言(加害意識)は水に流れ、聞(被害意識)は心に刻む ~ Vol.3
2022.10.06
VOL.03 鉄砲の量産化

 1543年に種子島に来航したポルトガル人が持ち込んだ鉄砲を見た領主の種子島時堯は、2000両という大金をはたいて2挺の火縄銃を手に入れ、刀鍛冶に複製の研究を命じたが、驚くなかれ、翌年には試作に成功しているのである。

 専門教育を受けた訳でもない種子島という辺境の地の刀鍛冶が、領主に命じられたとはいえ、わずか1年で、生まれて初めて見た鉄砲の複製に成功したのである。

 当時の日本人の能力・技術水準の高さには、ただただ驚嘆する他はない。
 
 それにも増して驚くのは、試作に成功した7年後には、豊後の国(現在の大分県)だけで3万挺、全国で約30万挺の鉄砲を生産・所有していたと言われている。

 単純に言えば、1年間に約43,000挺の鉄砲を量産したことになる。

 尤も、試作から量産方法を検討するためには、少なくとも1年以上のリードタイムが必要と思われるので、実際には年間5万挺以上の鉄砲を生産していたことになる。

 当時のポルトガル・スペインは先進国であり、世界中に航海し、鉄砲を持って行ったと思われるが、何らの技術的援助も受けることなく独自の技術で試作に成功し、量産化に成功したのは日本だけであったのである。

 更に驚くのは、鉄砲の生産量は本家本元のポルトガルをも凌ぎ、当時世界一であったとも言われている。

 何故、日本人だけにこのようなことが可能だったのであろうか。

 たかが鉄砲伝来と深く考えてみもしなかったが、よくよく考えるとこれは大変なことである。

2022.10.06 09:08 | 固定リンク | 鑑定雑感

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