究極の内需拡大策を考える ~ Vol.6
2025.06.27
VOL.06 モノが売れなきゃ人を動かせ4

 4)長期休暇制度とそのメリット

 普通、一般成人が3週間も休みをとって、自宅に引きこもったままでいるとは考えられない。
 3週間も休みがあると、前後1週間自宅にいても、1週間くらいはどこかへ出かけたくなるのが人情であろう。

 現在のように極端に短い休暇制度の下では、安・近・短に象徴される旅行しかできない。

 しかし、3週間も休みがあると長期滞在型の旅行が可能となる他、自己啓発の時間やボランティア活動等、年次計画を立て有意義な休暇を送れるようになるものと考える。

 もちろんその為には企業毎に職務内容を考慮して本人の希望を尊重しつつ年間の休暇スケジュールを調整するという作業が生じるが、数年間で季節毎の希望ローテーションを組替える事は、そう難しい事ではないと考える。
 何故なら日本には四季があるのだから、休暇の過ごし方のバリエーションは高いと思えるからである。

 いずれにしても、長期休暇制度が導入されると次のようなメリットが考えられる。

 ①ピークが少なくなる為、混雑は緩和される。

 ②交通渋滞が解消される。

 ③ピーク料金がなくなる為、誰もがリーズナブルな料金で旅行ができるようになる。
 その結果、海外と競争可能な国内旅行が多くなり、内需は拡大する。

④ピークがなくなる為、リゾート地や観光地では稼働率が平準化する為、従業員の通年雇用が可能と  なる。
  その結果、雇用が拡大し失業率は低下する。

 ⑤国民が長期休暇を有効に利用するようになると、リゾート地・観光地が活性化する。
  その結果、中央に依存しなくても地域経済が自立的に活性化する。

 ⑥ピークがなくなる為、ピークに合わせた道路整備等が不要となる。
  その結果、財政負担が軽くなる。

 ⑦ピークがなくなることにより、電力消費も押さえる事が可能となり、原子力依存の電力供給体質を  若干でも改善できる。

 ⑧交通渋滞が少なくなる事により、排ガスが抑制されと共にエネルギーロスを防ぐ事ができ、環境負荷を軽減することができる。

 ⑨勤労者の休暇の充足感が大きく、仕事に対する意欲の増大が期待できる。

 ⑩経営者からすれば、休暇のスケジュール調整により経営効率の向上が期待できる。

 思いつくまま例をあげたが、労使間の問題に止まらず、国民経済にとっても長期休暇によるメリットは計り知れないものと思われる。

 そして最大のメリットは、公共事業とは異なり、これらのことを導入するためにほとんどコストがかからないということである。

 そして、長期休暇によって人は必ず動き、人が動けば必ずモノは動く(消費される)ということである。

 我々は目先のモノが動くことだけを内需拡大と考えているが、我々はやみくもにモノを欲しがっている訳ではなく、必要なものにはちゃんと消費しているのである。

 あいも変わらず公共事業により景気のテコ入れを図っているけれども、その効果が上がらないのは借金漬けの財政に危機感を抱いている他、特に欲しいモノがならないからである。

 細切れの恩着せがましい現在の休み方から脱却して、充足感のある長期休暇制度は国民経済にとっても経営者・勤労者双方にとってもそのメリットは非常に大きいものと考える。

 繰り返しになるが、これを実行する為の国の財政負担はほとんどないことである。

 先進国最大の貿易黒字をかかえながら、一方で最大の財政赤字をかかえることの矛盾。

 そして量的には十分に欧米水準を超えた休みを取っていながら、誰一人十分休んでいるとは感じていない不思議の国。

 我々は21世紀の初頭に立ち、真に豊かな生活を享受するため、ひいては内需拡大にも必ずや大きく貢献するであろう長期休暇制度について、早急に検討する時期にきているのではないだろうか。

(2001年3月 「究極の内需拡大策を考える」)
 

