相互信頼社会から相互不信社会へ ~ Vol.2
2022.12.01
VOL.02 個人情報

 
筆者は戦後生まれであり、昭和30年代までの都会のことは知らないが、田舎では来日した外国人が称賛したように、住家に錠をかけるようなことはなかったと記憶している。

 東京に出て初めて、家に錠をかけなければ外出してはいけないと教えられたのである。

 親に東京は恐ろしい所だと教えられて育ったせいか、家に錠をかける習慣に、妙に納得したものであった。

 当時の田舎では、個人情報は共同体における周知の情報であり、ある個人の情報を知らないということは、ヨソ者の代名詞であったのである。

貧しくても心は豊かで、優しく思いやりに溢れていた社会というのは、実は共同体の個人情報が共有されていたために、結果的に相互監視が行き届き、安全で安心な社会が形成されていたのではと考える。

 高度成長に伴って、田舎から都会に大勢の人が移動し、都会は知らぬ者同士が集まる共同体となったため、個人情報の共有はなされず、相互不信の社会へと変貌したのではと思っている。


 しかしそれでも、少なくとも昭和時代は個人情報は秘密にすべきであるという意識は今ほど無かったように思うのである。

 それが証拠に、町内会名簿や同窓会名簿の他、個人の住所・氏名が記載された電話帳が、電電公社(古!)により各家庭に配布されていたのである。

 今の時代から見れば、それこそトンデモない時代であったということになる。


電話帳で個人情報が簡単に手に入る時代には振り込め詐欺は無かったのに、個人情報が秘密扱いになり、個人情報が極めて入手しづらくなった時代に振込め詐欺が流行するとは、何たる皮肉かと思わざるを得ない。

政治家・芸術家・スポーツ選手・芸能人等は個人情報をさらけ出すことによって名声を得て経済的にも豊かになるのに、それ以外の一般人は個人情報だから教えないと拒否するが、個人情報の共有ができなければ相互扶助も難しく、共同体の維持は困難になるのではと危惧している。

外国人が称賛したかつての日本人の国民性は、個人情報の共有社会がもたらしたものではないのかと思っている。

 行き過ぎた個人情報の保護により、日本人の古き良き特性は昨今失われつつあるが、これにはインターネットや携帯電話の普及も大いに関係しているのではと思っている。

つまり、インターネットの普及や携帯電話の普及によって、住所・氏名という個人情報に関係なく情報の交換ができるようになったからである。

便利にはなったが、それと引き換えに失ったモノが多かったのではと思わざるを得ない。


 振込め詐欺の流行は、その最たる例である。
2022.12.01 18:10 | 固定リンク | 鑑定雑感

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