数学は、合理性の極みと思っている。つまり、数学で表現できるということは、同じ仮定・条件下であれば誰がやっても全く同じ結果が導き出されることになるからである。
ところで、数学は自然科学の世界から発展し、今や社会科学の世界にまで、その応用範囲は広がっている。その最たるものが金融工学である。数学オンチの筆者にとっては、手の届かない神秘の世界である。ヒョッとしたら、神の世界を超えるのではないかと、内心恐れさえ感じていたのである。
しかし一方で、人間の行動が全て数学的に説明できるのなら、この世から問題は一掃されるはずなのに、問題は増えても減ってはいない。
また、我々のような数字を扱う鑑定業務は数学により駆逐され、一番先に不要になると思っている。筆者は何時かその日がくるのではないと心配していた。しかし、この世界に入って20年以上にもなるが、鑑定評価は数学的には対応できないのではと、少しばかり安心している。
このような中で、以前にも紹介したカーネマンの行動経済学に出会って、鑑定評価が数学的には対応できないという現実に納得したのである。
行動経済学に拠れば、現実の市場、それは不動産の世界ばかりではなく、すべての市場においても、人間が経済合理的に行動するという保証はないということである。
いくら数学的に市場分析をしようとしても、不合理・不可解な行動をする人間がいる以上、数学合理性が成立しないので、数学的には対応できないことになる。多種多様な人間が、市場において合理的に行動するという保証がない以上、市場が安定的に予測可能な状態で推移することはない。事実、現実の市場は不安定で予測不可能な動きとなっている。
ところで、金融工学を駆使した証券化商品により、サブプライムローン問題が発生し、それが引き金となり、リーマンブラザーズは破綻した。
この破綻はリーマンショックと呼ばれたのは周知のとおりであるが、この破綻は、一部金融業界への影響にとどまらず、世界の金融市場を巻き込み、世界的な金融不安を引き起こしてしまった。そして、その影響が実体経済にも波及し、世界同時不況に突入した。
天才的数学者は、ファンドマネージャーとして金融工学を駆使して年間数十億円から数百億円の報酬を得ていたようであるが、それも一瞬で吹き飛んでしまった。金融工学を自在に操る天才的数学者でさえ対応できなかったのである。とすれば、筆者の数学オンチもそう悲観することもないのかと、少しばかりホッとしている。
それにしても、行動経済学に拠れば、社会科学の世界を数学で説明したり予測したりすることには、無理があるようである。 |