言(加害意識)は水に流れ、聞(被害意識)は心に刻む ~ Vol.4
2022.10.13
VOL.04 量産化の条件

 量産化するためには、一人の優れた刀鍛冶だけでは足りない。

 とすれば、当時の教育や技術的環境はどうであったのであろうか。

 極めて短期間に量産化を成功させるためには、多数の能力・技術力のある人間が必要となるが、量産化に成功したということは、その当時既に先進的・革新的技術を消化できる人間が大勢存在し、社会的にもその機能を十分発揮していたということになる。

 ということは、現在のような材料調達・加工・生産・資金調達・販売流通というシステムが完成していたということに他ならない。

 交通・通信手段も不十分な中で、全国からの情報が入手され、極めて効率的に生産・流通が行われていたという日本の社会が、一体どのような過程を経て構築されていったのか疑問は尽きないが、年表歴史では当時の事情を想像させることも、考えさせることもできない。

 いずれにしても、このような社会が存在するためには、全ての情報伝達が口伝えだったということはありえないので、相当量の情報が文書で伝達されていたということになる。

 とすれば、当時の日本人の識字能力の高さは現在の中進国よりもはるか上であったと考えられるが、さて、その識字能力の高さを支えた当時の教育システムは、一体どのようなものであったのだろうか。

 これらのことを考えると、戦国時代やそれ以前の日本の社会は、我々が想像するよりもはるかにダイナミックであり、当時の日本人は現代に勝るとも劣らぬぐらい生き生きと日本中を駆け巡って生活していたのではないかと思うのである。

 歴史を学ぶということは、事件・事変のあった年代を覚えることではなく、その時代背景と社会のありようを洞察し、人間社会の未来にどう反映されるのか、あるいは同じ間違いを繰り返さないためにどうすべきかを学ぶことではないのかと考えるのである。

 戦後の歴史教育は、年表歴史教育そのものであり、真の歴史教育の欠如が、戦後70年以上経ても近隣諸国を悩ませる人間を作り上げてきたとしか思えない。

 歴史を学ぶという真の姿はどうあるべきかをもっと議論し、年表歴史教育から脱却しなければ、真のリーダーが育つはずはないし、また世界の信頼に足る日本を作り上げることはできないと言わざるを得ない。
2022.10.13 13:15 | 固定リンク | 鑑定雑感
言(加害意識)は水に流れ、聞(被害意識)は心に刻む ~ Vol.3
2022.10.06
VOL.03 鉄砲の量産化

 1543年に種子島に来航したポルトガル人が持ち込んだ鉄砲を見た領主の種子島時堯は、2000両という大金をはたいて2挺の火縄銃を手に入れ、刀鍛冶に複製の研究を命じたが、驚くなかれ、翌年には試作に成功しているのである。

 専門教育を受けた訳でもない種子島という辺境の地の刀鍛冶が、領主に命じられたとはいえ、わずか1年で、生まれて初めて見た鉄砲の複製に成功したのである。

 当時の日本人の能力・技術水準の高さには、ただただ驚嘆する他はない。
 
 それにも増して驚くのは、試作に成功した7年後には、豊後の国(現在の大分県)だけで3万挺、全国で約30万挺の鉄砲を生産・所有していたと言われている。

 単純に言えば、1年間に約43,000挺の鉄砲を量産したことになる。

 尤も、試作から量産方法を検討するためには、少なくとも1年以上のリードタイムが必要と思われるので、実際には年間5万挺以上の鉄砲を生産していたことになる。

 当時のポルトガル・スペインは先進国であり、世界中に航海し、鉄砲を持って行ったと思われるが、何らの技術的援助も受けることなく独自の技術で試作に成功し、量産化に成功したのは日本だけであったのである。

 更に驚くのは、鉄砲の生産量は本家本元のポルトガルをも凌ぎ、当時世界一であったとも言われている。

 何故、日本人だけにこのようなことが可能だったのであろうか。

 たかが鉄砲伝来と深く考えてみもしなかったが、よくよく考えるとこれは大変なことである。

2022.10.06 09:08 | 固定リンク | 鑑定雑感
言(加害意識)は水に流れ、聞(被害意識)は心に刻む ~ Vol.2
2022.09.29
VOL.02 年表歴史教育の功罪

学校で教えられる歴史とは、年表歴史である。

先生は年代順にどういう事件や事変が起きたかを教え、生徒はクイズの正解を覚えるのと同じように、ただひたすらに事件・事変の年代を覚えることに没頭する。

 ところで、年表歴史の大半はものの見事に忘れてしまったが、どういう訳か、語呂合わせで覚えた種子島に鉄砲が伝来した1543年という年代だけは、今でもハッキリと覚えている。

 種子島に「イゴシミコンダ」と覚えるといいよと誰となく教えられたが、50年以上経過した現在でも忘れないでいる。

 若かりし頃は何とも思わなかったが、良く考えてみると事件・事変の起きた年代と、ニュースの見出しのような事件・事変のキャッチコピーを覚えて一体何のためになるのであろうか。

 鉄砲が伝来したその時代の状況も分からず、また鉄砲がその後どのように国内に広まって行ったのかも全く教えられずに、ただ年代を覚える、歴史教育というより年表暗記歴史教育に何の意義があるのだろうか。

