この見出しは、ブラックスワンの著者より拝借した。この本の著者のような数理学者に、我々はわかってないと言われたら、筆者なんぞは未開の原始人よりまだわかっていないと思わざるを得ない。
ところで、この本の引用がしばらく続くがご容赦願いたい。ブラックスワンの第4章では、七面鳥を例に、次のとおり述べている。
『七面鳥がいて、毎日エサをもらっている。エサをもらうたび、七面鳥は、人類の中でも親切な人たちがエサをくれるのだ、それが一般的に成り立つ日々の法則なのだと信じこんでいく。……感謝祭の前の水曜日の午後、思いもしなかったことが七面鳥に降りかかる。七面鳥の信念は覆されるだろう。』
そう、予測可能と予測するのは不可能なのである。筆者も含めて、我々は予測という言葉を安易に使用しているが、それは今日という日が特に変わりなく明日も続くという暗黙の前提があってはじめて予測可能ということにすぎないと考える他はない。
筆者の疑問は、鋭く胸を刻む。曰く、過去についてわかっていることから、どうすれば将来についてわかるだろう?曰く、一般的に有限のわかっていることに基づいて、無限のわからないことの性質がどうすればわかるのだろう?
現実の鑑定評価の世界は、わからないことばかりである。とりあえず皆と歩調を合わせておけば、非難されることはないであろうと、思考停止に陥っている。そうしなければ、仕事はできないし、生きていけないからである。筆者も同じである。鑑定評価書を書きながら、私に一体何がわかっているのかと悩みつつ、わかったフリをして鑑定評価をしている。売買が成立した事実はわかっても、取引価格が真実かどうかは確かめようがない。地価変動についても、毎日変動しているのか、一定時間をかけて変動しているのかは確かめようがない。
我々は(少なくとも筆者は)、七面鳥と同じで、毎日エサがあたると思っている。大きな変化はないという仮定条件に縋って生きている。
先の著者の言葉を借りれば、『過去は典型的な未来を表現した一番信頼できる予測だなんて安直に思いこむからこそ、私たちには黒い白鳥が解らない。』
そう、まさにそのとおりで、我々には黒い白鳥がわからない。ほとんどの人間がわからないから、我々は社会的に許容されている。地動説を唱えたガリレオの時代の、天動説を信じた一般市民のように…。
感謝祭前夜の七面鳥のようにはなりたくはないが、凡庸な筆者には逃れる術もない。
ノーベル経済学賞を受賞した二人の経済学者が経営していた、ロングターム・キャピタル・マネジメントというヘッジファンド会社は、一瞬のうちに破綻してしまった。天才的数学者ですら予測しえなかったのである。
少なくとも筆者は、これからも感謝祭前夜の七面鳥のままでいるのであろうと思うほかはない。イヤ、七面鳥ならまだマシかもしれない。ヒョットしたらネギを背負って七輪を持って歩いている鴨なのかもしれない。専門家としてとてもエラそうなことは言えない。反省!!
暑い夏の真っ最中というのに、ウットウシイ話になってしまった。またまた反省!!
ー生半可亭雲散苦斉ー |