正常価格の今そこにある危機パートⅡ
2022.03.10
朝日新聞(平成29年3月3日)による記事、『アベノミクスの罠(中)』によれば、Jリート市場は「すでにバブルか」とし、東京の阿南不動産鑑定士の協力を得て、Jリートの土地価格と相続路線価を対比している。

これによれば、神戸市中央区の商業施設では、路線価の15.5倍、大阪市浪速区のホテルでは10.6倍、東京都千代田区の商業施設で8.7倍、同台東区のホテルで8.3倍、同事務所で7.9倍と紹介している。


何故このような評価になるかといえば、収益還元法によって鑑定価額を決定しているためである。


Jリート物件のテナントは、近隣の賃料水準とかけ離れた高い賃料を払っているか、地元感覚より低い期待利回りとなっていることから、収益価格は極端に高くなる。

地方でもこのような傾向がみられるが、それでも路線価の2~3倍程度である。


それでは、地元の市場参加者がこの価格で市場に参入することができるかとえば、残念ながら参入するだけの経済力はない。

この種物件の市場価値は、市場参加者の属性(賃料負担能力)と期待利回りによって大きく左右され、地元感覚では理解できない価格となっている。

ある意味、マーケットは2重構造になっているとしかいえない。

最近はこれに海外資本が入って来ているため、3重構造になっているともいえるのではと思っている。

そう考えると、平成バブルのように全国どこでも誰もが参加している訳ではないので、バブルとは必ずしもいえないと思われる。


話は変わるが、海外資本が入っている北海道ニセコエリアの中心であるヒラフ地区で、ホテル型コンドミニアムを購入しようとしたシンガポール在住の人から、買いたいので意見を聞きたいとの相談があった。

その時は、いまだ基礎工事も始まっていないことから、分譲案内のみでの購入検討ということであった。

筆者はおそるおそる価額を聞いたら4.5億円というので、一棟の価額ですかと再度聞いたら一部屋だと軽く返されたのである。

筆者としては、一部屋4.5億円の建物など見たこともないし、まして設計図も仕様書もないので、見当も付きませんと回答するより他はなかったのである。

土地価格は、ヒラフ地区の公示価格38,000円/㎡(H29.1.1)の5倍とし、建築費を200万円/坪としても、どうして4.5億円という価額になるのか理解できなかった。

海外客を相手にしているブローカーの話によれば、原価の3~4倍というのは別に珍しくもないということであった。

売れた価格が適正価格で、原価は関係ないという主張には恐れ入りましたとしか言うことができない。

海外客を相手にしているブローカーの価格のベンチマークは海外にあるので、公示価格なんか気にもしていないのである。


ところで、平成3年のバブルとその崩壊を目にした我が業界は、取引事例に追随し、バブルを助長したとの反省から、収益価格重視の方向に転換した。

平成3年2月6日、3国土地第42号により発布された「不動産鑑定評価基準の運用に当たって実務上留意すべき事項等について」の中で、(4)収益還元法の重視と題し、不動産の価格は一般に当該不動産の収益性を反映して形成されたものであり、収益は不動産の経済価値の本質を形成するものであることに鑑み、収益還元法の重視を求める視点から

 ①市場における土地の取引価格の上昇の著しいときは、その価格 と収益価格との乖離が増大するものであるので、この手法が先走りがちな取引価格に対する有力な検証手段として活用されるべきであると定めたこと。

 続いて、3.第7鑑定評価の方式関係では、

『(3)収益還元法関係 ①収益還元法については、その十分かつ適切な活用を図るため、新基準において学校・公園等公共又は公益の目的に供されている不動産以外のものにはすべて適用すべきものであり、自用の住宅地といえども賃貸を想定することにより適用されるものであるとされたことに鑑み、当面、適切な収益事例が存在しない場合等やむを得ない場合を除き、この手法を必ず適用することとされたい』

