コモディティ化する鑑定業務と特化型AIに駆逐される公的評価 ~ Vol.5
2023.12.21
VOL.05 地価公示評価員にあらずんば不動産鑑定士にあらず

 昨今、地価公示評価員でなければ、固定資産税の標準宅地の鑑定評価をさせないとか、その他の公共セクター発注の鑑定評価を受注できないとかという話を良く耳にする。

 発注者の理屈を聞くと、どの鑑定士が良いのか選ぶことができないので、地価公示評価員であることを選択の基準としているとのことである。

 一方、地価公示評価員は年間5件程度の一般鑑定の経験を5年程積めばなれるようであるが、大都市では希望者が多いため、評価員になる道も相当難関のようである。

 その結果、奇妙なエリート意識が生じ、鑑定業界の頂点に君臨するのが地価公示評価員ということになるらしいが、実に困ったものである。

 いくら経験を積み、業界で実績を残しても、地価公示評価員を降りたらタダの鑑定士となり、地価公示ムラや他の公的評価からも排除される。

 また、地価公示評価員には、協会を維持運営するための大事な収入源となる事例カードの作成義務を負わされているため、尚のこと特別扱いされて当然という考え方が支配的となる。

 本来であれば、データの収集・整理は会員全員で取り組むべき課題であるのに、何故か地価公示評価員のみに責任が負わされている。

 法律上は、地価公示法という法律に基づいて収集・整理したデータは国家の財産であるのに、他の鑑定評価に必要だからという理由で協会に集め、一元管理するようになったが、税金を投入して集めたデータを、特定の団体に属する者だけがその利用を許されるとする根拠法は、一体どこにあるのであろうか。

 協会も地価公示評価員も地価公示に従属させられ、その結果としてデータの利用を許されているが、果たしてこのままで良いのであろうか。

 尚、データの収集・整理する現在のやり方は、新スキームと称し、法務省からの登記データを他の株式会社がアンケート調査の郵送・回収を行ない、それを地価公示評価員に割り振り、担当評価員に現場調査・資料調査の上事例カードの作成をさせているが、アンケートの郵送・回収をしている会社はコンピュータ上で機械的に整理しているだけである。

 後は地元の地価公示評価員が手間ヒマかけて調査整理しているが、前記の会社の担当者は、何の資格もなく、データの入力ミスがあっても責任を問われることもない。

 一体この業務の費用性と責任性のアンバランスな対応は、どこから来るのであろうか。
 個人的には理解できない。

 話が少し脇道にそれてしまったが、民間や公共用地買収等の鑑定業務が減少する一方、資格者は増え、受注競争が激化し、生活が不安定化したため、安定的なあてがいぶちの仕事で定年まで食べていけそうな地価公示に群がるのもむべなるかなと思わざるを得ない。

 うまく地価公示評価員になれたら他の公的評価にもありつけるとなれば、尚更のことである。

 不動産鑑定士は地価公示にパラサイトした生物となり、自立できない業種となったが、それ以外の業務についてもコモディティ化が進み、価格競争が尚一層激しくなってしまったのは、残念という他はない。
2023.12.21 09:30 | 固定リンク | 鑑定雑感
コモディティ化する鑑定業務と特化型AIに駆逐される公的評価 ~ Vol.4
2023.12.14
VOL.04 コモディティ化が進行するもう一つの理由

 コモディティ化の代表は、公的評価である。

 その代表の中で一番に君臨するのが地価公示である。

 地価公示の評価書は様式化されており、記載内容も手引に例示されており、その束縛から逃れることはできない。

 結果として、不動産鑑定士ならば年齢・経験に関係なく評価書の作成はできるが、コモディティ化が進行しているため、経験のある一般事務職の方が評価書作成に向いているともいえる。

 何故なら、一般事務職員の方が手引に忠実に作成するからである。

 つまり、できるだけ独自の判断をさせないことにより、誰がやっても同じ答えになるように要請されていると考えれば、なまじ判断力が無い方が向いているのは理の当然である。

 評価行為は意見・判断であるのに、評価書という名の書類作成の内容に重点が移ってしまい、価格は二の次となった結果とも言えるのではないか。

 また、本来公示価格は取引の指標とするために市場価格を判定するはずが、なまじ前年の価格があるため、変動率が主役になってしまった。

 変動率が決まれば、後は評価書という名の書類を作るだけであり、その内容も手引により示されているため、コモディティ化していると言われても仕方がないと思うのである。

 そして、もっと悪いことに、地価公示作業のやり方・考え方等を一般鑑定にも援用する力が大きくなった結果、コモディティ化に尚一層の拍車をかけたのではと思われる。
2023.12.14 13:26 | 固定リンク | 鑑定雑感
コモディティ化する鑑定業務と特化型AIに駆逐される公的評価 ~ Vol.3
2023.12.07
VOL.03 鑑定評価書のコモディティ化による影響

鑑定評価がコモディティ化する原因は、相当以前からあったと思われる。

 一般消費者から見れば、弁護士・公認会計士・不動産鑑定士といえば、高度の試験に合格しているのであるから、人間的にも立派な人が多いと思っているが、新聞を読むまでもなく、悪事を働き世間を賑わす専門家は、それなりに存在している。