 個人的には大人、それも恥ずかしながら50代になって鉄砲に関する資料等を読んで、はじめてポルトガル人が持ち込んだ鉄砲が当時の社会にどのように広がって行ったのかを知ったのである。

 丸い筒を作ることのなかった刀鍛冶が、設計図もなく、作る技術を教えられることもなく、藩主の命によってひたすら研究・試作に取り組み、完成させた。

 このことを良く考えてほしいのである。

 現在のように情報が氾濫していても、初めてみる製品を造るための道具や材質の確認・材料の調達の他、製作方法等を一から検討して同じモノを作るということが、どれ程大変なことかを。

 鉄砲が伝来した当時は、現在と異なり、鉄砲に関する情報は全くないのである。
2022.09.29 11:40 | 固定リンク | 鑑定雑感
言(加害意識)は水に流れ、聞(被害意識)は心に刻む ~ Vol.1
2022.09.22
VOL.01 はじめに

 今更ながら、物事を考えるうえで、論理的思考もさることながら、歴史的思考も大事ではないかと思っている。

 何故なら、今現在進行している事柄は、過去と断絶して突如して現れたわけではなく、長い歴史の過程を経て現在に至っていると思うからである。

 歴史的に考えるということは、その時代にワープして時代背景を想像する作業でもあり、この作業を通して現在に投影し、未来を考えるという、いわば思考訓練の一つでもあると思っている。

 とりあえず今日明日のことばかり考えるようでは、大局を見失うことになりはしないかと危惧している。
 不動産は社会経済の基盤であり、長い歴史の上に現在があると考えるべきであり、不動産の鑑定評価とは、歴史的視点を忘れずに、過去から未来へと続くプロセスを考えることでもあると思っている。

 その意味でも、終わったことは無かったことにしないで、歴史的視座で物事を考えることも必要ではないかと思うのである。
2022.09.22 10:50 | 固定リンク | 鑑定雑感
長期人口推計と現状維持バイアス ~ Vol.3
2022.09.15
VOL.03 現状維持バイアスとイノベーション


行動経済学のダニエル・カーネマンによれば、人間には損失を利得より強く感じる傾向があり、これを損失回避性と名付けている。

ダニエル・カーネマンは、死亡率90%の薬と生存率10%の薬のどちらかを選べと言われたら、大半の人は生存率10%の薬を選ぶことを実験により証明した。
 人間が合理的に行動できるなら、どちらの薬も生存率10%で期待値は同じであるから偏りは生じないはずであるが、実験の結果そうではなかったことから、利得と損失ではリスクに対する態度が違うという事実を指摘した。
 ダニエル・カーネマンは近代経済学の矛盾から、人間の非合理的行動を観察し、経済学に応用しようと考えたが、実際の経済政策分野ではなかなか活かされていないように見受けられる。

ところで、「経済の不都合な話」(ルディ和子著・日経プレミアシリーズ)によれば、「人間は今もっているものを失うことの恐怖心から現状がよほど嫌でもない限り選択して行動を起すことを躊躇するのが現状維持バイアスだ。」としている。

著者はさらに

「変化することは素晴らしい未来をもたらすかもしれない。だが現状より悪くなる可能性もある。たとえその確率が低くても、現在がよほど酷い状態でない限り、リスクはとりたくない・・・と考えるのが普通の人間だ。」

と指摘しているが、確かに我々は損失回避性から現状変更を望まない傾向がある。

一定期間をおいて振り返ってみれば、明らかに現状変更することが合理的であったと判断できても、時は徐々に過ぎて行くため、現状変更の必要性の認識ができず、ゆでガエル状態になって最悪の状態を迎えることになる。

現在、所有者不明土地や空家・空地の問題、相続登記の問題等に対する政策提言がなされているが、人間が本来的に持っている損失回避性とそれから来る現状維持バイアスについても考えておく必要があるのではなかろうか。

政策提言は、理性的判断の結果であるが、現状維持バイアスがあるということも考慮に入れておかないと、期待した政策効果を得ることは難しいのではと思われる。

鑑定業界も、20年もしないうちに人口減少による相対的需要の減少や、空地・空家のように相対的に過剰となった不動産により市場は縮小し、結果として鑑定需要は激減する可能性が高い。

鑑定業界の縮小・再編がせまっているのに、今日という日が永遠に続くと仮定し、現状維持バイアスから逃れることができないでいる。
公的評価に対する依存度が高いと、仕事が減少する恐怖から現状維持バイアスは余計に高くなるが、公的評価の依存度が高い地方に行く程その傾向が強くなっている。

このような中ではイノベーションは望むべくもないが、現状変更の恐怖から逃れる術があれば少しは救われるのではと考えているが、間に合いそうにもないようである。

いずれにしても、行動経済学の教えるところにもう少し注意を払い、ゆでガエルにならないようにしたいと願っているが、DNAに深く刻まれた無意識の損失回避性から脱却するのは大変なようである。

かつて経験したことがない課題が山積している現在、現状維持バイアスに立ち向かう志の高い挑戦者の出現を期待したい。
 

(2018年11月 傍目八目掲載/「長期人口推計と現状維持バイアス」)

2022.09.15 10:05 | 固定リンク | 鑑定雑感

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