としている。


あれから25年。


現在、地価公示評価では、一般住宅地は収益性に馴染まないとして、非適用と聞いている。

更に、住宅地以外でも鑑定評価格は比準価格イコールが望ましいとされ、収益価格は添え物扱いとなり、評価手法上の相対的地位の低下は著しい。

ご承知のとおり、相続税路線価は、公示価格の80%を目途として付設されている。

前記の通知文では、先走りがちな取引価格の検証手段として収益価格を活用すべきとされたが、昨今は取引価格重視となっている。

公示価格も取引価格重視とされているので、マーケットを反映しているはずである。


ところが、現在マーケットを索引しているのは、収益物件である。


特別な人しか払えない高額の賃料収入がある物件や、優良物件で極端に期待利回りの低い物件(もっとも地元感覚ではあるが)の土地価格は、皮肉にも、取引価格を重視したはずの公示価格を基にした相続税路線価の何倍にもなっている。

朝日新聞の記事を読むと、かつてバブルをリードした取引価格は、収益価格にその座を明け渡しているように見受けられる。

先走りがちな取引価格が、何時の間にか先走りがちな収益価格となっているのはブラックジョークと言えなくもない。


個人的には、更地の鑑定は謝絶している。

 何故なら、都心部では、公示価格水準で売却する人は特別な場合を除いて居ないからである。

 実際に依頼を受け、見込み価格を伝えたところ、所有者から倍の価格で買いにきていると言われ、絶句した。
 どう頑張っても倍の価格にはならないので、鑑定評価を謝絶した。


 現在、その土地ではホテルが建築中で、夏頃には完成するものと思われる。

 このホテルを賃貸すると仮定し、収益価格を求めるとしたら公示価格の何倍もの土地価格になるが、更地価格ではないので、公示価格水準の何倍にもなろうが全く問題ないということなのであろう。

 現在ゼロ金利水準であるからこそ成り立つ理屈と思っているが、金利が上昇したらJリート物件の価格は一体どうなるのであろうか。

 かつての比準価格の二の舞にならなければと案じているが、要らぬ心配ということかもしれない。


 いずれにしても、更地が貸家建付地になった途端、取引価格水準を反映したはずの公示価格の何倍になっても全く問題がないと主張する人の考え方が分からない。

 金利が上昇すると収益価格は下落するが、高級テナントが長期に安定的に賃借してくれれば、問題は顕在化しないが、テナントが撤退したら、一瞬にして価格は下落することになるのであろうか。

 それともこのような物件については、高級テナントの誘致に苦労することはなく、期待利回りは低いまま、ということなのであろうか。

 今のところ賃料負担能力が高いテナントは引きも切らないので、貸家及びその敷地の価格は公示価格とは何の関係もないということなのかもしれないが、『収益価格よお前もか!!』なんて時代が来ないことを祈るばかりである。


 話が少し変わるが、大都市では、公示価格の数倍という取引も見られるが、これが地方都市、特に過疎町村に行くと公示価格の半値どころかタダでも要らないと言われることがある。

 最近では、中古住宅はタダでさらに固定資産税10年分を負担するから何とか引き受けてもらいたいというケースが増えている。

 つまり、10年分の固定資産税を負担しても、取壊し費用より安上がりになるからということである。

 10年位前までは、ハァ、田舎じゃ中古住宅はタダか、と驚いていたら、ここ数年はタダでくれてやってさらに追銭をしないと引き取ってもらえないということである。

 大都市の土地は公示価格で買えず、田舎では公示価格では売れないという現実に、茫然とするほかはない。


 ところで、公示価格と市場価値との問題は、韓国でも同様の傾向となっているらしい。

 韓国鑑定評価協会の広報誌(本誌2015.6)によれば、『不動産価格公示制度25年の歴史の中で、なぜ、鑑定評価分野は鑑定評価産業に進化できなかったのか?』と題して、示唆に富む論点を提供している。

 ひるがえって、我が協会が韓国のように自己反省を含めた広報活動をしているかといえば、残念ながらとしか言えない。

 とかく、韓国との政治的軋轢は大きいが、韓国鑑定評価協会の広報活動における内省的態度は崇高で、尊敬に値する。

 尚、本誌2017.3に掲載の同協会の広報誌では、『鑑定評価に関する10の質問』と題し、多角的に問題点を検討しており、学ぶべき点は多い。

 是非、隣国鑑定協会の広報誌を熟読し、専門家としてのあり方を考えてみることも必要ではないかと思っている。

 

(2017年6月 月刊「不動産鑑定」傍目八目掲載/「正常価格の今そこにある危機パートⅡ」)

2022.03.10 11:25 | 固定リンク | 鑑定雑感
正常価格の今そこにある危機と反知性主義 ~ Vol.2
2022.03.03
VOL.02 不動産鑑定士ではなく不動産業者への依頼

