前述したように、標準的な経済学がその分析の基礎としている人間は、完全なる合理性を備えていることを前提としている。
しかしながら、現実的には完全なる合理性を有するホモ・エコノミクスは存在しない。それは、あたかもゴルゴ13のように冷酷・非常で、かつあらゆる知識・技能・運動神経を持つスナイパーが存在すると仮定することと同じである。ゴルゴ13は仮想の劇画世界の人間であるから、不可能を可能とする人間離れした彼の活躍を安心して見ていられるが、実在する人物としたらこれほど恐ろしいことはない。標準的な経済学が想像したホモ・エコノミクスは現実には存在しない。
したがって、実在しない人間の仮想行動をもって現実の世界を説明しようとしてもうまくいかないのは、考えてみればあたり前の話である。
鑑定理論はホモ・エコノミクスを前提としてる。しかし、いくら経験を重ね、勉強し、努力を重ねても、不動産鑑定士はゴルゴ13のようなホモ・エコノミクスにはなれない。
不動産鑑定士が市場に成り代わって経済価値を判断するといっても、現実の市場で行動する人間はホモ・エコノミクスではない。前述したように市場で行動する人間も、市場を外から分析する人間も、しばしば非合理的な判断や選択をする。
行動経済学が教えるように、我々はこのことを十分に胸に刻むことが必要と思われる。「ヒューリスティクスによるバイアス」にみたように、実際の仕事にあたってこのようなことを考えることはなかったが、これまで漠然と抱いていた標準的経済学やこれを基礎とする鑑定理論の限界がかなり整理されたような気がした。
今さらいかなる努力をしようとも、ゴルゴ13のようなホモ・エコノミクスになれないことは間違いない。
したがって、常に非合理的な判断や選択をするリスクはつきまとうことになる。
しかし、行動経済学は不完全な人間を前提として考えることにより、客観的な判断が可能となることを示唆している。ゴルゴ13になることは諦めて、遅ればせながら行動経済学を多少なりとも勉強し、「ヒューリスティクスによるバイアス」に陥らぬよう、そして少しでも客観的な判断や選択が出来るようにしたいものである。 |