鑑定評価をしていると、ときどき嫌になることがある。いくら考えても、結局何もわかっていない自分に気づくからである。できることなら、別の、少なくとも自分が納得できる仕事に変わりたいと思ったことは、一度や二度ではない。
鑑定評価の世界に入ってみたものの、経験すればするほど、悩みは尽きなくなっている。鑑定評価をする能力が本当に自分にはあるのだろうかと、自問自答の繰り返しである。どうせ誰にもわからないし、証明できないのだからという悪魔の囁きに負けて今日まで来てしまった。
バブル時に書いた自分の鑑定評価書を10年以上後に見る機会があったが、恥ずかしいことこの上なかった。
鑑定評価は価格時点が全てである。しかし一方で、予測の原則を働かせよと言われている。
バブル崩壊とその後の不動産価格の長期下落の反省から鑑定評価基準が変更され、収益還元法の中にDCF法が位置づけられた。DCF法のキャッシュフローにおける収支予測は短くて3〜5年、証券化不動産の評価では収支予測の期間が10〜15年というのも見たことがある。1か月先のこともわからないのに、10〜15年の予測期間である。ただ絶句する他はない。
リーマンショック前の鑑定評価で、リーマンショックを予測した不動産鑑定士はいない。価格時点が全てだから、価格時点以降の収支予測が大幅にずれても、そんなことは大した問題ではない!! と言いたいが、世の中が変わらないという前提で計算した結果は、少なからず価格時点の価格に反映されているはずである。
にもかかわらず、社会的にあまり問題にならないのは、誰にも予測できなかったのであるから責任はないということであろう。
世の中は何時の時代でも、ある重大な事実を突きつけられない限り、なかなかその事実を認めようとはしないものである。
誰でも知っている有名な話に、ガリレオの地動説がある。当時の市民感覚からすれば、到底理解できるものではなかったと思うのである。筆者もその時代に生きていたら、地動説を否定していたはずである。
そのようなことを考えていたら、行動経済学に続くショッキングな本に出会ってしまった。『ブラックスワン』(望月衛訳)。上下2巻の大作である。筆者はマサチューセッツ大学で不確実性を研究している数理学者のナシーム・ニコラス・タレブである。
この本の冒頭で、筆者は「オーストラリアが発見されるまでは、旧大陸の人は白鳥といえばすべて白いものだと信じて疑わなかった。経験的にも証拠は完璧に揃っているように思えたから、みんな覆しようがないくらい確信していた。はじめて黒い白鳥が発見されたとき、一部の鳥類学者は驚き、とても興味を持ったことだろう」とし、続いて、「大事なのは、人間が経験や観察から学べることはとても限られていること、それに人間の知識はとてももろい」ということを描き出している。
また、「何千年にもわたって何百万羽も白い白鳥を観察してきた当たり前の話が、たった一つの観察結果で完全に覆されてしまった。そんなことを起こすのに必要なのは、黒い鳥がたった一羽それだけだ。」
この冒頭の一文で、これまで胸にわだかまっていた数学に対する恐れが、ある意味で取り払われたような気がしたのである。数学も所詮人間の後知恵でもっともらしい講釈なのかもしれない。 ブラックスワンの例で考えれば、鑑定世界の常識も案外脆いもので、ある日突然覆される日が来るのかもしれない。鑑定世界に現れる黒い白鳥がどんなものかは想像できない。しかし、天動説時代のガリレオの地動説や黒い白鳥の発見が、絶対にないとは言い切れないと思っている。
我々は天動説時代の如く、与えられた予定調和の世界を前提に業務をこなしているが、はたしてそれで良いのであろうか? |