 ところで、ここであらためて正常価格の話をしたのは、この話をするためではない。

 実は、昨年の時事通信の記事で、県有地の売却価格の査定を、不動産鑑定士ではなく、不動産業者にさせるということを知ったからである。


 この記事によれば、これまで県有地の売却のための予定価格を算出するため、不動産鑑定士に鑑定評価を依頼していたが、全く売れないことに業を煮やし、不動産業者に売却価格の査定を依頼するということになった、とのことであった。

 それがたまたま関西のある県の紹介であったことから、余程の事情があっての例外的なことで、困ったことだなと思っていたが、実はそうではなく、九州・中国地方では、既に実施しているとのことであった。
 

今回、この件についての情報があったので紹介する。


 この資料によれば、『未利用県有地売却に関する企画提案業務委託公募の実施について』と題し、その業務の概要は次のとおりである。


 委 託 先:宅建業者
     (一般競争入札~基礎報酬額の総価に関する価格競争~により選定)

 業務内容:価格査定
      売却可能性調査(同一需給圏内の土地利用状況・取引事例等)を元に、有効需要を前提とした具体的想定用途・想定購入者・査定価格を売却企画提案書にまとめ、県に提出する。

 委 託 料:報告書作成に要する経費(基礎報酬)と、企画提案に基づいて売却できた場合、売却額の3%の成功報酬を支払う。

 として、対象物件は県内の10件の土地で、敷地面積は最低257.16㎡から最大で1,090.30㎡となっている。



 この土地の所在を見ると、何も特別評価が困難な土地とは思えないのである。

 鑑定評価基準でいえば、ある意味正常価格の要件を満たすような価格査定を期待しているようにも見受けられるが、売れていくらの世界であるから、必ずしも正常価格に拘っていないようにも見受けられる。
 
 いずれにしても、この業務内容であれば鑑定士の守備範囲であると思われるが、何故当該県がそうしなければならないところまで追いつめられたかを考えることが必要である。 

 ある県の鑑定協会の会長は、さすがに放っておく訳にもいかず、県に鑑定業法違反のおそれがあると申し入れたようであるが、この流れを止めることはできなかったようである。

 我々としては、鑑定業法違反に当たるかどうかは別にして、何故、県がこのような方法を取らざるを得なかったかについて、十分反省する必要があると思うのである。

 正常価格に問題があったのか、それとも正常価格の判定を誤ったのかはともかく、一年経っても売れなかった価格しか出せなかったのは、鑑定士個人の問題なのか、それとも鑑定評価に内在する問題なのか、十分に検討する必要があるが、個人的には、九州・中国地方から関西圏にまでこの流れが広がっているということは、鑑定士個人の問題ではなく、鑑定評価に内在する根源的な問題であると思わざるを得ない。

 県の担当者は、鑑定業法のことは百も承知の上で実施しているのである。

 県は売却可能な価格が正常価格と思っていたが、そうではなかったから宅建業者に有償で価格査定を依頼し、あまつさえ売却できたら売却価格の3%を支払うなんてことを考え出したのである。

 鑑定士ムラの理屈をいくら振り回したところで、事態の改善は期待できそうにもないのである。


 ところで、何故このような対応しかできないのかというと、我が業界が反知性主義に染まっているからではないかと思うのである。

 佐藤優氏の著書である『知性とは何か』によれば、反知性主義とは、実証性や客観性を軽視もしくは無視して、自分が欲するように世界を理解する態度である、としている。

 我が業界が内向き世界を基準にして、実証性や客観性を軽視もしくは無視しているからこそ、県に対して鑑定業法違反のおそれがあると言えても、県が何故このような業務を宅建業者に依頼せざるを得なかったのか、その理由に想いを馳せることができなかったと思うのである。

 利用者からの信頼が失われた時、鑑定業界は崩壊する。


 いずれにしても、鑑定業界は閉ざされた世界観の中で自己充足しているせいか、外部世界との接触が不十分か、接触があったとしても、特有の世界観で自分の欲する形でしか理解できないか、理解しようとしないので、このような事態に追い込まれたのではないかと思っている。

 鑑定評価とは、何時の間にか鑑定評価書という書類作成業務に変質してしまったようである。

 今後このような流れが県有地のみならず市町村が有する不動産の価格査定にも広がらないよう祈っているが、反知性主義から脱却して、社会ときちんと向き合わなければ、この流れを食い止めることはできないと思われる。

