見であり、判断であったはずである。
故櫛田先生の『鑑定評価の基本的考察』においても、高度な知識と豊富な経験と的確な判断力とが有機的に統一されて、初めて的確な鑑定評価が可能となるのであるから、不断の勉強と研鑽とによってこれを体得し、鑑定評価の進歩改善に努めなければならないとしている。
あれから40年、社会は変わり、新試験制度により、現場経験を十分に積むことなく、合格即独立という不動産鑑定士も増加している。
このような中で、高度な知識と豊富な経験に裏打ちされた的確な判断力が醸成されることを暢気に待っていられないのか、鑑定評価のガイドラインが作成され、基本的にはこれに沿って鑑定評価を行なうことが要請されている。
鑑定評価の本質的な潮流は、ヨーロッパが原理主義、アメリカがルール主義、日本は様式(形式)主義と言われているようであるが、ガイドラインはいわば様式主義の要請に近く、事実ガイドラインに沿った実務研修テキストを丸写しした(もっとも中の数字は物件によって変えているようであるが)鑑定評価書が主流を占めつつある。
ガイドラインは、専門家?である鑑定士独自の意見・判断に一定の枠をはめ、方向・内容等が同質化するよう要請しているとも考えられる。
言葉を換えれば、鑑定評価業務の機能性・品質・サービス内容・ブランド力を均一化することに他ならないので、結果として差別化特性を排除することになる。
消費者にとっては、不動産鑑定評価書という商品の何が良いのか分別することはできない。
まして、その内容がガイドラインによって一律的になれば、鑑定評価を依頼する基準は価格(報酬)そのものになる。
コモディティ化とは、本来市場を通じてなされるが、鑑定評価書という商品については、その良し悪しを消費者が判断できないため、市場を通さずにコモディティ化されてしまったのではないかと思っている。
鑑定評価の本質は、専門家の意見であり、判断であったはずである。
故櫛田先生の『鑑定評価の基本的考察』においても、高度な知識と豊富な経験と的確な判断力とが有機的に統一されて、初めて的確な鑑定評価が可能となるのであるから、不断の勉強と研鑽とによってこれを体得し、鑑定評価の進歩改善に努めなければならないとしている。
あれから40年、社会は変わり、新試験制度により、現場経験を十分に積むことなく、合格即独立という不動産鑑定士も増加している。
このような中で、高度な知識と豊富な経験に裏打ちされた的確な判断力が醸成されることを暢気に待っていられないのか、鑑定評価のガイドラインが作成され、基本的にはこれに沿って鑑定評価を行なうことが要請されている。
鑑定評価の本質的な潮流は、ヨーロッパが原理主義、アメリカがルール主義、日本は様式(形式)主義と言われているようであるが、ガイドラインはいわば様式主義の要請に近く、事実ガイドラインに沿った実務研修テキストを丸写しした(もっとも中の数字は物件によって変えているようであるが)鑑定評価書が主流を占めつつある。
ガイドラインは、専門家?である鑑定士独自の意見・判断に一定の枠をはめ、方向・内容等が同質化するよう要請しているとも考えられる。
言葉を換えれば、鑑定評価業務の機能性・品質・サービス内容・ブランド力を均一化することに他ならないので、結果として差別化特性を排除することになる。
消費者にとっては、不動産鑑定評価書という商品の何が良いのか分別することはできない。
まして、その内容がガイドラインによって一律的になれば、鑑定評価を依頼する基準は価格(報酬)そのものになる。
コモディティ化とは、本来市場を通じてなされるが、鑑定評価書という商品については、その良し悪しを消費者が判断できないため、市場を通さずにコモディティ化されてしまったのではないかと思っている。