鑑定評価基準には、予測の原則がある。基準に拠れば、「財の価格は、その財の将来の収益性等についての予測を反映して定まる」そして、「鑑定評価にあたっては、価格形成要因がどのように変化するかについて、的確に予測しなければならない。このためには、不動産鑑定士等は、常に価格形成要因の変動に注意を払って、その推移および動向を把握することが必要であり、これによって不動産のあり方および価格の水準ならびに鑑定評価の対象である不動産の価格が将来どのようなものとなるかを示すことができるのである」と解説している。
今あらためて読み返すと、とても人間業とは思えないのである。自分の明日の運命さえわからないのに、不動産の価値の将来を示すことができるなんて、とてもじゃないが正気の沙汰とは思えない。
バブルとその崩壊の前後にも、ずいぶん鑑定評価をしたが、バブル生成とその崩壊を的確に予測し、価値の将来を示すことができた不動産鑑定士が一体どれもどいたのであろうか。年間30%の地価上昇がバブルとも認識できず、崩壊したらしたで、あたかも事前にわかっていたような講釈をたれた経済学者は、枚挙に暇がない。今回のリーマンショックもそうである。ジョージ・ソロスは予測していたようであるが、筆者が『ソロスは警告する』という本を読んだのは、リーマンショックの後である。まったくドジを踏んだものである。
それにしても、あらゆる財を証券化の対象にして、お金でお金を売買する業務が今もって健全な経済活動とは、とても思えないのある。もともと財の交換手段であった貨幣が、交換の手段ではなく、経済活動の主役になってしまったのである。人のお金で勝負し、勝ったらファンドマネージャーの取り放題、負けたら預けた人にツケ回しという経済活動が、本来の人間の経済活動ではあるはずがないし、あってはならないと思っている。生産活動がなくなって、紙切れにすぎない貨幣だけで生命をつなぐことはできないからである。
話がずれたが、今回の金融不安や世界同時不況の原因は、あらゆる財を証券化の対象にし、金融工学によってリスクが最小となるように見せかけ(リスク隠しが本当であろう)、この壮大な仕掛けに世界中の余剰資金が躍ったというのが真実の姿であろう。その結果が、現在の姿である。
証券化は、ある意味で短期的にはリスクを分散させ、安全性の高い資金に化けさせることができたが、そう思ったにすぎない。その反面、不確実性が増大し、予測が極めて困難となってしまった。
マネーゲームは、バクチと紙一重である。投資と投機の境目がわからない以上、人間が欲望のままに行動すれば、投資の一線を飛び越え、投機の世界に入ることは容易に察しが付くのである。そして、ファンドマネージャーの報酬が成功報酬となれば、より大きな利益を求めるのは当然であり、非難することはできない。その結果、市場のゆらぎは大きくなり、予測不可能となる。
賃料収入に変化がなくても、期待収益率が変化すれば、不動産の価格は変動する。一方、期待収益率は国内事情とは無関係に変化する可能性がある。事実、リーマンショックによって国内の不動産市場も影響を受け、それまで地価上昇を続けていた主要都市の不動産価格は大幅に下落した。
このような中で、予測の原則を働かせよと言われても、国内事情ですらよくわからないのに、世界の金融資本の動向等までも視野に入れて評価しなければならないとなると、もはやお手上げである。予測可能と予測することは不可能である。
ブラックスワンの著者の話によれば「世の中の大きな動きは予測ができる領域の外側で展開する。」予測できれば、それに備えるので、大きな動きにはならない。我々は今日という日がずっと続くと仮定して生きてるにすぎない。
予測に原則も、所詮世の中が大きく変化しないという仮定条件の中でしか使えない。ということは、予測していないことと同じである。 |