鑑定評価は100%が仮説? Vol.1
2019.11.15
VOL.01 鑑定評価の科学性について考える

 広辞苑によれば、「科学」とは体系的であり、経験的に実証可能な知識と定義され、その典型例として物理学・化学・生物学等を例示しているが、法学・経済学のような社会科学も科学の例として上げている。

 ところで、法学が科学足りうるのであれば、鑑定評価理論も科学としての分野を構成される可能性が残される。
 しかしながら、科学が経験的に実証可能な知識と定義されるならば、鑑定評価理論の科学性には疑問符がつくことになる。つまり、実証可能性に問題があるからである。

 一方、法学が科学の分野に入るとされていることには、個人的には違和感を覚える。
何故なら、法律の世界が経験的に実証可能となっていないからであり、訴訟が三審制になっているのがその証左である。
 訴訟は裁判官が証拠に基づき法律的判断を加えて判決を下している。

 多数の証拠・証言や長い時間をかけて裁判されたとしても、一審・二審・最高裁と経るに従って裁判所の判断が異なることを我々は現実に見聞しているが、何故なのであろうか。

 つまり、裁判も鑑定評価と同様に証拠・証言というデータに対する裁判官の評価が異なるからと考えられる。
 言葉をかえれば、裁判官個々人の価値観が異なるからとも言える。
 もし、採点基準が示されており、かつ証拠・証言を判定する物差しがあれば、測定するだけであるから結果がコロコロ変わることはないはずである。
 同じ証拠・同じ法律に準拠しても、測定している訳ではないので、見方が変われば結果も変わるということではなかろうか。
2019.11.15 10:39 | 固定リンク | 鑑定雑感

- CafeLog -