 読者諸兄の知性に期待したいと思っている。 

 

(2017年3月 傍目八目掲載/「正常価格の今そこにある危機と反知性主義」)

2022.03.03 09:37 | 固定リンク | 鑑定雑感
正常価格の今そこにある危機と反知性主義 ~ Vol.1
2022.02.24
VOL.01 正常価格について

 今更ながらであるが、正常価格について考えてみたい。

 不動産鑑定評価基準によれば、

 『正常価格とは、市場性を有する不動産について、現実の社会経済情勢の下で合理的と考えられる条件を満たす市場で形成されるであろう市場価値を表示する適正な価格をいう。
  この場合において、現実の社会経済情勢の下で合理的と考えられる市場とは、以下の条件を満たす市場をいう。』

 として、市場の条件を以下のように定義している。


 1.市場参加者が自由意思に基づいて市場に参加し、参入・退出が自由であること。

なお、ここでいう市場参加者は、自己の利益を最大化するために次のような要件を満たすとともに、慎重かつ賢明に予測し行動するものとし、次下の条件を例示している。

 1)売り急ぎ、買い進み等をもたらす特別な動機のないこと。

  2)対象不動産及び対象不動産が属する市場について取引を成立させるために必要となる通常の知識や情報を得ていること。

  3)取引を成立させるために通常必要と認められる労力・費用を費やしていること。

  4)対象不動産の最有効使用を前提とした価値判断を行うこと。

  5)買主が通常の資金調達能力を有していること。


 2.取引形態が、市場参加者が制約されたり、売り急ぎ・買い進み等を誘因したりするような特別なものではないこと。


 3.対象不動産が相当の期間市場に公開されていること。


 これを素直に解釈すると、正常価格とは売り手にも買手にも片寄らない価格ということになるが、口悪く言えば、売れない・買えない価格とも言えるのではないかと思われる。

 現実の市場では、売り手・買手の諸条件や社会的な力関係が拮抗するような取引は少ない。

 情報の非対称性を利用して、鎬を削るような条件闘争の涯てに売買が成立することが多いのである。


 また、相当の期間市場に公開される、つまり、市場滞留期間が一年もあるような不動産の売買はかなり厳しい状況にあると考えるのが一般的である。

 実感としての市場滞留期間はせいぜい3ヶ月から6ヶ月が限度で、それ以上になると水面下における条件闘争が続いているか、マーケットに受け入れられない価格設定だと考えるべきである。

 更に、最近はマーケットがグローバルになったため、市場参加者の属性次第ではドメスチックな価格感覚が全く通用しないことがある。

 海外の市場参加者の価格のベンチマークは、自国及び投資対象国の状況と市場参加者の懐具合次第ということになる。


 事実、1億円程度はポケットマネーというような市場参加者に、日本国内のベンチマークとなるような正常価格の意義を説いたところで、何の足しにもならない。

 こういう人は、欲しければ買うし、不要ならば買わないというだけである。

 人種・文化・価値観が同じなら、あるいは通用するかもしれないが、世界を股にかけ、自分の好きな不動産を好きな時に好きなだけ買える人に、正常価格の意義を説くだけムダというものである。


 個人的にも、ある地域の鑑定を頼まれたが、新築物件にもかかわらず、原価の4倍の価格が売買価格と言われたが、どうしてもそんな高い評価を出すことはできないと断った。

 その時に依頼者に言われた言葉が、今も胸に残っている。

 『君ね、不動産の価格というのは、売れた価格が適正価格だ。
  価格設定は、この手の不動産を買える顧客の懐具合一つだから、マーケットリサーチは十分している。
  適正原価・適正利潤なんて、国や人によって異なるので、そんなことを考えていたら、儲けることはできない。』

 と、軽くいなされてしまったのである。

 地元のオジさん・オバさんに売る訳ではないのであるから、地元感覚で価格を説明したところで、何の意味も持たないし、持ってくれないと痛感したのである。

 筆者は所詮ドメスチック鑑定士であるから、彼らに何を言ってもムダと諦めざるを得なかったのである。
2022.02.24 11:46 | 固定リンク | 鑑定雑感
デフレ脱却と内需拡大への道 ~ Vol.5
2022.02.17
VOL.05 長期休暇制度とそのメリット

