相互信頼社会から相互不信社会へ ~ Vol.3
2022.12.08
VOL.03 匿名社会と相互不信

 それ以外にもネット社会における個人攻撃がある。

匿名社会の本格的な到来により、共同体や特定された個人への激しい攻撃には正直ウンザリしている。

 江戸時代ならば「卑怯者!!名を名乗れ!」と手打ちにされかねないが、ネット社会の卑怯者は、名を名乗らずに一方的に攻撃を仕掛けるのである。

 道徳教育では、少なくとも名を名乗らずに相手方を攻撃するようなことはしてはいけないと教えるべきである。

 卑怯者は自分の存在を知られることが少ないので、無責任放題となる。

 このような人間を同じ日本人と認めたくはないが、グローバル化や外国人労働者の大量流入により、これまでの日本的価値観が失われ、日本人のアイデンティティーは失われるのではないかと思っている。

 これもある意味ではグローバル化や都市化の代償であり、仕方がないのかもしれないが・・・。


 ところで、このような現象が国民一般のみならず、高度の資格試験に合格した者の世界にも広がっていることに、危機感を覚える。

 グローバル化や技術の進歩によって相互信頼の社会が破壊され、本格的な相互不信社会に突入したのではと思わざるを得ない。

 相互信頼社会は、文化・価値観・習慣・言語等の同質性を前提としているから成立しているのであって、昨今のように異文化間・異なる価値観・習慣・言語の人間の間に相互信頼社会を築くのは、困難と思わざるを得ないが、それにしても、同質性の高い資格社会であっても例外ではないとは、何ということであろうか。

日本の将来が異文化や異なる習慣・言語の人達に左右される可能性があるとすれば、相互不信を前提としたシステムに変更しなければいけないのかもしれないが、個人情報保護法や特定秘密法等等のように日本人の文化的特性を分断し、匿名社会を歓迎させるような法律が日本人の特性に合っているとは思えない。


そうはいっても、匿名社会の犠牲者を出さないようにするためには仕方がないのかもしれない。

しかし、その代償として安心・安全と引き換えに、国家による本格的な総監視社会に移行することを受け入れる覚悟が必要になると考える。


どちらにしても、相互不信を前提としたシステムに切り替わろうとしている時代は、筆者にとって息苦しさしか感じられない。

我が業界もかつては相互信頼に包まれ、互恵の精神に溢れていたが、昨今は会員同士で誹謗中傷する有様で、このような状況を見るにつけ、残念至極というほかはない。
 
 豊かであればこのような事は少ないのかもしれないが、縮小均衡時代には競争が激化するので、正直相互不信の解消は無理なのかもしれないと思っている。

特に、公的評価を中心とする限られた業務の受注合戦により、会員間の不平等は拡大しても、縮小する可能性は低い。

 この不平等の拡大が相互不信を更に拡大させることになりはしないか。

これまで、結果の平等はともかく、機会の平等は何とか確保されていたようであるが、業務量の減少から、それらしい参入制限の口実を設け、機会の平等が毀損されようとしている。

 仮に機会の平等を放棄し、結果の平等を求めれば、自立性は損なわれ、全体主義とならざるを得ない。


いずれにしても、このような状態が長く続くと、会員の平等原則や自立性が損なわれ、内部抗争が激化し、組織は自己崩壊する可能性が高くなる。

願わくば、相互不信の解消は無理としても、せめて縮小が図れるよう、会員それぞれがよくよく考えてもらえたらと思っている。


投稿最後のお願いとして、会員の叡智に期待したい。


(2019年x月 傍目八目掲載/「相互信頼社会から相互不信社会へ」)

2022.12.08 09:00 | 固定リンク | 鑑定雑感

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