稀少性の経済と過剰性の経済を考える ~ Vol.1
2022.08.10
VOL.01 はじめに

昨今、所有者不明土地問題や空家等の問題が大きく取り上げられている。

 土地神話時代に育った世代としては、資産価値が高いと思っていた不動産の所有者が不明になったり、特に利用もされない空地・空家が増え、放置されていることに違和感を覚えるのである。

現金ならまずこうしたことは起きないと思うが、現金より価値があると思っていた不動産の末路がまさかこうなるとは、誰が予想したであろうか。

ところで、この表題及びエッセイの内容は、経済学者の佐伯教授の「経済学の犯罪」(佐伯啓思著,2012年8月.講談社現代新書)にヒントを得たものである。

詳しい内容は同書に譲るとして、ここで改めて不動産鑑定評価基準の論理構造について考えてみたい。

「不動産の鑑定評価に関する基本的考察」第1節「不動産とその価格」には、次のように記されている。
不動産の経済価値は、一般的に

①その不動産に対してわれわれが認める効用
②その不動産の相対的稀少性
③その不動産に対する有効需要

の三者相関結合によって生ずるものであるとしている。
この考え方の大前提は、近代経済学の教えるところ、つまり市場主義中心の経済学を背景としていると思われる。

モノやサービスの最適資源配分は、市場に任せておけば良い、即ち「神の見えざる手」によって、需要と供給が合致するところで価格が決まるので、そのことによって資源の最適配分が達成されると考えている。確かにその一面は否定しようもないが、有効需要も相対的稀少性も無くなったその先に荒れ果てた国土と空家等が待ち受けているとすれば、市場主義経済は必ずしも最大多数の最大幸福をもたらすシステムとは言えないのではと考えさせられてしまった。
土地神話時代に育った世代としては、まさか有効需要も相対的稀少性も失う時代がくるとは、想定もしていなかったのである。

不動産の経済価値を構成する三要素のうち、少なくともこの二つを失った不動産の経済価値は、無いに等しいと言わざるを得ない。

以前にも、三無い不動産、つまり、売れない・貸せない・壊せない不動産の背景について本誌に書いたことがあるが、現在地方の過疎地域で起きている現象は、まさに経済価値を失った不動産の、断末魔の叫びであると思っている。

 これまで、市場経済に任せておけば全てうまくいくと思っていたが、その結果、国土の荒廃が進み、所有者不明土地や使い途のない空家が増えて、社会問題となってしまった。

全ての人間の活動を経済価値に置き換える市場経済中心の考え方は、構造改革が必要だとして、不動産に関しても各種の規制緩和が進行した。
 
 これらの施策により不動産の金融化が進み、不動産市場も値動きの荒い市場となった。
 また、金融商品化向きの不動産は地方には少ないので、人口が集中する大都市圏へとお金が流れ込み、地価は乱高下する。

その一方で、商品にならない不動産に対する需要は減少し、これに少子高齢化・人口減少が追い打ちをかけ、資産価値を失った結果、所有者不明土地や空家が増大し、社会問題を引き起こしたのではと思っている。

神の見えざる手に任せた結果、経済価値を上回る社会的コストを抱え込むことになるとは・・・・・・

これらの問題は、我々に市場経済は必ずしも万能ではないことを示しているものと考えるが、大都市と地方では、これらの問題に対する認識の格差は大きく、他人事のように考えている人も多い。
2022.08.10 10:47 | 固定リンク | 鑑定雑感

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