東日本大震災がもたらした災害の大きさに今更ながら驚きを隠せないが、その際に見られた秩序ある行動は世界の人々を驚かせたのは周知のとおりである。 日本人の基本的気質として労い・思いやり・相互扶助・謙虚さ等が挙げられるが、自己主張一点張りの欧米人とは、その行動様式において一線を画している。このような他者に対する目配りが日本人の基本的気質といっても過言ではないと思っている。
他方、これに対して大企業や行政に所属する団体構成員としての日本人の行動は、現場から遠く離れるほど、日本人個人としての本来の気質からはほど遠い行動として表れているようである。震災対応・原発対応をみると、ますますその感を強くする。個としての日本人と、団体構成員としての日本人の行動様式はどうやら対極にあるようである。
日本人の行動様式の原点
日本人と欧米人の行動様式の相違としてよく言われるのが、狩猟民族と農耕民族の違いということである。
狩猟民族は、移動する獲物を絶えず追いかける必要があることから、刻々と変化する状況にいち早く対応する能力と体力が必要とされる。そのため、他者に対する目配りは後回しとなる。また、獲物を追いかける体力が必要とされることから、リーダーは必然的に体力・経験が備わった人となる。リーダーの判断が誤れば、一族郎党全員が餓死しかねないからである。
これに対して農耕民族は、基本的に定住型である。また、農作物の収穫時期はほぼ一定している。このような条件の中では、農作物の収穫に影響する気候・土壌等の知識が必要になるが、これらの知識は長年の経験と知識の伝承がなければ適切に対応できない。
したがって、定住型の社会では、古老の教えに優るものはないことになる。農耕民族のリーダーは、体力よりも長年にわたり蓄積された知識と経験が何よりも大事となることから、リーダーの条件としてはこれらを兼ね備えた年長者ということになる。そして、収穫時期が一定しているため、必然的に共同体全員で作業を助け合わなければ対応できないということになる。
これらの条件が、日本人の基本的気質を形成した一因であると考えられるが、これらの条件は、集落規模が小さいほどよくあてはまるようである。しかし、集落規模が大きくなると相手の顔も考え方も見えにくくなるので、他者への目配りは困難となる。日本人の行動様式としての美徳は、集落規模が小さいほどよりよく発現されるが、集落規模が大きくなると他者への目配りが困難となるため、日本人の行動様式はどちらかというと欧米人に近くなるようである。
|