普通、一般成人が3週間も休みをとって、自宅に引きこもったままでいるとは考えられない。

 3週間も休みがあると、前後1週間自宅にいても、1週間くらいはどこかへ出かけたくなるのが人情であろう。

現在のように極端に短い休暇制度の下では、安・近・短に象徴される旅行しかできない。

しかし、3週間も休みがあると、長期滞在型の旅行が可能となる他、自己啓発の時間やボランティア活動等、年次計画を立て有意義な休暇を送れるようになるものと考える。

長期休暇制度のメリットとしては、次のようなものが考えられる。


①ピークの減少による混雑の緩和。

②ピーク料金がなくなり、旅行費用がリーズナブルになる。
 その結果、海外と競争可能な国内旅行が多くなり、内需は拡大する。

③ピークの減少により、リゾート地や観光地では稼働率が平準化する為、従業員の通年雇用が可能となる。
  その結果、地方が活性化し、地域経済が自立可能になる。

④ピークに合わせた道路整備等が不要となり、財政負担が軽くなる。

⑤ピークの減少により、電力消費も平準化する。

⑥交通渋滞の減少により、排ガスの抑制とエネルギーロスの防止ができ、環境負荷の軽減が可能となる。

⑦休暇の充足感により、仕事に対する意欲の増大が期待できる。

⑧休暇のスケジュール調整により、経営効率の向上が期待できる。


思いつくまま例を挙げたが、労使間の問題に止まらず、国民経済にとっても長期休暇によるメリットは計り知れないものと思われる。

そして最大のメリットは、公共事業とは異なり、導入コストがかからないということである。

 更に、長期休暇によって人は必ず動き、人が動けば必ずモノは動く(消費される)ということである。

我々は目先のモノが動くことだけを内需拡大と考えているが、やみくもにモノを欲しがっている訳ではなく、必要なものにはちゃんと消費しているのである。

 あいも変わらず公共事業により景気のテコ入れを図っているけれども、その効果が上がらないのは借金漬けの財政に危機感を抱いている他、特に欲しいモノがないからともいえるのではないか。

細切れの恩着せがましい現在の休み方から脱却して、充足感のある長期休暇制度は、国民経済にとっても経営者・勤労者双方にとってもそのメリットは非常に大きいものと考える。

また、働き方を考えるということは、休み方を考えることに他ならないので、江戸時代の石門心学が教える勤勉一辺倒から、新しい時代に対応した休暇制度のあり方について議論して欲しいと願うばかりである。
 

(2016年12月 傍目八目掲載/「デフレ脱却と内需拡大への道」)

2022.02.17 09:07 | 固定リンク | 鑑定雑感
デフレ脱却と内需拡大への道 ~ Vol.4
2022.02.10
VOL.04 内需拡大策としての休暇のあり方を考える

現在の日本においては、年間休日数は既に欧米を凌駕している。

 それにもかかわらず充足感が得られないのは、休み方が悪いからである。

 毎日 500円の小遣いでは何もできないが、毎月まとめて15,000円の小遣いをもらえば、誰でもその使い方を考えるようになる。

休暇もこれと同じで、日本人特有の何でも小出し(政府は特にそうだが)、司馬遼太郎のいうところの逐次投入というやり方では、現在の閉塞感から逃れる事はできない。

小出しや逐次投入によって、結果的に膨大な労力やコストをつぎ込みながらほとんど効果が得られなかったことは、歴史の証明するところである。


ところで、現在でも勤続年数に応じて有給休暇がとれるようにはなっているが、公務員はいざ知らず、民間においては100%消化できたというような話は極めて少ない。
 労働者の権利として実行するには企業内の抵抗が大きく、なかなか休めないのが実情である。


 現在の有給休暇制度は、事実上有名無実化していると言わざるを得ない。

 現在の休み方の弊害を取り除き、国民経済にとっても勤労者にとってもプラスになる休み方を考える必要がある。

そこで、国家管理型の現在の祝祭日の設定を必要最小限に止め、その一方で、これに見合う形で勤労者の休暇を確保するために労働基準法を改正し、最低でも連続3週間の有給休暇を年に一度必ず与えなければならないことにすべきである。
2022.02.10 17:18 | 固定リンク | 鑑定雑感

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