戦略なき義務研修問題を憂う ~ Vol.5
2022.06.23
VOL.05 研修制度を考える

話が横道に逸れてしまったが、何故戦前の話を例にしたかというと、ある問題が生じたときに、これに対する合理的思考ができないということを認識することが必要と考えたからである。

つまり、研修制度の問題が、社会の信頼に耐えうる資格者を育てるということにあるならば、研修の義務化云々の問題ではないと気づくはずであるからと考えるからである。

 試験合格即独立という資格者が増えても、社会は資格者の質を弁別することはできない。

 行き過ぎた規制改革は、社会のためにもならないが、その解決策が研修の義務化というのであれば、お寒い限りとしか言いようがない。

 研修の目的が社会の信頼に応えるためというのであれば、研修の合理性について徹底的に議論し、そのあり方等も含めて検討する必要があると考える。


ところで、ASAでは、評価対象や評価目的に沿った多様な教育プログラムを用意していると聞いている。

 そして、この教育プログラムを実施するためには、能力のある講師(インストラクター)が必要であるからとし、講師養成講座を用意している。

 研修を行えるのは、講師養成講座を受講し、試験にパスした者だけである。

 ASAのインストラクターは、自国のみならず世界各国で教育プログラムに基づいた研修を行なっている。

他方、我が協会に、多様な教育プログラムがあるという話は聞いたことがない。

 本部や地方組織で行なっている研修は、系統性も一貫性もなく、その時々の思いついたテーマで行なっているだけとしか言いようがない。

 これでは、資格者の実力を養成することはできない。

 残念ながら、我が業界の研修は、一般市民講座的なものや講演会に類似するものも見られ、参加することだけを目的としているとしか思えないのである。

これでは、実効性のある研修とは言えないし、また、研修の意味をなさないと考える。

 研修制度を考えるのならば、まず教育プログラムの開発を行ない、資格者に必要な知識や経験をどのようなプロセスで習得させるかという基本方針を定めることが重要だと考える。
2022.06.23 15:30 | 固定リンク | 鑑定雑感

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