不動産を哲学する?―身の程知らずの哲学的迷走― ~ Vol.5
2023.08.31
VOL.05 不動産のジレンマとグローバリズム

 実体としての不動産は世界中に存在しており、これらに対する認識ギャップは国際的にみても少ないものと思われる。

 これに対して、観念としての不動産は、その国特有の文化・制度・言語等の相異から、相互の認識ギャップは大きくなる可能性がある。

 これまで、自国内における人・モノ・金の往来は、必ずしも自由ではなかったことから、その地方における観念としてのギャップは小さかったと思われる。

 しかし、明治以降中央集権体制が完成し、自国内における移動も自由となったため、都会と地方における観念としての不動産世界の認識ギャップが大きくなり、それにつれて不動産に対する問題が増加したものと考えられる。

 これらの問題を解決するために都市計画法や建築基準法等が作られたが、これらによっても十分に対応できなかったことから、その後も沢山の不動産に関する行政法規が作られてきた。

 その一方、観念としての不動産のギャップを埋めることは容易ではないことから、このギャップを縮小し、問題を少なくさせるため各種の資格制度が創設されたのは周知のとおりである。

 ところで、この資格制度の頂点に君臨するのが司法試験である。

 それ以外は、細分化された分野毎に資格制度が作られている。

 税務・会計分野では、税理士・公認会計士、取引・流通分野では、宅地建物取引士・司法書士・土地家屋調査市等がある。民間資格も似たり寄ったりで、不動産コンサルタント・再開発プランナー・不動産カウンセラー等があり、資格制度は花盛りである。

 それぞれ業務に応じて専門分野を有しているが、各資格制度相互の境界領域に属することも多くみられる。

 各資格者はそれぞれムラ社会を形成しているが、資格者・制度の数に比例して観念としての不動産に対する認識の境界領域も増加し、問題も多くなる。

 とはいっても、これらの問題は自国内に限られるため、ある意味解決は可能である。


 ところがTPPのように、加盟各国の固有の事情を飛ばして各国の企業の思惑に振り回されるとなると、更にヤッカイなことが多くなるのではと危惧している。


 観念として認識される不動産は、その国特有の制度・文化・言語等が反映されているが、観念としての不動産を説明し、認識させるためには、各国におけるこれらの相異を克服しなければならないことになる。

 このことがどれ程大変なことかは想像に難くないが、普段何気なく分かったつもりで話題にしていた不動産という概念に、これ程深い領域があったということを露ほども知らずに今日まで過ごしてきてしまった。

 これまでは、不動産と土地・建物の相異は、人との関わりの有無にあると漠然と考えていたが、「観念論の教室」(冨田恭彦著・ちくま新書)という著書に出会って、はじめて自分なりに整理できたのではと考えている。

 もっとも、このこと自体観念であるから、第三者が知覚・認識することはできない。

 一国内でさえこうなのであるから、これがグローバルな世界になると、一体どうなるのかは分からない。

 TPPによる不動産分野にわたる影響がどの程度のものかは予測できないが、不動産というものの本質を考えるツールとしての観念論も大事なのではと思っている。
 浅学非才にもかかわらず観念論をつまみ喰いして考えてみたが、身の程知らずがと言われれば、誠にごもっともとしか言いようがないので、この辺でそろそろ観念しようと思っている。


(2015年12月 Evaluation No.59掲載/「不動産を哲学する?―身の程知らずの哲学的迷走」)

2023.08.31 14:30 | 固定リンク | 鑑定雑感

- CafeLog -