2025.06.27 14:12 | 固定リンク | 鑑定雑感
究極の内需拡大策を考える ~ Vol.5
2025.06.19
VOL.05 モノが売れなきゃ人を動かせ3

3)内需拡大策としての休暇のあり方を考える

 以上のように、現在の日本においては、年間休日数は既に欧米を凌駕している。
 それにもかかわらず充足感が得られないのは、休み方が悪いからである。

 毎日500円の小遣いでは何もできないが、毎月まとめて15,000円の小遣いをもらえば、誰でもその使い方を考えるようになる。

 休暇もこれと同じで、日本人特有の何でも小出し(政府は特にそうだが)、司馬遼太郎のいうところの逐次投入というやり方では、現在の閉塞感から逃れる事はできない。

 小出しや逐次投入によって、結果的に膨大な労力やコストをつぎ込みながらほとんど効果が得られなかったことは歴史の証明するところであり、我々は教訓として肝に銘じなければならない。


 ところで、現在の国が管理する形の祝祭日の弊害から脱却するためには、労働基準法の抜本的改正が必要である。

 つまり、現在でも勤続年数に応じて有給休暇がとれるようにはなっているが、公務員はいざ知らず、民間においては100%消化できたというような話は聞いた事がない。
 労働者の権利として実行するには企業内の抵抗が大きく、なかなか休めないのが実情である。
 現在の有給休暇制度は、事実上有名無実化していると言わざるを得ない。
 その為、一般勤労者は国の管理する祝祭日や慣習上の休みにかこつけて休むしかないことになる。

 このことがどれほどの弊害を生み出しているかは、前述したとおりである。

 よって、現在の休み方の弊害を取り除き、国民経済にとっても勤労者にとってもプラスになる休み方を考える必要がある。

 そこで、国家管理型の現在の祝祭日の設定を必要最小限に止め、その一方で、これに見合う形で勤労者の休暇を確保するのである。

 つまり、現在の休日(休暇)日数を減らすのではなく、勤労者の自主管理のもとに休みをまとめて取れるようにするだけであり、経営側にとっても勤労者にとっても特にプラス・マイナスはない。

 具体的な実行策としては、労働基準法を改正し、最低でも連続3週間の有給休暇を年に一度必ず与えなければならないことにするのである。
 制度の実効性を確保するためには当然に罰則強化が必要である。
 経営者側にこれまで以上の休暇を強制する訳ではないから、労使の合意形成はそう難しいことではないと考える。
2025.06.19 13:54 | 固定リンク | 鑑定雑感
究極の内需拡大策を考える ~ Vol.4
2025.06.12
VOL.04 モノが売れなきゃ人を動かせ2

2)日本型休み方の功罪

 日本では、何故か団体行動をとるよう仕向ける傾向がある。

 口では個性尊重といいながら、群れからはずれた者に対しては冷淡である。
 悲しい事ながら我々は骨の髄からダブルスタンダードの国民である事を自覚せざるを得ない。
 しかし、低成長経済のこの時代に求められているのは、多様性に対応できる個性豊かな人間である。

 ところで、休み方を見ると、個性ある休み方はみられない。

 現在の祝祭日や休暇習慣からすると、国民経済にとっても、環境にとっても、その害はあまりあるものと考えざるを得ない。

 盆暮れやゴールデンウィークのシーズンになると、十年一日の如く繰り返される交通渋滞、料金の高騰、サービスの低下等に悩まされている。

 交通渋滞による排ガスの環境汚染は年々深刻になっている他、ピークに合わせた公共投資は財政的にも限界にきている。
 地方の高速道路をみると、ピークを過ぎるとガラガラ状態になっており、その必要性に疑問を抱かざるを得ない。

 また、経営側にとっては週休二日制の間に祝祭日がはさまる為、効率的な経営ができない。
 出勤日が分断させられる為、仕事の継続性や緊張感が中断される他、急ぎの仕事の時は残業やアルバイト等で対応せざるを得なく、経営コストは高くつくことになる。

