空家とコンパクトシティと試される住民意識 ~ Vol.2
2021.11.12
VOL.02 コンパクトシティとゴーストシティ

 コンパクトシティという言葉が空家問題とともにクローズアップされているが、言葉を換えれば拡大してしまった都市機能を、少子高齢化から人口規模に合わせて縮小しようということになるのでは、と思っている。

 都市機能をマイホームブームに乗って拡大したことも、少子高齢化から縮小しようとしていることも、サプライサイド的な発想ではないかと思うのである。

 住民の意識よりコスト優先、悪く言えば利益優先にしか見えない都市政策には、疑念を抱かざるを得ない。

 都心部に都市機能を集約することは合理的と思われるが、同世代が中心となっては、ニュータウンと同じ道を歩むのは目に見えている。

 サスティナブルな都市とは一体どういう都市なのか、絵は描けないが、人口半減の意味するところは、所詮コンパクトシティもゴーストタウンの一里塚ということになるのであろうか。

 財政負担の問題もあって、このままで良いとは思えないが、住民意識の十分な反映がなければ、町は成り立たない。


 ところで、行政サービスは、上から与えられるものと思っている人が多い。

 独裁国家・奴隷国家ではないのであるから、行政サービスの質・量を決めるのは住民であるのに、江戸時代の意識から抜け出せずにいるせいか、御上の意向を伺いながらも、時には度を超すような我儘をいうこともあるのは、困ったものである。

 行政サービスは無料ではないのであるから、負担を好まない住民は不便を我慢するしかないと思うのである。

 いくらコンパクトシティと言っても、住民の意識が変わらなければ、都市機能はコンパクトにはならない。

 とすれば、少子高齢化とこれによる人口減少から、インフラの一人当たりの維持管理コストは増大し、やがて夕張市のように財政破綻し、それでも維持できなければ町を捨てざるを得ないことになる。

 2050年頃には無居住化地域が全国で20%を超える(ちなみに北海道は50%を超えると言われている)と言われているが、裏を返せば、無居住化地域即ちゴーストタウンの出現ということになる。

 残された時間は少なく、また、国・地方合わせて1300兆円を超える債務残高を考えると、この流れを誰も食い止めることはできないと思うのである。

 但し、一部の地域では、コンパクトシティ構想が実現するかもしれないが、多分大都市圏の一部に限られるのではないかと思っている。

 そもそも人がいなければ、手の打ちようが無いのである。
2021.11.12 16:58 | 固定リンク | 鑑定雑感

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