ヒラメと徒弟制度と実務修習 Vol.1
2013.09.28
VOL.01 減点主義の功罪

 日本を取り巻く環境は、かつてないほど厳しい状況にある。

 ひるがえってみると、ゼロ成長時代に近かった江戸時代を経て、その末期には財政的に行き詰まり、中央(江戸)と地方の対立が激化し、明治維新を迎えた。
 その後は西洋列強に追いつくべく富国強兵を国家目標とした。
 アジアの辺境にあった国が明治・大正・昭和前期と目覚しく発展し、名実共に西洋列強に肩を並べた。
 その後は周知のとおり西洋列強と激しく対立し、それが第二次世界大戦の端緒となり、甚大な人的・物的被害を残し敗戦を迎えた。
 戦後は連合国側の敗戦処理や援助のお陰もあって奇跡的な経済復興を成し遂げ、世界の注目を集めた。
 『ジャパンアズナンバーワン』という本が発行され、有頂天になったことも懐かしく思い出される。

 しかしこれも長くは続かず、バブル崩壊を経て日本経済は長期低迷にあえいでいる。

 とはいえ、明治以降日本がかくも短期的に復興・発展できたのは、教育制度にあると認識している。
 日本の教育システムの特徴は、大量かつ均質的な人材を養成することにある。
 幸い(?)というべきか、日本はほぼ単一民族に近い国家である。
 そのため、モノカルチャー的な教育に国民の抵抗は少ない。
 国家の教育方針はほぼ成功し、大多数の国民はその恩恵を受け、豊かさを享受してきたのである。
 これまでの教育システムは、かかる意味において十分にその役割を果たしてきたと思っている。

 ところで、大量かつ均質的な人材を育成する目的は、大量生産に対応する人材を確保することにある。

 そのためには、創造的・独創的な人間より、組織に適合しやすい、型にはまった人間が好まれる。
 その教育方法が減点主義である。

 100点以上を取る人間は不要である。
 かといって、50点以下の人間も必要とされない。
 また、他の人と違うことは許されない。
 団体行動を取れない人間は、社会から排除される。
 戦前・戦後の教育基本法の本質は、創造的・独創的人間を育成することではない。
 個性尊重は建前にすぎない。
 戦後日本の教育基本法の思想は、大量生産向きの人間を育成するという意味で、どこかナチス時代のドイツの国民教育法に近いと聞いたことがある(誰か教えてくれるとありがたい)。

 話が少し逸れたが、減点主義教育の本質は、独創性・創造性の排除である。
 
 独創性・創造性は採点が出来ないうえに、上限が分からない。
 教育を受ける者の学習到達点が分からないと、教育の目標を定められず、結果として習熟度の測定もできないので、減点主義を採るしかないのである。

 減点主義教育の始まりは古いが、日本のお手本は中国の科挙である。
 これはまさに現在の公務員試験と同じである。
 そこで試されるのは、過去の記憶である。
 テキストは過去の塊であり、未来の記述はない。
 そして一番問題なのは、テキストに記載された過去は常に正しいという前提に立っているということである。
2013.09.28 10:11 | 固定リンク | 鑑定雑感

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