 勤労者側からみれば、1日・2日の飛び飛びの休みではほとんど何もできない為、充足感が得られない。
 つまり、3・4日働いて2・3日の休みというパターンの多い現在の祝祭日のあり方では、腰を据えて何かをするというような有意義な休暇の使い方ができない。

 前述したように、休みが集中するゴールデンウィーク時には全国民の大半が休む為、混雑がひどい、料金は高い、サービスは悪い等の弊害が多く、経営者にとっても勤労者にとっても良い事は一つもない。
 悪い冗談ではあるが、ゴールデンウィークの疲れを休み明けの会社で取るという笑うに笑えない話も出てくるのである。
 国民経済的にも、また、環境上も、更には労使間にとっても充足感のない、非効率的な現在の休暇制度について、根本的に考え直す時期にきているのではないかと考える。
2025.06.12 14:18 | 固定リンク | 鑑定雑感
究極の内需拡大策を考える ~ Vol.3
2025.06.05
VOL.03 モノが売れなきゃ人を動かせ

 1)日本の祝祭日を検証する

 エコノミックアニマルだワークホリックだと言われ、世界から働く事しか能のない民族と言われて来たが、果たして現在もそのような状況にあるのだろうか。

 平成13年の暦をみると祝祭日は年間で12日間ある。
 これに、習慣となっている年末年始の休み約7日間とお盆休み3日を加えると、現在年間既に22日間も土曜日・日曜日以外に休んでいる事になる。

 欧米では日本のように祝祭日等が多くない為、長期有給休暇が一般的である。

 我々は長期バカンスを長い間夢見ているが、現役時代の実現はなかなか困難である。

 しかし、実際には週休二日制の上に更に年間約22日も休んでいるのである。
 年間労働日数でみれば、何と220日前後しか働いていない事になる。
 つまり、12ヶ月のうち働いているのは7ヶ月、休んでいるのが5ヶ月という計算になる。

 年末年始の休みやお盆休みは近代的な労使慣行のない時代の遺物と思われ、江戸時代から終戦の頃までは労働者にまともな休みはなく、その為有給休暇に代わるものとして盆暮れの休みが発生したものと思われる。

 週休二日制が浸透した今、ことさらに国民の祝日を増やしたりするのは時代錯誤と考える。

 つまり、休暇は国民の固有の権利であり、それは御上によって指示されるべきものではないと考える。



2025.06.05 11:11 | 固定リンク | 鑑定雑感
究極の内需拡大策を考える ~ Vol.2
2025.05.29
VOL.02 内需は何故拡大しないのか2

2)資本主義経済の成熟化とその終焉

 以上にみたとおり、内需は拡大しないのではなく、生まれた時からモノに満ち溢れた生活を送っている現代においては欲しいモノがないというのが実情ではなかろうか。

 個人的にみても、今どうしても欲しいというモノはなかなか思い浮かばない。

 消費経済は成熟化してしまい、今後消費が大きく伸びることは期待できない。

 我々は成長の呪縛から逃れられず、未だに大量生産・大量消費を夢見ているが、大量生産を維持する為には今まで以上により早く!!より大量に!!モノを捨てなければならない。

 しかし、地球環境の問題を考えればこれらの大量の産業廃棄物を受け入れる余地は極めて少なく、環境負荷の面からも大量生産・大量消費は受け入れ難くなりつつある。

 その一方で、我が国の人口構造は急速に高齢化しており、少子化と相まって、消費人口が将来共持続的に拡大する方向にはない。

 したがって、需要面でも環境面においても、これ以上の大量生産・大量消費は困難と思われ、単純にモノさえ売れれば良いというようなこれまでの延長線上にあるような内需拡大は、これ以上は無理というべきである。
2025.05.29 09:29 | 固定リンク | 鑑定雑感

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