相互不信社会とコンパクトシティの行方 ~ Vol.4
2021.12.16
VOL.04  マチ作り再考

 人口減少と高齢化・生産人口の減少・空家・老朽家屋の増加等に対する即効性のある処方箋はない。

 マチのあり方を方向づけるのは、地元の住民である。

 中央政府は予算配分等で地方をある程度コントロールができるとしても、言論の自由や移動の自由を制限することはできない。

 地元住民は、自分のマチが気にくわなければ出て行くだけのことである。
 誰かが何とかしてくれるだろうという希望的観測で日々を過ごしている。

 たまにある公共事業で一時しのぎはできるが、その恩恵に与れる人はごく一部に限られる。
 地方もそこに住む地元住民も中央政府にパラサイトしているが、明治政府以降の強力な中央集権がもたらした結果ともいえるのではないかと思われる。

 ところで、民主主義を旨とする今日の大衆社会は、名を名乗らずに相手方を攻撃する。
 自分の個人情報は守られるべきと主張する一方で、攻撃相手はお構いなしである。

 江戸時代であれば、名を名乗らずに攻撃すれば、卑怯者!!と手打ちにされても文句も言えないのに、明治と共に武士道精神は置き去りにされ、卑怯者が蔓延る社会となってしまった。

 近代化と共に相互信頼社会から相互不信社会になり、中央集権の結果としてパラサイト体質に変質してしまったが、それも自業自得ということなのかもしれない。

 いずれにしても、相互不信社会が前提となるのであれば、マチ作りはできない。

 日本の本来の美しさは、世界に比類なき相互信頼社会にあると思うのである。

 近代化とともに相互不信社会に移行してしまったが、地方創成の基本はハード的なマチ作りではなく、相互信頼が醸成されるマチなのではと思うのである。

 個人情報保護法や特定秘密に関する法律等は、相互不信社会の賜と思っている。

 時代の流れといえばそれまでであるが、少なくとも地方だけは相互信頼社会が醸成できるようなマチ作りをして欲しいと願うばかりである。

 そこで試されるのは、まさに民主主義のあり方そのものであり、誰かが何かをではなく、自らが何をすべきかを考え、行動することであると思うのである。

 パラサイト意識を捨て、自立可能なマチ作りを目指したいと願わざるを得ない。

(2016年6月 月刊「不動産鑑定」掲載/「相互不信社会とコンパクトシティの行方」)

2021.12.16 18:13 | 固定リンク | 鑑定雑感

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