 ところで、弁護士は依頼者のためなら黒でも白と主張することが許されるが、公認会計士や不動産鑑定士は、そうはいかない。

 つまり、業務の本質が公正・中立的であることが要請されるため、依頼者に寄り添った監査意見や鑑定評価は、その業務の本質からみて行なうことができないのである。

 とすれば、監査を行なう公認会計士や鑑定評価を行なう不動産鑑定士個人によってその内容が異なることは、事の本質はさておき、基本的に許されないと考える他はない。

 したがって、その内容はできるだけ様式化(標準化)して、専門家でなくてもチェックしやすいようにすることが求められる。

 結果として、高度?な専門家の業務もコモディティ化することになる。

 こうなると、消費者である依頼者は、機能性・品質等の差異がないのであるから、これら専門家の選択基準は価格(報酬)のみとなる。

 経済成長が順調で、需要が拡大局面にあれば、コモディティ化しても価格競争が激化する可能性は低いが、需要が停滞する一方、供給側、つまり資格者が社会の景気・需要とは無関係に増加すると、需給バランスは崩れ、価格競争は激化する。

 価格競争の激化によって品質は劣化するが、その防波堤がガイドラインであるとすれば、鑑定業務の国家による管理化は避けられないことになる。

 しかし、行き過ぎた管理は統制経済化を招き、やがて市場からも見放され、崩壊する可能性がある。

 アメリカの鑑定財団が国家の介入を嫌う理由は、まさにここにあるのではと思われる。

2023.12.07 11:52 | 固定リンク | 鑑定雑感
コモディティ化する鑑定業務と特化型AIに駆逐される公的評価 ~ Vol.2
2023.11.30
VOL.02 コモディティ化する鑑定業務


鑑定評価の本質は、専門家の意見であり、判断であったはずである。

 故櫛田先生の『鑑定評価の基本的考察』においても、高度な知識と豊富な経験と的確な判断力とが有機的に統一されて、初めて的確な鑑定評価が可能となるのであるから、不断の勉強と研鑽とによってこれを体得し、鑑定評価の進歩改善に努めなければならないとしている。

 あれから40年、社会は変わり、新試験制度により、現場経験を十分に積むことなく、合格即独立という不動産鑑定士も増加している。

 このような中で、高度な知識と豊富な経験に裏打ちされた的確な判断力が醸成されることを暢気に待っていられないのか、鑑定評価のガイドラインが作成され、基本的にはこれに沿って鑑定評価を行なうことが要請されている。

 鑑定評価の本質的な潮流は、ヨーロッパが原理主義、アメリカがルール主義、日本は様式(形式)主義と言われているようであるが、ガイドラインはいわば様式主義の要請に近く、事実ガイドラインに沿った実務研修テキストを丸写しした(もっとも中の数字は物件によって変えているようであるが)鑑定評価書が主流を占めつつある。

 ガイドラインは、専門家?である鑑定士独自の意見・判断に一定の枠をはめ、方向・内容等が同質化するよう要請しているとも考えられる。

 言葉を換えれば、鑑定評価業務の機能性・品質・サービス内容・ブランド力を均一化することに他ならないので、結果として差別化特性を排除することになる。

 消費者にとっては、不動産鑑定評価書という商品の何が良いのか分別することはできない。

 まして、その内容がガイドラインによって一律的になれば、鑑定評価を依頼する基準は価格(報酬)そのものになる。

 コモディティ化とは、本来市場を通じてなされるが、鑑定評価書という商品については、その良し悪しを消費者が判断できないため、市場を通さずにコモディティ化されてしまったのではないかと思っている。
2023.11.30 14:55 | 固定リンク | 鑑定雑感
コモディティ化する鑑定業務と特化型AIに駆逐される公的評価 ~ Vol.1
2023.11.22
VOL.01 コモディティ化とは

ウィキペディアによれば、コモディティ化とは、マルクス経済の用語で、所定のカテゴリの中の商品において、製造会社や販売会社ごとの機能・品質などの属性と無関係に経済価値を同質化することをいうとしている。

 これだけでは抽象的過ぎて良くその意味を理解できないが、これを現代風に解釈すると、競合する商品やサービス同士の機能性・品質・ブランド力等の差別化特性が失われ、その結果、価格や買いやすさだけを理由に商品の選択が行なわれることと言えば理解できるのではないであろうか。

市場競争が激しくなった結果として、機能性や品質・デザイン・サービスの質等で大差のない商品・サービスが多く流通するようになると、消費者にとってはどこの会社の商品・サービスであろうが同じ状態となるため、価格だけが選択の基準となってしまうのである。

 つまり、消費者にとっては商品やサービスの選択の絶対的基準が価格のみとなるため、商品やサービスを供給する側、つまり生産者・販売者等は、商品価格を下げざるを得ない状況に追い込まれることになる。

その結果として同様の商品やサービス同士の間で価格競争が激化し、利益どころか原価割れさえも起すことになる。

市場はいわば共食い状態になり、体力のない生産者・販売者・サービス業務の提供者は、市場から淘汰されることになる。
2023.11.22 11:45 | 固定リンク | 鑑定雑感

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